京大上海センターニュースレター
220号 200874
京都大学経済学研究科上海センター

 

目次

○中国・上海ニュース 6.23−6.29

○中国の近況と中国、ロシア、北朝鮮3ヶ国の国境交流とシベリア鉄道活性化の“兆し”について〜海外最新事情〜(上)

     自衛隊機のテント輸送:後聞

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中国・上海ニュース 6.23−6.29

ヘッドライン

■ 上海:男性、刃物で上海閘北公安支局に突入、警察ら10人殺傷

■ 中国人民銀総裁:インフレ対策強調、金融引締め政策継続 

■ 貴州:大規模暴動で県党政機関焼き討ちされ、50数人拘束

■ 中国:国家信息センター予測、GDP伸びは10.3%に

■ 中国:上半期の国内株式市場、 損失14.8兆元

■ 中国:神舟7号宇宙船、今年10月に打ち上げへ

■ 北京:北京−天津間高速鉄道の試運転が開始

■ 天津:アジアとヨーロッパを結ぶ初のコンテナ列車が開通 

■ 南京:上海−南京間都市高速鉄道が起工式、2010年7月完成予定

■ 上海:不動産市場、外国人の購入増

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中国の近況と中国、ロシア、北朝鮮3ヶ国の国境交流と

シベリア鉄道活性化の“兆し”について

〜海外最新事情〜(上)

 

(社)大阪能率協会 副会長 アジア中国事業支援室最高顧問

                    京都大学上海センター協力会 副会長

                                    元住友銀行 取締役

大森經

 

はじめに

 

 早速ですが、私は20012月に65才で住友銀行の関係会社社長を退任すると同時に、かねてから計画していた中国西安市の西安交通大学へ1年間語学留学に行き、中国語を学ぶと同時に巾広く中国国内を視察旅行し、多くの交流をし、多くの友人を得ました。20022月に帰国後も、当協会の中国事業支援室や京都の日中友好経済懇話会及び京大上海センターの教授方と共に中国視察旅行を続け、この3月の武漢、三峡ダム、廬山、景徳鎮、南昌視察をもって、西安留学時に決意した中国の全省自治区直轄市31地区を全て訪問する目的が「大願成就」し、大いなる達成感と共に充実した満足感を味わっています。この間の中国内総走行距離は約12kmで、丁度地球3周分位になりました。結局帰国後6年間の中国訪問は30回に及びましたが、この内単なる観光旅行は1回のみです。

 そこで本日の講演は、この中国全地区の訪問視察完了を記念し、前半はこの7年間強の間に中国で起った政治経済社会の重要事項を報告すると共に、私が体験した諸事についても、時間の許す限り報告させて頂きます。後半は3ヵ国国境交流とシベリア鉄道活性化の“兆し”について報告したいと思います。

 

1.留学前の話ですが1999年に母校の岡山県立和気閑谷高校(岡山藩の旧閑谷学校の後身)が創学330周年に際し、孔子の生れた中国山東省曲阜の曲阜一中と友好学校協定を締結し、その調印式に参列しました。その時先方は孔子生誕2550周年記念の曲阜国際孔子文化祭の前夜祭と開会式の日で、その両方に参加しました。その開会式で、当時の中国共産党No.4の李瑞環政治局常務委員が「今後の中国にとって孔子の儒家思想が大事で、今後曲阜市をはじめ全国に孔子大学か孔子学院を作る」と挨拶していました。一方米国からはロックフェラー3世が招かれており、同様の挨拶をしていました。文化大革命の折、批林批孔として攻撃を受けた孔子の復活場面でした。その式典後北京の天安門広場へ行くと、丁度建国50周年の国慶節記念式典を3日後に控え、広場を二分する形で左右に横断幕が張られ、左側に「慶祝中華人民共和国成立50周年」、右側には「ケ小平理論の偉大な旗を高く挙げ、新世紀に向けて頑張ろう」と赤字に白抜きで大きく書かれていました。その真中に天安門の毛沢東の肖像画と相対するかたちで、全く同じ大きさ、同じスタイルの孫文の肖像画が掲げられていたのを見て、一同はびっくりしました。孫文は第一次国共合作をやったとはいえ、蒋介石の親玉の国民党の党首だった人なので、ガイドに今迄建国以来国慶節には、ここには誰の肖像画が掲げられていたのか、と聞きますと、マルクスとレーニンの肖像画が掲げられていたのだそうです。

