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京大上海センターニュースレター
240号 20081117
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

     京都大学・ソウル大学共同国際シンポジウムのご案内

     自動車シンポジウム関連の御連絡

     中国・上海ニュース 11.10-11.16

     「資本論」積読か再読か?

     外部研究会情報: 中国改革開放30周年記念シンポジウム

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京都大学・ソウル大学共同国際シンポジウム

テーマ「東アジア経済の競争力と持続可能性」

'Competitiveness & sustainability of East Asian economies.'

 

主催 京都大学上海センター

後援 京都大学上海センター協力会

日時 1218日(木曜)・19日(金)午前

会場 経済学部2階大会議室

 

■第1セッション(1218日(木)9:00

Prof. Lee Jisoon - Some remarks on the long run prospects of Japanese, Chinese and S. Korean economies

植田和弘  東アジアの持続可能な発展――:環境ガバナンスと環境
経済の視点から

司会                   コメンテーター

 

■第2セッション (13:00

Prof. Pho Hak-kil - A comparative estimation of total factor productivity in Japan & Korea

遊喜一洋  地域経済統合動学のシミュレーション分析

司会                    コメンテーター 大西広

 

■第3セッション(15:15

Prof. Cho Dong-Sung - Designing a sustainable enterprise, and developing a guideline for sustainability report

塩地洋 東アジア優位産業の競争力――その要因と競争・分業構造――

司会 渡辺純子              コメンテーター

 

■レセプション  1218日(木曜)夜 (会費無料)  会場 未定

 

■第4セッション1219日(金) 9:30

Prof. Lee Chonpyo - Global Financial Crises and Competitiveness of East Asian Economies

白須洋子(寄付講座准教授)  社債流通市場における社債スプレット変動要因の分析

―日本金融危機からの教訓―        

司会 岩本武和 コメンテーター 山本信一(立命館大学経済学部教授)J.C.マスワナ

 

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自動車シンポジウム関連の御連絡

111日に開催された中国自動車シンポジウムの報告ファイルを協力会会員に限り,御希望の方にお送りしております。shioji@econ.kyoto-u.ac.jpまでその旨を御連絡ください。

なお,来年の同シンポジウムは,2009117()に京都大学百周年時計台記念館百周年記念ホールにて開催します。

 

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中国・上海ニュース 11.10−11.16

ヘッドライン

■ 中国:10月CPI4%、PPI6.6%上昇

■ 中国:09年から売上税を改正、外資優遇を一部撤廃

■ 中国:ガソリン価格の引き下げ合戦が開始

■ 中国:航空各社、国内空港の使用料未払い額約60億元に

■ 造船:船舶注文相次ぐ取消

■ 自動車輸出に急ブレーキ、「自動車輸出産業はまだ発展途上」

■ 上海:株式市場続伸、総合指数1900点回復

■ 上海:上海商学院女子寮火災、学生4人が飛び降りて死亡

■ 上海:国際工業博覧会が閉幕、取引総額18億元

■ 浙江:杭州、地下鉄工事事故、3人死亡17人失踪

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「資本論」積読か再読か?

                                       11.NOV.08

                                         香港:美朋有限公司 董事長 小島正憲

 

 昨今、日本の若者の間では小林多喜二の「蟹工船」が、ちょっとしたブームになっているという。私はそんなニュースを耳にして、なぜ今どきと、いささか奇異に感じていた。ところが今度はとうとう「いまこそ“資本論”」(嶋崇著・朝日新書刊)という本まで出版された。確かに、05年1月に筑摩書房から「資本論:第1巻」が久方ぶりに刊行されその兆しはあったのだが、まさか解説本まで登場するとは思ってもみなかった。

