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京大上海センターニュースレター
第50号 2005年3月29日
京都大学経済学研究科上海センター

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目次
○中国人民大学楊瑞龍教授講演会のご案内
○ブラゴベスト・センドフ駐日ブルガリア大使講演会のご案内
○中国・上海情報 3.21-3.27
○儒教と保身主義
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中国人民大学楊瑞龍教授講演会のご案内
講演テーマ「グロバール経済の中の中国国有企業改革について」
講演者 楊 瑞龍 中国人民大学経済学院長
通訳  胡 霞  中国人民大学経済学院副教授
日時 4月18日(月)午後14:00-
会場 時計台記念館国際交流ホールT

ブラゴベスト・センドフ駐日ブルガリア大使講演会のご案内
講演テーマ「EUの東方拡大と東アジアの可能性-ブルガリアの視点から-」
講演者 ブラゴベスト・センドフ駐日ブルガリア大使、世界大学協会名誉総裁
通訳  田中雄三龍谷大学名誉教授
日時  4月28日(木)14:00-
会場  時計台記念館国際交流ホールT
共催  京都大学経済学会
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中国・上海ニュース 3.21−3.27
ヘッドライン
■中国:1−2月工業企業27%増収、17%増益
■人民元レート:バスケット通貨連動制に移行か
■中国と韓国:貿易自由区構想の研究開始で合意
■中国・カザフ石油パイプライン、全線で着工
■日中韓:第4世代携帯電話の周波数帯域を同一に
■中国人民銀行副行長:物価上昇圧力、さらに深刻化
■上海:原油高騰でガソリン価格が過去最高更新 
■広州:物価高に緊急対策、公共料金を3カ月凍結
■上海:中国最大の石油貯蔵基地、上海に建設へ
■長江デルタ:地盤沈下が深刻化、被害額3000億元超
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                      儒教と保身主義
                                                大西 広

 儒教には本来既存の秩序を維持するというイデオロギー的機能があり、それ故に清末以来
の中国の知識人はその克服をめざした。こうした彼らの問題意識は当然のものであったが、
その問題関心を共有すると同時にその深化を図ったのが毛沢東である。文化大革命期、毛
沢東はただ支配者にとって都合が良いかどうかだけを問題としたのではなく、以下に述べる
意味で人々の精神の有り様をそれ自体として問題とした。文化大革命における儒教批判の嵐
は毛沢東が政治の中心にいた時に彼によって展開されたのであって、政治的支配者が政治
的支配者としての利益に反することを承知で展開されたものだからである。この意味で毛沢
東の文化大革命は一般に簡単に否定的に評価されるほど薄っぺらな「政策上の間違い」とい
うものではない。このことを今回その儒教精神の強固に残る韓国においてもう一度考えてみ
た。私は外国人学者が京都大学で論文博士を取るための学術振興会のプログラムで年に
一度相手国で指導に当たることになっているが、その機会が去る3月上旬にあり、韓国釜山
に12日間滞在した時に韓国型の儒教精神にしばらくゆっくり浸ることができたからである。
 もちろん、この「儒教精神」というもの、何がそれであり、何がそれでないか。あるいは、国
と国の間でその内容が大きく違っているのではないか、といった問題があり、一言で論じるこ
とは大変難しい。が、一方において体制維持の保守思想とだけ言うわけにいかない美しさを
「儒教精神」が持っていることも確かであり、教師を敬い、来客をもてなす、その姿勢に接して
「儒教精神」の賛美者にならないものはいない。
 がしかし、それはそれとして、反面の問題点を知らないわけには行かないのであって、たと
えば年長者優遇のシステムが持つ革新性の喪失、「出る杭を打つ」反実力主義、若者や女
性の地位の低さなどがあり、特に最後のものは韓国・朝鮮人の家族を訪問するたびに感じ
ることでもある。中国では韓国に比べて明らかに女性の進出が進んでおり、最近は組織内
での世代交代の早さが目立っている。こうした特徴を毛沢東による儒教精神の破壊と無関
係に論じることはできない。
 あるいはもっと言って、「仁徳がありさえすれば人々は自然にそれに従うようになる」とのオ
プティミズムは現実の不正に対する厳しさを欠き、これは孔子に由来するものであるとの理
解も存在する。たとえば、孔子はあるとき主君を倒して自身が君主となった者を助けてその
宰相となったが、それは孔子の本来の考えと違うのではないかと問うた子貢に対し、「自分
が宰相になれば三日で仁徳の行き渡る国ができ上がるからよいのだ」と答えた。が、清濁
併せ呑むこの思想は不正を不正として糾す姿勢の欠如、あるいは単なる自己正当化では
ないかという批判を呼ぶ。

