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京大上海センターニュースレター
第54号 2005年4月25日
京都大学経済学研究科上海センター

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目次
○ブラゴベスト・センドフ駐日ブルガリア大使講演会のご案内
○上海センター・ブラウンバッグランチセミナーのご案内
○中国・上海情報 4.18-4.23
○河上肇と西洋思想
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ブラゴベスト・センドフ駐日ブルガリア大使講演会のご案内
講演テーマ「EUの東方拡大と東アジアの可能性-ブルガリアの視点から-」
講演者 ブラゴベスト・センドフ駐日ブルガリア大使、世界大学協会名誉総裁
通訳  田中雄三龍谷大学名誉教授
日時  4月28日(木)14:00-
会場  時計台記念館国際交流ホールT
共催  京都大学経済学会
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上海センター・ブラウンバッグランチ(BBL)セミナーのご案内
演題 人民元切上げが中国経済に及ぼす影響
講師 村瀬 哲司 京都大学国際交流センター教授
日時 2005年5月9日(月)午後12時15分〜13時45分(食事持ち込み可)
場所 法経総合研究棟3階311教室
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中国・上海ニュース 4.18−4.23
ヘッドライン
■ 中国:商務部薄熙来部長が発言、不買運動は「不可」
■ 上海:解放日報論説:「過激な行為は愛国ではない」
■ 中国:政府幹部ら集め日中関係報告会
■ 人民日報:対日抗議デモ関連、愛国の熱情をどう表現するか社説発表
■ 中国:国内価格高騰で鋼材の輸出還付率引き下げへ
■ 中国:2005年の穀物など作付け予定面積は8年ぶりに増加
■ 上海:1−3月期住宅ローンの不良債権が増加傾向
■ 上海:外食産業好調、社会消費財小売額10.2%増
■ 上海:1−3月GDP10.8%増、経済成長は軌道修正か
■ 中国:2004年絶対貧困人口2610万人、西部地域に集中
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                      河上肇と西洋思想
                                        京都大学教授 大西 広
 「ニュースレター」前号では日本学術振興会特別研究員の三田剛史さんに「河上肇と中国の
経済思想」という評論をいただいた。去る3月16日に行われた「河上肇シンポ」でのご主張を延
長し、更にわかりやすく趣旨をお書きいただいたものである。河上の場合、マルクス=レーニン
主義における「唯物論」と「前衛理論」は『孟子』の「恒産なくして恒心あるは惟士のみ能くする
を為す」との思想として統一されているというものであった。これは河上の思想を西洋起源のも
のだけとしてではなく、中国の伝統思想にも深く根付いたものとして位置づける極めて明確な
ご主張である。
 しかし、ご主張がここまで明確であるからこそ、ここではあえてその逆の主張を行ってみたい。
というのも、この「河上シンポ」での住谷一彦氏の記念講演は河上における「宗教」をカルヴァ
ン主義という西洋的なものとして位置づけたものであったし、私自身も毛沢東に引き継がれた
河上の「マルクス主義との距離」は、東洋的なものというより、西洋的な、あるいは一神教的な
ものであると理解しているからである。
 この主張のポイントは次のところにある。すなわち、『孟子』にそのような考え方が含まれてい
るとは言っても、それをもって「中国の思想的伝統」というには距離がある。それは、マルクス
のテキストのどこか一部に何らかの言明があったからといってそれを直ちに「マルクス主義」
と言えないのと同じで、「・・・主義」とか「・・・思想」と呼ぶには、その考え方の基本に根付く必
要があり、やはり私はこの点で、「士の思想」を(それが例え「日本的」と言えようとも)「中国的
」なものとは思えないのである。このことは本「ニュースレター」の第50号でも少し述べたが、も
っと保身主義的ないし物質主義的なところにあるのではないかと私は考えているからである。