私は学生時代に「資本論」と格闘しいくども挫折し、結局わからずじまいで終わったほろ苦い経験を持っている。40年を経た今でも、私の書庫には資本論とその解説書(宮川実著など)が埃をかぶって収まっている。それなのに今回、性懲りもなくまた前掲書を買い求めたので、とうとう私の書庫には、河出書房版、大月書店版、筑摩書房版と、手つかずの3種類の「資本論」の訳本と昔の解説書に加えて、嶋崇版解説書が鎮座することになってしまった。

さて今回は、≪1.中国:「資本論」は過去の遺物? 2.日本:なぜ今、「資本論」のミニブームなのか?  3.「資本論」積読か再読か?≫を書いてみた。なお、3.は私のひとり言(愚痴)のようなものであるから、読み飛ばしてもらって結構である。

 

1.中国:「資本論」は過去の遺物?

先月、ひとまず私は上海の書店で「資本論」を探してみた。市内の大きな書店を3軒回ったが、なかなか見つからなかった。やっと4軒目で、片隅に無造作に横積みしてあるのをみつけたので、店員の目を盗んでそれをカメラに収めた(中段奥の黒い3冊が「資本論」)。当然のことながら、書店の経済学のコーナーは近代経済学の本で占拠されていた。私はついでに弁証法の本を探してみたがこれもみつからなかったので、店長風の賢そうな男性店員に聞いたところ、法律関係の棚の前に連れて行かれてしまった。彼に哲学の本だと言っても通じなかった。「資本論」のみならずマルクス・レーニン主義関係の古典は、中国の書店の店頭で簡単にみつけるのは困難な現状である。

上海で近所の経済や社会、歴史学などを専攻している大学生に直接、「資本論」について聞いてみたところ、「中国では“資本論”は旧世代の読み物で、今では誰も真剣に読んでいる人はいないのではないか」とか、「“資本論”は私も読んだことがないから内容はわからない。中国は特色ある社会主義の道を選び、経済がどんどん発展している。だからいまさらもう“資本論”なんか読む人はいない」とか、素っ気ない返事が返ってきた。

先日、ある大学の先生から、中国の大学では2年生になると「資本論」は必修科目になっているが、それをまじめに勉強する学生は少なく、ましてや難解極まる「資本論」を読もうとするような意欲のある学生は皆無であるという話を聞いた。それに反してMBAを始めとして金儲けのためのノウハウを教える経営学には、多くの学生が目の色を変えて群がっており、米国生まれの最新の金融工学とやらに熱中する学生が多いという話も聞いた。

昨夏の米国のサブプライムショックに引き続く現下の金融恐慌は、その金融工学が引き起こした悲惨な結末である。この事態は「資本論」をかじった者にとっては、さほど驚くようなことではない。これは資本主義の暴走の当然の帰結であり、「来るべきものが来た」という感覚で受け止められているからである。逆に米国仕込みの近代経済学一辺倒の人間にとっては、これらの事態は想定の範囲を超えており、その学問では有効かつ抜本的な対処法を見つけ出すことは難しいのではないかと思われる。

今年から中国では、労働契約法が強制執行され、社会保険への強制加入が進められている。日本では社会保障制度とりわけ年金制度について、その不適切な運用方法と今後の少子高齢化社会の到来で、その崩壊が懸念されている。中国では少子高齢化は日本より速く進行していくし、運用面も極めて不透明であり、不正腐敗の温床なっているとうわさされている。だから中国でも識者の間では、この年金制度が20年を待たずして崩壊するかもしれないと危惧されている。そのような危険性をはらんだ中国の年金制度について、私は中国の当社の従業員に、日本の例を示しながらこの制度の欺瞞性をくどいくらいに説明をする。しかし彼らは聞く耳を持たず、むしろこれに心の拠り所と老後の人生を託そうと考えている。

「資本論」を中心とするマルクス・レーニン主義の教えから言うならば、社会保障制度というものは、表面は人民救済であるが、裏面は為政者の人民慰撫政策である。しかも現実的には保険料として一時的に大量の資金が為政者の手元に集まってくる。為政者はそれを運用して大儲けを企む。つまり数10年後にツケを回して、うまい汁を吸うわけである。本当にうまく考えた収奪システムである。

