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京大上海センターニュースレター
154号 2007329
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

      中国・上海ニュース 3.19-3.25

○近代上海の穀物市場の変遷

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中国・上海ニュース 3.19−3.25

ヘッドライン

■ 上海:上海市トップに習近平氏

■ 国際:中露共同火星探査協議調印、09年実施

■ 中国:1−2月工業企業利益が43.8%増

■ 中国:外資系病院の開業を奨励、70%出資まで可

■ 北京:海水淡水化で北京の水不足解消も

■ 浙江:杭州港1−2月輸入76%増

■ 浙江:杭州市初の地下鉄工事がスタート

■ 上海:浦東ー虹橋のリニア線建設が認可

■ 上海:上海先物市場、亜鉛取引がスタート

■ 大連:インテル、25億米ドルを出資、12インチウェハー工場を建設 

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近代上海の穀物市場の変遷

−米穀と小麦粉の比較研究、19001936

陳計堯(台湾・東海大学歴史学系)

 周知のように、近代上海は開港以来、中国と世界貿易の架け橋としての役割を果たしてきた。上海は、19世紀半ばから外国産品の輸入を毎年増加させ、他方で対外輸出も日増しに成長した。上海を経由した外国産品は中国内地、特に長江流域で販売された。中国内地の産品も上海に集められ、荷造りされ、発注を待ち、海外に運送される準備をした。同時に、上海は国内貿易の再輸出港としても重要な役割を果たし、中国の重要な港間、特に長江流域の港の間に上海を結節点とする巨大な貿易ネットワークを形成していた。

 しかし、このような近代上海の大局的な環境の中で、それぞれの産業が「上海ネットワーク」の優位性を同じように享受していたのだろうか、異なる発展形態はみられなかったのだろうか?もし異なる形態が存在するならば、我々が理解する中国経済における近代上海の役割について、どのような示唆があるのだろうか?このような問題に答えるためには、上海の環境を大局的にみるのではなく、個別事例の研究によって解決されるべきである。このような理由から、本報告は中国の穀物の中で最も重要な二つの物品−米穀と小麦粉−を研究対象として取り上げ、近代上海の穀物市場の変遷、特に市場構造上の変化を検討し、近代上海が中国経済において占める多重な関係についての我々の理解を一歩進めようとするものである。米穀と小麦粉、この二つの物品を研究対象として利用するのは、それらが中国民間の基本食糧であるという理由だけでなく、近代以前から長期的にかつ遠距離間で貿易されていた歴史があり、また近代に入り新たな変遷があり、さらに「工業化」の過程まで進入しているという理由がある。上海地域は、人口密集地域であり、食糧貿易はとりわけ重要であった。もし米穀と小麦粉の間で発展・変遷に差異があるならば、その差異について、我々はよりいっそう注意深く検討する価値がある。

 本報告は近代(19001936年)上海の食糧市場における米穀と小麦粉の二物品の変遷を検討するが、単にその量の顕著な成長だけでなく、米穀と小麦粉の間で構造的に異なる発展形態がみられたことを論じる。この期間、上海の食糧市場は二つの異なる発展過程が存在した。第1に米穀貿易には企業内部の垂直的統合の欠如がみられた。第2に、小麦粉貿易には大企業による垂直的に統合された制度の採用がみられた。精米工場と米商人は、上海あるいはその他都市、地域の「連号」を利用して米を購入することができた。そしてこの商業ネットワークはさらに生産地まで延びていた。しかし、この商号あるいは公司の間には、一つの垂直的に統合された制度がまったくなかった。それに対して、製粉工業の発展は、垂直的に統合された制度を生み出し、原料の購買から製品の製造、そして販売業務まで包括する経営拡大がみられた。本報告は上海以外の地域にも視野を広げてみたが、特に小麦粉を主食とする天津と米を主食とする広州は、それぞれ現地で米穀と小麦粉の市場発展がみられ、いずれも上海の事例と類似性がある。米穀貿易では、市場組織の持続が交易達成の重要な要素であったのに対し、小麦粉貿易では垂直的統合が一種の新しい経営発展の趨勢となっていた。

