上海センターブラウンバッグランチ(BBL)セミナー 第10回

日中関係とナショナリズム−―われわれはなぜこれほどまでに嫌われるのか

 日時  2005年 11月17日(火)12:15-13:45

 会場  法経総合研究棟2階大会議室

 報告者 江田 憲治京都大学大学院人間・環境学研究科教授)


 講演概要

反日デモと日本のメディア言説

 私が、「日本人は中国人に嫌われているのではないか」ということを考えるようになったのは、今年の4月、中国の各地で反日デモが起こってからのことです。もっと早くからこの問題を考えるべきであったことは、中国近現代史の研究者として自己批判すべきことでありますが、ともあれ、『朝日新聞』などの報道によると、反日デモは、42日の成都(規模不明)が最初です。さらにデモは9日、北京と深?で約1万人、10日に広州で2万人規模のものとなってから本格化し、16日には、天津(数千)、上海(数万)、杭州(3000)、17日には深?1万)、廈門(6000)、長沙(2000)へと拡大、このほか瀋陽、寧波、東莞、珠海でも数百名から1000名の小規模ながら、デモが起こりました。

  この中でデモ隊の投石により北京大使館や上海総領事館の窓ガラスが割られたこと、また上海のデモで一部エキサイトした人たちが、日本と関連している(と思われた)商店や看板などを破壊したことは、ニュースで映像をともなって報道されたため、よく知られていることだと思います。

 ただ、ここで私が問題にしたいのは、これらの一連の反日デモに関する日本のメディアに現れた、デモの原因・背景についての言説です。私の狭い知見によるものですが、テレビや新聞の報道、そこに登場した専門家や文化人、政治家たちは、ほぼ三つの立場からデモの原因・背景を説明しようしていました。すなわち、@デモの背景には貧富の格差拡大などの社会矛盾があることを指摘する「中国の社会矛盾起因」説、Aデモは中国政府がやらせているのだとする「中国政府(共産党)煽動」説、あるいは、B中国では学校教育で反日教育が行われているため、こうしたデモが起こったのだとする「反日教育原因」説、です。

 しかし、反日デモから数か月をへた今日、これら三つの説を検討してみると、それぞれは本当に正しかったのか、という点に疑問を抱かざるを得ません。

 @の「中国の社会矛盾起因」説ですが、もし「社会矛盾」が原因なら、国有企業での失業やリストラという大きな問題を抱えている東北地方で、あるいは都市との格差や地方政府の収奪が問題化している農村地域で、もっと多くのデモが起こるはずです。ところが、東北のデモは小規模な瀋陽の1例しかなく、デモの大部分は豊かな沿海都市で起こりました。なかでも最大のデモが、生活水準がもっとも高い上海で起こったことは示唆的です(もちろん、デモ参加者の中には農村の出稼ぎ労働者もいたでしょうが、インターネットや携帯電話がデモ参加者を増やしたとされる報道からすれば、ある程度収入の多い階層が多数を占めたことが想定されます)。

 Aの「中国政府(中国共産党)煽動」説ですが、実は、デモが拡散かつ大規模化した417日、中国外務省は対策会議を開き、「対日関係の重要さを国民に訴えていく方針」を決めています。19日には、李肇星外相が人民大会堂に党幹部ら3500名の前で日中関係について演説し、大学教員たちの宣伝団が各地で学生らへの「講義」を開始したのです。そこでは、日本製品不買運動は「愛国」ではない、日本の少数の右翼と人民を区別すべきだ、日本大使館への攻撃は非合法で間違い、などが強調されたとのことです(『朝日新聞』74日)。そしてもし、政府や党がデモを煽動したあとになって抑えにかかる、「マッチ・ポンプ」のようなことをしたのであれば、これは中国人の間でたいへんな騒ぎ――インターネットによる匿名批判や海外居住者からの非難を含め――を引き起こしていたに違いありません。今日の中国人の市民意識は、政府を正面から批判するまでに成長して来ている、と私は考えています。こうした批判・非難がなかったことは、中国政府(共産党)の煽動などは、実際にはなかったことを意味している、のではないでしょうか(ただ、デモを積極的に抑えようとしなかったことは確かですが、デモを無理に鎮圧すれば事態を悪化させる、という中国政府側の判断は、むしろ冷静なものだったと思えます)。