日本でもその収奪システムは、かつてはうまく機能していた。当社も30年前にこのシステムを利用させてもらい、厚生年金還元融資を受け、女子寮を建てた。もちろん完済したが、20年ほどの返済期間があり、たいへん楽をさせてもらった。高度成長期には大企業を含めて、多くの企業がこれを利用した。ところがその後、バブル経済崩壊の中で、この融資を受けた企業が倒産したり、為政者自らが行なった事業や資金運用が失敗したりして、莫大な損失が発生し、年金の支払い原資がかなり減ってしまった。そこで為政者は年金額の減額や支給年齢の引き上げなど、姑息な手段でこれを取り繕うことを考えている昨今である。これと同様のことが、今後、間違いなく中国でも起こる。

中国では「資本論」を真剣に読もうとするような人間は絶えて久しいという。つまり共産主義や社会主義の真髄を理解している人間がいなくなっており、同時に資本主義について懐疑心を持つ人間も姿を消してしまっている。資本家は階級敵であるという意識などまるでなく、とにかく猫も杓子も資本家になって、カネ儲けをしようと血眼になっているのが現状である。しかしながら彼らの中で資本家として成功するのは、ほんの一握りであり、大半は夢に破れ借金に追い回される生活を送ることになるのである。それでも老後は年金があると信じ、かすかな思いをつないで生きていくことになるのであろう。しかしその年金も破綻し、彼らが「この世の中はどうなっているのだ」と疑問に感じるようになったとき、中国でも再び、「資本論」が脚光を浴びる日が来るのであろう。昨今の中国経済の暴走ぶりを見ていると、その日はそんなに遠いことではないのではと思う。

 

2.日本:なぜ今、「資本論」のミニブームなのか?

日本では今年に入って、小林多喜二の「蟹工船」が突然売れ始め、巷の話題になっているという。実際に出版社はすでに6月の時点で5万部の増刷をした模様である。精神科医の香山リカ氏は、「低賃金や重労働にあえぐ若者の多くは“こうなったのは自分のせい”と思い込んでいる。自己責任論の高まりや非正規雇用を正当化する社会の仕組みがおとなしいフリーターたちを生んできた」と分析した上で、「蟹工船」に関心が寄せられている理由を、「“働いているのに生活できないのはおかしい”“人間扱いされているとは思えない”と気づき、社会に向けて自分たちの状況を発信し、待遇の改善を求める若者も増えつつある。この本を読むことで彼らは、いつの時代も不当な働き方を強いられる労働者がいることに痛みを感じつつ、時代を超えた連帯を実感しているのではないでしょうか」と語っている。

「蟹工船」はともかくとして、なぜ「資本論」のミニブームが起きているのだろうか。嶋崇氏は前掲書のまえがきの冒頭で、「“誰もがヒルズ族になるチャンスがある!”などの言葉に踊らされてみたものの、現実にあるのは、アルバイトや派遣社員の仕事ばかり−。いったい今の世の中はどうしてこうなんだ?僕たちはどうすればいいんだろう?と考えている人に、再度注目してもらいたいのが<資本論>です」と書いている。彼は現代日本の若者たちを「資本論」へいざなうことによって、彼らが抱えている社会への疑問を解決する方向を示そうとしている。また、嶋崇版解説本の解説で、法政大学名誉教授:村串仁三郎氏は、資本論のミニブームを下記のように解析している。

「こうした歴史的経緯をへながら、今度は相当以前からマルクス思想、“資本論”の復権がささやかれ始めた。とくに近年そうした傾向を強めている。なぜか。その理由は、一言で言えば、資本主義が暴走して、国内において多くの民衆を経済的に貧困化し、かつ不安定な社会的存在におとしいれ、また経済のグローバル化と称して超巨額なマネーが世界の政治経済を支配し、ひと握りの集団が巨額な利益を手中におさめて、かつてなかった資本主義の不条理を生み出しているからである。

