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京大上海センターニュースレター
138号 2006126
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

      「国際シンポジウム 近代上海像の再検討」のご案内

      中国・上海ニュース 11.27-12.3

インドは中国に勝てない

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京都大学経済学研究科上海センタ−主催

「国際シンポジウム 近代上海史像の再検討」のご案内

■主催 京都大学上海センター   ■共催 上海センター協力会

日時 2007121日(日)午前9〜午後6時

■会場 京大会館(京都市左京区吉田河原町15-9 電話075-751-8311

■プログラム

午前9時〜12時

◇発表者 張忠民(上海社会科学院)近代上海における都市の発展と都市総合競争力

コメンテーター 金丸祐一(立命館大学)

◇発表者 陳計堯(東海大学)「近代上海食糧市場の変遷―米穀と小麦粉の比較研究1900-1936

コメンテーター 城山智子(一橋大学)

◇発表者 堀和生(京都大学)「上海の経済発展と日本帝国」

コメンテーター 久保亨(信州大学)

午後1時30分~6時

◇発表者 李培徳(香港大学)1920年代から1930年代まで上海銀行家の横領

                         上海商業儲蓄銀行を事例として─」

コメンテーター 金丸祐一(立命館大学)

◇発表者 蕭文嫻(大阪経済大学)「中国幣制改革と外国銀行」

コメンテーター 城山智子(一橋大学)

◇発表者 小瀬一(龍谷大学)「開港場間貿易と中国の市場統合」

コメンテーター 古田和子(慶応大学)

◇発表者 木越義則(京都大学)「両大戦間期上海における貿易物価構造」

コメンテーター 久保亨(信州大学)

午後記念レセプション

■事務連絡先 606-8501 京都市左京区吉田本町 京都大学大学院経済学研究科  堀 和生    

       電話 075−753−3438 ファックス 075−753−3499

       e-mail      hori@econ.kyoto-u.ac.jp

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中国・上海ニュース 11.2712.

ヘッドライン

                     中国:共産党政治局会議の優先議題、経済の安定成長、人口政策

                     国際:日中韓環境相会合が北京で開催

          中国:111月税関収入、輸入急増で17.7%増の5653億元 

          中国:天然ゴムの最大消費国に、06年輸入急増

          中国:卵生産量、世界の4割以上に

          鉄道:東西横断電化鉄道建設にADB3億米ドル融資 

          北京:大卒平均初任給は2300元

          環境:中国の湖面面積が急速に縮小

 エネルギー:タリム油田、06年天然ガス生産量100億立方米超

 中国:穀物は一部地域、食用油、全国範囲で価格高騰

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インドは中国に勝てない

27.NOV.06

株式会社小島衣料社長  小島正憲

インドと中国は、ともに21世紀の世界経済をになう超大国になると予想されている。なかでもインドは、識者の間では、やがて中国を凌駕すると推測されている。しかし私は自らの体験から判断して、インドが中国を追い越すということは不可能だと考えていた。それでも昨今の日本では、中国の反日騒動への反感とインドのIT関連業種の躍進への過剰期待などで、インド熱が日増しに強くなってきており、私も従来の認識の修正が必要なのではないかと思うようになった。そこで今回私は、仏跡巡拝をかねてインドを訪れ、うわさのバンガロールなどを見聞する中で、その実態を再検討してみた。その結果、「インドは中国に勝てない」との結論を再確認するにいたった。

以下に、1.人口圧力、2.労働慣行、3.身分格差、4.政治、5.宗教、6.海外からの経済支援 などの諸点で両国を比較し、インドの劣位性を立証する。

1.人口圧力

 中国は13億人、インドは10億人、ともに人口大国である。このことが両国経済に与える影響はすさまじいものがあり、この人口圧力をうまく活用すれば超大国に浮上するし、失敗すれば最貧国に甘んじなければならない。まさに両国の政治指導者の先見性と実力の勝負である。今のところ、両国政治指導者の人口圧力に対する政策はまったく正反対であり、その結果も大きな違いとなって現れている。

