=================================================================================
京大上海センターニュースレター
第55号 2005年5月1日
京都大学経済学研究科上海センター

=================================================================================
目次
○上海センターシンポジウム「日中間の”政冷経熱”をどう打開するか」のご案内
○上海センター・ブラウンバッグランチセミナーのご案内
○中国・上海情報 4.24-5.1
○現代中国の政治経済学(1)
*********************************************************************************
京都大学上海センター・シンポジウムのご案内
「日中間の”政冷経熱”をどう打開するか」
 「中国特需」といった言葉が登場する一方で、日中間の政治・外交上の摩擦は高まる一方と
なっており、先には中国国内で大規模な「反日デモ」が繰り広げられました。この影響は現在
経済問題にも波及しおり、事態は深刻です。
 京都大学経済学研究科上海センターでは、昨年以来言われている「政冷経熱」を討論しよう
と年初からこの企画を進めてまいりましたが、事態の進行が早く、現在のような摩擦の激化に
至ってしまいました。本シンポジウムの報告者には、2003年に中国側から対日融和を唱える「
対日新思考」を提起した中国人民大学時殷弘教授を中心に、元中国特派員としてこの分野で
の発言を継続してなされている高井潔司北海道大学教授、それに人文学的なサイドから日中
関係を長くみつめて来られた竹内實本学名誉教授をお呼びしました。
 シンポジウム終了後には会場を経済学部大会議室に改め、懇親会も企画しておりますので、
ぜひともご参加のほど、よろしくお願いします。

報告者 時 殷弘 (中国人民大学国際関係学院教授、アメリカ研究センター主任教授)
高井潔司(北海道大学国際広報メディア研究科教授、元読売新聞北京支局長)
竹内 實 (京都大学名誉教授)
司会 本山美彦(京都大学経済学研究科教授)
日時 7月1日(金)午後2:00-6:00
会場 京都大学時計台記念館百周年記念ホール
主催 京都大学経済学研究科上海センター 協力 京都大学上海センター協力会
※ 当日、上海センター協力会では、13:00-13:45に法経総合研究棟2階大会議室にて2005年
度総会を開催します。会員の方はよろしくご参集ください。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
上海センター・ブラウンバッグランチ(BBL)セミナーのご案内
1)第3回 人民元切上げが中国経済に及ぼす影響
講師 村瀬 哲司 京都大学国際交流センター教授
日時 2005年5月9日(月)午後12時15分〜13時45分(食事持ち込み可)
場所 法経総合研究棟3階311教室

2)第4回 中国経済の行方・再考
講師 京都大学経済研究所 上原一慶教授
日時 2005年5月18日(水)午後12時15分〜13時45分(食事持ち込み可)
場所 法経総合研究棟1階演習室107

3)第5回 中国における都市・農村間の教育格差
講師 京都大学大学院農学研究科 沈金虎 講師
日時 2005年6月7日(火)午後12時15分〜13時45分(食事持ち込み可)
場所 法経総合研究棟1階演習室107
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
中国・上海ニュース 4.25−5.1
ヘッドライン
■ 中国大陸・台湾:国共トップ会談実現
■ 中国国務院:不動産市場のマクロ調整の強化を検討
■ 中国:中央政府直属国有企業、3月利益過去最高更新
■ 中国:国有機械重点企業、1−3月期売上高20%増
■ 中国:1−3月期、農・林・漁業の生産者価格6.4%上昇
■ 聯想(レノボ)グループ:GW返上の新体制づくり
■ 中国:1−3月期、電子重点企業伸び鈍る
■ 上海:無許可デモの取り締まり明文化
■ 北京:マイカー保有率22%、全国トップ
■ 北京:東京大学法人格中国事務所を開設
=================================================================================
                       現代中国の政治経済学(1)
                                         京都大学教授 山本 裕美

Tはじめに
 現代中国の経済学者達は度重なる政治変動に如何に対応して生き延びてきたのだろうか。
ここでは特に欧米に留学した学者、ケ小平の経済改革に影響を与えた経済学者に焦点を当
てて論じてみたい。

