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京大上海センターニュースレター
123号 2006823
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

   中国・上海ニュース 8.14-8.20

○リビアからの視点 瀋陽からの報告

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中国・上海ニュース 8.14−8.20

ヘッドライン

           中国人民銀行:8月19日から預金・貸出金利を引き上げ

           中国:17月工業企業利益率28.6%

     中国:トルクメニスタンからの天然ガスパイプライン、2009年開通へ

     中国:大慶油田、新たに4カ所で大規模油田を発見

     自動車:17月、中国ブランドのセダン、販売量大幅減

     自動車:長安汽車、19月利益5割増と予測 

     黒龍江:中ロ国境に綜合交易施設オープン

     上海:AMD、上海研究開発センター始動

     北京:淡水貝の寄生虫感染症で87人発症

     重慶:猛暑で各職場に休暇措置

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リビアからの視点 瀋陽からの報告

在リビア日本国大使、前在瀋陽日本国総領事 小河内敏朗

200673

只今ご紹介いただきました小河内でございます。今年2月まではお酒が大好きな国の最もお酒に強い人が多い地域で、勤務しておりましたが、今年4月からはお酒を飲まない国・正確には飲酒が禁じられている国での在勤ということになっております。

先ずはじめに、本日のセミナー開催に尽力された京都大学上海センター、同上海センター協力会並びに京都大学の教授・関係者の皆様に感謝申し上げます。次に中国吉林省朝鮮族延辺自治州からも出席され、発表があることを大変嬉しく思っております。また、京都府から麻生純副知事が出席された他、こうして酷暑にもかかわらずご出席いただきました皆様の中国東北振興と日本との交流に対する積極的なご関心と熱意に敬意を表したいと思います。

本日のテーマを見ますと、一見して経済と日本海を柱として日中関係を盛り上げていこうとする積極的な姿勢あるいはそうなって欲しいという強い期待が読みとれます。今年中にそのようなモーメムタムがさらに強まってくることを期待してみたいと思います。また、日本海ルートの活用を中国の東北振興にも役立てていこうとする発想は、日中間の地域協力を活発化させるだけでなく、よりダイナミックな日中関係、より効率的より生産的な日本と朝鮮半島との関係、さらには経済面での連携が進む東北アジア全体の未来を展望していく上でも大変興味深いテーマであります。そういう意味で本日のテーマは焦点は明確ではあるが、本質的には非常に大きなテーマであると考える次第であります。

さて、現在私は、カダフィ大佐で有名な地中海に面する北アフリカのアラブ・イスラム国家(正式名称は大リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒーリーア国、直接民主制、元首なし)リビアという国に駐在しております。では何故、今回、遠隔の地であるだけでなく、何かと難しいことの多いリビアから、大使がわざわざ、飛行機を乗り継いで京都大学までやってきたのか。それは、去年出席をコミットしていたこと、もうひとつは私がこれからも、中国東北振興の日本側応援団のメンバーであり続けるとの姿勢を明確にするためであります。(ここで大きな拍手をいただければと思います)。瀋陽在勤中は応援団長を自認しておりましたが、これからしばらくは、遠くリビアから、しかし更なる関心をもって、中国東北振興と日本海ルートに関連する動きを見守っていきたいと考える次第であります。しかし、第3の本当の目的は、ビジネスのことは企業家の方々にお任せするとして、日本海を内海とする東北アジアこそ、日本がリーダーシップを発揮し、地域と世界の平和と発展に貢献できる唯一の場所であり、21世紀前半の日本の最大の課題を提供してくれているところだと考えるからであります。

そこで本日は、折角リビアから来たということで、先ずリビアからの視点を紹介したいと思います。次に、3年半にわたる中国東北地区在勤の体験と感想を報告させていただき、続いて豆満江開発と日本海ルートの問題について気づきの点を述べた上、最後に日本の役割ということについて若干ふれて本日の発表を締めくくりたいと思います。

なお、ここでは、北東アジアの代わりに東北アジアと言っておりますが、西は渤海湾、山東半島、東は極東ロシア、それに朝鮮半島と日本をカバーする地域と勝手にイメージしているので御了承願います。

 

1.リビアからの視点

視点1.オセロゲームの黒を白にする手法を採用すべし!

