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京大上海センターニュースレター
133号 2006112
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

      京都大学上海センター中国自動車シンポジウムのご案内

      中国・上海ニュース 10.23.-11.29

中国内陸部の経済状況管見

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京都大学上海センター中国自動車シンポジウムのご案内

■日程  20061111()12時開始 17時終了

■場所  京都大学経済学部大会議室(時計台キャンパス総合研究棟2)

■主催  京都大学上海センター、■後援 京都大学上海センター協力会

■シンポジウム・テーマ

中国民族系自動車メーカーの競争力を探る――奇瑞汽車と吉利汽車に焦点を定めて――

■報告

京都大学経済学部 教授           塩地 洋   自動車産業の発展戦略と制約条件

                                             ――民族系メーカーを中心に――

元本田技研工業中国業務室 主幹       山口安彦  産業政策と五カ年計画の指向するところ

                                             ――「自主創新」への流れをたどる――

京都大学大学院経済学研究科博士課程    李 澤建   奇瑞と吉利の車種開発戦略

現代文化研究所中国研究室 主任研究員   廖 静南   外資合弁系・民族系乗用車メーカーの競争力比較分析                                ――補完関係から競合関係になるか――

J.D.パワー・アジアパシフィック      木本 卓   VOC視点から見る車両品質の現状

部長 J.D.パワーシンガポール事務所        ――IQS(初期品質調査)からのインプリケーション――

東京大学社会科学研究所 教授 丸川知雄  サプライヤー関係から見た民族系メーカーの競争力

大阪商業大学総合経営学部 助教授       孫飛舟    奇瑞と吉利の流通ネットワーク戦略

[終了後懇親会]

        参加希望者は以下に連絡ください。

 京都大学経済学部塩地研究室 ☎075-753-3428  shioji@econ.kyoto-u.ac.jp

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中国・上海ニュース 10.2310.29

ヘッドライン

                     第3回中国・ASEAN博覧会:広西・南寧で開催

                     国際:米中朝が非公式会談、6カ国協議再開を決定

          エアバス:天津工場建設で正式合意

          中国:工商銀行上場完了、初日終値14.7%高

          中国:三峡ダム水位156メートルに、全発電機が稼動

          自動車:フォード社、中国での部品調達額、26億ドル突破

          北京:韓国ロッテ、初の大型デパートを開く

          上海:国際工業博覧会開幕、2000社出展

          上海:戸籍人口自然増加率、11年ぶりのプラス成長

          上海:「一人っ子」世代、半数が子供2人を望む

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中国内陸部の経済状況管見

経済学研究科教授 大西 広

 中国経済は「格差の拡大」が一方で主張されながら、他方ではこれまで取り残されていたとされる地方の成長が見られるようになり、その意味で内陸部の経済状況の観察がひとつの焦点となっている。小生はその視覚から、各省成長率の長期変動の統計解析をひとつのテーマとして観察を続けており、その一端は「京都大学上海センター・ニューズレター」第115号、2006年6月29日付けで示した。が、統計分析というもの、すれぱするほど実際を見たくなるもので、そう思っているときに、他目的の調査と資料収集のために9月上旬に湖北、湖南、貴州、四川の四省という内陸部を訪問する機会を得た。濃淡の差はあれ、この区間はほぼすべてバスで移動し(実は一部は鉄道が満員で乗れなかった)、通常訪問できないような奥地の村も含めて管見することができた。飛行機による移動はもちろん、鉄道による移動も駅のない町は飛ばして路線が走っているから町並みを見れる機会は非常に限られる。今回のバスによる移動距離は2000kmに達する。「行って見なければわからない」いろんな情報も含まれるので、内陸部の現状を知るひとつの参考として以下に記録しておきたい。

 

沿海部と同レベルと見える武漢市

 その最初に訪問したのは武漢市であるが、最初に見たということもあり、その面積の大きさとともに発展しているのに驚いた。開発区もかなり巨大で多くの大規模工場が並んでおり、沿海部の大都市で見られる光景とほぼ同じという印象である。というより、交通混雑については沿海部の平均以上にも思われた。この出張の最中にパソコンで受信した情報では中国社会科学院主催の「2006年多国籍企業の目による中国の魅力ある都市」の第20位に武漢が入っていたが、何と沿海省以外で登場したのはこの武漢だけであった。私の印象に一致する。

 なお、武漢訪問の翌日には約60km東の中都市である黄石市を訪問したが、そこにもまた開発区が作られていて、沿海部の発展の延長との印象を改めて受けた。長江沿岸の経済発展は当初は上海だけであったのが、第二段階で西は蘇州、南は杭州にまで広がり、この一帯を「長三角(長江三角州の意)」と言われる時期があったが、それが第三段階には西が南京に達し、南は寧波に達するようになった。が、それがさらに延長されて東は武漢に達する第四段階としでもいうべきところに来ているのではなかろうか。

