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京大上海センターニュースレター
186号 2007118
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

○ジョージ・クー氏講演会のご案内

      中国・上海ニュース 10.29-11.4

○なぜ今、孔子ブームなのか?

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デロイトトウシュ トーマツ中国部長ジョージクー氏講演会のご案内

「日米中三国関係の将来」

(The Future of China, Japan and the US on Three Troubling Trajectories)

ジョージ・クー(顧屏山)氏は、中国におけるアメリカ企業ヘのコンサルタントとして30年近い経歴を有し、またその間日米間の国境を越えた業務に も携わって来られました。氏はまた、著名な中国系アメリカ人で組織された百人会(the Com mittee of 100のメンバーであり、つい先日まではその副会長 もされていた方で、米中間の関係について公に 意見を述べて来られました。この度の講演会では、中国の経済発展が日米中三国関係に及ぼす影響(インパクト)についてお話して頂きます。
 尚、この講演は都合により英語で行って頂きますが、日本語資料を準備させて頂く予定です。中国経済や日中経済関係の講演会が多い中で、日米、米中の経済関係にまで踏み込んだ講演会は少ないと思います。参加無料ですので、是非多くの方々のご参加をお願いします。

日時 20071110()  10:00-12:00

会場 京都大学経済学研究科2F大会議室

後援 京都大学上海センター協力会

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中国・上海ニュース 10.29−11.

ヘッドライン

■ 中国:銀行カード発行数13億枚に、「1人に1枚時代」

■ 中国:2020年、原発の発電能力2.4倍に

■ 中国:嫦娥1号を月周回軌道への投入に成功

■ 中国:金の生産量、07年に世界第2位に

■ 中国:「億元村」8000カ所、GDP1.6兆元を創出

■ 中国: エイズ感染者22万人、HIV感染月平均3000件

■ 企業:宝山鉄鋼・新日鉄、3本目のめっき鋼板生産ライン

■ 上海:金融機関、不動産ローン資金不足

■ 上海:今後数年で人口自然増へ

■ 上海:「中国国際工業博覧会」開幕

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なぜ今、孔子ブームなのか?

15.OCT.07

株式会社小島衣料代表取締役社長 小島正憲

 

現在、中国では、于丹著の「論語心得」という書物が1000万部を超えるベストセラーになっているという。その情報につられて、私もそれを買い求めて読んでみた。その内容は人生修養のための穏やかな読み物であり、ベストセラーといっても、それが一般大衆の熱情を煽り立て、社会に変革を迫るような書ではなかった。ちなみに以下にその目次を紹介する。

1.心得の一「天地と人の理(ことわり)」

   2.心得の二「精神の理(ことわり)」

   3.心得の三「渡世の理(ことわり)」

   4.心得の四「君子の理(ことわり)」

  5.心得の五「人間交流の理(ことわり)」

  6.心得の六「理念の理(ことわり)」

  7.心得の七「人生の理(ことわり)」

かつて日本でも、1992年に中野孝次氏の「清貧の思想」がベストセラーになったことがあった。当時、この書のようにまじめに人間の生き方を扱った本がベストセラーになるとは、当の本人も含めて誰も予測していなかった。ところがこの本は飛ぶように売れた。きっとバブル崩壊後の陰鬱な世の中で、気狂いじみた資本主義の横暴さに疑問を持った多くの人々が、その様な本を希求していたのであろう。確かにあの本は、あの時期、社会と人間の良心によびかけ、金儲け万能の社会を考え直させるために、有効な一石を投じるものだった。しかし、いつしかそれは忘れ去られ、再び、多くの人々は資本主義の道を狂奔するようになってしまった。

于丹氏のこの本も、拝金主義が跋扈する現代中国で、それに疑問符を投げかける多くの良識派が買い求めたのであろう。しかしかつての日本の「清貧の思想」と同様に、この現象も一時期のあだ花に終わり、この本も良識派とともに、拝金主義の大波の中に呑み込まれてしまうにちがいない。

法政大学教授の王敏氏は、このような孔子ブームは、学問の世界では数年前から始まっていると述べている。彼は、2002年に中国人民大学内に、「孔子研究院」が設立され、そこでは世界史や哲学、美学、文学、科学史など西洋学問とともに、中国固有文化である儒教の経典「四書五経」などが教えられていると述べ、これらは現代の新しい諸問題を解決するために、外国に答えを求めることに加えて、古来の教えの中にも解決のヒントがないかどうかを探るべきだという考え方が出てきているからであり、それが再び孔子を研究しようという動きにつながっていると主張している。(「中国人の愛国心」 王敏著 PHP新書)

8月20日の日経新聞には、中国政府が「孔子学院」を世界に普及させようとしているとの記事が掲載された。前掲の于丹氏の著書が人民の側の静かなブームであるのに比べて、今度は為政者の側から孔子が担ぎ出されたというわけである。新聞記事によれば孔子学院とは、中国語と中国文化の世界への普及のために、中国教育省が2004年から始めた国家プロジェクトであり、今年末までに200校、2010年に500校の設立を達成し、数年内に海外の中国語学習者を1億人にするのが目標だという。中国政府のこのような公式見解に対して、日本のネット上では「孔子学院は中国工作員の基地」と批判する声もあがっている。