リビア:大量破壊兵器計画放棄、国際社会復帰のモデルケース

詳しい経緯はともかくとして:国連制裁下に11年(92年〜039月)。

米国との関係では:20年間も制裁下に。一時、リビアの主要都市(トリポリ、シルテ、ベンガジ)が米軍の空爆に晒されるという最悪の事態。

日本との関係:この間まったく低迷。見るべき進展はなかった。制裁期間中はほとんどの日本企業が撤退。

この行き詰まりは:0312月、The Leaderカダフィ大佐の英断(大量破壊兵器計画の自主的廃棄宣言、IAEAによる査察受け入れ表明)によって一瞬にして解消。制裁と空爆の脅威から、G8に対して対リビア支援を要請する立場に逆転。“我々は計画を放棄した。それによって何が得られたかを国民に説明する必要がある”との立場。可能な限り、支援の手を差し向けるべし。

049月米国が制裁解除。そして国際社会復帰。03年〜04年に、英仏独伊始め40数カ国の首脳がリビアを訪問。

さらなる米国との関係の変化:515日、米政府はリビアとの外交関係復活を決定。同時にテロ支援国家リストからリビアを削除するとの決定を行った。531日、在トリポリ米国代表事務所は大使館に昇格。事務所代表は臨時代理大使に昇格。テロ支援国家リストからの国名削除については、通告期間の45日が満了となって71日、リビアという国名はリストから完全に削除される。これによって、米国民間セクターの活動が活発となる条件が整う。米国の石油関連企業は晴れて必要な資機材をリビアに搬入できるようになる。外交関 係正常化後の米リビア関係が今後どのように進展していくかは大いに注目されるところ。石油開発を始め、リビアに大きな富をもたらすことは確か。今や、リビアの関心は米国に向けられ始めている。

 

視点2.リビア・北朝鮮両国の経済発展戦略上の類似性

 

イ.リビアも中国も北朝鮮も(多分にロシアも)政治休制を変えずに経済発展 を図りたいと考えている。リビアにとっては、改革開放後の中国の経済発展戦 略は参考となる。そのリビアの変化の動向は北朝鮮にとっても参考となる。

ロ.地理的に見ると、地中海のアフリカ側沿岸のほぼ中央に位置し、目の前にEUという大市場があるリビア、朝鮮半島の北部にあって、韓国、中国、ロシアと国境を接し、日本海を介して日本という大市場が至近距離にある北朝鮮は、その気にさえなれば、ビジネスを展開する環境には甚だ恵まれている。

ハ.そこで何を売るのかというと、リビアは言うまでもなく石油・天然ガス。北朝鮮は物流のルートの使用と良質で安価な労働力。(余談として、現時点ではリビアの労働力はあまり勧められない)

ニ.リビアは有力外国企業による市場独占を許さないとの方針の下、米国、欧 州、日本を競争させようとしている。日本を必要としている。北朝鮮の場合、このままいけば、中国と韓国の企業に独占されてしまうのは明白。将来・日本企業が入ってきてこそ、こうした独占を防ぎバランスがとれる。

ホ.リビアは自らがアフリカ大陸への正式な玄関だと言っており、先般の小泉 総理のアフリカ諸国訪問に際しても裏口から入られては困ると述べていた。私は日本にとってやはり、中国東北地区への正式な玄関は北朝鮮。

へ.北朝鮮も徐々に、しかし着実に開放政策をとっている。EU諸国との関係を大幅に改善しているリビアの例は参考になる。

 

視点3.歴史は両面をもっている

現在のリビアに相当する地域は、かつては湿潤で肥沃な大地だったと言われている。紀元前10世紀まではフェニキア人が定期的にリビアの海岸に現れるようになり、紀元前7世紀頃に貿易の必要から現在のトリポリとその東西に2つのコロニーを作り、やがて紀元前6世紀、強大となったカルタゴがこの地を支配下に置いた。

