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京大上海センターニュースレター
第115号 2006年6月29日
京都大学経済学研究科上海センター
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目次
○シンポジウム「中国東北振興と日本海両岸交流」の御案内
○ 中国・上海ニュース 6.19-6.25
○沿海部から内陸に向かう中国の工業化
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京都大学上海センター・シンポジウム
「中国東北振興と日本海両岸交流」の御案内
中国経済は今年1−3月期も10%を超える経済成長を果たし、この流れは沿海部のみならず、中国東北の内陸地方にも広まりつつある。問題はこの経済発展をいかに我々日本や関西経済に結びつけるかであるが、@中露関係の改善・発展はこの中国東北部からロシア経由で日本と繋がる可能性を広め、さらにA中国吉林省企業による羅津港経由の物流の可能性も開けつつある。この可能性を見極め、現実に活用するために以下のような四名の報告者を立て、集中的な議論を行う。
開催日時 2006年7月3日(月)14:00-17:00 会場 時計台記念館2F国際交流ホール
主 催 京都大学経済学研究科上海センター
共 催 舞鶴港振興会、京都大学上海センター協力会
後 援 北東アジア・アカデミック・フォーラム
あいさつ 森棟公夫 京都大学経済学研究科長
麻生 純 京都府副知事(舞鶴港振興会を代表して)
コーディネーター 山本裕美 京都大学経済学研究科上海センター長
報告者 1)小河内敏朗 元在瀋陽日本国総領事
2)権 哲男 中国延辺大学副教授(報告者が交代しました)
3)伊達俊行 舞鶴港振興会常務理事
4)小島正憲 小島衣料株式会社社長
(シンポ直後には経済学研究科大会議室で懇親会を予定しています。また、シンポ直前13:00-13:45には同大会議室で上海センター協力会総会を予定しています。協力会会員の参加を是非お願いいたします)
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中国・上海ニュース 6.19−6.25
ヘッドライン
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中国:「郵政貯蓄銀行」設立を許可
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中国:1−5月工業企業利益25%増
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中国: 北京−上海間の鉄道電化工事が完了
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自動車:1−5月、自動車生産台数が300万台突破
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鉄道:北京−ラサ間は48時間、普通席で389元、寝台で1262元
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上海:上海石油取引所、8月に再開
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上海:上海南駅ドーム式新駅舎、7月1日正式開業へ
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天津:国内最大級のエチレン精製施設が着工
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大連:全国規模のIT人材訓練センターを開設
■ 上海:初の保険会社の企業年金業務が認可され
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沿海部から内陸に向かう中国の工業化
京都大学教授 大西 広
ここ二年ほど、中国の省別成長率は最高が内モンゴルとなる一方で2005年の成長率で上海・北京が下から五番目に落ち込むなど、中国の省別所得格差が収斂の方向に転換する傾向が現れはじめている。これはいわばケ小平の敷いた先富政策が「先富」の段階から「後富」の段階に変わりつつあることを示しており、本国際会議が対象とする中国東北部、とりわけ黒龍江、吉林、内モンゴルの三省の経済発展もこの文脈で理解することが可能である。
貧困人口の急減
このことと関わってまず最初に確認されたいのは、以下の第一表にあるように中国の貧困人口がほぼ5年に半分の勢いで縮小していることである。私は、新疆ウイグル自治区の南新疆地域の貧困農家の調査研究(Ohnishi,
et al,’’’A Quantitative Study on
Farmers’ Situations in the South-Xinjiang Poverty
Area’, Research
and Study, No.29,2005)によって、この「貧困離脱」の困難さを解明したが、それでもこうした「貧困人口」でも生活水準が急速に上昇していることを否定しない。
大きく言って、中国における「所得格差の拡大」とは、富裕層と貧困層との所得の拡大ではあっても、貧困層自身もその所得を急速に増大させていることを否定しない。逆に言うと、この「貧困層の所得拡大」を如実に示しているのがこの「貧困人口の推移」であって、これだけの規模の貧困人口の縮小は、単なる所得の再分配では決して生じさせることはできない。総体としての経済成長なしには決してなしえないものであって、だとしたら、その「総体としての経済成長」がどのようにして成され得たのかを考えないわけにはいかない。
そして、そうすると、一旦は一部の者だけが富裕になるのだとしたケ小平の「先富論」を承認しないわけには行かないだろう。経済成長を実現することなく再分配だけで貧困を解決しようとする政策はキューバのように破綻を余儀なくされるというのが私のここでの結論である。