 

内陸部に広がる住宅建設

 次に訪れたのは湖南省の省都長沙市であるが、ここでまた驚いたのはかなり大規模な高級マンションがあちこちに建設されていることであった。タクシーの運転手によるとこれらは「市民向け」の高級マンション群で、所得がどんどん上がってきたので買えるようになってきたとのこと。駅前のような中心地での建設でないので商業地にバスで通わなければならないので不便とも言っていたが、居住が始まれば一階各種の商店がはいるようになっているだけではなく、「○○広場」という名の巨大な商業コンプレックスも隣接されていたりする。物凄い。また、この少し外側の地区に「農民向け」のマンション群も大規模に建設されているのにも驚いた。「高級さ」は「市民向け」のものに多少劣っても。非常にきれいである。元は農地であった地区の開発ということで、「市民向け」地区の外側となっているが、ほぼ隣接している。

 が、ここでの問題は、この長沙市はまだ武漢などに近いのでここまで来ているのかと思ったのが、実はそうではなく後に通過したほとんどの都市に広がっていた。たとえば、通過した貴州省の凱里市、貴陽市、遵義市、四川省の濾州市、内江市、成都市、雅安市といった大都市に限らず、中国最貧省である貴州省やそれに近い四川省の農村部でも広がっているのには驚いた。貴州省では、四川省との省境地域にある習水県城でそれを見、また、凱里市域にある剣河、台江でも見た。このうち、凱里、剣河、台江地域は少数民族トン族の地域で、少数民族は通常漢族より貧しくなっているのに、そして、彼らは本来独特な木造建築の家屋を作るのに、である。特に、台江市ではかなり大規模な数階建ての新築アパート群が並んでいて、ちょっとオーバーに言うと村の全人口を収容できるほどの規模を持っていた。ついでに言うと、四川省雅安市石棉県下のある鎮では今回貴州省内の鎮レベルの村では見られなかった綺麗で大規模なアパート(マンション?)建設があり、それにも驚いた。この鎮以外でも通りがかりの鎮や郷の家屋が集団的に廃棄されているのを多く見かけたので、ひょっとするとそれらの住民も新しいアパート(マンション?)に集団的に移動しているのかもしれない。

 実際、新築アパート(マンション?)への移動が何度目かとなる沿海部大都市の住民ではなく、何十年と変わらぬ古屋に住まざるを得なかった内陸部貧困地域の農民たちにとって、こうした新しい住居に住みたいというのは夢であったはずである。長沙のタクシー運転手の話ではこれらの新居も各人が自分のお金で購入ないし借用せざるをえない。が、このことを逆に言うと人々がそれだけ「住」への支出の志向性を高めているということであって、年々急増する所得の使い道として、車とともに住宅(さらに言えば旅行)が選ばれているということになる。健全な「内需」である。ただ、たとえば、遵義市では目に入ったマンションの販売価格が、1平方メートル当り1150元のもの、5800元のもの、35000元といったように大きく開いていた。購入する住民の所得格差がこうして住居価格にも反映されているというのもまた印象的であった。

 なお、もちろん、こうした住宅建設は個人住宅の新築としても進んでいる。上述のトン族地域はとくに特徴的で、彼らの民族的家屋が木造であるがゆえに、原木の色を保った新築家屋を簡単に識別できる。イメージで言うと、10軒に1軒程度はここ1,2年のうちに新築をしたという感じで、これは基本的にトン族以外の農村地域でも見られた。ただし、10軒に1軒であるか、それ以上であるかそれ以下であるかは一見してわかる。たとえば、貴州省赤水市の農村部から四川省農村部に入る道筋ではその新築比率は徐々に上昇した。そして、その理由は、各戸の農地の広さや状況、そして都市とのアクセスの容易さの度合いの差にあったように思われる。

 

「貴州省の貧困」を考える

 というのはこういうことである。山ばかりの貴州省では農家は山肌に張付いて孤立して存在する。ので、何とそれぞれの農家の農地の面積が状況により一見してわかるのである。そして、確かに新築農家の農地はより緩やかで水田に適した場所にあったり、面積が大きかったりした。貴州省や四川省ではトウモロコシ畑も多かったが、安価にしか販売できないトウモロコシはやはりそれしかできないような痩せた土地に多い。

