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京大上海センターニュースレター
171号 2007725
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

○国際コンファレンス「東アジア経済のガバナンス問題」のご案内

      中国・上海ニュース 7.16-7.22

○中国東北とリビア

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国際コンファレンス「東アジア経済のガバナンス問題」のご案内

前号でもお知らせしましたように、京都大学21世紀COE経済学プログラムは、上海センターと共催で、「東アジア経済のガバナンス問題」をテーマとした国際コンファレンスを9月18−19日に開催します。会場は、京都大学百周年時計台記念館の2階国際交流ホールです。

 コンファレンスの目的は、従来以上に緊密な相互依存関係をもつようになった東アジア諸国民のかかえる経済問題を「ガバナンス」の視角から検討することです。この目的で、地域空間経済学、国際通貨・金融、コーポレート・ガバナンス、地域・公共政策、環境保全などのさまざまな領域での研究の発展を統合するとともに、制度と組織の経済分析の成果を生かす必要があります。

コンファレンスにはこの地域の指導的研究者を招くとともに、提携関係にある大学に積極的な参加をよびかけています。また、経済学研究科と提携関係にある東アジア4大学からは、若手研究者も参加して、京都大学の若手研究者とともに、引き続く9月20−21日に開催されるヤング・スカラーズ・ワークショップで研究報告するとともに交流を拡大します。なお、使用言語はコンファレンス、ワークショップともに英語です。詳細は前号「ニュースレター」ないし、経済学研究科COE支援室(tel. 075-753-3452: coe-jimu@econ.kyoto-u.ac.jp)にお願いします。

(組織委員:八木紀一郎)

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中国・上海ニュース 7.16−7.22 

ヘッドライン

中国:上半期GDP成長率11.5%、6月CPI上昇率4.4% 
中国:金利引き上げ、利息税5%に引き下げ 
 中国:外銀16行の支店が法人銀行に昇格 
 中国:6月の建物物件価格7.1%上昇、伸び幅拡大 
 中国:1−6月全国鉄道旅客輸送量、6.48億人 
 重慶:613万人被災、国は緊急対応 
 山東:日照港、年間貨物取扱量が1億トン突破 
 北京:初の大型風力発電所建設 
 上海・北京:07年上半期GDPそれぞれ13%、12.1%伸び 
 香港:失業率4.2%、98年以来最低 
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中国東北とリビア

                       13.JUL.07

株式会社小島衣料代表取締役社長 小島正憲

《本文要旨》

・2003年9月、リビアのカダフィ大佐は大量破壊兵器開発計画の放棄を宣言、国際社会に復帰。

・2006年4月、小河内敏朗氏(前瀋陽総領事)が、特命全権大使としてリビアに赴任。

・2006年7月、京大で小河内大使講演。リビアと北朝鮮の類似性に言及。

・2006年8月、松田岩夫参議院議員(当時:科学技術担当相)が、小泉特使としてリビア訪問。

・2007年1月、小島正憲、京大上海センター協力会の一員としてリビア訪問。縫製工場設立を打診。

・2007年3月、松田議員、リビア再訪問。リビア政府要人との間で縫製工場設立について協議。

 

《本文》

 現在、北朝鮮を巡る情勢は、表舞台の6カ国協議やヒル米国務次官補の活躍によって、金正日政権に核放棄をさせることが実現できそうな気配となってきた。さて、このことと縫製工場を営む小島衣料とがそのようなコンテキストにおいて、いかなるかかわりがあるのか、私の夢と想像力を逞しくして以下に述べたい。

 小島衣料は2005年8月から、中国:吉林省琿春市で縫製工場を稼働させている。琿春市は、中国の中では日本に最も近い都市でありながら、またかつて国連の図們江開発計画の中心であったにもかかわらず、ここにはいまだに日系企業がほとんど進出していない。私はいろいろな角度からこの地を検討した結果、ここで工場を稼働させることを決定した(詳細については、拙著「中国ありのまま仕事事情」を参照)。しかし、琿春市政府の全面的な支援で始めたものの、最初はやはりいろいろな苦労やとまどいが多かった。

