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京大上海センターニュースレター
211号 200851
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

      中国・上海ニュース 4.21-4.27

○実況速報 : カルフールと聖火リレー

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中国・上海ニュース 4.21−4.27

ヘッドライン

■ 山東:列車衝突事故で71人死亡

■ 安徽:阜陽で手足口病、児童ら1884人感染19人死亡 

■ 中国:1-3月、都市部で300万人が新たに就職 

■ 中国:肺ガンがガンによる死因の第1位に

■ 中国:鉄道部中期手形200億元、初発行

■ 中国:河川航路13万キロ超で世界1位

■ 香港:3月の小売業売上総額、2割増の226億HKD

■ 上海:「メーデー」、結婚披露宴がラッシュ

■ 上海:虹橋空港拡張工事、認可を受けた

■ 北京:前門の路面電車が復活、「ウルトラ・コンデンサ」で充電走行

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実況速報 : カルフールと聖火リレー

30.APR.08

香港:美朋有限公司 董事長 小島正憲

☆ソウルの聖火リレーでは、チベットの旗は1本も見当たらなかった。                          4月23日:中国上海市・カルフール(家楽福)古北店

・店の周辺はきわめて平静で、抗議行動の類はまったくなし。また店側も謝罪文などの掲示はなく、通常通りの営業。ただし店内の客はかなり少なく、通常の半分ほどの様子であった。いつもは上りのエスカレーターが2台稼動しているのに、この日は1台が停止しており、節電のためと張り紙がしてあった。店員たちに売り上げ状況を聞いても口を濁すばかりであったので、仕入れ業者に聞いたところ、売り上げはまちがいなく半減しているという。

・日用品を買って、カルフールのレジ袋に入れて持って帰ったところ、私の宿舎の門前で、門衛に呼び止められ、できるだけカルフールで買い物をしないようにと、不買運動への協力を求められた。            

4月24日:中国上海市・フランス領事館                                            

・上海フランス領事館は広東路の海通証券大厦の2階にあった。周辺では抗議行動などの形跡はまったくなかった。そのビルの入り口は狭い路地に面しており、なおかつ道路が工事中であったため、車がかなり渋滞していた。このビルには、交通銀行や中国の一般の会社が同居していた。壁面に会社名などが記された銘版があったので、カメラに収めようとしたら門衛に制せられた。                         

・2階のロビーには30人ほどのビザ申請者が大きな声で話していたが、抗議行動などにはまったく無関係の様子だった。                                                           4月24日:中国上海市・カルフール中山公園店

・まったく平静。騒動の形跡も予兆もなし。ただしやはり売り上げは半減しているという。                4月26日:日本長野市:聖火リレー

・朝7時、JR長野駅周辺はすでに、各所でチベット旗(雪山獅子旗)と中国旗(五星紅旗)が林立し、大型マイクなどでのアジテーション合戦が始まっており、騒然としていた。しかしそれぞれのグループが道路をはさんで反対側に陣取りしており、警察がその間に割り込んで警備し、それらのグループが接触して騒動を起こすような状況は防がれていた。

・中国旗のグループは、明らかに留学生と思われる若者ばかりで、30人から100人ぐらいの単位でグループに別れていた。所属を示した旗などはほとんど持っていなかったので、どのような組織から動員されているかは不明だったが、それぞれに指導者とおぼしき年配者がついており、彼らが熱くなりがちな青年たちを抑えている様子だった。それらの中国人留学生はざっと2〜3千人ぐらいと思われた。駅から1kmぐらい離れた場所に、「東京華人ネット」と書かれた大型バスが2台あった。またグループが陣取っていた場所の後ろに回ってみると、水や食料品の段ボールケースが10個ほど積み上げられており、それぞれにしっかり準備し組織されているようであった。彼らは中国旗と「日の丸」の小旗を持ち、顔にも両国のワッペンを貼って、「中国加油(がんばれの意味)」の連呼をしていた。また中型の「日の丸」も多く、彼らの手で打ち振られていた。