中国の人口構成は洋梨型である。つまり30代後半人口が最も多く、若年層になるにしたがって少なくなっている。それは改革開放政策の創始者=ケ小平が、人権無視の一人っ子政策を徹底したからである。彼は一人っ子政策によって、まず人口圧力により経済が破壊されるのを防ごうとした。ついで膨大な過剰労働者を、低賃金で外資に解放した。それにより世界から中国に怒涛のように工場が押し寄せ、20年を経ずして、中国は世界の工場にのし上がり、それらの工場に過剰労働力は吸収され尽くした。当然のことながら、その間に一人っ子政策が浸透し、新たな労働者の供給は先細りとなり、そしてさしもの人口大国中国にも2〜3年前から、人手不足状態が出現するようになった。しかも労働力の供給が逼迫した結果、多くの工場で求人難となり、賃金水準がぐんぐんと上昇するようになった。中国政府はこの時期を見定めて、思い切ってWTOに加盟し中国市場の開放を実施した。賃金の大幅上昇の結果、中国人民の消費購買力がかなり向上してきていたため、外資はそれを目指し中国へなだれをうって参入してきた。中国政府は、今度は世界の商業・金融資本を飲み込むことによって、中国を世界の市場に変身させ、この人口圧力を解決しようとしているのである。つまり、中国は「人口圧力からの回避→一人っ子政策→外資への労働力開放→世界の工場への脱皮→労働力不足→賃金急上昇→消費購買力向上→外資への市場開放→世界の市場への脱皮→人口圧力の超克→世界の超大国へ」と、見事に変身しきったのである。おそらくケ小平もあの世で、一人っ子政策のこの想定外の好結果に高笑いしていることだろう。  ※拙論参照;「13億の中国で、今、なぜ、人手不足なのか」

インドには人口政策はなく、人口構成は完全なピラミッド型であり、このまま行けばあと5年で中国を抜く。識者の間では、これをもってインドが中国に勝つ理由の一つにしている人もいる。確かに人口つまり労働力の多さが経済成長の要因ではある。実際に中国もそれを利用して急成長してきた。しかしインドは中国とは違い、世界の工場になることは不可能である。なぜならインド人労働者は権利意識が強く、外資による工場経営が困難であるからである。経済特区を作って外資を導入しようとしても、外資はおいそれとは参入しない。自慢のIT産業や国内資本だけでは、10億人の過剰労働力は吸収できない。したがって野放図に膨れ上がる人口圧力に、インドはやがて押しつぶされる。

2.労働慣行

中国は労働慣行が経営者に有利であり、インドは労働慣行が経営者に不利である。この差は、労働集約型外資の導入にとって決定的な違いである。

中国は、労働慣行が経営者側に有利にできていたため、工場が経営しやすかった。これが、中国が世界の工場になった大きな要因でもある。たとえば工場では労働組合の書記が経営陣に参画し労務を担当してくれ、文字通り労使協調が成り立っていたし、労働局などの政府機関も外資にきわめて協力的であった。その結果、外資は中国で安価な中国人労働者を雇用して、短期間で膨大な利益を上げることに成功した。わが社もその恩恵にあずかったわけである。  拙論参照:「中国は労働法で世界を制す」

インドの労働者の権利意識はきわめて強く、それはインド企業進出三大リスクの一つに数えられているほどである。これでは怒涛のような外資の工場進出を期待することは困難である。8年前、私はインド内陸部の縫製工場で技術指導をおこなったことがある。そこはムンバイから汽車で2時間ほど入った辺鄙な場所であった。事前の情報では、その工場は1000名を超える大工場だということであったが、実際に入ってみるとそこには100名に満たない従業員しかいなかった。不思議に思ったので、オーナーに尋ねてみると、このような工場をあと10社ほど持っており、総計1000名なのだという。なぜそのように工場を分散させているのかと、重ねて聞いたところ、1カ所に固めると労働争議が持ち上がったとき身動きが取れないので、あえて不効率を承知の上で、各工場を4〜5時間離した場所に立地しているのだという。さらにインドの労働法では、100人以上の従業員を雇用している企業には、事業所の閉鎖をおこなう場合に、州政府の許可が必要とされており、それを逃れるための対策だともいう。ちなみにこの法律は、現在でも実効性を保っており、進出日本企業の間では、「1度インドに投資をすると、なかなか撤退できない」という声があがっているほどである。

