=======================================================================================
京大上海センターニュースレター
237号 20081027
京都大学経済学研究科上海センター

=======================================================================================
目次

     上海センター・シンポジウムのご案内

     中国・上海ニュース 10.20-10.26

     「東アジア共同体か、アジア共同体か」()

     早くも森ビルに罰金240万円

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 

上海センター・シンポジウムのご案内

 

 中国自動車産業発展に関するシンポジウムは下記の要領で開催されることになりました。ご多忙のことと存じますが、万障を繰り合わせの上ご参加くださるようよろしくお願いいたします。

 なお、シンポジウム終了後、懇親会を予定されていますので、合わせご参加いただければ幸いです。

 

 

京都大学上海センター 中国自動車シンポジウム

 

持続的成長は可能か

――サステイナビリティと製品開発力,輸出競争力――

 

主催:京都大学上海センター

共催:京都大学上海センター協力会

 

2008111() 13

京都大学百周年時計台記念館百周年記念ホール

 

総合司会 京都大学大学院経済学研究科教授 大西

                    同       徳賀 芳弘

 

13:00-13:10

挨拶 京都大学総長 松本 紘

 

 

13:10-13:30

京都大学大学院経済学研究科 教授          塩地 洋             持続的成長のための課題

                                                                 ―全体テーマと報告構成―

 

 [第1部 サステイナビリティから見た中国自動車産業]

 

13:30-13:50

関西学院大学産業研究所 准教授            ブングシェ・ボルガー   環境・燃費・事故・渋滞

 

 

13:50-14:10

フォーイン第一調査部 部長                       周 政毅             次世代低公害車の技術開発動向を探る

 

 

14:10-14:30

桜美林大学リベラルアーツ学群 講師                平岩 幸弘           廃車リサイクルの現状と課題

 

 

14:30-14:50

野村総合研究所グローバル戦略コンサルティング部 部長     北川 史和         地域所得格差と需要の偏在性

 

 

14:50-15:10

東京海上日動火災保険上海支店 総経理助理       八木 健一            自動車保険の現状と課題

 

 [第2部 製品開発力と輸出競争力]

 

15:30-15:50

元本田技研工業                         山口 安彦           海関統計から輸出の実相を解明する

 

 

15:50-16:10

京都大学大学院経済学研究科                     李 澤建           奇瑞における製品開発組織の進化

 

 

16:10-16:30

事業創造大学大学院 准教授                          富山 栄子           なぜロシアで中国車が売れるのか

 

 

16:30-16:50

豊田汽車(中国)上海分公司 主査                   東 和男           中国自動車産業の持続的成長の道

 

 

16:50-17:00

総括

 

17:10-18:30

懇親会 法経総合研究棟大会議室  司会 京都大学大学院経済学研究科 教授 八木紀一郎

御挨拶 京都大学大学院経済学研究科長 森棟公夫

  京都大学上海センター協力会副会長 大森經徳

 

入場無料

参加希望者は塩地(shioji@econ.kyoto-u.ac.jp)まで御連絡ください

 

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

中国・上海ニュース 10.2010.26

ヘッドライン

■ 北京:アジア欧州会議(ASEM)首脳会合閉幕

■ 中国:1−9月GDP成長率9.9%に減速、CPI上昇率7%

■ 中国:不動産市況の悪化に個人の住宅購入に大幅優遇政策

■ 中国:11月より一部製品の輸出税還付率を引き上げ

■ 中国:海運市場が低迷、09年はさらに深刻か

■ 中国:農村の水道水の普及率、2010年には75%に

■ 産業:豆乳機メーカー、メラミン混入事件で純利益が128%増

■ 観光:訪日旅行者、9月は過去最高9万4000人

■ 台湾:暴力事件に遭遇した中国高官、滞在予定繰上げ帰京

■ 上海:上海外大日本人留学生、現地学生と大モメ

=============================================================================

 

