=======================================================================================
京大上海センターニュースレター
107号 200653
京都大学経済学研究科上海センター

=======================================================================================
目次

   中国・上海ニュース 4.24-4.30

ラオスにおける経済改革の特徴について

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

中国・上海ニュース 4.244.30

ヘッドライン

           中国人民銀行:貸出基準金利0.27%上げ

           中国:西部地域砂漠化で年間4700億元損失  

     中国:建築業の生産額22.3%

     中国:金融機関の資産総額は19.2%増の39.19兆元

     中国:民間融資の規模が約8000億元

     自動車:奇瑞汽車、ロシアで自社ブランド車をラインオフ

     上海:輸出入航空貨物量、国全体の6割を占め

     北京:北京南駅、5月に高速鉄道の始発駅として改修工事を 

     北京:京都大学北京連絡事務所(リエゾンオフィス)開設

     広東:13月貿易額が1千億ドル突破

 

=============================================================================

ラオスにおける経済改革の特徴について

ラオス計画投資委員会国家経済調査研究所

    スサバンディット・インシシェンメイ研究員

 

移行経済の変化に伴い、ラオス人民民主共和国も中央計画経済から市場指向型経済に変化する過程を経験している。この点でベトナムの状況に大変似ている。580万の人口を持つ、小さな、発展が遅れた内陸国は独立して10年が経って「新しい市場メカニズム」という根本的な改革を始めた。この改革はいくつかの部門の改革を含んでいるが、改革はどこから始まったのか、発展段階で何が起こったのか、または前進中の改革についての詳細は、34日のセミナーのレポートで記述統計によって説明した。

ラオスの経済発展は4つの時期に分けられる。第一期では、植民地状態から解放され、独立国家となってから、中央計画システムはラオス経済の確立に強く採用された。第二期は80年代後半に新たな市場メカニズムの導入から始まった。この段階を計画経済から市場指向型経済への移行の第一歩と見ることができる。第三段階はアジア金融危機によって悪化した景気後退期―90年代後半から2000年代の初期までの時期を含む。ラオス発展過程の最終段階は、多くの改革が再開された回復期間であるとみられる。これについての要約は以下のとおりである。

 プレゼンテーションでは、発展段階の第一期:ラオスが独立してすぐに直面した厳しい経済不況状況を要約した。その不況は、農業生産の減少、物価の上昇、商品市場や為替市場で発生していた不法な行動などを含む。これらの困難は厳格な中央計画経済によって、つまり、銀行や工業部門の国有化、農業の集団化、物価決定、取引、市場ネットワーク、銀行の国有企業に対する資金調達などにおける政府のコントロール、財政赤字によって生じたのである。これらの問題を解決するため、80年代の初めに部分的な改革が行われ、社会主義の架け橋になる市場システムの重要性を認識したのである。この改革により、農業集団化システムが廃止され、物価や為替レートに対するコントロールが緩和され、民間部門の経済活動の参加に対する規制が解除され、農業生産や国有部門の強化が強調された第一次五ヵ年計画が採用された。部分的な改革の結果は米生産の増加という数量的な面で成功したが、マクロ経済の不安定性、特に、インフレや財政赤字、貿易赤字問題が解決されなかった。これに加え、有能な人的資源および熟練労働力の不足などによる制限、不完備なインフラ施設、法的、制度上の不完備性は第一次五ヶ年計画おける目標の未達成という失敗に繋がった。これらは、ラオスを1986年から市場経済を志向する方向に進める作用を果たした。

 第二期には、実際は1989年から実行された「新しい市場メカニズムNEM」が導入され、包括的な改革が行われた。つまり、価格の自由化;農業改革(米取引に対する政府独占の廃止);国有企業改革(民営企業自治の強化、国有企業の民営化);財政改革(税制の効率を高め、簡素化);貿易改革(関税制度の簡素化、質的な制限と特別な許可要求の縮減);為替レート改革(複数為替相場制の統一化);銀行業と金融部門改革(2層の銀行システムを設立、 預金貸付利子の段階的な自由化の導入、殆どの銀行業務について民間部門と外国銀行に開放);海外投資政策の改革;市場経済に適応する法的及び制度上の枠組みの改革などが実施された。

 

 10年間の改革後、ラオス経済では繁栄の時期も不況の時期もあった。改革は90年代前半に成功し、高い経済成長率が実現し、マクロ経済状況も安定していた。これは主に健全なマクロ経済管理のおかげといえるだろう。しかしながら、第三期において、90年代後半の景気後退は経済成長を妨げた。この状況は90年代末にアジア金融危機の影響でさら悪化した。景気後退の原因はマクロ経済管理の問題だけではなく、固定為替相場制の廃棄、柔軟な信用政策の実施、銀行部門の不健全性、赤字の国有企業の資金調達に対する政策金融などもその原因として考えられる。

 不況のなか、経済問題が認識され、マクロ経済は引き締められ、いろいろな部門で改革は再開された。そして、ラオスは第四期の経済回復期に入った。これが現在実行されている改革であり、具体的には、銀行部門および国有企業の改革(問題解決とパフォーマンスの強化)、民間部門特に中小企業の推進(民間が経済活動に自由参加し事業をできるようなよりよい環境作り)などである。

 最近の経済発展に対し、改革が行われているほか、いくつかの制約や挑戦が存在している。制約は地区間のリンクを難しくしているインフラの未整備状態;少ない人口による小さな市場規模;人的資源の不足;異なる文化を持つ多民族の存在(これは市場経済への統合を難しくしている)などである。これらの制約のほかに日本とラオス政府間(JICACPI)の共同研究の結果となる三つの挑戦が報告されている。第一の挑戦は国を如何に計画経済から市場指向型経済に移行させるかという問題である。これは、市場経済に適応する法的、制度的な枠組みの創設、国有企業の改革と民営化、民間企業の促進と金融、財政システムの改革などを対象とする。これらの改革のスピードは遅く、加速する必要がある。第二のチャレンジは国を如何に伝統的な経済から近代的な経済に移行させるかという問題である。これは、貧困撲滅、人口コントロール、教育、インフラ整備のような社会経済発展の問題と資源流通、工業化などの問題に関わる。最後のチャレンジは、ラオスが現在一部的に取り込んでいるASEANGMSWTO等のようなグローバル化や地域統合から如何にして利益を得、コストを減少させるかという問題である。

 プレゼンテーションをまとめると、現在行なわれている改革は「プラス・サイン」と「ゼロ・サイン」の両方を意味する。「プラス・サイン」の改革は政策や制度改善を主張する改革として定義される。ラオスの場合「プラス・サイン」として、民間部門の発展により良い環境作りための改革、中小企業の発展を促進する政策や地元産業の世界市場における競争力を高めるための改革などが考えられる。他方、「ゼロ・サイン」の改革は過去から残された問題、特に、一部の銀行や赤字国有企業の問題をものであり、これらの部門の更なる改革を行う機会を妨げるから、弱点であると考えられる。この評価基準よると、86年のビッグバン、またはそれ以降の漸進的な改革というラオスの混合改革の方法は成功したとはいえ、幾つかの弱点が残っている。改革の成功は、高まっているマクロ経済指標、より良いマクロ経済管理など漸進改革の「プラス・サイン」よって判断され、改革の弱点は現在の改革によって解決すべき過去の問題であると指摘することができる。ラオス経済の将来の発展は現在の改革の成功と、次に実施される改革のサインによって決定される。今後、ラオスは経済発展に対する多くの制約要因を解除し、まだまだ多くの挑戦もしなければならない。

(本稿は去る34日に開かれた上海センター・セミナーでの報告を本人にまとめてもらったものです)