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京大上海センターニュースレター
155号 200745
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

      中国・上海ニュース 3.26-4.1

○両大戦間期上海における貿易物価構造

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中国・上海ニュース 3.26−4.1

ヘッドライン

■ 中国:第1四半期成長率11%と予想

■ 中国:採掘可能な石油埋蔵量約20億トン

■ 貿易:日中間の貿易額が2千億米ドルを突破

■ 長江中流域:1万トンクラスの船舶の運航が可能に

■ 産業:「首鋼」大リストラ、1.7万人解雇へ

■ 新疆:タリム油田から80都市に天然ガス供給

■ 北京:天然ガスを約8%値上げ

■ 上海:国産旅客機ARJ21組み立て開始

■ 上海:4月2日の大気汚染度、98年以来の最悪

■ 上海:60年ぶり最高気温28度、桜一気に開花 

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両大戦間期上海における貿易物価構造

木越 義則(京都大学経済学研究科博士課程後期)

周知のように、第一次大戦を契機として、上海で近代工業の本格的な発展がみられるようになる。これまでの研究によると、その生産力は、世界恐慌、アメリカの銀政策といった世界経済の大変動の影響下でも減退することなく、日中戦争勃発まで維持されていたと評価されている。他方で、上海の外国貿易と国内貿易はともに、第一次大戦から満洲事変までは工業化と密接に関連した動向を示すが、1932年から両者とも貿易額が大幅に減少し、1920年代の水準を回復しないまま日中戦争に直面している。つまり、1930年代の上海は、工業生産力を継続的に伸ばしながら、それが貿易額に反映されていない。

 この問題を検証するために、本報告は上海の貿易物価指数を推計することで、貿易動向を価格と数量に分けて分析した。その結果、貿易数量は1930年代も継続して伸びている事実を確認できた。この貿易数量の継続的増加を実証することが本報告の第一の課題である。

 本報告の第二の課題は、近代上海貿易のピークを確定することである。貿易数量が伸びているという事実だけでは、1930年代も上海の貿易は活力があったとは言えない。同様に、貿易額、貿易収支も、貿易活動を一つの側面から捉える指標なので、必ずしも一国・一地域の経済力上昇を反映しているわけでもない。本報告は、貿易活動を総合的に評価する指標として「所得交易条件」を基準にする。所得交易条件とは、純交易条件と輸出数量指数を掛け合わせることで求められる数値である。それは、一国・一地域が輸出でまかないうる輸入の数量、すなわち輸入力の増減を示す指標である。純交易条件でみる価格の有利度、そして輸出数量指数でみる供給力を総合的に示す指標であると言えよう。

 両大戦間期上海の貿易数量は二つの特徴が確認できる。第11932年以降、著しく貿易規模を縮小させたはずの純国内輸出は、1933年まで数量を伸ばし、1936年までほぼピーク時の水準を維持している。第2にその他の貿易動向は、1920年代でも数量の増加は非常に限定されていて、むしろ20世紀初頭の水準からほぼ横ばいであるという評価が妥当である。このように貿易数量からみた場合、両大戦間期上海の貿易は、国内貿易の輸出だけが突出して発展したという評価になる。

 商品類別に貿易数量の内容を分析すると、1930年代上海の貿易動向は、第一次大戦以降にみられる特徴がよりいっそう強まっている。つまり工業製品を国内に輸出して、資本財を外国から輸入するという特徴がより顕著になっている。ただし、1930年代に国内輸出数量を牽引した品目は、それ以前と異なるという点も重要である。綿糸から綿布へ、小麦粉から米へ、そして雑貨類の成長がみられる。

 この貿易数量の推移に交易条件の変化を組み合わせると、上海の貿易は1930年代がピークであったとは言えない。

まず交易条件には、第1に輸出と輸入の価格の相対変化をみる純交易条件、第2に輸出と輸入の数量の相対変化をみる総交易条件があり、そして第3に冒頭で述べた所得交易条件がある。純交易条件と総交易条件を外国貿易、国内貿易にわけて検討すると、外国貿易は純交易条件が不利で、総交易条件は有利、国内貿易は純交易条件が有利で、総交易条件は有利とも不利とも言えないという結果がでた。つまり、外国貿易は、輸出数量が輸入数量よりも成長率が高かったのにもかかわらず、価格がいっそう不利であった。そのため外国貿易収支は赤字幅が毎年累積していった。一方、国内貿易は、輸出数量と輸入数量の成長率は同程度であったのに対し、価格面で常に有利な地位にあっと言える。その結果、国内貿易収支は黒字幅が毎年累積していった。

 外国貿易の場合、為替レートの変化が純交易条件に及ぼす影響を無視することはできないが、本報告はむしろ産業構造のほうが、上海の交易条件の基本前提になっている点を強調したい。上海の外国貿易は原材料を輸出して工業製品と機械を輸入する比率が高く、他方で国内貿易は工業製品を輸出して原材料を輸入する比率が高いという特徴がある。このように上海の国内外貿易は、農工間分業の比重が高い。したがって、交易条件の変化は、農工間の比価の変動から受ける影響が非常に大きいことが明瞭である。

 この農工間の比価の変動を検証するために、商品類別の純交易条件に対する寄与度を求めた。純国内輸出についてみると、純交易条件の有利化に寄与しているのは、飲料・たばこ類、そして工業製品類であり、特に紙巻たばこを主要品目とする飲料・たばこ類の寄与度が突出して大きい。次に純国内輸入についてみると、食料・動物類、原材料類の価格が相対的に低いという結果がでた。外国貿易については今後の課題とするが、以上の分析から、上海の国内貿易黒字の拡大は、相対価格が高い工業加工製品の輸出を伸ばしたことに依拠している点が明らかである。

 最後に所得交易条件を確認すると、全貿易で1928年がピークとなる。国内貿易は1930年がピークであるが、1931年には584から527へと大きくポイントを下げている。1932年以降、国内輸出は確かに大きく伸びたが、純交易条件はいっそう悪化しているので、1928年がピークであるという評価は変わらない。

1928年がピークであるという評価は、上海の貿易史上どのような意義があるのだろうか?これまで1930年代の上海について、世界恐慌の波及にもかかわらず生産力は落ちなかった、あるいは幣制改革の影響により回復がみられたという評価は、少なくとも貿易については該当しないと言える。なぜならたとえ生産力の減退がなかったとしても、純交易条件の悪化により貿易を通じた利益の縮小は逃れられなかったはずだからである。この事実も別の見方をすれば、純交易条件さえ回復すれば、供給能力を維持している限り、所得交易条件を伸ばすことができたことも示していると言えよう。