資本主義の暴走を許した大きな理由は、社会主義の崩壊である。さきに指摘したように、20世紀の初頭におきたロシア革命は、資本主義陣営を恐怖に落としいれた。資本主義陣営は、労働者に妥協し、労働組合の権利を拡大したり、社会保障制度を確立して、労働者の労働・生活条件を大幅に改善した。また経済政策では、独占的大企業の横暴をおさえる独禁法を制定し、資本主義の暴走を自制し、資本主義の延命に努力してきた。

しかし社会主義革命の恐怖がなくなってから、資本主義を否定する思想は霧散し、自由市場主義思想のもとに資本主義陣営は、怖いもの知らずに、利益のためなら何でもありの社会風潮を生み、利益主義の中で、これまで築き上げてきた労働者の権利や社会保障策、さらには中小企業の保護策、いわゆる弱者を保護する規制を取っ払って、社会中に利益主義をはびこらせ、ひと握りの富める集団を生み、膨大な人口を貧困におとしいれている。

こうした社会状況にあって、経済学者だけではなく、一般の働く人たちも、そもそも資本主義とは何なのか、利益主義の経済システムとは何なのか、果たして経済活動に正義や公正があるのか、を自問しはじめたのである」

私はこれらの嶋崇氏や村串氏の言葉につられて、解説本の本文を読み進めていった。この本は太郎くんと花子さんが先生に質問をしながら進行していくストーリーとなっており、それは漫画「資本論」を読んでいるような感覚で、終わりまで読みきってしまうことができるように仕組んである。私も苦笑しながらそれを読み終わった。その結果、私は初めて「資本論」の全貌に触れた感じがした。

もちろん今回も私は「資本論」の本体を読み切ったわけではないが、昨今の金融資本の暴走を許している不条理な社会を見ていると、やはりマルクスの予言が当たっているのではないかと思う。私のようにかつて「資本論」をかじった団塊の世代と、虐げられた若者との共通項が「資本論」という珍妙な現象を背景にしたミニブームは、現下の金融恐慌を通してさらに拡大していくのではないだろうか。

 

3.「資本論」積読か再読か?

今から10年ほど前に、私は飯田経夫先生の「経済学の終わり」という著書に出会い、そこから中小企業家としての歩むべき道を学ぶことができ、それまでの迷いを吹っ切ることができた。以下に飯田先生の言葉を借用し.「資本論」と私のかかわり方について述べてみたい。あえて飯田先生の名文を全面的に引用させていただいたのは、直接読んでもらった方が、先生の真意をより深く汲み取っていただけると思ったからである。

飯田先生はまずアダム・スミスを肯定し、

「アダム・スミスは、それまでは、どちらかというといかがわしいものとみなされてきたカネ儲けという行為を、すばらしいことだと前向きに是認し、積極的に賞賛した。こうして彼は、彼以前には旧制度によって狭いところに閉じ込められ、窒息死の危機に瀕していた人間のエネルギーをはじめて開放し、それに自由な活動の場を与えたのである。しかしながらその後の100年で、社会は悲惨になった」

と、その学説の結果を総括し、その悲惨な社会を解析するためにマルクスが出現したと話す。

「あの晦渋きわまる文体で、マルクスが読者につたえようとしたものは、いったいなんだっただろうか。私の大胆な仮説によれば、それは、資本主義にはある種の狂気が含まれる、という彼の直感だったのではないだろうか」、「マルクスは資本主義が女性や年端もいかない子供たちに、非人間的な長時間労働を強いることを、告発する。さらにカネに対する資本家たちのものすごい執着を批判する」、「マルクスは、資本主義・市場経済がけっしてきれいごとではなく、ときには暴走し、現場ではおびただしい血が流れることを、熱情と怒りを込めて語った」