 2005年9月、大森経徳氏(京都大学上海センター協力会:副会長)の案内で、小河内敏朗瀋陽総領事が、設立間もない琿春工場を訪ねてくださった。私はそれまで海外で15年間にわたって事業を続けていたが、日本政府の海外機関とはまったく接触がなかったし、お世話にもならなかった。ミャンマーでは、最初で唯一の日系大型工場として稼働していたときでさえも、そこに大使館関係者の来訪はなかった。だから、しょせん海外政府機関というものは中小企業とは無縁で、大企業のためにあるものだと思いこんでいた。

 そんな認識だったので、正直に言って、この小河内総領事の来訪は意外であった。しかも総領事は、工場の視察中に、「中国東北地方の経済活性化のためには、琿春市が朝鮮半島や日本海地域との連携を深めていく形で発展していくことがキーポイントです。小島衣料さんが、ここで成功すればゆくゆく大きな変化が期待できます。ぜひともがんばってください」と声をかけ、ポンと私の肩をたたいた。総領事のこのきさくな態度に、私は兄貴のような親しみを感じた。そして今後この総領事との間で、情報交換などを密にして、積極的な協力関係を築いていこうと考えた。

 ところが、2007年4月、中国東北振興に多大の関心を有していた小河内総領事は、突然、リビアに特命全権大使として赴任されてしまった。「コリアンスクール出で朝鮮語に精通している総領事が、なぜアラビア語圏のリビア大使になったのだろう」と疑問に思ったのだが、それを聞く間もなかった。幸いにも、7月に、京大上海センターで小河内大使を講師とする講演会が催されたので、そこで私は大使の口から、そのヒントを聞くことができたと勝手に思った。「勝手に」というのはあくまでもこれは私の推測だからである。大使は「リビアからの視点 瀋陽からの報告」と題して講演をされ、その後のパーティーでは、多くの参加者と親しく言葉を交わされた。

 小河内大使の考えは、「リビアは大量破壊兵器開発計画を放棄したよいモデルとなっている。リビアはまた国際社会に復帰することによって、テロ指定国家から削除された経験を持っている。このリビアの経験を、北朝鮮も見習って早く国際社会に復帰することが北朝鮮の利益である」というものであった。私はこの大使の話を聞いて、やっとリビアと大使のつながりを理解することができたと、これまた勝手に思った。そしてこのあと忙しいこともあってリビアのことはすっかり忘れてしまっていた。

 2006年8月18日の朝、日本経済新聞の紙面から、「リビア、核放棄働きかけ」という小さな記事が私の目に飛び込んできた。それは小泉総理の特使としてリビア訪問中の松田岩夫参議院議員(当時、科学技術担当相)に、リビアのカダフィ大佐が、「北朝鮮に核兵器開発計画放棄を働きかけている」と明らかにしたという内容だった。私はこの記事を読んで、ある種の想像力を掻き立てられた。

 さらに1ヶ月後、ある筋から、米国は北朝鮮問題の解決方法に「リビア式」を想定しているとの情報を得た。そしてそのとき私は、とにかくリビアに行き、もう一度大使から話を聞いてみたいと思った。そこで、もともとの仲介人である大森副会長に相談した。すると大森副会長は乗り気で、すぐに京大上海センター協力会として、リビアを訪問してみようという話になった。

 2007年1月、大森副会長を団長として、総勢9名の一行がリビアのトリポリを訪れた。私たちは大使公邸において、大使館員からリビアの歴史や経済などのレクチャーを受けたあと、小河内大使からリビアの現況などを聞き、意見交換をした。翌日、トリポリ高等研究学院を訪れ、大森副会長が、日・リビア国交樹立50周年記念講演として「世界をリードする日本の技術と産業」と題する講演をアラビア語の通訳を交えて行った。高等研究学院の教授連を始めとして100名ほどが熱心に聴講した。その後の質疑応答も活発であり、それは日本企業への関心の高さを表していた。翌々日、ミスラタの神戸製鋼が作った製鉄所や経済開発区を見学した。神戸製鋼の製鉄工場は閑散としており、日本人技術者などは引き上げたあとだということだった。開発区と称されるゾーンには、まったく工場が建設されておらず、広大な土地が用意されているだけだった。これらの現状から、とてもリビアに外国企業が大挙進出しているとは思えなかった。