・チベット旗グループは、明らかにいくつかの組織に分かれていた。人権派と見られるグループ、労働組合

グループ、チベット人グループ、「草莽崛起」と書いた黒Tシャツを着たグループなどが、それぞれ20〜50人ほどで、塊をつくって陣取っていた。総勢では多くて300人ぐらいか。そのグループ間の交流はなかった。チベット人グループは目の部分を黒い布で隠し、無言でプラカードを掲げていた。労働組合グループは日本の中年男女が多く、アジテーションやシュプレヒコールのやり方を聞いていると、昔の学生運動を彷彿とさせるものだった。人権派グループはチベット旗とプラカードを持って「フリーチベット」を大声で連呼していた。「草莽崛起」グループはチベット旗と「日の丸」を振って、これまた「フリーチベット」をマイクで連呼していた。

・警察が要所に配置されており、小競り合いがおきそうな場所には、迅速に移動して騒動になるのを未然に防いでいた。両陣営間で、激高した論争はあったが共に冷静で、殴り合いや投石などはなかった。両陣営がともに自分たちの旗と「日の丸」を両手に持ち打ち振っている光景が奇妙だった。ただし彼らの論争を聞いていると、中国旗側は、「チベットは中国の領土だ。お前たちはチベットに行ったことがあるのか」などの単純な言葉を投げつけるだけであり、チベット旗側は、「弾圧反対」の声で応じるのみであった。私が双方に紅軍長征時のチベット族の行動や50年代の人民公社化の行き過ぎとチベット動乱などについて聞いてみても、まともな答えは返ってこなかった。ことに中国の若者たちは、それらの事情をまったく知らなかった。

・右翼の街宣車は見当たらなかったが、群集の中には、軍装で六文銭の旗を掲げた老人がいた。問いかけてみたところ、真田家の末裔であり、聖火リレーを見に来たという。

・「国境なき記者団」のロベール・ベルナール氏が10時半ごろ、突如として長野駅の2階に現れ、壁面に例の黒手錠五輪の横断幕を掲げた。そこは数分前まで中国人グループが陣取っていたところで、なぜかそのとき、彼らが立ち去りそこに空間ができたので、その間隙をついた形だった。すぐに駅の係員がかけつけ撤去を促すと、彼らは抵抗することなく、すんなりと幕をたたんだ。彼らはそのままニコニコ笑いながら、駅の中央の方へ去った。それをマスコミが追っかけた。「国境な記者団」の闘士たちの顔には、悲壮感や使命感などがまるでなく、あたかもその行為を楽しんでいるかのようだった。私のカメラには彼らの笑顔がしっかり収まっている。当然のことながら、彼らは中国旗グループとの正面からの論争をまったく行っていなかった。

・その後、中国旗グループ、チベット旗グループの双方が、ともに聖火リレーといっしょに動いて行き、長野市の聖火リレーは大きな騒動がなく終わった。

4月27日:韓国ソウル市:聖火リレー

・五輪公園から市庁舎前広場までの22kmを80人でリレー。警察が8000人体制で警備した。

午前11時30分、聖火リレーの出発点のソウル市内の五輪公園にはすでに中国旗が林立していた。その後午後2時の式典を目指して、続々と中国人留学生が集まってきた。その数は1万人をはるかに超えていた。それぞれに「韓国技術大学留学生会」・「鮮文大学中国留学生会」・「仁済大学中国留学生」・「嶺南大学校中国留学生連合」・「東洋大学留学生」などと出身大学を記載した横断幕を掲げ、隊列を組んで行進してきた。中国人留学生たちは韓国旗(太極旗)の小旗を持っていたが、中型旗はまったく持っていなかった。また顔に中国旗のワッペンを貼った若者が多かったが、韓国旗のワッペンはまったく貼っていなかった。五輪公園は、中国旗に完全制圧されて、中国の天安門広場と化していた。たまたま通りかかったおばさんが、顔をしかめて、「ここは韓国なのになぜ中国人が騒いでいるのか」と大声で怒っていた。