 それからもうひとつ、都市とのアクセスの差もありうる。私は以前、新疆ウイグル自治区タクラマカン砂漠の南側の貧困地区を調査したことがあるが、タクラマカンを横断する道路の完成はスイカなどの供給価格を引き上げたと言われた。新鮮さが重要な果物の交通コストの低減の影響でと思われ、他方の消費者の価格は下がっているはずである。が、ここでの問題は貴州省内の山の険しさであり、私の場合、路線バスで村々を移動したのでたとえば遵義市の北方桐梓から温水までの約40kmの移動に4時間もかかっている。これは村々の間に高い山脈がそれぞれ走っているためで、道は回りくねりたまにされている舗装は壊れ、かつ未整備のためにバスは大揺れに揺られながら徐行する。これほどひどい場所は他には通過しなかったが、平均してバスは時速30kmと見なければならない。大都市を結ぶ高速道路も重要であり、それが優先されるのも分かるが(たとえば、これらの地域では省をまたぐ高速道路はひとつも完成していない)、農村が取り残されているとの一般の話はこのへんにも根拠があるのかと思った次第である。ともかく、他省と違って山ばかりという状況が貴州省をして最貧にしているのではとの印象を強くした。私の見るところ、省間の所得格差の最大の原因は市場的工業の発展度合いにあるが、この点では同じく遅れている内陸部の各省の中でもなぜ貴州省が「最貧」なのかと聞いた際には、今度は農民側の所得水準が問題となってくるというのが私の理解である。

 

「発展」と「後進」の狭間で考えたいこと

 このように考えると、結局のところ、貴州など遅れた地域にはそれ相応の理由があるとしても、全体としてはその発展もまた急速で順調であることを再確認せざるをえない。が、それでもまだまだ課題の多さを感じたのは実はもっと別の方面であった。

 たとえば、若者の問題がある。貴州省の田舎では通学のためにてくてく歩いている多くの生徒たちを見たが(四川省の石棉では中学生がバスに乗ってきたので一段上のレベルに達しているのだろうか)、改革開放後に農村部の学校数が減っているということであるから、彼らの権利としての「学習」に大都市に比べた巨大なハンディのあることを感じる。一説には貧困家庭の一部はこのハンディに耐えかねず義務教育を受けていないとの話もあるから、やはり心配である。

 また、これと関わるのは、20代の青年たちの職業である。貴州省の元厚鎮で20元で泊まった「旅館」の受付けの青年などは大学生と見間違うほどかなりしっかりした顔つきであったが、たまにしか来ない客の受付けをするだけの仕事しかできていないというのは社会的に大変残念なことである。また、他方で、遵義のホテルの一階のネットバーでゲームにはまり込んでいる金髪の青年(男性たち)には、自分たちの未来に希望を感じられない不満のようなものを感じた。「農民の不満」というものの実態とはこういうところに溜まっているのではないだろうか。

 他方、これは「偏見」かも知れないが、発展はしているものの、他方で「行儀の悪さ」の変わっていないというのが少し気になった。田舎の路線バスに乗ると、くねくねした道の問題もあってよくゲロをはく人に出会うが(今回も三人に出会ってしまった)、それが日常化すると「バスというのはそういうもの」となってしまう(私もバスの雨漏りで服が汚れるという目にも遭っている)。ちょっと驚いたのは幼児を連れている母親が車内の通路に小便をさせたということがあった。「ちょっと待って」と車掌に言って外でするというのを思いつかないほどの状況となっている。また、運転手が急にバスを止めたと思ったら車の後ろに回り、自分のバスに向かって小便をしているというのも見てしまった(そのバスの最後部席に座っていた)。吸殻入れのないバスの社内でタバコをすって、その吸殻を床に捨てるとか、他人を横にして大声でバス内で話をするというのは当然のこととなっている。人々が日本のような綺麗なバスに乗れるようになるとき、自動的に解消される現象かもしれないが、人々の考え方や常識というものの変化は一歩遅れてやってくることになのだろうか。

 最後に少し変わった経験として紹介しておきたいのは、その20元で泊まった貴州省元厚鎮の朝6:30に始まったスピーカーでの村民に対する「放送」である。「貴州人民広幡(放送)」という名のもので、後半は普通のラジオニュースと同じであったが、前半はほとんどすべて共産党がどうのこうのという話を流していた。このようなものは、こんな田舎に泊まってみなければ分からない。以前マレーシアやインドネシアにしばらく滞在した際、イスラム教のお祈りが早朝からスピーカーで流されるというのを経験したことがあるが、それとよく似ている。人々はどのような気持ちで聞いているのだろうか。もちろんテレビやラジオなどは普通に見られる。このような状況下でなぜ?との疑問もわく。これは貴州省のみの現象なのかどうか知りたいところだ。

 いずれしても、路線バスというのは人々のひとつの生活の場である。われわれはどうしても"データ"に依存した分析に依存しがちであるが、路線バスの面白さを体験するとやめられない。今回は最長で17時間のバス路線に乗り、4-5時間程度の乗車も何度もあった。が、車窓から見るもの、車内で見るものがすべて面白く飽きない。ジーパンで中国人風の格好ができる人、また上記のような状況に耐えられる人には是非お勧めしたい。