 Bの「反日教育原因」説は、たとえば、官房長官になる前の安倍晋三氏が述べていました。そして、中国の歴史教科書、とくに初級中学校(日本の中学校)のそれが、日本の侵略に抵抗してきた中国共産党の歴史や日本軍の犯罪行為(南京大虐殺や七三一部隊など)に重点をおいて現代史を描いていることは確かです。しかし、この部分を抜きにして中国現代史が成り立たないことも事実ですし、学校教育が人々の「反日」意識を決定づけることも、実はなさそうです。私が行ったアンケート(後述)でも、ある留学生は、「学校教育を受けているとき、自分は「反日」では決してなかった、反感を覚えたのは日本で石原都知事らの発言を見聞きしてからである」、と述べています。

 このように見てくると、反日デモの原因についての三つの説は、必ずしも妥当ではありませんし、また相互に関連するものではありません。にもかかわらず、これらの説がメディアをにぎわしたのは、三つの説に共通する「日本側には責任はない」という観点が、日本の視聴者・読者受け入れやすかったからではないでしょうか。あるいは、反日デモについての、日本人のおおかたの見方がそうしたものであった、ということだと考えられます。そこに問題はないでしょうか。

 

中国側の主張といわゆる「歴史認識」問題

 しかし、中国側はそのように考えていません。中国の外務次官は、北京の大使館に対する投石について、「お見舞いの意図と遺憾の意」を示す一方で、「今回の局面が生じた責任は、中国側にはない」と表明していました。責任は日本側にある、という訳です。

 では、中国政府が主張する日本側の責任とは何か? これが所謂「歴史認識」の問題であることも、よく知られていることだと思います。A級戦犯を合祀し、日中戦争を自衛戦争であるとしている靖国神社に首相が参拝することは、日本の国家指導者が、侵略戦争の事実を認めない「歴史認識」を持っている、と中国側は考えます。日中戦争(抗日戦争)を数多の犠牲を払いながら戦い抜き、その中で民衆の支持を得、勢力を拡大した中国共産党の立場からすれば、小泉首相の不敵なまでの参拝の繰り返しは、自らの政権の正当性を否定するものと受け取っているのです。

 振り返ってみれば、自民党は、19938月、当時の細川首相の「侵略戦争発言」に反発し、「公正な史実に基づく日本人自身の歴史観」、すなわち「大東亜戦争=自衛戦争」論の確立をめざして、「歴史・検討委員会」を発足させました(これには、安倍晋三・古賀誠・中川昭一・谷垣禎一・平沼赳夫・森喜朗ら、錚々たる面々が委員として名を連ねています)。その成果は、19958月、『大東亜戦争の総括』として世に問われましたが、この中には、193712月、南京陥落直後の『朝日新聞』には、南京の平和な市民生活の写真しか掲載されていないから「大虐殺」などなかった、とする、およそ歴史学の検証に耐えない無茶な見解も表明されています。私が中国の著作で『大東亜戦争の総括』の存在を知ったように、この本は、おそらく日本ではあまり知られていないと思われますが、しかし、中国の人々は知っています。

 もちろん、今年4月の反日デモが掲げたスローガンの一つが、当時日本政府が取り組んでいた国連安全保障理事会の常任理事国入りに反感を示すものであったことのように、今日の中国では経済発展を背景に「大国意識」が成長しつつあること、1990年代以降の中国政府(共産党)が、社会主義に代わる国家統合の軸として、ナショナリズム(中華民族論)を選び取っていること、は無視すべきではないでしょう。

 しかし、中国のこうした「大国意識」、ナショナリズムの「肥大化」を、隣国として看過しえないのであれば、われわれの側からまず中国の主張を理解することから始めねばなりません。前述の反日デモについての三つの説は、その理解を拒否することにつながりかねないものです。中国が批判する日本側の「歴史認識」批判を受けとめてから、われわれは初めて、中国の大国意識や肥大化するナショナリズムを批判する立場を獲得し、相互批判と相互理解の回路を開くことができるのではないでしょうか。

 

 アンケートによる知見

 ところで、中国側のいう「歴史認識」問題の焦点となっているのが、前述のように小泉首相の靖国神社参拝ですが、私は中国の市民が「歴史認識問題」をどう考えているか、ナマのかたちで知りたいと思い、電子メールを使ったアンケート調査をすることを思いつきました。そこで、10月下旬から11月中旬にかけ、友人や留学生を通して調査票を送信し、それをまとめる作業を行ってみました。主な質問は以下の通りです。

  @小泉首相は、「非戦を誓い平和を祈念する」ために靖国神社に参拝するとしていますが、同意できますか?

