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京大上海センターニュースレター
第190号 2007年12月6日
京都大学経済学研究科上海センター
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目次
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中国・上海ニュース 11.26-12.2
○上海に第3次ユダヤ人ブーム到来
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中国・上海ニュース 11.26−12.02
ヘッドライン
■ 中国:08年は石炭純輸入国になるか
■ 中国:中央経済工作会議召集、金融引締めの強化を決定
■ 中国:1−9月単位GDP当たりエネルギー消費3%減
■ 中国:省エネ、温暖化ガス削減に235億元
■ 中国:低所得者向け「廉租住房保障弁法」施行
■ 中国:湾岸産油国が沿海部に相次ぎ製油所
■ 中国:航空業界第4の勢力、大新華航空が市場参入
■ 中国:携帯電話の生産量、今年5億台突破の見込み
■ 中国:11月自然災害状況発表、干ばつの被害が深刻
■ 新疆:国内最大の内陸漁港、タリム盆地に建設中
■ 北京:人口1740万人に、今後10年は増加
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上海に第3次ユダヤ人ブーム到来
22.NOV.07
株式会社小島衣料代表取締役社長 小島正憲
ユダヤ人は、古くは北宋の時代にシルクロードを経由して首都開封に来たという。その数は約5000人。それらのユダヤ人は現地に同化してしまい、残念ながら、現在ではその痕跡を確かめることはできないという。このような例は世界的にも珍しく、現在、その同化の過程の学術研究が進められているそうである。
次に、ユダヤ人が大量に中国にやってきたのは、1840年代、アヘン戦争後のことであった。地中海沿岸にいたユダヤ人が2万人ほど香港へ来て、さらに上海にやってきたという。彼らは孫文などとも親しく接していたという。その後、ロシアのユダヤ人が約5千人、迫害を逃れて北方から上海にやってきた。この時期のユダヤ人たちの経済活動はめざましく、短期間に上海市内に商業ビル、病院、宗教施設、音楽学校、豪邸など多くの建造物を残した。しかしその後、彼らは共産中国を嫌ってそのほとんどが上海を去ってしまった。
ユダヤ人は、ケ小平の改革解放後、ふたたび上海に戻ってきた。それには三度のブームがあったという。まず1980年代、彼らは中国へ観光や短期のビジネスで訪れた。ついで1990年代中盤、中国とイスラエルの国交回復を受けて、外交官や学者そして企業家の来中が増えてきた。そして2000年以降、経済発展の目覚しい中国へ、多くの企業家が到来するようになった。ことに中国がWTOに加盟してからビジネスマンが激増し、またテロとも無縁の中国に、多くのユダヤ人観光客が押し寄せるようになった。
2006年度、ビジネスや観光で、短期間上海に来るユダヤ人は年間5万人を超えるようになった。また上海に長期駐在するユダヤ人は、1998年=約200名、2002年=500名、2005年=1000名、2006年=1500名と増加している。ユダヤ人の多くは米国やイスラエルから来ているが、ヨーロッパ、オーストラリア、カナダ、メキシコ、トルコなどの国からも入国している。これが今、第3次ユダヤ人ブームと呼ばれている実態である。
またこれらのユダヤ人を束ねる組織として、1988年上海ユダヤ社団中心が設立された。当初、15か国200名超の会員でスタートし、現在は500名を越えている。イスラエル領事館と連絡を取りながら、ユダヤ人の習慣に合わせて各種のサービスを提供している。また1988年にはユダヤ研究中心も設立され、上海の社会科学院の重点学科として認定され、1999年にはユダヤ研究工作室が認定された。ユダヤ歴史文化研究、イスラエル・米国のユダヤ研究、中国各地のユダヤ研究などを行っている。
めざとい中国政府や中国企業家はこれらのユダヤ人を厚遇し、その資金を導入しようと積極的に画策し、ユダヤ研究中心と共同していろいろなイベントを開催している。その中の代表的なものとして、2年ほど前から、上海ユダヤ人遺跡1日観光ツアーが催されるようになった。市内の各地に残されている戦前のユダヤ人の遺跡をめぐるこのツアーは、上海に来るユダヤ人観光客に次第に人気を呼ぶようになり、最近ではユダヤ人の中国観光の定番コースに組み込まれるほどになっている。このツアーはユダヤ研究中心が実施しており、昼食つきで1人70ドルほどであり、朝9時から始まり夕方4時ごろ終わる。電話で申し込めば受け付けてくれる。
今回、私はこのツアーに参加してみた。朝、指定の集合場所で中国人のガイドさんに会い、私が日本人であることを告げると、彼は怪訝そうな顔で、「私は日本人を案内するのがはじめてです。日本人がなぜユダヤ人の遺跡に興味を持つのですか」と聞いてきた。私が、「私のニューヨークの取引先にはユダヤ人が多く、彼らが上海にきたときにこの遺跡を案内するためです」と答えると、ようやく納得してくれた。ちなみに観光ツアースケジュールは下記のようになっている。
1.上海ユダヤ倶楽部 2.和平飯店 3.西摩路会堂 4.上海ユダヤ学校 5.摩西会堂
6.上海市少年宮 7.ユダヤ難民隔離区碑 8.ユダヤ難民避難記念碑 9.大公館飯店
これらの建造物はハルピンのユダヤ人遺跡ほど、重厚さはなく規模も小さい。しかしそれぞれの施設がきちんと保存されている。昼食はユダヤ人観光客用に、宗教色を配慮したベジタリアンレストランがセットされており、これも一興である。
このコースの中で、日本人の私にとって興味深かったのは、7.のユダヤ難民隔離区記念碑であった。それは虹口区の公園内にあり、ナチスドイツの迫害から上海に逃れてきたユダヤ人を、日本軍がナチス政府からの要請により隔離したことを記念した碑であった。ガイドさんの話しによれば、隔離区といっても、そのあたりにユダヤ人が約1万2千人住んでいたので、それらを簡単に囲った程度のもので、人道的なものだったという。私はこんな場所で、日本人とユダヤ人の間にこんな接点があったということを知って驚いた。
また、当時、欧州から逃げ出すユダヤ人のために、中国の在オーストリア:何楓山大使が大量の通過ビザを発給したという。そのおかげで2000人ほどのユダヤ人が上海に来ることができたそうである。そこには、まさに日本の杉原千畝リトアニア大使の中国版が存在していたのである。これは日本ではあまり語られていない事実でもあり、ガイドさんのその話には、ユダヤ人観光客ともどもしばし感動した。
さらに私はこのツアー中に、それぞれの場所でかなりの数のユダヤ人観光客に出会い、その多さにびっくりし、第3次ユダヤ人ブームを実感することができた。
この1日観光ツアーの申し込み先は下記ですが、中小企業家
だきますので、必要な方は成田までお申し込みください。一つの上海の歴史観光としておもしろいと思
います。ただし日本語ガイドはいませんので帯同してください。もちろん英語は可です。
申し込み先 : 上海ユダヤ研究中心 上海淮海中路622楼7号476室
TEL 021−63844022 FAX 021−53510041