「東アジア共同体か、アジア共同体か」()

経済学博士 板 東  慧

社団法人国際経済労働研究所会長

 

 

シンポジウム「アジア共同体を京都から構想する」講演要旨

2008年6月30日 於 京都大学

 

目 次

 

1、21世紀に入って急浮上してきた「東アジア共同体」

2、アジアにおける共同体の重要性

3、「東アジア共同体」から「アジア共同体」への転化の可能性

4EUと比較してのアジアの多様性と共同体創設

5、アジア共同体創設と課題

                       

121世紀に入って急浮上してきた「東アジア共同体」

 

(1)2004年になって、ASEAN(東南アジア諸国;連合)10ヶ国と日中韓3ヶ国を加えた自由貿易地域として、「東アジア共同体」構想が急速に現実化してきた。

 

この構想は02年に小泉前首相が提唱し、0312月に東京で開催されたASEAN特別首脳会議で採択された「東京宣言」に盛り込まれたが、各国のアプローチには温度差があり、日本内部にも議論があって、様子見の状態にあった。しかし、0411月にラオスのビエンチャンでのASEAN10ヶ国首脳会議は、同時に開かれた日中韓を加えた13カ国首脳会議の合意を経て、翌05年末のクアラルンプールにおける首脳会議に併せて「東アジアサミット」を開催し、13ヶ国を軸とした将来の「東アジア共同体」に向けた協議の場を設定することを決定したからである。

 

(2)ASEANは、1967年にタイ・インドネシア・フィリピン・マレーシア・シンガポールの5カ国が、冷戦体制下に西側先進国との協力による経済発展を目指した反共産主義の地域協力機構として設立され、84年にはブルネイが加盟したが、70年代から80年代を通じて日本を始め欧米先進国からの技術移転がすすみ、急速に工業化の成果が世界的に注目される地域となった。

 

冷戦体制崩壊によって当然、反共防壁的性格はなくなり、純粋の地域経済協力機構として、95年にはヴェトナム・ラオス・ミャンマーが加盟し、99年には内戦から脱却したカンボジアが相次いで加盟することによってASEAN10体制が実現するに至った。これに加えて、改革開放に転じた80年代の中国の工業化と市場経済化による高成長により、1990年代に入ると「21世紀はアジアの時代」という認識が世界共通のものとして注目された。

 

(3)しかし、97年にこれらASEAN主要国と共に、韓国・台湾・香港などが金融パニックに襲われて経済済危機に陥リ、これがアジアの脆弱さが露呈したものとして、その期待も一時は薄れた。

 

この間、独自の再建の道を歩んだマレーシア・シンガポールを除いて、IMF(国際通貨基金 )の主導による再建の道を歩んだ各国の中で、インドネシアでは「開発の父」といわれたスハルト大統領一族のファミリービジネスによる利権への批判が高まる一方で公共料金の値上げなどIMF主導政策への市民の反発・抗議が高まり、スハルトは辞任に追い込まれて政権の崩壊と政治不安が巻き起こるまでの痛手をこうむった。また、韓国は巨大財閥の大半が倒産し、生き残った財閥も大きな傷を残した。その結果、このIMFの介入には各国の不信も高まリ、対米不信が強まった面もある。    

 

(4)2002年に至って、これら諸国はほぼ危機から脱出し、マレーシア・シンガポールはもとより、タイを始め台湾・韓国・ベトナムなどが堅調に回復し、香港は中国への返還が実現して、独自の経済体制によってパニックの影響を受けなかった中国経済、特に華南経済の発展にもとづく貿易窓口として、一国両制という独自システムによる成長により好景気に転じたのである。

 

この間中国経済の高成長はこれら諸国の経済回復に好影響をもたらし、ASEAN諸国の中国シフトが強化され、一段と密接な関係が形成され、中国側からの積極的なFTA(自由貿易協定)提携のアプローチもすすんだ。

 