  Aなぜ、小泉首相の靖国神社参拝に反対ですか?(A級戦犯合祀、靖国神社の日中戦争=自衛戦争論、軍人を神として祭ること、から複数回答可で選択)

  B日本は日中国交回復以後、中国の賠償請求放棄と引き替えにODAを行ってきましたが、このことを知っていますか?

  C七三一部隊・南京大虐殺・細菌戦・強制労働・慰安婦などの被害者が日本で裁判を起こし、ほとんど敗訴していますが、このことは反日感情に影響していますか?

  D日本人は中国人を蔑視しているといわれますが、そう思いますか?

    Eあなたは日本人が嫌いですか?

 こちらの氏名と所属を名乗り、中国のみなさんが「歴史認識問題」をどう考えているか、そのことを日本人に理解させるためのアンケートであることを述べたのですが、意外に回答数は少なく120通ほどでした(ある留学生によれば、「悪用」を警戒したのではないか、とのこと)。ただ、地域としては日本在住の留学生のほか、瀋陽、北京、上海、南京、杭州、広州、深?、山東(都市名不明)、湖南(同)の、弁護士、大学教員、会社経営者、IT産業や経理・財務などのホワイトカラー、事務職員、商業従事者、学生から回答が寄せられました。期せずしてこれらの地域は反日デモの発生地とほぼ一致し、職業も比較的収入の高い層というデモ参加者の想定と一致します。

 そこで、サンプル数は全く少ないのですが、このアンケートの結果を紹介したいと思います。まず@の小泉首相の靖国参拝理由に、99%の中国市民は同意できない、としました(残りの1%は、「同意できる」ではなく、「どちらともいえない」)。また、Aの靖国参拝反対の理由は、約8割の人がA級戦犯合祀を選びました。Cの戦後補償裁判と反日感情の関連については、およそ6割の人が関連がある、と回答しました。これらは、私にとっては、ほぼ「想定の範囲内」のことでした。なお、BのODAについては、「よく知っている」「聞いたことがある」と答えた人が約7割を占めましたが、これは最近の対中国ODA打ち切り問題が中国で広く報道されたことが要因となっている、と考えられます(上海センターの北野先生のご指摘です)。

 さらに、たいへん興味深かったのが、DとEに対する回答です。すなわち、日本人が中国人を蔑視している、と回答した人は全体の約60%におよびましたが、日本人は「嫌いだ」、と答えた人は10%にとどまり、逆に「好きだ」とする人は20%、人の好き嫌いは国籍によって判断するものではない、日本の右翼政治家には反対するが一般の日本人には立派な人間も多い、などとして、「どちらでもない」とする回答が70%にのぼったことです。日本人から蔑視されていると回答しながら、日本人のことを好きだと答えた人も、随分いました。

 

 若干の結論

 とすれば、これはどのようなことを意味するでしょうか。私は、反日デモの主力となったと想定される都市のインテリや学生、ホワイトカラー層は、現在までのところ、「反小泉」ではあっても、全面的な「反日」というレヴェルにまでは至っていないと考えました。もちろん、アンケートの自由欄に、「日本との戦争になれば、犠牲を惜しまず戦う、これが中国の民意だ」と過激なことを書き込む人がいました。また一昨年、私は湖南省の農村の祭りで、日本軍の侵略をテーマとした芝居が上演されているのを見ました。ですから、こうした傾向が中国の人々の一般的な傾向である、と説くつもりはありません。

 しかしながら、少なくとも現在の中国社会にあって、重要な役割を占めているであろう上記の階層の人々の反日意識が、デモの投石や商店襲撃に代表されるようなものではないことも確認するべきではないか、そのように私は考えるのです。そして、同時に、このまま事態を放置すれば、彼らの「反小泉」意識が「反日」意識へと進展していくであろうとも考えます。こうした事態の到来を防ぐためにも、日本の政治家が、自分の政治資本を守るために隣国の国民感情を平気で傷つける今日の状況の少しでも変えるために、私たちは、もっと中国のことを知らねばならないと思います。

 このことを述べたいがために、この小文を綴らせていただきました。

 



(本稿は11月17日に開催された上海センターブラウンバッグランチ(BBL)セミナーでの講演を江田憲治教授にまとめていただいたものである。