 以上の事実は、我々が理解する近代中国経済における上海の役割に対して、どのような示唆があるのだろうか?上海が近代中国経済史上に占めた位置についてはいささかの疑問もない。過去の分析を通じて、上海は近代中国における政治的地位(租界と治外法権)、地理的位置(長江三角州の出口)、商業ネットワークの進展、そして金融上の地位が、上海にある公司、行号に対して、その他地域の同業者よりも経営上大きな優位性を付与していたと言われている。しかし、米穀と小麦粉はいずれも同じ中国民間主食の重要な産品でありながら、上海市場における変遷はまったく異なる発展方式がみられた。これが意味するところは、上海食糧市場の発展に与えた要因には、上記以外の要因が存在しているか、過去の上海経済に対する一般的認識を再評価する必要性があることを示唆している。

 他の要因として重要なのは、近代上海の民族企業の発展が市場構造全体の変遷と持続に及ぼした影響である。製粉業の企業家たちは(無論、栄家あるいは孫家)、垂直的統合制度を創出したが、米穀貿易においては、商人たちは工業化以前の在来的な商業組織に依拠して、米穀を上海まで運送・販売し、そして上海市内あるいは他の港に再販売した。このように経営者たちの間で経営戦略の分岐が出現した。さらに、製粉業の中で垂直的統合制度を確立した企業は、その規模も全国性の企業であった。このような大企業経営は、従来の経営と生産コスト構造を改変して、生産量を拡大したばかりか、市場価格そのものを支配して、上海と中国のその他の地域間にソフトな連鎖を生み出した。また、この連鎖は過去の商人ネットワークのように個人関係で結ばれるのではなく、一種の確立された制度形態として出現した。大企業の出現の意義について、近年多くの研究成果が出されているが、製粉業の事例のように都市、港湾、地域などを跨いだ活動が近代中国経済の変遷に及ぼした影響については、探求されるべき課題の一つとなりうる。

 もちろん、各地域の飲食習慣そのものが産業構造に対して大きな影響を与えている可能性もあろう。上海あるいは中国のその他地域では、米の食用方法は基本的に米粒を炊くという昔ながらの方法であったのに対し、小麦粉は製粉して粉状し、それをこねて丸めて、麺状にしたり団子状の食品にしたりなど方法が多様である。前者の米穀は、食用の時点で、そもそもの形状と大きさを保っている。後者の穀物(小麦)は徹底的に別の形態に変形さされてから、食として供することができる。このような食用方法の相違は、製粉業を精米業とは別の発展条件、すなわち「標準化」(Standardization)と大規模生産を優位とする条件に置いた。米穀の場合、食用時に味わい、歯ざわりなど穀物の外在的形態が問題とされるため、市場では生産地別に米種について専門知識が必要なり、このように専門的な分類業務に従事する商人あるいは市場組織の必要性が高い。ただし、習慣は不変であることはありえない。価格、品質、人口移動、政府の政策など、一つの地方の食習慣と食物の分類方法を変える要素は多い。同様に、新しい農業技術、包装技術、そして販売方法が20世紀後半に出現した時、旧来の分類知識と「習慣」は改変、再構成され、従来の米屋、米問屋も市場ネットワークの中で消失した。このような動態的な企業、市場、そして消費文化の関係は、今後も研究を重ねる必要があろう。

 以上に述べた点をまとめると、近代上海食糧市場の変遷は、上海の大局的な環境の中で理解することはできない。なぜなら同じ環境の中で米穀と小麦粉市場では、異なる商業構造が生まれたからである。大企業の出現は、地理概念を中心とする「上海経済」について、よりいっそう多元的に制度面での考察を加えるべき点を示している。企業組織は地方市場の構造と変遷に影響を与える重要な制度である。そして、習慣そのものも商業活動に影響を与える。我々はこのような制度と社会各方面の発展についてよりいっそう分析を重ねることで、近代中国経済における上海の地位と意義について新しい知見が得られるであろう。