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京大上海センターニュースレター
101号 2006322
京都大学経済学研究科上海センター
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目次
中国・上海ニュース 3.13-3.19
中国発インフレ
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中国・上海ニュース 3.133.19
ヘッドライン
中国人民銀行:都市部住民の住宅購入意欲が落ち込む
中国:輸入の伸びで2月の貿易黒字額が急速減少
中国:社会消費財小売額、1月15.5%、2月9.%
中国:2005年末人口13億756万人、都市部43%、上海市1778万人
中国:2月自動車市場は安定成長、乗用車販売前年同月比61%増
中国:1−2月の技術導入契約数1577件、金額ベースでは日本がリード
中国:1−2月固定資産投資27%増
河南:黄河実業集団が世界最大の「ダイヤモンド」基地を建設
上海:2006年重大建設プロジェクトに608億元投資
自動車:長城汽車、ロシアに自動車生産工場を建設、年産5万台

 
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中国発インフレ
2006年3月13日                               
 中小企業家同友会上海倶楽部 副代表
                         株式会社小島衣料   小島正憲
中国発インフレは、2003年を起点としている。
日銀は、3月9日、量的緩和政策の解除を決定し、即日実施した。当面はゼロ金利政策を維持するということだが、識者の中には、景気の失速やデフレの再燃など慎重論も多い。しかし私は現実の国際経済は、2003年を起点とし、すでに中国発インフレに突入していると考えている。日銀の解除決定には各種の経済指標が根拠とされたようだが、それらの指標に明確な傾向があらわれたときには、すでに現実の事態は次のステップに入っているのである。
そもそもデフレはいつ始まったのか。またその主因はなにだったのか。それをはっきり特定すれば、その主因が消滅したときが、インフレへの転換点だと認識することができる。一般に日本でデフレ論議がやかましくなったのは、バブル経済崩壊後の1994年ごろからであるが、バブルの崩壊はデフレの主因ではない。長谷川慶太郎氏は、すでに1988年にデフレ時代の到来を予測していた。それは旧共産主義国の崩壊により、それらが大挙して資本主義市場になだれこみ、その結果過剰生産を引き起こし、デフレ経済を生来させるという主張であった。
長谷川氏は、それらの中でも中国の改革開放のインパクトがきわめて大きく、13億の中国の農村から都市への労働者のとめどない流入は、中国発デフレを世界中に蔓延させると予測していた。そしてケ小平の南巡講話以降、その予測はぴったり的中し世界がデフレへと突き進んだ。つまりデフレは1989年ごろから始まり、その主因は中国の農村から発生する無限の労働力だということである。
私はこの長谷川氏の予測を信じて、1988年から小島衣料の経営戦略をデフレ経済対応に切り替えた。しかも彼はデフレ経済下では、企業経営にとって借金がもっとも重荷になると主張していた。たしかにデフレ経済下では資産価値がどんどん減り、同時に売り上げも減っていくが、借金の絶対額は減らないわけだから、借金をしていると致命傷になる。そこで私は、なりふりかまわず借金返済を行った。小島本社の門が傾こうとも、外壁の塗装がはげようとも、雨漏りがしようとも、とにかく修理はせず、応急処置にとどめた。さらに私自身が率先し、不要不急の経費はいっさい切り詰めた。また中国での経営形態も自己資金を使わず、できるだけ相手の資金を活用し規模を拡大することを考え、合弁を選んだ。その結果、時の利も得
て、わずかの資金で1万人規模の工場の経営にたどりつき、儲けを獲得できる構図をつくりあげることができた。
 この間に巷では、バブル経済が進行していたが、私は土地、株、ゴルフの会員権などのいっさいに手を出さず、儲けはすべて借金返済につぎ込んだ。そして1994年時点で、ほぼ無借金に近い経営状況となり、デフレ対応型の企業となることができた。
 ところが、2003年から、明らかにこのような状況が変化してきた。私の中国の工場の現場で、人手が足りなくなってきたのである。人手不足は上海でも湖北省の田舎でも同様であった。最初はこの事態を、低賃金で残業の多い私の工場の固有の現象だと思い、賃金アップや労働条件の改善などで対応した。しかし2004年夏、日経新聞に広東省の労働力不足記事が掲載され、そこには労働者が広東省の劣悪な労働条件を嫌い、上海などへ流れた結果だと報じられていた。そのとき私は、この人手不足現象は中国全土の問題ではないかと思った。そこでただちに事態を調査解明し、人手不足の確証を得たので、それを「13億の中国で、なぜ、今、人手不足なのか」と題する文章にまとめ、多くの人々に送信した。また10月には東
京で、パネルディスカッションを行った。しかし当時、この事態を深刻に受け止める人は少なかった。私の力では、「13臆人の中国に人手不足が起きるはずがない」という強い常識を覆すことはできなかったのである。けれどもこの時点から中国が人手不足になったことは事実であり、つまり2003年をもって、デフレの主因は消滅したのである。
その後、電力不足・水不足・工業用地不足などが、この傾向に追い打ちをかける事態となってきた。また2005年度に入ると、原油・鉄鋼をはじめ、多くの基礎資材が中国に買い占められ、中国爆食という造語ができるほどになった。また中国政府自体が、将来の深刻な資源・エネルギー不足に備えて、積極的な資源外交を展開し始めた。レスター・ブラウンは、すでに1995年に「だれが中国を養うのか?」と題して、中国の爆食に警告を発していた。まさにその予告が現実となってきたのである。13億の中国が、世界のモノを食い尽くす。そして当然、世界中がモノ不足となり、モノは値上がりする。その結果、まさに中国発インフレが世界を覆うわけである。
さらに中国政府は、今年からの第11次5ヵ年計画で、「農民の所得底上げ、消費主導の成長への転換」を目指している。つまり今後は政策として農民層の人件費アップがなされるわけであり、中国政府はその購買欲を利用して内需主導型の中国を築き上げようと企図しているのである。あきらかに中国経済はインフレとなり、その煽りを食らって国際経済もインフレとなる。
私は2003年に、上海で5万uの土地を自己資金で購入した。その後引き続き、黄石市、琿春市などでも購入し、それは総計19万uに及ぶ。さらに2005年末から、いっせいに工場の拡大に着手した。中国発インフレに対抗し、小島衣料もふたたびインフレ対応型企業に変身しなければならないからである。
                      以上