その当時私は、中国では4〜5000名を1カ所の工場で雇用していたが、労働争議への大がかりな対策などは実施していなかったので、このインドの工場の状況に驚いた。さらにその会社の従業員用トイレを借用したとき、一流ホテルかと見間違うぐらい綺麗だったのでびっくりした。また食堂の庭に食用の実がなる木がたくさん植えられており、従業員さんがそれをもいで食べている光景も見た。また立派な従業員休憩室などもあった。オーナーは労務対策にはかなりの神経を使っているようだった。その時点で私は、現地インド人経営者ですら、このように労務対策にてこずっているのだから、とても外資がそこに参入できるわけがないと考えた。

その後、インドではそれらの労働慣行の難しさを証明するかのように、スズキやホンダなどの優良進出企業でさえ、大規模な労働争議に巻き込まれた。ジェトロの日本からの進出企業データを見ると、そのほとんどが大企業であり、中小零細企業は数少ない。これらの大企業でも例外なく、労務紛争が起きている。大企業でさえ、この有様であるから、とても中小企業ではインドに足を踏み入れることはできないだろう。

今回、バンガロールで某日系銀行の現地責任者から、インドの諸事情について話を聞くことができた。彼の口からも、インドにおける労働争議は深刻であり、企業はその防衛策をしっかりおこなっておかなければならないという忠告を聞くことができた。また彼自身も、元のお抱え運転手から不当解雇で訴えられ、難儀していると話してくれた。インドでは労働慣行にまつわる事態が8年前と同様で、改善されている気配がまったくなかった。

IT産業がインドの強さと騒がれているが、それだけでは雇用が少なく、膨大な過剰労働力の受け皿にはならない。繊維などの軽工業をはじめとする労働集約型外資が大量に流入しなければ、増え続ける過剰労働力を吸収することは絶対に不可能である。しかし現状では、インドの労働慣行がそれを大きく阻んでいる。つまりこの労働慣行を断ち切らない限り、外資のインドへの大挙進出はない。したがってインドが世界の工場になることは不可能であり、次期超大国になることもない。

3.身分格差

中国もインドも格差社会である。ところがその内実は正反対であり、この差がインド経済の離陸を遅らせる。

中国は毛沢東の共産主義革命によって、男女同権を含めて全人民の平等社会を実現した。その後、ケ小平の改革開放路線によって、短時日で格差社会が出現することになったが、この間で、大金持ちになったのは、まさしく昨日まで隣人であり仲間であった人たちであった。その意味では大金持ちになるチャンスは、だれにでも等しく与えられていたのである。もちろん共産党員が多くの恩恵を受けてきたのは事実だが、実際に現在の財閥の中には、農民や労働者出身も多くいる。このような雰囲気の中、現在、中国では13億人全員が、金持ちになろうという意欲を持って、日夜虎視眈々として、一攫千金のチャンスを狙っている。これが中国の発展の原動力である。中国はまだまだ走る。  ※拙論参照:「開業中国vs廃業日本」

インドには、何千年来のカースト制度が歴史的に残っている。現在でもインド人は誕生すると同時に、そのカーストが決定されており、すでにその時点で機会は不平等なのである。ことに女性は虐げられおり、現在でも持参金つきの結婚制度が強く残っているほどである。中でもガンジーによってハリジャンと名づけられた最下層の人々は、1億7千万人を超え、全人口の16%を占めている。この最下層の人々は、努力してそこから這い上がるよりも、物乞いをしてその日を暮らす生活に安定を求めているのが現状である。このカースト制度に基づく強固な思想を、短期間で払拭することはきわめて困難である。もちろん政府は最下層の人々に、多くの救済策を施しているので、徐々にそのくびきからは開放されていくのだろうが、まだまだ時間がかかりそうである。