・チベット旗は皆無であった。チベット問題を訴える人たちは10名足らずでプラカードを掲げるのみであった。広い公園内を探して回ったが、このグループの他には、韓国人のおじさんがたった一人で、手製のゼッケンをつけて抗議しているのみだった。もちろんすぐにこの人は、中国旗グループの大勢の若者に十重二十重に取り囲まれ、警察の保護を受けてそこからやっと脱出できる有様だった。それでも彼はまた場所を変えて抗議行動を行っていた。その後もチベット旗を一生懸命探したが、最後までみつけることはできなかった。

・脱北者の支援グループが中国に大規模な抗議をすると伝えられていたので、公園内をくまなく探した。すると公園のかたすみに50人ほどのおじいさんばかりのグループがいた。そのうちの1人に聞いてみると、今日は雇われてここに来たという。そのうち主催者とおぼしき人が、彼らに鉢巻とゼッケンを渡した。彼らの中にはゼッケンのつけ方がわからず手間取っている人や、英語で書かれた鉢巻を上下反対に締めている人もいた。ゼッケンやプラカードには、脱北者に対する中国政府の態度への抗議文が書かれていた。すぐに中国人グループが詰め寄ってきたが、老人ばかりで拍子ぬけしたようで遠巻きにするだけで終わった。もちろんすぐに警察がかけつけたのでここでは騒動が起きなかった。

午後1時ごろ、公園とは往復8車線の道路を挟んだ反対側に、脱北者支援グループの横断幕が掲げられた。警察がざっと動いたので、私も走ってかけつけた。ここにも50名ほどのおじいさんばかりの日雇いグループが結集しており、リーダーとおぼしき人が3人で、大きなマイクを持ちアジテーションをはじめた。警察がその周りを300名ほどで完全に固めた。この光景をみつけた中国人グループが道路の反対側で気勢を上げた。その前にも警察が100名ほど集結して暴発を抑えた。

午後2時20分、まずコカコーラ・サムソン・レノボの宣伝カーが出発し、韓国や中国のTVの車、五輪関係者の車などが続いた。その後に、騎馬警官4名、白バイ30台の先導で、警察官100名ほどに伴走されて、聖火は五輪公園を出発した。中国人留学生の国歌の一大合唱に続き、「中国加油」の連呼が公園を圧した。

・聖火リレーが過ぎ去り、警察も聖火に沿って警備場所を移動した。その瞬間、広場に残っていた一群の留

学生が道路の反対側の脱北者の支援グループに向った。警察もあわてて警備に戻ったが少し遅れた。そ

こでは両グループの衝突が起き、罵声が飛び交い、ペットボトルなどが投げつけられ、旗の棒も飛んだ。しかし中国人留学生の相手は、日雇いの老人たちと3人のリーダーだけだったから、大喧嘩にはならず、ほどなく収まった。それはいわば番外編というところだった。

・五輪公園には、チベット旗は最後まで1本も見当たらなかった。

「国境なき記者団」の手錠五輪の黒の横断幕も、まったく見当たらなかった。

韓国の太極旗もまったく打ち振られなかった。

その後、若干の混乱はあったが、ソウル市の聖火リレーは無事終わった。                                                               

                                                                  

≪チベット騒動とその後の予想外の展開≫

チベットに端を発した騒動は、多くの人の予想外の結末を迎えようとしている。すでにチベット問題は主役の座を降りてしまっているからである。ソウルに1本のチベット旗もなかったことが象徴的にそれを表している。なぜこのような展開になったのか? 今回の騒動の経過を以下のように振り返ると、中国政府も世界の各国も、事態がこのように展開することをまったく予想していなかったことがよくわかる。またそれらの対応を一変させたものが、中国人の愛国運動であったことがはっきり浮かび上がってくる。