 そしてその晩、再度、私は単独で小河内大使と会い、リビアに縫製工場を設立する意思を表明した。大使は笑顔で「リビアは大量破壊兵器開発計画放棄の見返り、つまり国際社会から褒美(技術協力や投資)をもらいたいと考えています。有力外国企業の誘致を行い、リビア経済を発展させようとしています。同時に特定の外国に市場独占を許すことを嫌って、欧米日などの先進国を競わせようとしています。そのような中で、日本企業の進出がなかなか実現していません。例え投資規模は小さくても小島さんが先陣を切って、しかも縫製というリビア人には難しいとも言える分野で、投資が実現したとなればおもしろい展開になるでしょうね」と答えられた。

 私は帰国後、すぐに小島衣料の本社がある岐阜市が出身選挙区の松田参議院議員を訪ねた。松田議員は3月にリビアを再訪する予定だというので、私は「縫製工場の設立の可能性について、リビア政府側に打診してきて欲しい」と頼み込み、吉報を待った。議員からは、「リビア側もこの案件に関心がある」との返事が寄せられた。そこで私はさっそく、再度リビアへ行き、照会を受けた大臣や担当者に会い、現存する工場を視察し、具体的に計画を進行させようと考え、ビザ手続きに入った。

 このようにしてリビアに縫製工場を設立するという計画は、とんとん拍子で進んでいった。しかし、実際にこの事業を稼動させようとすると、まだまだ解決しなければならないことが山積みであった。まず営業面では、リビア国内販売では市場が小さすぎるし、欧米市場を狙うにしてもこれから開拓しなければならなかった。また軽工業とはいえ、イスラムの人々の気質は必ずしも工業生産に向いていない面もあり、生産性を上げるのに苦労することが目に見えていた。私は数年前、ヨルダンで縫製工場の技術指導に携わったことがあるので、そのときの経験から判断して、それはよくわかっていた。

それでも私はこの事業をやってみたかった。なぜならこの事業を通じて、まず第1に、日・リビア関係の発展になにがしかの貢献ができ、朝鮮半島情勢にもなんらかの好ましい影響が及ぶ可能性が少しでも期待できるのであれば、採算はどうであれ、日本国家への貢献をしたかったからである。第2にリビアの人々に日本の経営や生産方法を通じて、日本的勤労精神を披露したかったからであり、第3に、工場経営をする中で、イスラムの人々との異文化体験をしてみたかったからである。

数年後には、6カ国協議や経済制裁などの正攻法が功を奏し、北朝鮮問題が解決していることを期待したい。そして、その裏で小島衣料の夢のリビア「進出計画」があったということになったとすれば、痛快である。とはいえ、この話は現実化しないとも限らない。私はそのロマンに賭けてみたいのである。金儲けのみに専念する経営者が跋扈し、もてはやされる当今、このようなやや異質な経営者がいても、よいのではないかと思う次第である。

 2007年5月31日の朝日新聞に、「カダフィ氏に置き土産 ブレア首相:軍事・経済で協力」という見出しの記事が載った。その末尾には、「リビアは、カダフィ指導者のもとで欧米と対立してきたが、03年のイラク戦争開戦後、米英の説得に応じる形で核兵器など大量破壊兵器の廃棄を表明、国際協調路線に転じた。ただカダフィ大佐は十分な見返りが得られていないと不満を表明していた」と書かれていた。これを読んで私は、小島衣料のような中小企業が、リビアにすばやく進出し、その後の大企業の進出への地ならしを行わなければならないと考えた。国際平和と日本国に貢献するという夢のために。

 さて、勢い込んでリビア再訪問の準備に入ったものの、6月のリビア訪問計画は最初から躓いた。1月のリビア訪問時には、前もって確定したスケジュール以外には、自由に行動することを許されなかったので、今回はその轍を踏まないようにと、入念にそれぞれの部署に連絡を取ってもらった。ところがその返答が、出発3日前になっても手元には届かなかった。そのまま不十分なアポでリビアに行くと、誰にも会えず空振りになる可能性さえ出てきた。残念ながら、私はこの予定を、直前で全てキャンセルすることにした。これはこの事業の前途多難を思わせた。リビアは一筋縄ではいかないのである。それでも私は、これにめげずに10月に再挑戦することにしている。