 ベルリンの壁の崩壊後モスクワの赤の広場ではレーニンの大きな銅像が倒されましたが、それと同じことが建国50周年の今、ここ中国でも起こっている、と直感しました。だから孔子と孫文が復活して来たのでしょう。

 

2.20012月末に西安交通大学へ行きましたが、当初の23ヵ月間は、大学内もテレビも「法輪功」糾弾の集会や放送で一杯でした。がその後は「三つの代表」という話ばかりになり、中国人の教授、助教授方まで勉強会の連続だが、どうも内容が今一つ分りにくいと苦労しておられました。時間の都合で結論だけ申し上げますと、丁度中国共産党成立80周年の節年でもあり、「労働者農民の党」から「企業家も含めた全国民を代表する党」へ脱皮する理論的根拠とされたもので、その後第16回党大会で党規約にも入れられました。この結果、私的企業家も入党申請が出せる様になり、合格すれば党員になれるようになりました。ただし、宗教家はまだ党員にはなれません。

 このほか中国共産党成立80周年記念事業として有名なものに西部大開発四大プロジェクトがあります。記念日の200171日を期して同時着工され、すでにタクラマカン砂漠の天然ガスを上海迄(4,167km)パイプラインで持って来る件と青海省とチベットを継ぐ青蔵鉄道(ゴルムドーラサ間1,118km)は完成し、三峡ダム(総発電能力2,240万キロワット)も来年には完成予定で、残るは南の水を北へ運ぶという「南水北調」政策が一番遅れています。一方テレビでも「長征」や「朱徳伝」などが夫々約1ヵ月間、毎日放映されていました。

 2001年にはもう1つ大きな周年行事がありました。それは辛亥革命(1911年)90周年記念行事です。これは孫文を中心に武昌蜂起から始ったもので、3000年の封建制を打破し、近代中国への道を開いたものとして、全国で盛大な式典や、記念展が行われ、テレビでは約1ヵ月間「孫文伝」を毎日放映していました。一方新政府は「新生中国100年青春」のスローガンの下に1915年に約100名の優秀な青年を欧米各国へ留学生として派遣しました。この時のフランス留学生の中に周恩来と 小平が入っており、この時の留学経験が革命後の新中国の国造りに大いに役に立ったと言われています。

 

3.20013月の全人代では第105ヵ年計画で2 0 0 5 年迄に高速道路を約6 , 0 0 0 km建設して25,000kmにすることが決定されましたが、これはわずか2年間で達成してしまい、5ヵ年計画の最終年である2005年末には、未確認情報ですが、30,000kmを超えた、と言われております。

 200111月には、中国のWTO加盟が認められましたが、この時の議論も内外共に激しいものでした。

 8億人以上と言われる農民が打撃を受けるので慎重に、との意見もありましたが、朱鎔基首相は、長い将来の中国経済の発展と産業構造の転換理化の推進を考え決断したものです。

 

4.20043月の全人代では重要な憲法改正が行われました。即ち、「私有財産権及び相続権を保護する」、「人権を尊重し保障する」「社会保障制度を確立し、整備する」との規定が盛り込まれ

ました。同時に農業税を5年以内に廃止を決定。実際には3年繰り上げて、2006.1.1より全廃しました。この時の全人代終了後の恒例の内外記者会見の席上、温家宝首相は胸を張って「これは中国5,000年の歴史上初めて、農民の年貢が無くなる、という画期的なことである」と宣言していました。