U近代経済学とマルクス経済学

 1北京大学教授達の経済学に関する意見書
 毛沢東の指示した「百家争鳴、百花斉放」の時期に北京大学の陳振漢、徐毓楠、羅志如教
授、中国科学院経済研究所の巫宝三教授、政府部門の谷春帆、寧嘉風教授は「当面の経済
科学工作に関する我々の幾つかの意見」を公表した。この6人の教授は全員欧米留学組であ
り、近代経済学者であったのである。この意見書の主たる内容は以下の通りである。1つはブ
ルジョア経済学の批判的摂取問題である。この問題では彼らはケインズの乗数理論、近代経
済学の限界概念は社会主義経済にも適用できることを主張した。またブルジョア(数理)統計
学の標本理論、正規分布、時系列、相関関係等の概念は有用であると論じた。
 次に提起した問題はマルクス・レーニンの経典著作への対応である。経典著作を金科玉条
目として神の如く崇拝し、マルクスの絶対窮乏化理論の誤りを正さない態度を批判したのであ
る。この意見書は基本的には陳教授が草案を書き、その他の5人が修正したものである。資
料には第3次稿まで収録されているが、新しい原稿になればなるほど彼らの主張は弱体化し
ていることが読み取れる。この意見書によって彼等は批判されて右派のレッテルを張られ、失
脚したのである。この6人のうち失脚後の運命が比較的詳細に判明しているのは巫教授であ
る。彼は江蘇省旬容出身で1932年清華大学経済系卒業後、ハーバード大学に留学してシュン
ペーターの弟子となり、48年経済学博士号を取得した。博士論文は中国の資本形成と消費支
出に関するもであった。 帰国後中央研究院社会科学研究所研究員となり、1942年に編著『
中国の国民所得1933年』を出版している。これは中国最初の国民所得の推計である。 新中
国建国後中国社会科学院経済研究所副所長になったが、この意見書のために右派として批
判され、失脚した。1979年以降は名誉復活して経済研究所顧問、中国経済思想史学会長、全
国政治協商会議第5、6、7期委員等を務めた。そして1999年2月1日94歳で死去した。

@ブルジョア経済学の批判的摂取問題
 「現在唯心主義の方法を開放することを提出する人がいるけれども、事実上一般的な了解
は更に有効な批判のためであることである。経済学界では我々もまたケインズ経済学説のよ
うな資産階級に重要な経済学説の紹介を既に少し紹介し始めたことは、理解と批判のために
過ぎず、このようなことから幾つかの有用な概念や分析方法を提出できる人はいないのでは
なかろうか。例えばケインズの“乗数理論”は一種の数字概念に過ぎず、我々の投資効果の
分析に使用できるのではないだろうか。またブルジョア経済学の中で常用される“限界概念”
は分析道具として使用できるのではないだろうか。特に統計学のような一部門の方法科学は、
社会現象の科学研究に対して普遍的な重要性を持っているが、現在ブルジョア統計学には
選択理論、正規曲線、時系列、相関関係等々のような多くの方法概念があるが、同様に応用
して我々の社会経済現象を分析できるのではないだろうか。但し、諸統計の他を一瞥すると
我々が学び教えるところの統計は、加減乗除と簡単な平均数を除けば、その他の内容は少
しも無く、これにより極端に枯れた単純で乏しいものに過ぎない。我々が誇大に学問の階級
性を過分に誇大化し、甚だしきはあるものに対しては理解できないし、接することができない
ものとし、また資産階級のものは草木皆兵の感があり、一切の学問は接する前に草木皆兵
の感があるというのは一筆で抹殺するのはどうであろうか。」