日本における孔子学院は、立命館、愛知、桜美林、北陸、札幌、早稲田、岡山商科大学などに併設されているが、実態は語学学習が中心で、「論語」の講義などは行われておらず、文化の普及という面までにはいたっていない。ちなみに愛知大学の孔子学院では、一般社会人向けの語学学習中心の講座が開講されており、受講料は2万から3万5千円で、全18回の講義がある。講師陣は日本人数名に加えて、中国の孔子学院から数名と南開大学から1名が派遣されてきている。最小開講人員は10名で、今までの実績としてほぼ毎年開講できているという。なお、年1回の南開大学への短期研修ツアーに人気があるという。このような状況を見る限り、ネット上での「工作員の基地」との指摘は実態とはまったくかけ離れている。

2007年4月には、孔子学院総本部が北京に設立された。現在は貸しビルの一角だが、現在建設中の建物に来年移転する予定だという。この孔子学院総本部の助理処長の徐強氏の言によれば、すでに今年9月までに世界中に184校が設立し、そのうち155校が授業を開始しているとのことだった。さらに彼は、2004年の開設後、計画通り順調に増加して来たが、ここにきて海外に派遣する講師不足に陥っているし、また教材も現在までには中国国内で使われていたものを提供していたが、それでは各国のニーズに合わないため、各々の提携校でニーズにあった教材作りを進めているところだと、率直に語った。彼のこれらの言からは、孔子学院総本部そのものが設立後間もないこともあり、運営上の規定などが完全に定まっていないので、米国や日本での孔子学院の活動はある程度成功をおさめているが、その他の国では不完全であるということが読み取れる。また教材作りに関しても、その具体的な作成基準などはまだ定められていないということなので、当分大きな進展はないと思われる。

このように現在の中国で、政府と民間から同時に孔子が持ち出されているのは、中国政府も人民も新モラルを希求しているからではないだろうか。中国では、今や共産主義道徳が完全崩壊し、資本主義あるいは市場での自由競争という美名のもとで拝金主義が全土を覆い尽くし、その結果、人民の間から安心や安全という言葉が奪い去られ、今や生存環境さえも破壊されようとしている。このような中で中国政府が孔子と儒教を復活させ、社会を安定させ、求心力を回復させようとし、同時に人民が孔子にやすらぎを求めようとするのは当然のことかもしれない。

私は昨年12月末、孔子のふるさとである山東省の曲阜を訪ね、寒風が吹きすさぶ中、孔子廟などを歩き回り、孟子廟まで行き、さらに孔子が弟子を連れて巡行したといわれる道をたどってみた。私は中国政府や人民が、いずれの時期にか孔子を持ち出し、新モラルの形成に向わざるを得ないであろうと予測していたので、その前に自らの肌で孔子の教えを感じ取っておきたかったからである。

曲阜には孔子を祀った廟や、歴代王朝が孔子を学ばせた学府がしっかり保存してあった。また広大な土地に、孔子とその子孫の墓がきれいに整備され、孔林と名づけられて保存されていた。また市の中心部に、立派な近代建築で、壮大な孔子研究院が建てられていた。ただし中に入ってみると、展示物なども中途半端であり、3階部分が未完成で、1階では孔子とまったく関係のないフランス人写真家の展示会をやっているような状態だった。私はここで、格調の高い論語の講義などが行われているにちがいないと思っていたので、がっかりした。曲阜全体が観光地化しており、儒教のふるさと、学問の府という感じはまったくしなかった。

孟子廟は曲阜の市外にあり、孔子廟から車で30分ほどの場所にあった。それは孔子廟と比べて格段に貧弱だったし、孟林も同様だった。私は孔子の気概を感じ取ろうと思い、車を降りてその周辺を2時間ほど歩き回った。そのあたりは一面に田畑が広がっており、豊かさを感じさせるものだった。真冬だったのでかなり寒かったが、それは難行ではなかった。私がかつてたどってみた釈迦の灼熱の大地での修行の道や、モーゼの岩山と砂漠の連続の苦難の旅と比べて、はるかに楽なものだった。私は、この自然環境が儒教の穏やかな根本精神を決定したのだろうと考えながら、大勢の弟子とともに巡行した孔子の様子を頭に浮かべ、のどかな平野に夕日が沈んでいく景色を眺め続けた。

今後、中国政府の手で、孔子研究院や孔子学院がどのように展開されるかは定かではない。しかし歴史上では、孔子と儒教が中国のみならず日本でも、為政者の手で人民教化のために利用されてきた経過がある。孔子学院に見られるような為政者の意図に、于丹氏が迎合したとは考えたくないが、この時期に偶然にも二つの流れが出てきたのも事実である。歴史とはそのような偶然が重なり大きなうねりとなり、社会が変革されていくと理解すべきなのであろうか。