そこで共産主義が勃興するのであるが、同時にケインズが登場したとつなぎ、

「ケインズ主義と福祉国家の恩恵で、初期資本主義の悲惨さは、歳月の経過とともにずいぶん和らげられた。たとえば“資本論”が告発した働く女性や子供の悲惨さは、少なくとも先進諸国には、いまは見られない。しかし、それにもかかわらず、初期資本主義の悲惨さと、それを背後から支える“狂気”と“こわさ”とは、完全に死滅してしまったわけではないだろう。ただ人間は“狂気”を飼い慣らすことに、おおむね成功しただけのことである。飼い慣らされれば、ふだんは内部に深く潜み、表面へは出てこない。ところが何かの拍子でたまたまそれが表面化すると、その凶暴さは昔になんら劣らない。たとえば先年のかのバブルなどは、まさにそうではなかったか。それは資本主義の“狂気”でなくて何だったのだろうか」、「これまで資本主義または市場メカニズムは、生き残りのために血みどろの努力をつづけてきたのであり、その結果、いまやそれは、傷だらけ・つぎはぎだらけのシステムになってしまっている。つまり絵に描いたような純粋資本主義・純粋至上主義メカニズムは、今日では、新古典派経済学のテキストブックを別とすると、もはや現実のどこにも存在しない。そして、ケインズ主義と福祉国家は、資本主義・市場メカニズムに施された最大のつぎはぎのひとつであろう。共産主義体制がまだ意気盛んで、それとの対抗上、資本主義体制側にかなりの危機感・緊迫感が漂っていた当時の状況を考えると、それはほとんど瀕死の資本主義・市場メカニズムに対して、タイミングよく投与された絶妙のカンフル剤だったように思われる。」、「それではこのカンフル注射は、以後どのような経過をたどったのか。一口で言えば、財政支出で見た財政規模は、肥大化の一途をたどり、財政赤字は恒常化した。」

今や世界の資本主義国はほとんど国家財政破綻などの危機に瀕している。まさに資本家を代弁する為政者の大衆迎合政治の結果がこの結果を生んでしまったのである。飯田先生はこのような末期的社会に住む労働者階級の心情についても言及し、

「ケインズ主義と福祉国家の到来によって、“失業と飢えの恐怖”がなくなると、“ヒラの人たち”は、それまでは心中深く秘していた不平不満を、心おきなく言動に表して、やたらに文句を言ったり、さぼったりするようになるだろう。“辞めてくれ”といわれれば、さっさと辞めて、しばらくは失業保険にぶら下がることもできるし、そうでなくても、探せば他に仕事はいくらでもある。さらには、“失業と飢えの恐怖”のもとでは、そもそも心に不平不満を抱くゆとりすらなかったのが、いまやそうするゆとりができたという面もあろう。こうして、職場の規律は失われ、労使関係は以前よりも悪化し、とげとげしくなって、生産性はなかなか上がらないだろう。人間とは、“失業と飢えの恐怖”で脅迫しなければ働かないものだ−という人間観は、人間観としていかにも寒々しているけれども、この種の先進国病症候群は、随所で観察されるようになったものと考えられる」、「失業率もとくに上昇せず、所得分配もとくに不平等化傾向が見られないのは、幸いなことにわが日本ぐらいのものである。しかしその日本でも、人々が−特に“ヒラの人たち”が現状に関しては、ほとんど“飽食”にも等しい“豊かさ”に満足感・幸福感を満喫しつつも、前途に対して抱く不安感は、ひところよりもずいぶん大きいのではないだろうか。それが人に与える心理的効果は、“失業と飢えの恐怖”と共通するところがある」