@3/14 チベットのラサで僧侶などが抗議行動を起こす。死傷者が多数出た。

A3/18 温家宝首相、全人代でチベット暴動をダライ・ラマの「五輪破壊狙いの謀略」と批判。

A3/24 ギリシャの五輪聖火採火式に、「国境なき記者団」が乱入。

C3/25 仏のサルコジ大統領、五輪開会式不参加もありうると発言。

D4/06〜 西欧各地の聖火リレーに、沿道から妨害。パリの聖火リレー、抗議行動のため途中で打ち切り。

E4/09 米国・サンフランシスコの聖火リレーは、混乱を避けるためコースをまるごと変更。

F4/10 ダライ・ラマ、日本訪問中に「聖火リレー妨害や暴力行為の停止」を声明。

G4/18〜 中国で反仏抗議デモ多発。不買運動が起き、カルフールの売り上げは半減。

H4/20 中国政府、「秩序ある愛国主義」を呼びかけ。反仏デモの自制を求める。暴徒化を懸念。

I4/21 仏上院議長、訪中。両国の関係悪化の回避に。

J世界各地で聖火リレーが妨害され、それが中国人愛国運動に発展。インターネット上での情報が増幅。

K4/25 中国政府、ダライ・ラマ側と対話へ。事態の収拾に向けて動き出す。

L4/26 中国高官、ラサ暴動で現地当局の対応批判。

M4/26、27 日本・韓国では、警察は聖火リレーへの妨害行為よりも、中国人留学生の暴走を警戒。

N4/27 韓国では、とうとうチベット旗も「国境なき記者団」も登場せず。中国人留学生の大デモ。

                                                                   

≪余談≫

1.チベット騒動についてコメントできず。

3月中旬、ラサでチベット族の騒動が起こったとき、私は多くの人からいっせいにコメントを求められた。

残念ながらそれらに即答することができなかった。確かに北京五輪はチベット族がその窮状を訴えるには絶好の機会であった。これはかつての天安門事件のとき、学生たちがゴルバチョフ訪中時の効果を狙ったのと同じ手法である。だからこのタイミングについては理解できるし、結果として世界の耳目を集めたわけだから、それは大成功だったといえるだろう。

しかしながら私は、チベットの状況については情報不足で判断できず、しかも実際の弾圧の現場を見たわけではなかったので、真偽を断定することができなかった。10年前にラサに行ったことがあるし、また昨年わが社の社員がラサに入っており、ラサ市内の状況について報告を受けていたので、一般の人よりは情報が多かったし、チベットの歴史についても若干の認識(下記)を持っていたが、これらの断片的な知識や情報だけでは、軽はずみな発言はできなかった。

かつて毛沢東率いる紅軍が長征のとき、チベット族やウィグル族と激しい戦闘を行った。他の少数民族の地域は意外にすんなり通ることができたが、この地域だけは簡単ではなかった。たとえばウィグル族との戦闘では紅軍女性部隊の2000人が捕虜となり、奴隷として売り飛ばされてしまったという。チベット族との間でも同様の激戦が展開されたという。したがってその怨念から、解放後中国政府は両族を徹底して制圧したと思われる。またチベット社会自体が、開放前は農奴社会であり決して望ましい社会ではなかったという歴史を持っていた。だから中国が開放という名目で両族を制圧したことを、一方的に非難することは正しくないと思う。反面、50年代末の急激な人民公社化がチベット族に大きな損害を与え、それがチベット動乱につながり、さらなる弾圧を生んだという歴史も忘れてはならないだろう。

2.瀘定橋視察断念。

3/21の読売新聞に瀘定橋の記事が載った。瀘定橋とは四川省の康定県にあり、長征のときの最大の激戦地である。一般にその戦闘は大渡河作戦と呼ばれている。私は長征に興味を持っているので、かねてからこの地にはぜひ行ってみたいと思っていたが、なかなかその機会がなく行けずじまいで終わっていた。この日の読売新聞には、この瀘定橋周辺が、「紅軍が最初にチベット人社会を支配下に収めた革命の根拠地」であると書いてあった。この記事を読んで、私はすぐにでも飛んで見に行きたいと思った。騒動以後、チベットへの外国人旅行は禁止されていると聞いていたが、この地は四川省であり、ひょっとすると瀘定橋へ行けるかもしれないと思い、だめもとで旅行社に依頼してみた。するとすぐに、日本人でもOKの返事があり、旅程表と値段の見積もりまで来た。

