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京大上海センターニュースレター
第65号 2005年7月11日
京都大学経済学研究科上海センター

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目次
○ 上海センター・ブラウンバッグランチセミナーのご案内
○ 中国・上海情報 7.4 - 7. 10
○“漸進改革の知恵”の普遍的意義とその普及
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上海センター・ブラウンバッグランチ(BBL)セミナーのご案内
第7回 中国河南省農村経済の持続可能な発展実現に関する一考察
講師 中国河南省信陽師範大学経済管理学院 張莉教授
日時  7月12日(火) 12:15-13:45
場所 法経総合研究棟1階107号教室
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中国・上海ニュース 7.4−7.10
ヘッドライン
■ 中国とベトナムら3国:南シナ海油田共同探査で合意
■ 中国:1−5月繊維重点37社、輸出規制で利益35%減
■ 国家統計局:中国初のPMI発表、6月は51.7%
■ 北京首都鋼鉄:環境配慮で北京から移転、高炉を停止
■ 中国環境保護総局:排ガス管理技術で日産と研究協力へ
■ 天津開発区:1−6月、外資導入で全国トップ
■ 上海:中・外環状線内で分譲マンションの値下げ合戦
■ 産業:中国製自動車がベルギーに、欧州各国での販売へ
■ 無錫:14年間でGDP13倍、融資16倍
■ 浙江:最悪の電力不足、夏の停電多発は必至
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              “漸進改革の知恵”の普遍的意義とその普及
                                        京都大学教授 大西 広
はじめに
 体制移行の比較研究のために昨年末にCubaの調査をしたが、移行を逡巡し、部分的には
逆行さえしている。これはケ小平改革の初期に「保守派のまきかえし」の可能性が何度も指摘
されたこととも関わるが、それほど漸進改革の継続が困難であることを示している。他方、ベト
ナム、北朝鮮は移行に成功しつつあるように見られるが、それは中国の成功に学んだもので
ある。現在の日本も大規模な経済構造転換を必要としているが、それをどのようなスピードで、
またどのような手順で行うかは模索の途上にある。こうした政策形成において中国は極めて
多くの教訓を提供してくれる。こうした意味で、日本は中国から多くを学ぶ努力をしなければな
らないし、また他方で中国はそうした自己の経験を経済理論によって普遍化し、その成果をも
って他国に平和的な国際貢献をすることができるのではないか。

T ケ小平改革の例外性
 前述のベトナムと北朝鮮および中国を除くと、資本主義発展の初期に必然的な国家主導型
の「強蓄積期」からその後の市場主導型の「通常蓄積期」に進み行く際にあまねく「革命」が存
在し、国家を主導する政党も転換した。そのことを以下の表で確認することができる。ここでは
日本やドイツにおける「敗戦」もまた大規模な権力の転換を伴ったという意味で「革命」とみな
している。表中最後のインドは国民会議派のラオが漸進的な改革を当初開始しようとしたこと
を表しているが、結局ラオ政権はすぐそれに失敗し、野党に転落している。つまり、「未完の漸
進改革」に終わった。これは、フルシチョフがソ連において開始しようとした経済改革がブレジ
ネフらの保守派によって阻止されたのと対応している。この意味で、現実に実行された漸進改
革は中国が歴史上最初のものではないかと思われる。
 なお、ここで「国家主導型の強蓄積が資本主義初期に必然的」とする意見に対し、イギリス
やアメリカではそうでなかったとする反論がありうるが、それは誤っている。イギリスにおいて
も初期工場法は労働時間の延長を国家の力で強制するものであり、また第2次エンクロージ
ャーも国家による土地の囲い込みに対する法的強制を必要とした。そして、国家介入的要素
の少なかったとされるアメリカにおいても、国家介入に代わる奴隷制という特殊な社会制度が
存在したし、この社会制度を維持したのが国家であったことを忘れてはならない。この意味で、
その程度に差があったとしても資本主義初期に国家が決定的な役割を果たしたことを否定で
きない。

   各国における強蓄積期とその転換
           強蓄積期             通常蓄積期
       国家主導型工業化(国家資本主義) 転換年 市場主導型工業化(私的資本主義)
日本       大政翼賛会      1945     自民党
ドイツ      ナチス        1945     CDU
インドネシア   国民党(スカルノ)  1967     ゴルカル(スハルト)
エジプト     ナセル        1970     サダト
中国       中国共産党(毛)   1978     中国共産党(ケ)
ロシア      ソビエト共産党    1991     エリツィン
インド      国民会議派(ネルー) 1991     国民会議派(ラオ)

U 漸進改革が例外的である理由
 しかし、もしそうであればあるほど、こうした漸進改革を中国とそのフォロワーとしてのベトナ
ムや北朝鮮以外がどうしてなしえなかったのかについて、理論的にも考えてみる必要がある。
報告者なりのその問いへの回答は以下のようなものである。
 すなわち、「体制」はそれぞれの時代に利益を得る社会階層とそうでない階層を持つから、
「体制転換」はそうした階層の転換を意味する。そのため、体制転換には旧支配階級・階層
の抵抗が必ず生じ、その旧階級を支持基盤とした政治勢力は移行に反対せざるをえなくな
る。もしその政治勢力が時代の変化を察知して移行を目論んでも、そうした政策転換は彼ら
をして支持基盤の喪失をもたらすだけで何の利益ももたらさない。新しい社会階層は一般に
すでにそれ自身の政治勢力を保有しており、よってそれは新しく「政策転換」をして来た古い
支配政党よりも信頼を置くことができる。そのため、それぞれの政治勢力はそれが利益代表
する社会階層を一般に転換することはできず、よって政権交代という形をとらずに「移行」を
することができない。一般に移行が革命か戦争なしになしえないのはそのためである。
 なお、以上の論理から明らかなように、対抗する政治勢力の存在を禁止する一党制は政
権交代を伴わない移行にとって有利な条件となっている。が、中国にあっても一党制の放棄
は将来において避けることはできない。そして、それを放棄するのであれば、政治の安定す
る高成長期に行なうのが望ましく、その意味で「将来」にこの課題を先送りするのは得策では
ない。ただし、この政治改革も急進的なそれでなく漸進的でなければならない。