しかし、カルタゴはローマとの3回にわたる戦争に敗れ、紀元前1世紀にはこの地はローマ帝国の属州の1つに組み込まれた。約300年間の平和と繁栄期を迎えたが、その後、紀元5世紀(449年)にヴアングル人による昧珊があり、7世紀(643年)にはアラブ人によって征服され、文化・言語上のアラビゼーションがあり、中世では16世紀前半(1510年)にはスペインのカール5世(ハブスブルク家)によってトリポリが占領され、さらに(領土を信託された)マルタ騎士団の進入があり、海購王(レッドビアド)による征服があり、16世紀半ば頃(1551年)には残酷な統治で知られるオスマントルコ帝国の支配下に入り、長いトルコの支配が続くが、1911年(9月)、トルコが革命とバルカン戦争に忙殺されているのに乗じて、今度はイタリアがトリポリを攻略、イタリアの植民地となり、あの戦争に際しては、独のロンメ ル将軍によるトボロクでの大激戦が有名になったが、この地は列強が争う戦場となり、1943年に連合軍がドイツ・イタリア軍を撃退し、英・()軍が代わってリビアを占領してその軍政下に置くという歴史を辿っている。今も、駐リビア英国大使はかつてのイタリア軍の司令官(本部)の使用していた建物をそのまま使用している。

よって、リビア人達は、ヨーロッパの国々は侵略者だと認識し、日本と協力したいと言っている。日本はリビアの敵と戦った好ましい国というのが基本認識。しかし、同時に、リビア人が誰かを定義することは困難であるが、リビアがアラブ・イスラムの国であるとすれば、そのアラブ人たちも恐らく土着のべルベル人をも伴ってスペインを500年以上にわたって征服している。逆の面があった。東北アジアにおいて日本人がその歴史を考えるとき、そして、中国・韓国・北朝鮮の人たちがその歴史を考えるとき、謙虚な気持ちで歴史には両面があるとの認識が必要ではないかと考える。つまり、東北アジアから見ると黒でも中東から見れば白。さらに歴史は様々な視点から考えることができる。ということで、人類の歴史の論議にはルールが必要。

 

2.瀋陽からの報告

                        ○ 世界を騒がせたあの瀋陽事件(’0256日)から3ケ月後に着任

                        ○ 当時注目度ナンバー1、その間の出来事を日・東北関係の緊密化、相互理解の深まりという観点から、つまり、東北地区がどの方向に顔を向けているかという観点から報告。

 

中国東北3年半在勤の結論

イ.東北住民(省長さんから農民・小学校の生徒まで)日本との経済・文化交流の意欲が強い。

ロ.日本との東北地区との関係は大いに改善された。

ハ.中国の中でも東北地区はプラスに差別化して対応すべし。

ニ.東北地区との協力の効果・効率は中国の他の何処の地域より大きい。

ホ.051118日の播陽地下鉄1号線起工式からは東北の人たちの意気込みが感じられた。

1)大幅に改善された我が国と中国東北との関係

(イ)帰朝に際し、省長と書記、各々との離任会見、かつてなかったこと。中国側の感情表現、日本重視の姿勢、会見自体に意義。李克強書記、超多忙、積極的かつ柔軟な対日姿勢。025月、涛陽は日中間外交の対決の焦点。いろんなことが良い方向に向かいつつある。対照的。また、夏徳仁大連市長が日帰りで大連からかけつける。陳政高瀋陽市書記も心のこもった送別晩餐会を主催。

(ロ)昨年4月の対日デモ、在瀋陽総は窓ガラス1枚の損傷なし。日本料理店、在留邦人、日系企業等、→切被害なし。日中関係全体が硬直。地方はより柔軟。上記、夏市長及び陳市長の対日姿勢。(陳市長の回顧談)

(ハ)対日デモの約1ケ月後、第5回目中経済協力会議(於瀋陽)。対日デモ後の最初の大型経済会議前年の第4回目中経済協力会議(於仙台)、実は日中関係史上画期的な出来事。

東北3省の省長全員+内蒙古自治州の副州長、さらに大連、瀋陽、長春の3有力市長、東北・北陸7県(青森、岩手、秋田、宮城、山形、福島、新潟)の7県知事全員と仙台市長、合計1700人参加。本年06年の第6回目中経済協力会議(於長春)も成功裏に開催。

(ニ)同じく昨年8月、藩陽国際観光祭、花車のパレー ド、五里河公園での盆踊り、このパフォーマンスは痛快な出来事。歴史背景、どの都市よりも難しい土地柄。日本の伝統文化・盆踊りの実演は初めて。中年のおばさん、10代の娘さん達、お年寄りの日本語の歌。石などは飛んでこなかった。終了後も撮影会が延々と続く。日中友好の典型的な絵。潅陽は安全。対日重視の都市。