今回私は、仏陀が悟りを開く前夜に瞑想したという「留影窟」をおとずれた。その窟は山腹にあり、そこまで曲がりくねった坂道が続いていた。私はそれを上り始めて、異様な光景に出会った。その道端に延々と、子供と女性の物乞いの列ができ上がっていたからである。彼らは一様にやせ細って骸骨のようであり、目だけをきらきらさせ、ぼろ布をまとい黒く汚い手を差し出してきた。私は逃げるようにして息せき切って坂道を上った。上から下を振り返ってみると、私たちの後からその坂道を、インド人のまるまると太った女性たちが、きらびやかなサリーをまとい、金銀の宝飾で身を飾り、ゆったりとその物乞いたちの間を登ってきていた。物乞いたちも、私たちにおこなったように、黒く汚い手を彼女たちに差し出していた。その両者の間からは、なんらの違和感も感じとれなかった。ともに、そのお互いの行為になんらの思いも抱いていないようだった。私はインドのカースト制度の現実を、目の当たりに見て、しばし沈思した。格差社会中国でも、さすがにこのような光景はみたことがなかったからである。インドでは機会が不平等であることに不満をもち、カースト制度から脱皮しようと努力するよりも、その結果を甘んじて受け入れ、そこに腰を落ち着けて生きていった方が得策であると考える人間が多いのである。つまり中国人のように人民全員が金儲けに走るということはないのである。したがってインドは短時日での経済発展はありえない。

4.政治体制

中国とインドでは統治方式が違う。この差が今後の成長を左右する。

中国は共産党の一党独裁である。これに対して、一般には賛否両論があるが、外資の経営者にとっては、それなりに政治の流れは読めるし、極端な政策変更もないし、あっても対策が可能であるから、これは悪くはない統治方式であると考えている。ケ小平の改革開放以来、天安門事件や朱k基の経済引き締めなどはあったが、外資優遇政策については基本的に大きな変更はなかった。進出日本企業の中には、経営に失敗し、それをよく変わる政策のせいにしているところがあるが、それは個別企業の努力不足と考えるべきである。政策自体の大きな流れは変わっていないし、若干の制度変更があった場合でも、それを事前に察知することは可能であったし、対抗策を講じることも可能であった。実際にわが社は、中国でかれこれ18年間、無事操業し続け、利益を上げ続けている。いわゆる一党独裁型政治は、その政策が予測可能であるという視点から考えれば、外国人経営者にとっては有利な政治体制である。

インドは英国流民主主義政治を誇っている国である。一般に民主主義政治では、選挙の結果しだいで突然の政権交代があり、そのたびに政策が変更する。それはインドでも例外ではなく、実際に、1991年に経済自由化路線を打ち出した国民会議派のラオ政権は、98年の総選挙でインド人民党に負け、パジパイ政権が誕生した。この政権は外資導入をはじめとする経済改革を積極的に推進したが、その恩恵にあずかれなかった農村部の不満が噴出し、05年度の総選挙では予想外の敗北を喫した。政権を奪還した国民会議派は、外資導入などの経済自由化路線に反対のインド共産党などの閣外協力をとりつけ、政権の安定を図ったため、経済改革はスローダウンする結果となってしまった。次期選挙で再び政権交代がうわさされているが、選挙は一般大衆の気分の結果であるから、どうなるかは予測できない。つまり、外国人経営者にとっては流れが読めず、安心して進出ができないという結果となっている。

インドでも中国をみならい、2000年から各地に経済特区(SEZ)が創設され、現在ではインド全国で42カ所が許可されており、そのうち8カ所が稼動し始め、その中に811社が入居し、約10万人が雇用されている。特区では、税制面で5年間の法人税免除、サービス税、関税、物品税などの免除などの優遇政策が適用されているが、それらは外資導入への大きな魅力とはなっておらず、結果として外資の流入は微々たるもので終わっている。