(5)04年のラオス・ビエンチャンにおけるASEAN10首脳会議では、このASEANの回復を背景に、CMLV(カンボジア・ミャンマー・ラオス・ヴェトナム)という未発達な部分を抱えながらも、2020年を目指してASEAN共同体の形成を図ることを目標に、2010年には大幅な域内自由市場化の行動計画が決定され、これを梃子にASEAN103=日・中・韓による経済圏の確立への動きが積極化し始めた。これが「東アジア共同体」構想である。

 

2、アジアにおける共同体の重要性

 

(1)このような構想は、1991年のマレーシア・マハティール首相の「東アジア経済協議体(EAEC)」構想などにもあったが、マハティールのやや反米的な傾向をアメリカが警戒し、またアメリカがアジアから疎外されることを恐れて反対し実現しなかった。また、97年のアジア金融パニックに際して、日本からアジア通貨基金に関わる「宮沢構想」が提案されたが、これもアメリカの反対によって実現しなかった。

 

しかし、その後この危機が深刻になって98年、再び「新宮沢構想」が提案された際にはアメリカも抵抗せず、改めて実現の運びとなったものの、アメリカはアジアからの孤立に神経質に抵抗を示してきた傾向があり、アメリカはアジアに対して直接的に介入することへの反発を恐れつつ、日本を通して影響力を行使することを重視している傾向があり、日米間の政策協調と共に、アメリカの政権の体質によってもその動向に変化が見られる。

 

(2)ASEANの主要国の経済発展は、シンガポールのリー・カンユー、インドネシアのスハルト、マレーシアのマハティール、フィリピンのマルコスなど、開発独裁といわれる強力なリーダーシップによって主導され成功してきた側面がある。

 

ただ、スハルトやマルコスの場合のように、これらスーパーリーダーの周辺に利権が集中する傾向が時として裏目に出て失脚を招くことがあり、いわゆる「クローニー・キャピタリズム(仲間内資本主義)」として、欧米からの批判が強い。最近では、これらに続いて新しいリーダーとして注目されていたタイのタクシン首相も、ファミリーの利権収益に対する追及によるクーデターで失脚した。その結果、ASEANは強力なリーダーシップ喪失に直面している。開発独裁には、このように功罪があるが、新興独立国が過渡的に辿らざるを得ない不可避的な要素でもあり、あながち否定面ばかりとは言えない。

 

(3)ASEAN はそのような問題に直面しながらも、東南アジアという領域で拡大と連帯に努力を払い、21世紀を迎えてASEAN10を実現し、結成30余年めざして、本格的な市場統合実現を明示し始めたことは高く評価された。同時に、リーダーシップの問題をめぐっては、未だ多くの不安定要因を内包していることは否定出来ない。

 

しかし、同時に、97年のアジア金融パニックによって痛手を負いながら、各国共に概ね02年までにそれを克服し、政治的安定を取り戻したことも、1度失墜したアジア経済の成長力への信頼回復を実現したもので、ビエンチャン・サミットは、ASEANの回復力を明示したものとして意義深いものであった

 

(4)かくて、04年のビエンチャン・サミットを受けて0512月に開催されたクアラルンブール・サミットは、第1回「東アジア・サミット」として、ASEAN10+日中韓に加えてインド・オーストラリア・ニュージーランドが参加して、16ヶ国構成による幅広い共同体への志向が期待された。しかし、結果として、そこまでは踏み込めなかったことを物語る。

 

会議はまずASEAN10サミットが先行し、その後にASEAN103サミットが開かれて「東アジア共同体を長期目標として実現していく共通の決意」と「ASEAN103がそれを達成するための有効な手段であると確信する」との宣言を採択し、その後に16カ国会議が開かれた結果、このサミットを「地域における共同体形成で重要な役割を果たしうる対話フォーラム」と位置付けるクアラルンプール宣言を発した。

 