 たとえば、中国においてもこうした伝統を持たず、かつイスラム教徒であるウイグル族の
人々に会うと、彼らはこうした精神のあり方に非常な違和感を持っているということを知る
ことができる。イスラム教にはイスラム教なりの問題点がないわけではないが、それでも
常に「神のために自分は何をなすべきか」を考えている人々にとって、これでは不正と戦っ
ているとは認識されない。ついでに言うと、彼らは「発財(財富)」のために寺院に行く中国人
の行動を理解することができないだけでなく、時に心の底では軽蔑をさえしている。彼らに
とって宗教とは自身をコントロールする規律であるのであるが、「東アジア的」な寺院は人
々の我儘のためにあるように見える。新疆ウイグル自治区での民族間の溝が埋まらない
のにはこうした事情もあるというのが私の正直な感想である。中国の寺院に行くと人々が
一生懸命に「発財」を祈る一方で、その寺院の一歩外ではゴミを捨てまくっているのをよく
見かけるが、これなども自身の行為を律するものとして宗教がみなされていないことの象
徴ではなかろうか。読者の皆さんはそんな体験をお持ちではないだろうか。
 がしかし、実はこうであればあるほど、こうした人々の心性を正そうとした人物としての
毛沢東の評価が重要になってくる。儒教精神は政治的支配者にとって心地よいものであ
るはずでありつつも、その支配者としての毛沢東があえて拒否をしたのには儒教を復活
させたケ小平との鋭い対照性が存在する。毛沢東は紅軍の組織においてこうした精神の
改造を最も重視したが、その「重視」以上にそれを実際に成し遂げることができ、かつ農
民を味方にする上で非常に大きかったことを肌で感じている。ので、この体験は「人間は
改造されうるのだ」といった信念を支え、それが革命の対象を政治や経済のみならず「文
化」にまで拡張しうるのであるとの哲学を形成した。この意味で「文化大革命」という哲学
は革命思想のひとつの到達点であって、我々凡人が日常感覚のレベルでああだこうだと
論じることができるようなレベルのものではない。これはこれで毛沢東評価において前提
的に知らねばならない事柄である。

 このことが重要なのにはこの毛沢東時代を「中国論」としての例外と捉える考え方との
接点を持っているということがある。これは、一部の中国史研究者の中国論でもあるが、
毛沢東の試みが失敗に終わった以上、以上に見たような中国の心性は「儒教」という特
定の宗教に依存したものではなく、より深く「中国」というものに根付いたものであること
になる可能性が出てくるからである。実は、この意味では、こうした「保身主義」とでも言
うべき心性(毛沢東は「反対自由主義」という論文でこう命名している)は「儒教」によって
作られたものではない。その立場とするどく対立するはずの老荘思想にも「保身主義」に
通じるものがある。老荘の人々は「不正」な主君に仕えることをよしとせず隠者として隠遁
生活を送る。これだけを見れば極めて清潔で純粋な生き方に見えるが、不正に死を賭し
て挑むイスラム信徒たちには結局自分の身を守っているだけではないかと映る。これは
実はキリスト教やユダヤ教といった宗教からも言えることで、要するに「原理主義」を有す
る宗教とそうでない宗教との差ということになる。そして、この意味では毛沢東の「マルク
ス・レーニン主義」もまた実は西洋起源の「原理主義」であって、この導入を彼は図り、そ
して失敗したのだということになるのである。こうしてかの毛沢東は「中国」と戦い「中国」
に敗れた。中国は彼によってもその本質を転換されず、よって中国のままであり続ける
こととなったのである。
 ただし、実は、こうしてこの中国的な心性を永遠不滅のものであると宣言してしまうの
も時期尚早である。というのは、私の考えるところ、こう宣言されるためには、たとえば
儒教の影響が相当に強いにも関わらず、この「保身主義」が中国ほどには目立たない韓
国が十分に説明されねばならない。この回答としては、農耕社会における共同体のあり
方、必要性の度合いや資本主義の成熟の度合いなどといった唯物論的視角からのもの
がありうるが、まだその点では未解明と言わなければならないだろう。

 私は中国の高成長は今後も後20年程度は続くと予測しているが、そのときには日本や
アメリカのGDPを凌駕し、当然世界の政治的リーダーとならなければならなくなる。が、そ
うした中国の覇権を人々が恐れる理由のひとつには彼らの心性への不信があるのでは
ないかというのが私の感覚的な意見である。イラク戦争でもフランスのようにはアメリカ
に抗しなかった中国は世界の人々にとって大義より自国の利益を優先する国であるよう
に映る。そして、これは小国である限り何の問題もない。が、世界を左右する大国が自
国の利益をしか考えないとしたらどうなるのであろうか。これは「共産主義」への恐怖で
はなく、自国本位主義への恐怖であるという意味で私はここで議論した中国人の心性問
題の一部と考えている。そして、もしそうであるのなら、こうした「中国問題」と真に戦った
のが毛沢東であったということになる。毛沢東はこうして現在でもなお最高度に重要な研
究対象として残されているのである。
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