5.宗教

中国は無宗教社会であり、インドは多宗教社会である。インドは国内に深刻な宗教対立を抱え込んでおり、これを乗り越えて経済を成長させるのはきわめて困難である。

中国では、毛沢東が「宗教はアヘンである」と叫び、それを一掃した。その結果、政治や社会生活に大きな影響を及ぼすような宗教は存在しない。新興宗教まがいの法輪功も、共産党権力によって押さえ込まれた。したがって中国では宗教に起因する動乱は、当面のところ考えられない。昨今、農民や一般市民と公安や武装警察との騒動が各地で頻発しているが、それは宗教に起因するものではなく、経済格差に関する不満が主因である。したがって爆弾などが使われるテロのようなケースはほとんどない。

 インドでは、多宗教が並存している。全人口の80%がヒンズー教であるが、イスラム教徒も15%ほどいる。イスラム教徒が大半を占める隣国パキスタンとは、歴史的に犬猿の仲であり、インド国内では宗教対立に起因するテロ事件などが続発している。01年12月には、イスラム過激派によるインド国会襲撃で10数人が死亡。02年インド西部のグジャラート州でヒンズー至上主義者などの乗る列車にイスラム過激派が投石、放火50人前後が死亡。後に両教徒が衝突、死者540人以上に。03年商業都市ムンバイの市内2箇所で同時爆弾テロ、200人弱が死傷。05年6月インド北部ジャム・カシミール州ブルワマで爆弾テロ、住民が爆弾テロに反発、暴徒化。05年10月には、ニューデリーで同時爆弾テロが起き、この事件はパキスタンに拠点を置くイスラム武装勢力による犯行の可能性が高いとされている。これらのテロ騒動は、社会の大きな不安定要素であり、経済発展の大きな阻害要因である。

今回の旅行でも、テロ対策のため国内線のセキュリティは米国よりも厳しく、機内持ち込み手荷物の中には、飲料水はもとより、シャンプーや口紅、薬用軟膏、乾電池なども持ち込みが禁止されており、そのたびにそれらをトランクの中に詰め込まなければならず本当に難儀した。

6.海外からの経済支援  華僑と印僑

海外からの経済支援として、中国には華僑(3400万人)があり、インドには印僑(1700万人)がある。しかしこの両者にはその投資方法に差があるのではないかと考える。これもインドにとっては不利な要素である。

華僑はその歴史的ルーツが客家であるということだが、現在、中国ではそのことを意識しているような人々はいない。多くの海外在住華僑が、地域や人脈にこだわらず、金儲け最優先で、こぞって中国への投資に踏み切ってきたし、中国人の方も、投資ならば誰からでも大歓迎して受け入れてきた。私が現在、オフィスを構えている上海世貿商城という名の巨大商業ビルは、1998年にシンガポール華僑が、300億円をポンと投じて建設したものである。最近になってこのビルもやっと繁盛し始めてきたが、最初のころは閑古鳥が鳴いており、大赤字が続いていた。それでもオーナーのシンガポール華僑は、「愛国心で建てたものだから、儲けは度外視している」と涼しい顔をしていた。このような華僑が中国全土に、多額を投資しており、それが中国経済を大きく底上げしてきた。

 インドには印僑がついている。この印僑には、金融業や繊維、貴金属関係の貿易商で財をなした人が多い。私が世界各地で出会った印僑には、一定の特徴があった。大阪の本町で繊維を扱っている印僑は、ターバンを巻き、もみ上げを長くし、金縁のめがねをかけていた。クアラルンプールの繊維街で、私が仕入れの交渉をした印僑もまったく同じスタイルであった。香港でも、ヤンゴンでも同様であったし、マダガスカルの首都:アンタナナリボでも、その地の不動産を牛耳っていたのは、同じくターバン姿の印僑であった。つまり彼らはすべてシーク教徒だったのである。彼らを見慣れていない私は、どこに行っても、いつも同一人物とビジネスをしているような錯覚に陥ったものである。そしてそのとき、このように外見まで統一してしまうような印僑のネットワークは、きわめて排他的なのではないかと考えた。つまり彼ら印僑はシーク教徒内では助け合うが、他教徒への投資を含む援助には抵抗があるのではないかと思ったのである。その点で、華僑が出身にかかわりなく中国全土に投資していくのと比較して、印僑のインド投資にはそこに宗教による選別が入り込み、投資そのものが新たな宗教対立を生じさせるおそれがあるのではないかと思う。