 

2)邦人保護への対応(2つの例)
不測事態発生の際、安心感を与えることの重要性

(イ)SARS発生:その典型例。長春では感染者37名。住民の不安がピークに達した時点に訪問(2回)。激励、連携、勇気ある行動と感謝される。長春市名誉市民。

(ロ)引き続く災難。黒竜江チチハルでの毒ガス事故発生(0384日)。反日の嵐か?在留邦人を震撼、重苦しい不安。被害者増大44名。ついに1人死亡。新聞は1面トップ。チチハル行きの夜行列車(所要時間約13時間)、チチハル行きを懸念する向き。しかし、心からの歓迎。テレビには約7分間放映。“チチハル市長、小河内総領事歓迎”、“小河内総領事、早期回復を祈る”。帰瀋陽後、在留邦人に報告。自信を持って“心配はない”と言えた。大きな安心感となる。

3)中国理解への努力

(イ)中国語の勉強:ゼロから2年後、5大学(大連外国語学院、東北財経大学、瀋陽薬科大学、東北大学、中国医科大学)で中国語で講演。中国に対する関心と親切心と受け止められる。今はアラビア語。

(ロ)918歴史博物館との交流。井暁光館長等と心の通う状況。日本がいかに東北の住民・農民を助けてきたかについての資料。同博物館の日本語解説文(すべてメモ)の修正表作成、等を提供。全て自分で作成。同歴史博物館の正式資料となっている。

4)特別の協力関係

陳政高瀋陽市長(現書記)と仲の良い総領事。日本に対する認識を良好にする効果。瀋陽市の親切な相談役。邦人保護のための目に見えないセーフティネ ット。関係構築の瀋陽ジャパンタウン構築の提示。ホテルニューオオタニで上映。CDにて瀋陽市側の資料。市の職員達はしばしば本館執務室を訪問。瀋陽世界園芸博覧会に対する間接支援。市と共に支援要請の手紙作成送付。

5)注目される自民党幹事長一行の瀋陽訪問

昨年11月下旬、角田義一参院副議長、岡田克也前民主党代表、武部自民党幹事長一行がほぼ同時に瀋陽訪問。遼寧省に来れば対中政策について何かヒントが得られる。(つまり、瀋陽在勤中、日中関係打開は中国東北からのメッセージを送り続けていた。)

李克強省委書記と会見:極めて和やかな雰囲気。省委秘書長との晩餐会の席上、“幸せなら手を叩こう”を歌う。因みに、武部幹事長一行の918歴史博物館訪問について、井館長は、“一行の中に総領事の姿を見て、古い友人達が訪ねてきたような気持ちになってしまって、それでつい握手をしてしまった”と述懐。握手までは考えていなかったということ。

6)モデル公館への努力

ハードウェアとして昨年5月に新館完成。任期中に完成させた異例のケース。大変な苦労。事務所面積35倍。世界で一番汚い総領事館から現代的な美しい外観への変化。ソフトウェアとしてバックアップ体制の格段の強化。

7)結び

一番大切なのは人間。広い視野、緻密な計算、知的勇気の実行。結果として友好の使者。心の通う状況を作ることが日中関係改善の条件。日本をより頼りにさせる努力が必要。束北の人たちの頭の中にいつも自然に日本があるような状態にしていかなければならない。存在感のある日本、頼りになる日本にならなければならない。東北に借港出海ルートの他、ジャパンタウン、日中友好スポーツ交流センター、有機農業訓練センター等が実現されることを期待したい。

 

3.日本海ルート開発に関するコメント

(1)ようやく中国東北と日本が地理的に本当に近いという当たり前のことが日中両国民に認識されてきたことは喜ばしい。こうした認識がさらに普及していくことを期待。

 

(2)次に、この計画(大豆満江地域開発と合わせて)は10年以上前から論議は数多くあったが、具体的にはなかなか進展しないという面があった。それが、今、具体的目標を持ち具体的行動計画の下に前進し始めているのは、やはり国策としての束北振興の効果。日本海ルートの開発には今後も東北振興が成果を上げていくことが重要。そもそも中国東北の主要都市間を結ぶ高速道路が整備されておらず、吉林省に高速道路が1本もなかったような状態では“借港出海”を必要とする強いエネルギーが生まれてこないのは当然。