(5)この経緯が物語るのは、東アジア共同体設立の背後にあるパワーポリティクスである。

 

まず、急速に台頭し、しかもその力を発揮しつつある中国に対して各国の警戒心の高まりがある。大きな国土と人口による市場を提供しつつ、超低コストで輸出競争力を高め.るとともに、インドシナ半島の背後で国境を接する各国に直接積極的に進出し、さらにASEAN全体とのFTAを迫っていく 強力な経済力への脅威に対する警戒心がASEAN各国にある。もとより、それは対立関係という側面のみではなく、協調・協力関係をも求めるが、これへの対応として、まずASEANとしてのまとまりを優先したいという志向が高い。

 

(6)中国は、日本から広範な技術移転を受けて開発を進めつつ、アジアにおけるヘゲモニーを握るためにアメリカ・EUとの提携を強化しつつ日本を牽制したいという意向が強い。

 

それが日本の国連安保理常任理事国入りに強力に反対し、政治的に対抗するという側面を持つ。しかし同時に、隣国として、また、アジアにおける技術拠点や環境技術先進国としての日本との経済及び技術協力は不可欠であって、その点での協調関係の維持は重視せざるを得ないという関係にある。さらにまた、WTOに加盟したとはいえ、模造品や知的所有権問題をめぐる遅れや環境保護技術の劣勢、さらに通貨政策を含めて克服すべき課題は多く、日本との関係を重視せざるを得ないのである。他方、中国経済の高成長の結果、労働コストの高騰やキャリア人材不足など、新たな経済困難に直面する可能性からも対日協調関係の重視の段階を迎えている。そのため、胡 錦涛体制は江 沢民時代の反日志向からの転換をすすめ、対日関係では小泉首相時代の歪みを安部内閣の成立を契機に転換して、胡 錦涛自身が日本との関係について「戦略的互恵関係」という言葉を選んだと伝えられる関係へと進んだ。

 

(7)日本の側も、中国内部の反日教育や小泉前首相の靖国神社参拝への執拗な批判をめぐって不快感があり、その関係は政冷経済熱といわれたが、すでにのべたように、もともと経済関係においてアジアの生産構造における協業と分業構造に一体化されて組み込まれた経済関係の下で、当然その解決は双方から求められているものであり、ひとまず改善が進んだし、08年5月の胡主席の日本訪問やその後四川省地震救援などによる日中間の協力関係の進展なども好結果をもたらす可能性が強い。

 

もとより、この関係はいわば入口での調整という意味であって、背後には複雑な利害と戦略志向の対立をも内包していることは否定できない。しかし、もともと、隣国関係は、そのような性格を持つもので、皮相的な友好関係に陥ることなく、時に独自主張による対立が表面化しても、双方がお互いの主張を尊重しつつ新たな和解の領域を開くような現実性を持つものでなければならないし、両者の関係もそのことを示すものといって過言ではない。歴史的にもそのようなことは繰り返される性格のものと認識されるべきものである。

 この意味で、日本側には、当時の中国側のビヘイヴィアから、東アジア共同体の将来が中国によるASEAN支配に陥る懸念があったことも事実といえよう。日本内部には、一方では、この意味から東アジア共同体無用論まで含むさまざまな議論があった。しかし、このような無用論や反対論には同意しかねる。

 

(8)いう までもなく、経済のボーダレス化の進展やグローバル化は、好むと好まずざるとにかかわらす゛、21世界の必然であり、このような市場を統括する地域システムは不可欠である。そのようなシステム無くしては逆にグローバリズムのマイナス効果によって弱肉強食がすすむことになる。また、ボーダレスな資源・エネルギー開発が必要となるが、途上国や未開発国に巨大外部資本が進出して乱開発がすすむことは避けねばならず、資本を公共化して、エコロジカルで、現地住民生活の破壊を防ぎ向上させる必要がある。

 