V そうした例外的達成ができた理由
 ところで、もし以上のように歴史的に特異な移行の実現であるのであれば、なぜそのような
達成を中国だけが成し得たのかということが問題となる。そして、それへの報告者の回答は、
中国に存在した安定した政権政党が未来を見通す法則的な歴史観を持ったイデオロギー政
党であったことにある、というものである。政権党が利益政党でなければ上述のような古い支
配階級の利益にとらわれる必要はないし、かつそのイデオロギーが歴史の不可避の発展経
路を認めるのであれば、そうした発展に見合った政策の漸次的な転換の必要を理解するこ
とができる。言うまでもなく、ここで中国の政権党が保持して来たイデオロギーとはマルクス主
義(史的唯物論)である。ケ小平が80年代半ばに問題としていた経済建設の目標年次は2150
年というものであった。知覚、想起、企画される政策運営の時間感覚の長さが特筆されるが、
「現在」を相対化し、遠い未来を見とおし得る歴史法則志向の思想、マルクス主義は長久の
歴史を持つ中国でこそ最も理解しやすい思想であった可能性がある。
 もちろん、以上のように述べるからといって、当時の中国共産党の指導者たちがどれだけ深
くマルクス主義の真髄を理解していたかどうかは分からない。イデオロギー色の薄くなった現在
についてはなおさらである。が、少なくともケ小平は@経済建設が先決問題であること、および
Aその発展段階に応じてなすべき事が異なることを明確に認識していたのであって、この2つ
の条件を満たすイデオロギーとしてマルクス主義が傑出していることを否定できない。経済学
の領域では「新古典派経済学」も「ケインズ経済学」もともに歴史的な視点を持たない。
 もうひとつ、誤解を避けるために述べておかなければならないのは、以上のように述べるから
といって、マルクス主義政権でなければ(あるいはマルクス主義者がいなければ)社会は新しい
生産様式、新しい生産関係に進み得ない訳ではないということである。そうした社会勢力が存
在するとしないとに関わらず歴史は前に進むし、実際に進んできた。それがマルクス史的唯物
論の命題である。ただ、そうした歴史の進行=「転換」が制御されることなく、「革命」か「戦争」
という形で混乱(ないし経済破壊)を伴って進むだけである。そして、そのために、この種の「転
換」もそれが歴史進歩的なものである限りは拒否されるべきではなく歓迎されなければならな
い。念のために繰り返すが、これはこの転換が「革命」や「戦争」という形をとってもである。マル
クス主義はこの意味で歴史発展に不可欠な存在ではない。逆説的ではあるが、ただ(急進改革
という意味での)「革命」を防止するためにだけ社会に必要とされる存在なのである。

W 例外的達成を理論化し普及して行く義務
 しかし、この「革命」なしに歴史を前に進めることができるということは人々の幸福にとって大
変重要なことである。革命は一般に多くの人々の生命を奪うと同時に、1991年以降のロシアに
見られたように経済の破綻による不幸をももたらす。この意味で、革命のない社会転換の追求
は人類の崇高な目標のひとつである。現在の日本において、「革命」というようなものは考えら
れないが、それでも「構造」化された戦後の日本的社会システムを別の「構造」にしていく際に、
そうした全面的転換をどうコントロールして行なうかという問題が存在する。また、1978年以降
に中国が行なった国家主導型経済から市場主導型経済への転換を今後に行なわなければな
らない諸国も世界には存在する。この意味で、中国におけるこうした経済改革の方法をより一
般的に理論化し、よって世界に普及して行くことは非常に重要である。このために日中の社会
科学者の共同が求められる。
 なお、こうした作業は実は中国自身の利益にもなる。なぜなら、今後20-30年は続くと思われ
る高度成長も、その後には停止すると考えられるから、その時点で1978年当時に匹敵するよう
な大規模な社会の構造転換が必要とされるが、その時に再びケ小平のような絶妙の改革のコ
ントロールができるか否かは決定的であるからである。中国の場合、現在はその高度成長によ
って表面化はしていないものの、しかしその停止によって表明化する可能性の高い問題は所得
格差の問題や少数民族問題、政治改革の問題など数多い。その時に、現在の既得権益に捕
われた支配的な階級が求められる社会構造転換に抵抗し、よって新たな漸進改革を阻害する
可能性は高い。その危険性を正確に認識し、その時のために「漸進改革の知恵」を一般的な
形で整理しておくことが求められている。
 参考資料 大西広『社会主義発展論』陝西人民出版社、2002年
(前号に続き、これは5月24日に在瀋陽日本国総領事館で当総領事館と京大上海センターが
開催した「日中経済交流セミナー」での報告です。)
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