 

3)現在、延辺の澤春市では、紡績、アパレル、木材、海産物、その他の加工業、エネルギー工業、国際物流の分野で産業の振興が図られている。日本海ルート開発にとって良い兆候。今後、日本海ルートの開発と結びつけた更なる新商品の開発が望まれる。

(渾春市では、日本人が好きな色の墓石までが日本に輸出されている。この石のお世話になりたくないが、有望商品ではないか)

4)但し、日本海ルートの開発・発展には今後も地道な努力が必要。一つは東北地区の発展速度が、中国の他の地域と比べ相対的にスローダウンしていること。全国に占めるGDPの割合が低下してきている。不良資産額がなかなか減らないといった問題もある。もう一つは、大豆満江地域開発に当たっての中国側の狙いと日本側の狙いは同一ではないということ。中国側の狙いは、基本的に中朝あるいは中露間の、あるいはそれにモンゴルを加えた地域協力の拡大であり、また、日本海ルート開発と言っても中国側は琿春市に物を集めて日本海ルートで経済力のある中国の南の地域に流通させるとのスタンス。日本海ルートを通じての中国の日本との経済交流はまさにこれからといったところである。

5)最後に北朝鮮ルートとロシアルートとの問題についてコメントしたい。ロシアルートが重要であることは言うまでもないが、ロシアルートには技術的な問題以外にモスクワとの距離、ロシアの政策が予見困難等といった問題がある。北朝鮮ルートにも似た問題はあるが、同じような考えをしている東洋人同士の方が考え方も似ていて無理が効くとか柔軟性を発揮できる余地が大きい点で、より無難ではないか。もとより、北朝鮮とロシアの双方のルートが活用できる状態が理想である。

4.日本の役割

20世紀の70年代までは中国の中では東北地区が発展地域であり、上海・北京・天津地区は遅れた地域だった。また、現在の上海等の発展地域は長期には人口増加、人件費高騰、土地の不足、水・エネルギー等の不足によってやがて高成長は打ち止めとなり停滞期に入る。遅かれ早かれ東北地区は着実に成長・発展していく。そしてその発展が日本国の国益と合致し地域の安定に資することは言うまでもない。

よって、第1に、日本は中国北東地区との共同発展を積極的に目指すべきであり、そのためにも文化・教育・スポーツ等の面で中国北東地区をプラスになるように差別化した支援政策を立てる必要がある。かかる観点から、延辺大学との学術交流は重要。

2に、経済交流が発展していくためには地域の安定が不可欠だが、この地域(東北アジア)は必ずしも十分に安定した地域ではなく危険もある。近隣諸国間のナショナリズムの問題は常に指摘されている。さらに、自然災害の問題もある。という状況の中で日本が果たすべき役割は安定力となること。この地域が右や左に大きく振れようとするとき、真中に引き戻す安定力が必要。それができるのは日本だけ。

3に、このセミナーに参加するに当たり資料に目を通していたところ、中国側、とりわけ吉林省、延辺自治州、そして琿春市のリーダーの発表の中に、しばしば“新しい時代”、“歴史の使命”、“歴史的構想”といった表現が出てくる。新しい時代を開くという歴史的な事業に関わっているとの気持ちでこの間題に取り組んでいる姿勢は素晴らしい。しかし、東北アジア地域とりわけ朝鮮半島と中国東北地区と日本との歴史背景を考えるとき、この地域に“新しい時代”を開くという目標こそ、まさに日本が取り組むべき21世紀前半の最大の課題。

これまで戦争の歴史は別の新たな戦争によってしか改まることのなかった人類の歴史を、戦争以外の生産的な方法によって諸民族の融合と繁栄の未来を実現することこそ日本の使命ではないか。そして、公平・平等・親切・正直・勤勉・節約・和といった日本の価値を諸民族と分かち合い、日本の本然の姿をしつかり国際社会にアピールしていかなければならないと考える。

(本稿は73日の上海センター・シンポジウムにおいて在リビア日本国大使、前在瀋陽日本国総領事小河内敏朗氏が報告されたものの報告原稿を本人の了解をとって掲載したものです)