このためには、さまざまなジョイントヴェンチュアが重要であるが、そのような公共的システムを支えるためには、超国家の市場制御システムが必要となるし、そこでの生活者をヒューマンリソースとして有効に活用するための協同が必要で、まさしく、それが共同市場であり、市場統合が必要とされる。その意味でいかなる意味でも共同体無用論は成立しないのである。もとより、その形態は構成や条件に応じてさまざまなヴァリエーションがあり、EU1つの先進モデルではあるが、アジアにとって、全く同一のものが有効かどうかは吟味の必要があろう。

 

 以上の意味から、アジアに共同市場を求めることは重要な意味を持つのである。

                                           (つづき)

 

************************************************

早くも森ビルに罰金240万円

                    25.OCT.08

                                   香港:美朋有限公司 董事長  小島正憲

 

≪今回の内容≫

1.早くも森ビルに罰金240万円。 2.森ビルにライバル出現。 3.大儲けの電梯会社。 4.遅かりしアーティスト村。

 

1.早くも森ビルに罰金240万円

時事速報:10/20によれば、上海で開業したばかりの高さ492mの超高層ビル「上海環球金融中心」の展望台で飲食提供を伴うイベントを開催したのは消防法に違反するとして、上海市当局が9月下旬、森ビルに16万元(約240万円)の罰金を命じていたことがわかった。森ビルは「当局の指導に従う」として既に罰金を納付済み。問題となったのは、フランスの有名ブランド「エルメス」が9/8・9の両日、世界で最も高い100階(高さ474m)の展望台などを会場に使い行なった秋冬物のファッションショー。上海の消防当局は、飲食場所としての防火審査を経ていない展望台で飲食を提供したのは違法な用途変更に当たると判断した。

関係者は展望台で火を使った調理などは行なっていなかったが、新たな観光名所として注目を集める施設だけに、当局は厳罰で臨んだものとみられると話しているが、通常は警告ぐらいで済むところなので、いやがらせではないかとの憶測も出ているという。

この記事を読んで私はさっそく「上海環球金融中心」(通称:森ビル)に行き、100階に上りその場をカメラに収めた。そこは定員が240名ほどの狭い場所で、ファッションショーを行なうスペースなどを考えると、観客は100名ぐらいしか入れないようであった。多分、森ビルの宣伝効果を考えたプライベート・ファッションショーが行なわれたのではないだろうか。

このビルの最上階つまり100階まで上るには、1人=150元という高い入館料が必要だった。関係者の話では、すでに上海の観光名所の中に組み込まれており、天気がよければ4000人ほどの観光客が上るという。私が行った日はあいにくの曇天だったので2000人ぐらいということだった。ざっと計算してこれだけでも月間2億円ほどの収入があり、森ビルの商売も勝算ありというところかと思った。当然、すぐ側にある東方明珠台(テレビ塔)の観光客を奪っているわけであり、やっかみの結果が罰金だったのかもしれないと思った。

しかし森ビルの入居率はまだ45%前後と言われており、そこに突如として米国発金融恐慌が襲ってきた。このあおりで欧米系投資銀行はリストラの真っ最中で、「環球中心の出資者でもある米モルガンスタンレーと入居交渉しているのは事実だが、契約はまとまっていない」(日本経済新聞:10/19)とのことであり、1年後に入居率90%を目指すという算段は少々危うくなってきたようだ。家賃も上海市内のオフィスビルと比べると、3〜6倍とかなり高い。すでに日系企業11社が入居しているそうだが、投資額1250億円を回収するのは、当初の予定の約12年では無理なのではないだろうか。ニューヨークのあのエンパイアー・ステート・ビルでさえ、完成が1931年で、経済大恐慌の真っ最中と重なりテナントを集めるのにたいへん苦労したという。それでも森ビルには観光客の月間2億円の臨時収入があり、これが強い味方になると思われた。

 