飯田先生の結論は、下記の如くである。

「経済とは結局人間がやることなのである。したがって人間とは何か、人間性とは何か−という問いが、経済・経済学にかんする究極の問いに他ならない。いったい人間性とはほんとうはどういうものなのか。神ならぬ人間の身には、ほんとうの答えは知るべくもないけれども、人間が何かを起こすに当たっては、いわば“作業仮説”として、人間性について何らかの見当をつけることが必要となる。そのときわれわれは、人間は“性善”であるかのように見当をつけるのか、あるいはそれとも、人間は“性悪”であるかのように見当をつけるのか−と。これまで日本では、人間はそう悪いことはしないものだ−という“性善”説的な前提が、暗黙のうちに、広く社会に行き渡っていたように思われる。すなわち日本人は、人間が“性善”であるかのように見当をつけた上で、物事を処理してきた。たぶんそれは、世界でも珍しい現象であり、島国に住む単一(に近い)民族だけに許される特権だろう。バブル崩壊や外国人労働者の流入、グローバル社会の到来など、近年の日本は、“性善”から“性悪”への転換という“文化革命”が進行中だと見ることができる。」

さらに飯田先生は「資本論」をかじってきたような経営者を下記のように評している。

「若いときに勉強した“マル経”の教えを旨としつつ、仕事としてはカネ儲けに励み、つねになにがしかの罪の意識にさいなまされながら、みずからの行為を律した財界・経済界のリーダーが、過去にはかなりいたという事実は、まことに感動的だと思う。見方によっては、それはまことに中途半端であり、そういうことでは、そもそも大したカネ儲けはできないかもしれない。だがそれならそれでもいいではないか。非人間的に生きるよりは」

私も「大したカネ儲け」はできなかった。実に中途半端な資本家であった。それでも非人間的に生きるよりはよかったと思っている。しかし資本家として生きてきた限りは、非人間的な行為をたくさん犯してきたとも思っている。今、私はようやく資本家を卒業することができた。そしてその罪滅ぼしのために、残りの人生を使うことができることに無上の幸せを感じている。できれば団塊の世代の友人や現代の若者たちといっしょに「資本論」勉強会を始めたいと考えている。さしあたっては、嶋崇版解説書の読み合わせから始めたいとも思っている。

                                                                      以上

 

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外部研究会情報:

 

中国改革開放30周年記念シンポジウム

「中国市場経済化の成果、課題と今後の展望」

主催:中国経済学会・大阪産業大学孔子学院

 

20081129() 13:3018:00

大阪産業大学孔子学院(大阪駅前第3ビル19F)

 【使用言語:日本語、中国語(通訳あり)

 

総合司会: 劉徳強(京都大学経済学研究科教授)

王京濱(大阪産業大学経済学部准教授)

 

13:30-13:40 開会挨拶: 厳善平(中国経済学会理事・桃山学院大学経済学部教授) 

 

第一部: 記念講演 13:4015:40

講演: 時 間: 13:40-14:40 

講演者: 張    教授(上海復旦大学中国経済研究センター)

テーマ: 中国の経済改革:知られざる物語

講演: 時 間: 14:40-15:40 

講演者:   曙光教授(天則経済研究所)

テーマ: 国有部門による独占の打破と政府による経済管理システムの整備

 

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第二部: パネル討論と質疑応答 15:55-17:50

 

パネル討論: 時 間: 155517:15 

討論者: 上原 一慶   教授(大阪商業大学)

佐々木 信彰 教授(大阪市立大学)

                          曙光    教授(天則経済研究所)

          教授(上海復旦大学中国経済研究センター)

質疑応答:  17:1517:50 

 

閉会挨拶: 倉橋 幸彦 教授(大阪産業大学孔子学院学院長)

 

レセプション 183020:00  司会 唐成(桃山学院大学経済学部准教授)

(参加費一人2000円。当日の参加も可能ですが、準備の都合上、できるだけ24日までに下記のメールアドレスまでご氏名とご所属をお知らせください。tang@andrew.ac.jp

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説明: 先日開催された上海センター運営委員会議では、協力会会員サービス充実の一環として、上海センターの設立宗旨に合うような外部の研究会やシンポジウムなどの情報を会員の皆様に提供してよいとしましたので、このようなご案内をいたすことにしました。ご関心のある方はぜひご参加ください。