中国思想とは何だろうか
 たとえば、今、東京大学名誉教授の蜂屋邦夫氏の解説(『中国思想とは何だろうか』河出
書房新社、1996年)によれば、周代に成立した中国思想は宗族制社会に強く特徴づけられ
ており、その内部で互いに助け合う人間関係を最重要視し、さらにその関係を階層化=秩序
化するために「礼」という身分固定化のためのイデオロギーを形成した。中国では現代もお
みやげ物の交換や「接待」という形で「人間関係」の維持が重視されているが、この淵源に
関わっている。蜂屋氏によると祖先への「供養」も祖先が祟(たた)ってこないための関係維
持行為で、「祭る」という字自体が肉を手で捧げる意味であるということである。互酬性を基
本とするコミュニタリアリズムの淵源とは理解できるが、ジャスティスを基準に善悪を判断す
る思想とは言えない。義か不正義かが問題なのではなく、自己にとって恩義のある人・もの
は厚くもてなし、そうでないものには無関心な道徳観念というべきものである。ついでに言う
と、この蜂屋氏は中国古典における「鬼神」の「神」も格上げされた「鬼」であって、人々の生
死や運命を支配するものとされている。人々はそれを時に慕い時に恐れる。その心は、支
配者に対するそれであって、西洋3宗教のような人々の精神そのものに直接語りかけるもの
には思われない。中国思想の場合には、神はその怒りを静めるために貢物をし、ひれ伏す
対象でしかないというのが私の意見である。
したがって、この「神」への人々の態度は、地上界の王に対するそれと本質的に同じものの
ように思われる。天子が天子として存在しうるのは彼が天の神や祖先を「供養」しているか
らで、諸侯が諸侯として存在するのは彼が祖先や天子(?)を「供養」しているからである。蜂
屋氏の解説によるとこうした行ないが「徳」の本来の意味である。孔子はこの「徳」を内面化
して「道徳」に昇華したものの、そこで言われた「徳治」もまた、王や諸侯が人民に対して恩
恵をほどこすことをもって「徳」とするものでしかなかった。「唯物論」ではあるが、やはりその
分だけ現世主義を免れていない。

河上肇における「宗教的真理」
 そこで、本題の河上に戻るが、河上が言うところの「宗教的真理」とは何かという問題であ
る。河上は「ここで宗教と云ってゐるのは、基督教とも仏教とも、真宗とも禅宗とも、別に名
の附けやうのない、純然たる我流のものなのである」(『大死一番』、『著作集』第9巻215ペー
ジ)と言っているので、確かにその「宗教」はキリスト教のものと特定することはできない。が、
河上に対するキリスト者内村鑑三の影響の大きさを否定することはできないし、河上の言う
「絶対的非利己主義」は「マタイ伝」の次の部分から導かれたものだとされている。すなわち、
「人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。なんぢを訴へて下衣を取らんとする者には、上
衣をも取らせよ。人もし汝に一里ゆくことを強ひなば共に二里ゆけ。なんぢに請ふ者にあた
へ、借らんとする者を拒むな。」
 つまり、このような精神のあり様はやはり一神教の西洋的なものではあっても東洋的なも
のではない。東洋にはこのような思想はなかったと思われるのである。「士の思想」も、やは
り座標軸がずれている。そして、こうしたギリギリの態度が、河上にして真理にのみ忠実たら
んとする生き方を可能とさせたものである。ここにあるのは、人間関係重視の思想や現世主
義とはまったくかけ離れたところのものである。

毛沢東、ケ小平、河上肇
 ところで、私が特にこの面を強調したいのは、中国人(非ムスリムの)や中国外交のもつ最
近の理念のなさが気になって仕方がないからである。あるいは、同じことであるが、毛沢東
時代に感じることのできた中国外交の崇高な理念を最近の中国からは感じることができな
くなったからである。たとえば、対米外交も両国間の力関係をよく分析して大変戦略的に組
み立てていることは理解できるが、それは「理念」に基づくものではない。

 また先日、ゼミでこの問題を討論していた際に、ウイグル族の留学生が言った次のような
ことを紹介しておきたい。それは、本来宗教に厳しかった毛沢東を当時のウイグル族が受け
容れたのには、その思想にある種の親近感を覚えたからだということである。つまり、西洋
起源のイスラム教には毛沢東思想にこそ親和性があるというのである。そして、もしそうであ
るのなら、「東洋的」なのは実はむしろケ小平であって、毛沢東は「西洋的」ということになる。
考えようによっては当然の理解でもあるが、毛沢東をもって「東洋的なマルクス主義」と理解
したこれまでのあり方からすれば発想を逆転せねばならないことになるのである。
 あるいは、この逆転の発想をさらに推し進めるともうひとつの逆転の発想を生む。というの
は、「マルクス主義」を「唯物論」の文脈にひきつけて理解するとき、人々を「教化」によって
治めるのではなく、利益誘導によって治めようとしたケ小平こそ人間の唯物論的理解を示し
ており、つまりより純粋なマルクス主義者であることになるからである。この理解では、マル
クス主義は西洋においてより東洋においてこそより正確に理解されたことになる。
 といってももちろん、この理解はやはりやや一面的である。マルクス主義には三田氏が言
うように「前衛理論」もがあり、現実に存在する彼らのような非利己主義的人士の存在をも
説明できる理論でなければならない。つまり、河上のような存在をも説明せねばならないの
であって、その必要性は彼の生きた天皇制軍国主義の時代には余計に大きかったはずで
ある。そして、その意味では、やはり、「唯物論」と「前衛理論」の統一を目指した河上の思
想的営為はマルクス主義の思想史において特別の地位を占める。彼の思想を「東洋的」と
見るか「西洋的」と見るかは別として、この意味で東洋人の誇りであることに間違いはない。
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