2.森ビルにライバル出現

10/09、中国のネット上に「中国で一番高いビル(高さ580m)が12月から着工」のニュースが映像つきで流れた。それによると、中国で一番高いビル=上海センタービルには米ゲンスラー建築設計事務所の「竜型」案が採用され、森ビルの隣地に建てられるという。すでにその模型が上海都市計画館に展示されており、2014年には工事が完成する予定。その暁には、金茂ビル・上海環球金融中心ビルと鼎立し、上海観光名所になると報じられていた。

この上海センタービルは森ビルよりも90mほど高く、内部には9つの「空中ガーデン」が作られ、ビル全体にはオフィス・ホテル・店舗・娯楽施設などが計画されている。また1200人が観賞できる多目的ホールや2000台が収容可能な駐車場も併設している。森ビルは金融関係のオフィスを顧客として建てられており、娯楽施設はない。森ビルが東方明珠台から観光客を奪った最大の理由はその高さである。その森ビルが高さという取り柄を失う以上、娯楽施設を兼ね備えている隣の上海センターに観光客を根こそぎ奪われ、臨時収入が激減することが予測される。さすがに中国の事業家たちはしたたかである。

 

3.大儲けの電梯会社

森ビルのエレベーターは素晴らしかった。94階まで秒速8mのエレベーターで、あっという間(約1分)に上った。揺れもまったくなく、気圧も見事にコントロールされており、耳に異常を感じることはなかった。このビルの中には観光用に東芝製で中国最速をうたったものが3台設置されていた。オフィス用には通常の1.9倍の輸送能力を持つ世界でも珍しい2階建てエレベーター(これも東芝製)が8台納入されているということだった。それにも乗ってみようと思ったが、関係者以外は禁止だったのであきらめた。おそらく上海センタービルのエレベーターも、技術力で格段の差を見せている日系会社が受注するのではないだろうか。

この10年、上海では高層ビルの建設ラッシュが続き、エレベーター会社が大儲けしているという。エレベーターは設置だけでなくメンテナンスがたいへん重要であり、その収入も馬鹿にならないからであろう。これは米国のゴールドラッシュ時に、つるはし屋と弁当屋が大儲けしたのと同じ理屈である。

ちなみに日中合弁のエレベーターメーカーである上海三菱電梯有限公司は、2008年度1〜9月期のエレベーターやエスカレーターの受注が3万基の大台を超えたという。06年度は2万1489基、07年度は2万7252基だったというから、この2年間で売上は倍増に近い。

 

4.遅かりしアーティスト村

上海のネット上に、「アジア最大の“アーティスト村”が南匯新場に登場」というニュースが映像付きで大きく踊った。そこには以下のようなコメントが付いていた。

最近、「ラスト・コーション」の映画撮影が行なわれた上海南匯区新場鎮に、3万uの「大東方」現代アーティスト村が建設され、500人を超える画家らが集結し、300人もの画家が入居手続きを済ませたという。都市地区計画は新たに大東方現代芸術館に対し、定期的にテーマに沿った展覧会を行なうように定め、また同時に1000uの景徳鎮陶器芸術展ホールに対しても定期的に展覧会を開くように求めた。アーティスト村は現在、上海に現存する最大の現代芸術家村であり、その大部分が北京798や上海M50出身の画家であり、その他の全国各地に散っている画家らも続々と集結し始めているという。また大東方画家村は将来、中国現代芸術家とともに「新上海流芸術」を創設し、新しい上海流の芸術を生み出すという。