私は大喜びですぐに申し込み、旅行の準備をしていた。ところが出発の4日前になって断りの連絡が入った。外国人は旅行禁止だというのだ。始めから日本人だということを明記して申し込み了解をとっていたので、それには強く文句を言った。しかし旅行社の上司がわざわざわが社に来て、事情を説明し丁重に謝罪したので、結局あきらめることにした。彼の言によれば、受付担当者ベースには外国人不可の通知はなされておらず、上司の段階で不許可にするようなシステムになっているというのである。それでも私は再度、かなり粘って頼んでみた。しかし彼も引き下がらなかったので、可能になったらすぐに連絡してもらうということにして、瀘定橋行きをあきらめた。

その後、せめて自分の行動範囲内で、このチベット騒動の関連事態の速報を発信しなければと思い直し、まず上海滞在中にカルフールと仏領事館に行き、すぐに帰国し長野の聖火リレーを見て、その足でソウルへと飛び、聖火リレーの追っかけをしてみることにした。

3.踏み絵となった聖火リレー。

この数年で、中国は「世界の工場」から「世界の市場」へ大きく変化した。中国は売り手から買い手へと大きく変わったのである。俗に世間では、買い手のことを「お客様は神様である」と表現する。つまり中国は各国にとって「神様」に変わったのである。これは世界における中国の地位を大きく変えた。

仏のサルコジ大統領は、この変化を見抜くことができず、中国批判を展開したため中国全土で反仏騒動が起き、仏資本の量販店:カルフールの不買運動が展開されたのである。中国人民の不買運動は見事に成功し、中国全土の112店舗に及ぶカルフールの売り上げは半減したと思われる。カルフールはあわてて五輪支持を打ち出したが、趨勢は変えられなかった。この反仏愛国不買運動には、携帯電話のショートメールやインターネットが決定的な役割を果たした。若者たちの間で、「カルフールで買い物をしないように」というショートメールが飛び交い、さらにそこには「メールを受け取った人は、ただちに20人の友人に転送してください」というおまけもついていたという。これであっという間に不買運動が全国に行き渡ったようである。加えてネット上では、カルフールの大株主であるルイヴィトンのアルノー会長が、ダライ・ラマに資金援助をしているというガセネタまで流れた。カルフール側はそれを躍起になって打ち消したが、この状態が続くとカルフールは経営不振に陥りかねないという事態に立ち至った。そこでとうとう仏上院議長が訪中し、関係打開の道を探さねばならなくなったのである。

おりしも日本のイトーヨーカドーは北京で10店舗展開を発表したばかりだったし、北京で4/22に開かれたモーターショーでは、トヨタの社長が中国市場への売り込みのため熱弁をふるっていた。このように今や日本の代表的企業も中国市場へ大きく進出しようとしているのである。このような時期に日本製品の不買運動が起こったら深刻な被害が出る。反仏騒動とは比較にならないだろう。したがって日本も今後の巨大化する中国市場を失うわけにはいかないので、「お客様」の中国に少々のことがあっても頭を下げざるを得ない立場になっているのである。仏の失敗の先行体験は日本にとってよい教訓であった。日本の関係者はチベット問題についての発言に慎重にならざるを得なかったし、日本での聖火リレーは是が非でも成功させなければならなかった。このような中で、4/24、ビジネス関係者を中心にして、北京で「北京五輪・パラリンピックを応援する中国在留日本人の会」が発足した。これは現在の日本人の中国におかれている立場をよく代弁したものである。ちなみに同会の名誉顧問は宮本雄二大使である。

私は今回の事件で、期せずして中国政府は大きな武器を手に入れたと思う。結果として世界各国の聖火リレーへの対応が、中国を「お客様」として扱うかどうかの踏み絵となったからである。