Table
1 Poverty Line and Poverty Population in
Year |
1978 |
1986 |
1992 |
1994 |
1995 |
1998 |
2000 |
2002 |
Poverty Line (Yuan) |
100 |
206 |
317 |
440 |
530 |
625 |
625 |
627 |
Poverty Population (million) |
250 |
125 |
80 |
70 |
50 |
42.1 |
32.1 |
28.2 |
「所得格差の拡大」の統計には注意が必要
それからもうひとつ、この「所得格差の拡大」なるもの自体も、どのような意味でのものであるかを我々はよくよく知らなければならない。たとえば、「富裕層と貧困層との格差」、つまり個人レベルの所得水準の格差であるのか、それとも「富裕地域と貧困地域との格差」、つまり地区レベルの所得水準の格差であるのかである。あるいはまた、この「格差」をどのような統計指標で測るのかも大変重要である。世間の多くの人々は気がついていないが、その統計指標の意味しているところをよく知らないと現状認識にミスを来たすことがある。その良き例として、この問題をとりあげたい。
たとえば今、「都市・農村間の所得格差」について考えてみよう。この「格差」は、一般に都市戸籍の人々の平均所得が農村戸籍の人々の平均所得の何倍であるかで定義されているが、それは1980年代半ばには2.3であったのに、2003年時点では3.5となっている。つまり、この間に急速にこの指標による「格差」が拡大していることになる。が、こうして「格差の拡大」が明確に思われる事例の場合においても、それは以下のようなポジティブな変化を表している可能性を否定できないのである。
というのはこういうことである。すなわち、たとえば、今、中国における都市と農村の所得格差の統計があり、そこでは1984,5年に格差が2.3倍であったのが、1987年には2.6倍となり、1988,9年には2.8倍になり、1993,4年には3.5倍になったとなっているが、これが本当に「格差の拡大」を意味しているかどうかは、ただこの数字だけからでは判断できないからである。今、農村ではすべての人が”1”の所得を持ったままであると仮定した上で、たとえば、うまく成長の波に乗った都市住民が1984,5年に3.5の所得を得ていたとしても、そうした都市住民が都市住民全体の中に占める比率が、1/4でしかなく、その他が農村と同じ1の所得しかなければ都市の平均所得は農村の2.3倍に止まる。が、こうした富裕住民の占める都市での比率が1/2,3/4、全体へと上昇をすれば、都市の平均所得は2.6,2.8倍となり、最後には3.5倍に達する。もちろん、これは完全に仮定の話で現実はどうか分からないが、ここで言いたいことは、次のことである。つまり、この「格差拡大」の過程で起こったことは、都市の富裕層の所得の相対的な上昇ではなく、都市人口の中に占める富裕層の拡大であったかも知れないということである。個々人の間の格差が、成長の初期に”2.3”から”3.5”に一気に拡大をすることがあっても、その「富裕な個人」がただ一人に留まるならば、都市の平均所得には変化がない。この意味で、世間でよく言われる都市・農村間の所得格差の拡大というものも、実は「先富」者の人数の増大である可能性があり、それは逆に言うと、「貧者」の人数の減少、もっと言えば、貧困地域がひとつひとつ縮小して来ている結果である可能性があるということになる。
我々は本稿において中国後進地域の経済発展を論じている。が、もし現在の「格差拡大過程」と言われるものの本質が上記のようなものであるとするなら、この過程それ自身が後進地域がひとつひとつキャッチアップする過程であることになる。東北地域を含む中国後進地域の発展が目前に迫っていることになるのである。
東部・中西部間の所得格差と東部・中部・西部それぞれ内部の所得格差の動向について
こう私が言うのには単なる「可能性」を超えるひとつの事実が存在するからである。そのために2つのグラフを作成した(これは大変重要なグラフであるが大変重たいファイルとなるためここでは添付できない。関心の方は大西・矢野編『中国経済の数量分析』世界思想社、2003年所収の毛三良論文を参照されたい)。そのグラフの一方は中国を東部(沿海部)と西部、中部の三地域に分けた際の「地域格差」を地域間のそれと地域内のそれに分解して示したものであるが、ここでは改革開放開始後の全体としての格差は特に1990年以降に拡大しているものの、その原因は「地域間格差」の拡大にあり「地域内格差」の拡大にはないこと、もっと言うと、「地域内格差」はむしろこの間縮小の過程にあったことが示されている。
また、もう一方のグラフではその「地域間格差」の縮小の内容をもっと明確に知ることができる。というのは、西部地域内や中部地域内の格差はほとんど変わっていない一方で、東部地域内だけは地域内格差が急速に縮小しており、その結果としての上図の「地域内格差」の縮小であることが分かるからである。つまり、ここでは、当初上海などごく一部の地域しか富裕でなかった東部において、北京や天津、広東や福建、遼寧や山東、そして現在は江蘇や淅江といった地域の成長が加速し、その結果として東部地域内の格差が縮小したこと。そして、それが逆に東部全体の平均所得を引き上げ、その結果として、東部と他の地域との格差を拡大したことが理解できる。つまり、この意味での「地域間格差の拡大」は実は「東部地域内での格差の縮小」の表れであるのであって、こうした成長地区がさらに武漢や長沙、瀋陽や長春、ハルピンといった内陸部に向かうのであれば、これは大変良い傾向を表現していることになるのである。
この意味でも、現在の中国経済は今もなおケ小平の「設計」どおりの方向で動いている。さまざまな問題を過小評価することもできないが、それと同時に後進地域にも存在しまた現実化しつつある経済発展の法則性を知ることが何よりも大事であると考えるのである。
(これは6/21-22にハルピン工業大学で行なわれた「2006伝統工業基地転型比較研究国際会議での報告を要約したものである。)