 

5.20055月私達の京都大学上海センターは、在瀋陽日本国総領事館と共催し、日中経済交流セミナー“日本からの提言”会を開催。上海センター協力会もこのセミナーに協力団体として参加し、当時の小河内総領事(現駐リビア日本国特命全権大使)と京大経済学部の大西、塩地両教授、大連常駐で協力会会員の稲田弁護士、上海センター協力会副会長の大森の5人で、瀋陽の日本国総領事館を会場に、中国東北3省の政府役人、主要大学や社会科学院の教授方に加え、瀋陽進出の主要日系企業のトップの方々に対し、夫々の専門の立場から提言しました。私のテーマは、「日本の経済人の目から見た中国経済安定発展東北振興への提言」で、副題として「持続可能なバランスのよい長期安定発展の為に」というテーマで合計37項目の多岐に亘る改善、改革提言を行いました。主な提言は、貧富の格差解消の為に累進課税の強化と相続税、贈与税制の新設、更に、この高度成長下に24年間も800元/月に据置かれたままの若手サラリーマンに影響の大きい課税最低限度額の大巾引上げを提言しましたところ、同年7月頃より北京政府は、これが問題なので改定の為の公聴会を開く、と宣伝し、約半年がかりで改定案をまとめ、2006.1.1より2倍の1,600元/月に迄引上げ改定を行いました。この結果、サラリーマンの約12は給与所得税が0となった、と言われています。その後2008.3.1よりは更に400元/月引上げ、給与所得2,000元/月以下の者は非課税となりました。その他一人っ子政策は堅持すべし、とか土地の国有制は、貧富の格差拡大防止の為にも有効であり、これ又堅持のこと、等多項目に亘りますが、時間の都合上今回はここ迄としておきます。機会があれば次回に報告します。

 

20063月の全人代では第115ヵ年計画(規画)が決定されました。胡錦濤政権になって初めてとなる今回の5ヵ年規画の特長を少しお話しておきます。先ず今回初めて計画と言わず、規画と発表されました。その意味するところは、中国も社会主義市場経済の時代に入って久しいので、そろそろ政府主導の社会主義的計画経済から、市場をベースとする発展へと考え方を転換して行こうとしたものです。この発表の直後の3月下旬に北京の日本大使館、ジェトロ北京事務所、更に中国側の5ヵ年規画作成の本家である国務院発展改革委員会を訪問し、夫々の立場からこの5ヵ年規画の考え方や諸規画(計画)の説明を受けました。それによりますと、日本大使館ではこの規画を「ガイドライン」と意訳していた一方、ジェトロ北京事務所では「長期計画」と訳していました。

 これに伴い計画期間中の主要指標22を所期性目標と拘束性目標に分けています。所期性指標とは、あくまで達成目標であり、例えばこの間の経済成長率(GDP)目標・年平均7.5%は、市場を通じてその達成がはかられるものであり、所期性目標の典型的なものであります。一方、拘束性目標とは、政府・民間あげて必ず実現せねばならない「必達目標」のことです。例えば「エネルギー単位使用量を5年間で20%(年平均4%)低減させよう」という目標や「主要汚染物質排出総量を5年間で10%(年平均2%)減少させよう」とか、「単位工業付加価値当たりの使用水量を5年間で30%(年平均6%)低減させよう」などという目標は、典型的な拘束性目標の例です。この拘束性目標は、主要目標22のうち7つのみで、残りの15目標は全て所期性目標で、言わば市場経済活動の中で官・民あげて目指すべき努力目標(ガイドライン)の方が圧倒的に多くなっているのが特長です。

