=============================================================================
京大上海センターニュースレター
第2号 2004年4月26日
京都大学経済学研究科上海センター
=============================================================================
目次
○ 中国・上海情報 4.17−4.23
○ 中国の経済学に関する3つのエピソード
○ 上海センターの三月期活動(続報)
*****************************************************************************
中国・上海情報 4.17−4.23
ヘッドライン
■ 2004年中国乗用車生産台数予測:260万台
■ 江蘇省発電用石炭在庫量急減,発電所は燃料不足に直面
■ 北京市SARS患者一例発見
■ 重慶,北京,南昌:相次いで重大毒ガス漏れ事故
■ 1-3月期上海不動産価格上昇率全国トップ
■ 1-3月期浙江省自動車部品輸出額前年同期比88%増
■ 上海金具技術協会:重慶金具製造工業団地に30億元投資
■ ボッシュグループ:杭州でアジア最大の電動工具生産基地を建設
■ 台湾生命保険会社:上海東方生命保険に出資
■ 上海航空:上海大阪間路線に初参入
=============================================================================
中国の経済学に関する3つのエピソード

『孫尚清紀念文集』について

 今回3月の北京への訪問で、国務院発展研究中心の旧知の魏加寧副部長から3冊の
本を頂いた。そのうちの1つが中国の改革派の経済学者の孫尚清先生(1930−96)の
追悼文集『孫尚清紀念文集』(2001年)である。私も個人的にも何回かお会いしたことが
ある温顔の老師であった。

 孫先生は吉林省南?県出身で1930年8月26日に生まれ、96年4月29日に65才で逝去さ
れた。47年7月突泉県政府の幹部養成班に参加し、48年人民解放軍に参加し、中国医
科大学に入学し、49年1月中国共産党に入党している。52年8月に中国人民大学に入学
し、マルクス経済学を学んだ。大学卒業後は大学の政治教研室で助手、講師に任命され
た。56年優秀な成績で科学院経済学研究所の副博士研究生となり、58年修了後、助理
研究員、研究組副組長(副室主任)、学術副秘書等を歴任した。孫先生は研究者の道を
歩んだと言うよりもむしろ研究管理工作に生涯従事する一方研究にも従事して名を挙げ
られたのである。経済研究所時代、学術秘書として仕えた上司は張聞天、孫冶方であっ
た。孫冶方は現在中国が生んだ最高の経済学者と評価されて「孫冶方経済科学賞」は
設けられている。この賞は中国のノーベル経済学賞とも言うべきものである。孫先生は
劉国光、張卓元、呉敬l等とともに孫先生の10大弟子の一人に数数えられている。これ
が後年文革時代に「張聞天、孫冶方反党連盟」の秘書長として弾劾され、河南省の五七
幹部学校で労働改造に従事させられたのである。

 73-74年の間には孫先生は国家計画委員会において調査研究に従事し、於于光遠の
下の国家計画委員会経済研究所の設立に参画した。次いで78年に社会科学院経済研
究所に復帰して副研究員、研究員、副所長を歴任した。76年孫先生は馬洪同志と大慶
油田を調査し『大慶経験に対する政治経済的考察』を公表し、大きな影響を与えた。78
年に孫先生は袁宝華を団長とする訪日団に参加し、馬洪同志と帰国報告書を提出し、
中央の指導者の注目を集めた。79年6月国務院財政経済委員会は空前の経済実態調
査を実施することになった。孫先生は馬洪同志と400名の経済専門家と200名の経済学
者を組織した。そして100名の経済構造総合調査研究直属隊を十数省に集中して10カ
月間調査を実施した。これは建国以来の最大の経済調査であった。この調査結果は『中
国経済構造問題研究』として1981年に出版された。更に構造問題研究を進めて編著『経
済構造対策を論ず』(1984年)を出版して孫冶方経済科学賞を獲得した。

 81年6−9月に孫先生は日本から招待されて10都市、8大学、3研究所で37回講演を行
ない、日中交流に大きな貢献をした。83年に『中国経済の新路』を日本で刊行した。同年
孫先生は「2000年の中国経済」重点プロジェクトに従事して『2000年中国経済巻』を刊行
して国家科学技術進歩一等賞を獲得した。83年に国務院学位委員会から孫先生は博士
課程学生指導教授の資格を授与されると共に国家級中青年専門家として表彰された。
84年には孫先生は10数名の専門家と共に長江流域を52日間調査して長江産業集積構
想を提示して党中央・政府に注目された。86年再度長江を調査して編著『長江経済研究』
(1986年)を刊行している。85年には孫先生は経済技術社会発展研究中心の副総幹事に
任命された。93年孫先生は国務院発展研究中心主任に任命され、第8期全国人民代表
大会代表、第8期全人代財経委員会委員に任命されている。この期間の孫先生の仕事
は政策研究が中心となり、94年には『社会主義市場経済とは何か』を出版した。96年3月
には国家経済安全と金融危機回避についての研究を進め、亡くなる前日にも2つの国家
経済安全に関する報告に手を入れられていたという。