私は森ビルを見た後で、すぐにここにも足を運んでみた。地下鉄2号線の竜陽路で降りて、バスに乗り換え、1時間ほど田園風景や工場群を見ながらアーティスト村についた。自家用車ならば市内から1時間半ぐらいの場所である。そこには大きく立派な門があり、高層マンションが20数棟、さらに1階に工房(商店?)を持つ4〜5階建ての低層マンションがずらりと並んでいた。道も広く、アーティスト村らしくレンガ状のカラー舗装で、街路樹も青々と繁っており、さすがに落ち着いた雰囲気で、芸術家がたくさん住んでいても不思議はない様子であった。ところが道をしばらく歩いている間に、ほとんどの店が閉まっていることに気がついた。私は画家や彫刻家の仕事振りを目の当たりにできると期待していたので、拍子抜けしてしまった。開いている画家たちの工房を探して20分ほど歩き回ったが、結局、4〜5軒しかみつからなかった。たしかに閉店中のところにも看板はかかっていたが、そこに芸術家の生活臭はなかった。なおその日は平日の午後であったが、私のような観光客?は1人もおらず、やたらと清掃や保衛関係者が目立つのみで、そこはまさにゴーストタウンの風情であった。厳密に言えば、この村は過去において一度も繁栄したことがないので、その表現は間違いであると思うが、そのうら寂れた様相は西部劇に出てくるゴーストタウンの風景を私に強く連想させた。

門の近くに不動産屋があったので、中に入って様子を聞いてみた。受付の若い男性が、ここには100〜200人の芸術家の入居があり、彼らは昼間に市内で営業をして夜間に戻って製作活動を行なっていると珍妙な返答をしてくれた。その部屋の中を見回してみると、片隅にこの「村」の完成予想の大きな模型があった。さらにその横に、新品の自動車が陳列してあり、「マンションを1戸買うとこの車を1台進呈」という看板が掲げてあった。それを見て私はこの村が最初からアーティスト村としてではなく、普通の住宅団地として開発されたのでないかと勘ぐった。彼にその問いをぶつけてみると、素直にそれを認め、この「村」は2004年末に一般の住宅団地として売り出したが入居者がまったくなかったので、苦肉の策として半年前にアーティスト村に看板を架け替えて宣伝しているのだという。つまり不動産屋が住宅団地の失敗作を珍アイディアで巻き返そうとしたのが、このゴーストタウンの真相であった。

しかし私はこのアイディアは悪くはないと思う。とにかく特色のある街作りをしていけば、活路は見出せるかもしれないと思うし、なにも手を打たないよりはよいからである。それでもこのアイディアは2004年の売り出し当初から行なわれるべきだったと思う。なにしろ今年に入って中国全体を不景気風が襲い、金持ち連中のふところが急に引き締まってしまったからである。芸術家がいかに張り切ってみても、スポンサーがいなければ生きてはいけない。昨年までの中国のようにバブル経済華やかなりし時ならば、金持ち連中の間で投機の対象として絵画も高額で取引されていたので、おそらくこのアーティスト村も活況を呈することができただろう。「時すでに遅しアーティスト村」というところだ。 

私はその不動産屋のマンションの屋上に上り、アーティスト村の全景を俯瞰してみた。その壮大な規模に圧倒されたが、同時にほとんどのマンションが空き家であることを確認した。ベランダに空調の室外機がある部屋が皆無だったし、干し物やカーテンがまったくひるがえっていなかったからである。もちろんそれらのマンションが販売済みで、購入者が転がし販売を考えていて住んでいないということも想定できたが、市内のマンションならば2〜3割は実際に居住者がある。だからこの住宅団地が失敗作で、壮大なゴーストタウンとなってしまっていることは間違いない。しばらく屋上でそのうら寂しい風景を見回しているうちに、中国全土にこのようなゴーストタウンが無数に存在しているにちがいないと思い、他人事ながら背筋が寒くなった。なお、このア−ティスト村のすぐ裏には、新城鎮人民政府の巨大なビルが鎮座していた。

私はビジネスの成否の大きな要因が、タイミングにあると考えている。森ビルもアーティスト村も3年遅かったと思う。今はただ、森ビルがアーティスト村のようなゴーストタウンにならないことを願い、鼎立した超高層ビル群が地盤沈下や地震ではなく、不景気で共倒れにならないことを願うのみである。

                                         

             以上