 又、今回の5ヵ年規画の基本方針は、胡・温体制の基本理念である(1)科学的発展観(合理的

なものの考え方)、(2)和諧社会(調和のとれた社会)、(3)以人為本(人を根本とする親民政策)の下に(1)経済成長至上主義の下で生じた「格差の是正」、(2)経済成長と環境改善の両立、(3)「先富論」から「共同富裕論」へと、考え方を根本的に変えた意欲的な長期計画となっています。時間の都合上これ以上の細い点は配布資料を見て頂くこととし、ここでは省略させて頂きますが、農業・農村・農民の所謂三農問題を国家の最重要課題だ、と宣言し、農村貧困層の各種救済策ほかの格差是正策、環境汚染防止、省エネ・省資源型循環経済の推進等新華社電によれば、従来の成長至上主義を大きく修正し、5ヵ年計画策定理念に革命的発想の転換が行われている、と報じられている通り、意欲的な規画なので、その成否を注視して行きたいと思います。尚、私事で恐

縮ですが、以上述べた新華社電の言う革命的発想の転換の大部分は、それに先立つ約1年前の2005

5月に私が瀋陽の日本総領事館で中国人役人や大学教授方に提言した「日本よりの提言」(配布

資料参照)の中で提言しておりますので、後刻確認しておいて頂ければ幸いです。

 このほか、この第115ヵ年規画では、引続き各種交通網の整備・拡充が計画されていますので、その主なもののみをご紹介しますと次の通りです。(1)経済の急成長に伴い、物流インフラの抜本的整備・強化の為、北京−上海、大連−ハルビン、南京−成都間等に日本の新幹線の様な旅客専用高速鉄道を原則在来線に平行して約7,000km新設する計画と、(22010年迄に高速道路の総延長キロ数を現在の30,000km(推定)から65,000kmに迄拡充させる計画が入っています。

 

20067月には、西部大開発四大プロジェクトの1つだったゴルムド−ラサ間(1,118km)の青蔵鉄道が開通し、それを祝って開通式典に合わせ、青海省の省都西寧市で盛大な国際見本市(青洽会)が開催されました。私はご縁があってその見本市に青海省政府より招かれ、友人と3人で出席し、これ又ご縁で永年日本の中京大学に留学され、日本の商法の研究で博士号を取得された青海民族学院の王作全院長(学長)と親しくなり、乞われて同民族学院の顧問に就任しました。

 そんな関係で、同年11月には、京大上海センター長の山本教授、同副センター長の宮崎准教授ほかの皆さんと再度青海民族学院を訪問し、経済学院の教授方と交流会を持つと同時に講演会・日中経済理論学術報告会を開催しました。私の演題は「日本の経済人の目から見た中国経済安定発展」で、先に述べた20055月に瀋陽日本国総領事館で提言した25項目に加え、その後の200611日付の個人所得税法の一部改正(課税最低限度額の800元/月から1,600元/月への大巾引上げ)でも改正されなかった累進課税の上限・45%の大巾引上げ(70%へ)や相続税・贈与税の新設、地方税を優遇し過ぎ(中国には地方税という制度はなく、所得税を国60%、地方40%で配分する方式となっている)なので、この配分比率を国80%、地方20%位に改正し、この国の増収分20%分を、貧しい地方を救済する再配分ファンドとすべし、等の諸提言を骨子とする「中国の貧富の格差解消の為の税制改革大森私案」を発表しました(配布資料参照)。アメリカ式の大金持を作るとそのグループがアメリカに於るユダヤ勢力の様に金の力で国家権力と結びつき、果ては国家権力をも左右する様になる危険性がある。すでにアメリカや欧州では(日本でも)累進課税の累進度は下げられ、相続税廃止の声すら出だしている現状に鑑み、こうなった後ではいくら努力しても、簡単にはその格差社会の体制を崩すことは出来なくなる。よってそうならない内に、今の内に早急に格差是正の為、諸税制を改革しておく必要がある、と提言して来ました。その成果を今後注視したいと思います。

521日には、中国西安の西安交通大学でも講演予定ですので、同様の提言をしようと思っております。

 尚、この講演会は、青海民族学院のほか、青海省社会科学院と京都大学上海センターの共催で行われ、大講堂に青海省政府幹部他大学教授、経営者、新聞記者、学生等600人以上の満席の聴衆が集って下さり、盛況裡に行われました。