 孫先生はこのように中国経済の改革に生涯を捧げられると共に日中交流に大きな貢献
をされたのである。なお魏加寧氏は孫先生の直弟子で日本の大学で経済学博士号を取得
されている知日派の研究者である。

            中国経済研究への日本人エコノミストの貢献

 もう1つの本は元興業銀行顧問小林実氏(1932−94)の追悼論集『深切的懐念』(深甚な
追憶)(2002年)である。この題字は谷牧元副総理によるものであり、朱鎔基総理(当時)も
賀詞を寄稿されている。
小林氏は京都大学経済学部を1956年3月に卒業されている。1982年6月に興業銀行に入
行、84年6月調査部長、88年4月常務取締役調査部長、89年2月常務取締役調査本部長
を経て91年6月顧問に就任している。中国では88年に遼寧大学名誉教授、93年深?市経済
顧問、93年ハルビン市経済顧問に任命されている。小林氏の主要著作には以下のものが
ある。『中国高度成長経済への挑戦』(呉敬l氏との共著)(1993年)、『東アジア産業圏』
(1992年)、『脚地実地の日本経済論』(1989年)、『日本経済は危機を乗り越えられるか』
(1987年)。中国語版の著作には『80年代の中国経済の戦略重点』(1982年)、『中国経済
発展の鍵について論ず』(1995年)、『脚踏実地の日本経済論』(1989年)、『90年代の日本
経済と世界経済』(1991年)、『東亜産業圏』(1992年)、『中国―高速経済成長への挑戦』
(1993年)がある。

96年8月小林氏の遺言に基づいて7000万円が中国の清華大学経済管理学院に寄付され
中国経済研究基金が設立された。清華大学経済管理学院は小林実中国経済研究基金章
程を制定し、清華大学を始めとする国内の中国経済研究プロジェクト、研究者が選考され
研究資金が授与されている。現在の基金理事長は呉敬l氏である。我田引水ではあるが、
我が京都大学経済学部の先輩が中国経済研究に大きな貢献をされていることはもっと顕
彰されてしかるべきであろう。

              経済学研究における中国の大学ランキング

 北京で資料収集のために書店回りをした。その時ある書店で教育部の大学ランキングの
掲載された本を発見した。その本によれば、現在の経済学の分野における中国の大学の
ランキングは人民大学、復旦大学、北京大学、上海財経大学の順となっている。この評価
はマルクス経済学も当然入った評価である。復旦大学のある教授によれば、これは中国の
基準による評価であり、国際標準による評価であれば北京大学が首位を占めるのは間違
いないという。
 例えば人民大学経済学院の内容は以下の如くである。人民大学の前身は華北連合大学
であり、この大学は1946年に財経系を設立して47年に経済学系に改称している。人民大学
は1956年に正式に発足して経済学系を再建して57年には世界経済教育研究室を設立して
いる。人民大学の経済学院は全国一の政治経済学、国民経済学、世界経済学等の修士、
博士の学位を授与する単位である。またポストドクターの流動拠点でもある。中国改革発展
研究院は国家百重人文社会科学研究基地である。2002年の教育部の重点学科評価では
政治経済学、西方経済学(近代経済学)、国民経済学は国家重点学科と認定されて、前者
2科目はトップであり、世界経済は北京の重点学科として認定されているのである。中国の
現在の経済学はマルクス経済学と西方経済学すなわち近代経済学に二分されている。近
代経済学も新古典派経済学と新制度経済学に二分されている。概して新制度経済学が大
きな影響をもっているようである。マルクス経済学の牙城とも言うべき人民大学でも西方経
済学とりわけ新制度経済学の影響が見られるのである。青木昌彦教授が日本の経済学者
として比較制度分析として影響力があるのもこのような中国の経済学の潮流があるからで
ある。しかし現在改革派経済学者でもっとも影響力のある国務院発展研究中心の呉敬l氏
(復旦大学経済系1954年卒業)によれば市場経済化の進展に伴い、近代経済学者が増え
ているが、新制度経済学は新古典経済学の足りないところを補完する関係にあることを理
解している人が極めて少ないことを指摘している。
                                               (山本裕美)
=============================================================================
上海センターの三月期活動(続報)

田尾雅夫教授の上海出張について、前号では手違いで掲載できませんでした。続報として
掲載させていただきます。

田尾雅夫教授 2月29日〜3月4日、上海に出張し、復旦大学徐静波副教授にお会いして、
簡単に上海の状況について説明を受けたあと、市内と市外について見聞した。率直にいえ
ば、聞きし勝るといってよいほど、バブル的ともいうべき印象を抱くことになった。とくに郊外
では、道路工事などが随所で行われ、古くからの建造物とのアンバランスな景観が多くあっ
たのが印象的である。なお、行政関係の専門家を、徐副教授から紹介していただけるという
ことで、その方向で知見が整理できるようであれば、本格的に中国、とくに上海における地
方自治、地方自治体の機能について比較調査を、持続的に試みたい。地方自治体の国際
比較の一環として、中国を取り上げることを検討中である。
*****************************************************************************