4.若者の暴発を警戒する中国政府。

今回の聖火リレー騒動を、中国政府はできるだけ穏便に済まそうと考えた。中国政府は文革や天安門事件のときのような若者の暴発を恐れたからである。4月20日の人民日報は、「合法的で秩序ある愛国主義の表現」を呼びかける署名論文を1面に掲げた。これは北京五輪の聖火リレーなどに抗議する反仏デモを、さらにエスカレートさせないよう冷静な対応を求めたものである(時事速報:4/21)。このような主張は人民日報紙上で3日間続けられた。それにもかかわらず、反欧米デモは中国各地で続き、武漢・西安・ハルピン・大連・済南・北京・合肥・深圳などの18都市以上に広がった。ネット上では、5/01のメーデーに合わせて、カルフールに抗議行動を展開しようという呼びかけも行われている。北京の外交筋によれば、中国当局は暴徒化を懸念し、それらを懸命に抑えにかかっているもようだという。

もし長野の聖火リレーで大規模な妨害行為が発生したら、その場に集まった留学生らが反発し、それが中国国内の反日感情に火をつけることは確実であった。もしそうなれば中国国内で日本が仏に続く標的となり、2005年の反日デモの数倍の規模の騒動が起きると予想された。さらにそれが中国政府への批判へと飛び火することも恐れられた。このような状況の中で、4/24、中国外務省の姜報道局長は、長野で開かれる聖火リレーについて、「日本側が積極的で有効な協力を提供し、順調に安全に行われると信じている」と述べ(時事速報:4/25)、日本の警備当局への期待を表明した。さらに崔天凱駐日大使は、聖火リレー終了後、4/26夜中国大使館で聖火を歓迎するレセプションを開催し、あいさつで聖火リレーが成功したと強調し、これを追い風に胡国家主席の訪日と五輪を成功させようと呼びかけた(時事速報:4/28)。ともかくこれで、日本の聖火リレーでの妨害行為が原因となって、中国の若者が暴発する事態は避けられたわけであり、日中双方の政府がひとまず安堵する結果となった。

現在、中国人留学生の心理状態は屈折したものとなっている。多くの中国人留学生にとって、日本での留学生活は決して豊かなものではなく、日本人若者の優雅な生活を横目にアルバイトに精を出さなければならないという日常生活を送っている。彼らは高度に発達した日本と現状の中国を比較して、個人としては劣等感を持っている。それでも十数年前とは違い、中国の経済成長に自信を持ち始めており、やがては日本を追い越すという自負も持っている。さらに現在の留学生はほとんど一人っ子であり、幼少期をわがまま放題の小皇帝として育ったものが多い。その彼らが日本に来て劣等感にさいなまされ、その反動として心底に、めざましい経済発展に裏打ちされた大国意識を持つようになってきているのである。

今回、そのようにきわめて屈折した心理状況におかれている若者たちに、聖火リレーという形のガス抜きの機会が与えられたわけであり、彼らがそこで暴発する可能性はきわめて高かったといえる。それでもひとまずその危機は去った。 

5.チベット騒動は終結。

北京五輪とチベット騒動は、中国政府や世界各国の思惑や予想を超えて進展していったが、それぞれの努力によって、ひとまず終結の方向に進んでいる。今後、紆余曲折は予想されるが、おそらく中国政府はこれを乗り切るであろう。しかし中国経済には五輪・万博後不況とバブル崩壊の同時襲来という大問題が控えている。これに今回のような民族紛争が重なった場合、中国政府は人民の暴発を統御できなくなる可能性が大きい。

今回、中国人若者の傍若無人な行動を、テレビなどで目にして苦々しく思った日本人が多かったと思う。

しかし彼らのこのような行動がエスカレートすることはないだろう。なぜならバブル崩壊後、中国経済は奈落の底に落ち込み、中国人は再び自信をなくし、若者は現実に目覚め正気に戻るからである。そこで大国主義に裏打ちされた愛国運動は終焉する。そして他国に来て傍若無人に振舞う中国人若者の姿は消え、真摯に学ぶ中国人留学生の姿に戻る。これはバブル崩壊経験者である日本人の体験でもある。