(続き)

 

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自衛隊機のテント輸送:後聞

                                      23.JUN.08

香港:美朋有限公司 董事長 小島正憲

 

先週、中国の山東省のある県レベルの開発区事務所を訪ねて、びっくりした。そこの副主任と名刺交換を済ませ席に着くと、彼が開口一番、「今回の四川省の大地震では、日本からいろいろな援助をしていただき感謝しています」と話してきたからである。私は中国で20年間に渡って仕事をしてきたが、こんな経験は初めてだった。このように今回の四川省大地震に対する日本の対応は、中国政府の末端組織からも高く評価されているのである。自衛隊機のテント輸送や海上自衛隊の護衛艦の訪中についても、現地ではおおむね好意的に論評されている。今回はその一端を紹介する。

1.自衛隊機のテント輸送についても、日本政府の態度は好ましく評価されている

@6/02の中国青年報では、この顛末を次のように論評している。

当初、日本政府は自衛隊機でテント輸送を準備したが、中国側から自衛隊機の使用を指定されていない

ことを考慮し、5/30に民間機輸送に切り替えた。これらの事情からは二つの面を考察することができる。

第1に、中日関係は大きく改善してきていた。“破氷”・“溶氷”・“迎春”及び“暖春”の4段階を経て、中日関係は正常発展の軌道に乗ってきていた。特に、四川省大地震発生後、日本政府の援助及び援助隊や医療隊派遣、各企業や民間の寄付など一連の行為は、中国人民から高い評価を受けている。ネット上などでも日本感謝の書き込みが多くなっている。ところが日本政府の関係部署はこの傾向を見て、自衛隊機でのテント輸送を楽観視し過ぎた。結果として、民間機に変更せざるを得なかった。

第2に、中日関係を完全な良好関係に導くには、まだ敏感な問題を捨象するわけにはいかない。歴史問題や台湾問題、東海問題および食品安全問題などもまだ解決していない。“戦略的互恵関係”の構成の努力はまだこれからである。中国人民の対日感情がよくなるにはまだ少し時間がかかる。今回、自衛隊機は中国へ来ることができなかった。その根本原因は中日間に歴史問題、つまり侵略戦争の暗い影が中国人民の心の中から完全に消されていなかったところにある。日の丸がついた自衛隊機を受け入れるまでには、まだ中国人民の感情は変化していない。ただし、我々がうれしく思い、同時にほっとしたのは、日本政府及び日本のマスコミが中日関係の現状を十分に認識して、理性的な対応をしてくれたことである。

A中評社香港の5/29によれば、中国人民大学国際関係学院:時殷宏教授は、下記のように語っている。

自衛隊機が中国に来ることは、とても大胆な行動である。これは中日関係の発展に積極的な作用になる。中国国内の世論は今回の行動に賛成しなければならない。

また中国人民大学東アジア問題研究所:黄大慧所長は、下記のように発言している。

自衛隊機が中国に来たとしても、それは救援物資の輸送のためである。すでに中国軍艦が日本を訪問しているわけであり、政府間協議の上で自衛隊機が中国に来てもよい。現在、大地震の救援活動がとても厳しい状況にあり、政治面の問題を強調し過ぎるのは救災にはよくない。また中日関係の健全な発展のためにもよくない。

2.海上自衛隊艦艇の訪中についても、今のところ(6/20)、ネット上などでも大きな反対は見当たらない

時事速報:6/10付けによれば、中国軍高官は自衛隊機のテント輸送の日本政府対応を批判して、今月予定されている海自艦艇の訪中は延期すべきだとの考えを示した。また今回(自衛隊機をめぐる)騒ぎが収まるのに、一定の時間がかかる上、中国軍は現在、地震救援に全力を挙げており、日本の艦艇が訪中するのにふさわしい雰囲気ではないと指摘した。