A如何に経典著作に対するかという問題
 「現在の空気は経典著作上の一字一句を全て金科玉条となし、引用解釈するだけで逐字
逐語を述べ、暗誦し、あるいは注釈訓詁を施し、甚だしきは排校の誤りあるいは翻訳上の誤
りも全て詰屈?牙(きつくつごうが)の訳文であるとして神としてこれを敬うならばどこで精神の
実質を会得できようか。我々はマルクス・レーニン主義の全ての経典著作について一つの疑
問も持たずに厳粛に真面目に学習すべきであるが、その目的は経典著作者達の思想、観点、
方法を理解することにあるのであって字句を理解するのではない。これらの著作の本質的な
ものを掌握することにあるのであってそれらの枝葉末節を掌握することではない。しかし多く
の経典著作は百年以前に書かれたものであり、百年来の事物についてはその大部分を予
見しているに過ぎず、その微妙なところを見透かすことはできずに趨勢を予見しているに過
ぎず、年月時において先を占うことはできず、十月革命が、工業化が遅れたロシアで勃発し
たことはその明らかな事例ではないか。しかし、マルクスとレーニンは著作そのものであると
信じて疑うものはいないが、マルクスの著作は全て死後出版されたものであり、どうして一字
一句が珠玉でありえようか。しかるに我々はここにおいてどれくらいの年月誰も絶対貧困論
に対する疑問を公開提出しなかったのだろうか。」

2 馬寅初北京大学総長の受難
 馬寅初(1882−1982.5.10)は中華民国の著名経済学者で建国後帰国して1951年北京大学
総長になった当時中国が生んだ最高の経済学者であった。
彼の経歴は以下の如くである。浙江省紹興の出身で1906年に天津北洋大学を卒業した。専
攻は鉱業冶金学であった。1910−14年に米国に留学してエール大学で経済学修士を取得し
て更にコロンビア大学で経済学博士を取得した。彼の博士論文は『ニューヨーク市の財政』で
あり、この論文は大学の教科書として用いられたという。
 彼の指導教授はセリグマン教授(Edwin R. A. Seligman)(1986−1939)であった。セリグマン
教授は米国最初の経済学講座のマクヴィガ−記念講座教授となり、米国経済学会を創設し、
初代会長となっている。主著にはThe Shifting and Incidence of Taxation, 1892、 The
Economic Interpretation of History, 1902があり、後者は河上肇教授が翻訳して『新史観』と
いう表題で1905年に出版されている。
 彼は1915 年に帰国し、1916年に北京大学法科経済門教授に就任、その後中央大学・上海
交通大学・重慶大学教授を歴任した。1929年国民党南京政府立法院財政委員会・経済委員
会の委員長となり、1935年国民政府立法院立法委員兼財政委員会委員長に就任した。とこ
ろが1940年彼は国民党の財政政策を批判したために逮捕され、投獄されたのである。42年
に釈放されて、1年軟禁され、43年私立重慶北碚立信会計学校教授となった。48年に出国し
て香港に在住した。49年に周恩来の要請で帰国したのである。
彼は毛沢東の「百家争鳴、百花斉放」方針の下に「新人口論」(1957.7.5『人民日報』全文掲載)
により「中国のマルサス」と批判され失脚した。彼の人口抑制策は毛沢東の人手が多いこと
こそ経済発展の本であるという人口資本論に反するものであるという理由で批判されて失脚
した。当時康生(後の4人組の1人)は「馬は馬でも馬克思(マルクス)の馬ではなく馬爾薩斯
(マルサス)の馬である」と罵倒したという。
 失脚中馬教授は1963−65年に中国の農書研究に励み、生涯最大の100万字の著作『書』
完成した。しかしながら文化大革命中に紅衛兵が彼の自宅に乱入してこの原稿は彼の目の
前で焼かれたという。彼のこの研究はこれで完全に失われて彼の死後公刊された全集にも
収録されていないのである。学問に無知な少年紅衛兵の愚かな破壊行為により貴重な研究
が永久に失われたのである。
 1979年に彼は名誉回復されて、北京大学名誉総長に就任して、『新人口論』は北京出版
社から出版された。更に1981年2月中国人口学会名誉会長となり、『馬寅初経済論文集上、
下』が北京大学出版社から出版された。彼は1982年5月10日死去した。享年101歳であった。
 彼の全業績は『馬寅初全集』(全15巻)として編集されて浙江省人民出版社から1999年に
刊行されている。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++