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京大上海センターニュースレター
第200号 2008年2月14日
京都大学経済学研究科上海センター
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目次
○国際セミナー「中国社会主義新農村建設下の農業問題」のご案内
○
中国・上海ニュース 2.4-2.10
○琿春と岐阜県満州開拓団
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上海センター国際セミナー「中国社会主義新農村建設下の農業問題」のご案内
主催 京都大学大学院経済学研究科付属上海センター
京都大学人文科学研究所現代中国研究センター
協力 京都大学上海センター協力会
会場 京都大学経済学研究科大会議室
2月18日(月)
開会挨拶 9:40-
第1セッション「グローバル化の下における中国農業の産業化と貿易」10:00−12:00
山本裕美(京大)「中国の農業発展と貿易戦略」
第2セッション「中国の少数民族自治区における農業」13:30−16:50
大西広(京都大学)「寧夏自治区東部貧困県の平均的回族家庭の生活状況について」
中林吉幸(島根大学)「寧夏南部山区における農業生産と雇用創出」
張冬雪・ウマルジャン=アイサン(京都大学)「新疆ウイグル自治区における兵団農業と地方農業」
2月19日(火)
第3セッション「中国農業と環境問題」10:00−12:00
張玉林(南京大学)「中国の環境戦争と農村社会」
第4セッション「中国農業部門における労働移動と土地問題」13:30−15:30
厳善平(桃山学院大学)「『民工荒』現象の社会経済的背景」
徐林卉(立命館大学)「土地使用権買い上げと農民の社会保障問題」
第5セッション「中国の林業問題」15:50−17:50
宮崎卓(京都大学)「中国・インドの植林実施体制比較」
劉春發(京都大学)「中国南方集団林地域の経営組織の発展」
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中国・上海ニュース 2.4−2.10
ヘッドライン
■ 中国:送電網復旧に13万人緊急動員
■ 中国:07年天然ガス生産量23%増
■ 中国:観光業者、豪雪で春節期間の国内観光収入70%減
■ 中国:日本に次いで世界2位の奢侈商品消費国に
■ 鉄鋼:宝鋼、BHP
Billiton社と鉄鉱石長期供給契約に調印
■ 自動車:07年の乗用車輸入台数は14万台
■ 鉄道:石炭輸送用車両数、一日4万2千台で新記録
■ 山西:石炭の可採年数は200年以上
■ 上海:外資系企業、昨年の利益が1千億元突破
■ 北京:旧正月の爆竹・花火で死者1人 眼球摘出1人
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琿春と岐阜県満州開
28.JAN.08
株式会社小島衣料代表取締役社長
2005年4月、私は工場の立地調査のため琿春市を訪れた。まず琿春市長と面談し、市の概況を尋ねた。そのとき琿春市長がわが社のパンフレットを見て、本社が岐阜県だということに気づき、私に琿春市と岐阜県とは縁が深いと話してくれた。戦前、琿春市に岐阜県の朝日・和良・高鷲の3村が開拓団として入植していたというのだ。それを聞いて私は、その奇縁にびっくりした。なぜなら小島衣料本社には、30年ほど前、その和良や
琿春の冬は寒かった。ことに残業で夜遅くなって、工場から宿舎まで寒風に吹きさらされながら帰るときは、その寒さで身が切られる思いだった。そんなとき私は「戦前の岐阜県人はよくもこの寒さに耐えて開拓に携わったものだ。俺も負けてはいられない」と思いながら、背を丸め歯をくいしばり足早に歩いた。やがて春も過ぎ、短い夏を迎えた。琿春の夏はけっこう蒸し暑かったので、汗をかきながら真っ暗な夜道を歩いた。
1年ほどたったとき、満鉄研究家の安部先生から琿春の岐阜県満州開拓団の古地図を見せてもらった。それを見て驚いた。私の工場は
その後しばらくして、琿春市の関係者から、岐阜県満州開拓団の様子を聞くことができた。話によれば、高鷲や
日本に帰って、私は満鉄の資料や満蒙開拓団の書物、岐阜県開拓団史、
その結果、岐阜県開拓団は入植後わずか5年で、この地から逃げ出すことになった。ソ連の参戦によって、国境沿いの琿春に入植していた岐阜県開拓団は真っ先にソ連兵に攻撃され、多くの岐阜県人が琿春の地で死んでいった。生き残った岐阜県人も必死に逃げまどった。その悲劇の模様も書物に、はっきりと記述されている。私は同じ岐阜県人として、これを涙なしには読むことができなかった。
しかしながら、これらの書物を読み進めるうちに、意外にも、逃亡の最中に中国人に助けられた日本人の話が多いことに驚いた。ソ連兵に追われていた日本人女性が中国人の家にかくまわれた話、行き倒れ寸前になっていた男性が中国人からおかゆをたべさせてもらい、体力が回復するまでその家に寝泊りさせてもらった話、日本人が中国人の家に物乞いに行ったらなんどもめぐんでくれたので、それで多くの日本人が食いつなぎ生き延びた話、死にそうになった日本人の子供を中国人が喜んで引き取ってくれ、わが子同然に育ててくれた話などなど。普通に考えれば、日本人が勝手に中国にきて、土着していた中国人からむりやり土地を取り上げ放り出したわけだから、日本人は全員、彼らからたたき出されても文句の言えるすじあいではなかった。だから殴られた人や財産を盗られた人もいたが、それで中国人を責めるわけにはいかない。むしろそのような中で、多くの中国人が日本人を助けたという事実、その寛大さにこそ注目すべきであると思う。
中国人のこの暖かい行為に、日本人は感謝すべきなのではないか。私は心の底からそう考えていたので、昨年、琿春工場に取材にきた日本の新聞記者に、
私はできれば
このような私の主張は、日本では売国奴扱いされるかもしれない。またいたずらに中国を持ち上げ、夜郎自大化させるべきではないとの批判が寄せられるだろう。勇ましい反中愛国者からは、中国に対しては力で対抗すべきであって、下手に出るべきではないとの非難も浴びせられるであろう。私はそれに反対ではない。しかしとかく日本人は国論を一枚岩にすることが好きで、異論異説を排除しがちである。高度に発達した民主主義社会である日本は、少数意見や異論を排除すべきではなく、それに耳を傾ける余裕がなくてはならないと思う。また日本外交には硬軟両様の戦略戦術が必要であるし、相手国とは表裏両面での接触を駆使しなければ勝てないと考える。だから私のこのような行為は一見して日本世論に逆行するようではあるが、今後の日中関係を考えた場合、か細いバイパスではあるが、必要ではないかと思う次第である。
岐阜県人の私が奇しくも、60年の歳月を経て、同じ場所に仕事をしにきている。私は中国人を追い散らして工場を建てたわけではない。むしろ中国人に職場を与え、琿春市にも多大な貢献をしている。しかし見方を変えれば、中国人の安い労働力を利用して利益をあげているわけであり、それは収奪とも言える。それは戦前の日本人と同じ類の行為だともいえる。だから私は、いつなんどき私の周囲に戦前の再現が起こるかもしれないと腹をくくっている。そしてもしそのようなことが起きたときは、中国人の寛大な態度に、再び救われることを確信している。