時事速報:6/18付けによれば、防衛省は日中防衛交流のため24日に中国を訪問する海自護衛艦「さざなみ」に、四川省大地震の被災者救援物資を積み込むことを決めた。物資は海自が保有する毛布300枚と、非常用食料約2600食、絆創膏1万1500枚、マスク1500個。いずれも無償提供する。政府は自衛隊機でのテント輸送を見送った経緯を踏まえて、今回は日本側が防衛交流の枠組みの中で物資輸送を打診したのに対し、中国も受け入れる意向を示した

中国の環球時報:6/18付けによれば、中国社会科学院日本研究所日本問題専門家の高洪氏は、「中国人民は歴史を忘れず直視しなければならないと同時に、歴史の悲しみを離れ、日本の護衛艦を受け入れることに自信と許容能力を持つべきだ」と語り、さらに「今回の日本の護衛艦の来中は、前世紀の日本軍艦の

侵略とは根本的に違う。今回は中日両国の安全防備に関する交流であり、その目的は中日両国が共同で、両国と東南アジア地域の軍事的緊張に対抗するためである。ここでは“共同”の2字を特別に強調しなければならない。また歴史の繰り返しを防止し、子孫末裔に和平の環境を作り上げるためでもある」と続けている。

6/19〜20にかけて、中国の各新聞紙はいっせいに、日本の海自護衛艦“さざなみ”が慰問品を載せて、19日午前に呉市から広東省の湛江港に向けて出航したと報じた。新華社は、「今回の海自護衛艦の訪中は、2007年の中国海軍駆逐艦「深圳号」訪日の答礼訪問であり、日本の自衛艦の初の訪中である。“さざなみ”の来中は中日防衛交流の重要な構成部分である。今回は240人の日本人将兵が乗っており、四川省大地震の被災者へのお見舞いとして毛布、マスク、缶詰などの慰問品も載せられている。“さざなみ”は24日に港に着き、5日間の停泊予定である。その期間中に中国海軍将兵との専門分野での交流や娯楽交流が行われる。また“さざなみ”は停泊中、一般市民にも開放される」と報じている。

これらの報道後でも、ネット上では極端な反日言動や非難は少なく、歓迎の声が多い現状である。

3.テント余談

私は6月13日から17日の4日間、主に紅軍とチベット族の関係を調査するために、四川省の瀘定橋近辺を中心に、成都→雅安→天全→瀘定橋→康定→塔公→安順場→石棉→漢源→成都と駆け足で回ってきた。そしてその最後の漢源県で、奇妙な光景に出会った。この漢源県は、今回の大地震の地域とは成都を挟んでちょうど反対の南側の位置にあり、激震に見舞われたとはとても思えない地域である。多くの地震関係の情報の中にも、この地名は見あたらなかった。ところが現地に入ると、たくさんのブルーのテントが目に入ってきたのである。その一帯には倒壊した建物はほとんどなく、テントは健全な建物の庭や空き地に建てられていた。どうも倉庫代わりに使用されているようだった。贔屓目に見ても、余震対策用にしか見受けられなかった。

それらのテントは上部に「抗震救済」と大きな文字が印刷されており、一目で中国のものであるとわかった。もし海外からの支援テントだったら、車を降りてしっかり調べるところだったが、帰りをいそいでいたので、それはしなかったが、道路際だけでざっと数えても200張りはあった。

5/20の中国中央テレビによれば、テントは6月末までに90万張り必要とされ、その後200万、あるいは330万張り以上必要と報道された。6/04の中国商務省:張克寧局長は記者会見で、国内外の協力により現時点で79万張りが調達できているが、なお100万張りが不足していると発言している。

私は漢源県の現実を見て、本当にテントは330万張りも必要なのだろうかと疑問に思ったが、自衛隊機問題と同様、これが日中友好の礎となるのならば、これまたよしとするべきだと考え直した。