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京大上海センターニュースレター
91号 2006111
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

   上海センター・ブラウンバックランチ・セミナーのご案内

   中国・上海ニュース 1.2-1.8

○中国旅行を通しての所見・所聞・所感()

○北京・天津視察ツアーのご案内

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上海センター・ブラウンバックランチ・セミナーのご案内

テーマ 「中国の企業経営にみる非制度的要因:郷鎮企業と華人企業の歴史と現在」

報告者 濱下武志 京都大学東南アジア研究所教授

日時  2006111()12:15-

会場  経済学研究科第103演習室

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中国・上海ニュース 1.21.8

ヘッドライン

           中国:2005年経済成長率は9.8%と推計

           中国とEUの貿易額:初の2千億ドル突破

     中国:05年農産物輸出額265億ドルと予測、過去最高

     中国人民銀行:外国為替スポット取引に相対取引を導入

     中国:北京−上海間の鉄道電化工事、06年7月に完了

     中国水利部:全国2/3の都市で水不足、1/3の都市で深刻

     産業:05年薄型テレビの国内需要が500万台以上

     上海:第三次産業への外国直接投資額64%増

     北京:花卉市場規模が全国最大の40億元

     天津港:貨物取扱量で世界上位10港入り 

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中国旅行を通しての所見・所聞・所感()

上海センター協力会会員 太田宏明

T.始めに

去る1117日、上海センター・ブラウンバッグランチ・セミナー第10回の江田憲治教授「日中関係とナショナリズム−われわれはなぜこれほどまでに嫌われるのか?−」を受講し、日本人と中国人の歴史認識を始めとする意識、感情の違いが今後の日中関係に差し迫った問題として立ち表れるのではないかとの危惧を抱いた。

筆者は企業を退職した後、20019月から20039月まで北京に滞在し、また20049月を合わせ、この間に数回中国内を旅行した。その際旅先で偶然にめぐり会った中国人のタクシー運転手、列車の乗客、観光客等との雑談(聊天)の中で、彼らから日本乃至は日本人に対する見方、考え方、感じ方を直接に聴取する機会があった。江田教授の講義と関連すると考えられるので、個人的経験で限られた範囲ではあるがこの場を借りて報告したい。

なお、これらの発言は少数の例ではあるが、いわば無作為抽出的な、生の声として、中には筆者が日本人であることを意識した、公式的な側面もあるとは想像されるが、出来るだけ発言者の表現を生かして日本語に訳して、類型的に整理してみた。

 

U.めぐり合った人々

まず、めぐり合うことができ、かつ話の内容を書き留めることができた16名の人々につき各氏(アルファベット記号表示)毎に、時期、場所、職業、性別(年齢)を以下に紹介したい。

A氏:2002年 4月 武当山    タクシー運転手   夫妻(30歳代)

B氏:2002年 5月 鄭州     観光客(中学生)  男女(1213歳)

C氏:2002年 5月 洛陽〜北京  列車乗客(会社員) 男性(20歳代後半)

D氏:2002年 7月 承徳     ガイド       女性(4050歳代)

E氏:2002年 7月 大同     農民        男性(72歳)

F氏:2002年 8月 大慶〜黒河  列車乗客(会社員) 男性(40歳前後)

G氏:2002年 8月 牡丹江〜図們 列車車掌      女性(50歳代)

H氏:2002年 8月 吉林〜撫順  列車乗客(経営者) 男性(40歳前後)

I氏:2002年 8月 瀋陽〜丹東  列車乗客(会社員) 男性(50歳前後)

J氏:2002年 8月 撫順     タクシー運転手   男性(30歳前後)

K氏:2002年 8月 威海(劉公島)観光客(大学教授) 女性(5060歳)

L氏:2002年 8月 煙台〜蓬莱山 タクシー運転手   女性(40歳前後)

M氏:200210月 西安     タクシー運転手   夫妻(50歳前後)

N氏:200310月 タクラマカン砂漠 4WD車運転手 男性(40歳前後)

O氏:2004年 9月 広州     タクシー運転手   男性(50歳前後)

P氏:2004年 9月 中山     タクシー運転手   男性(20歳代)

 

V.聴取した内容

1.過去の日中間の戦争および支配に関する見方、感じ方

先ず、過去の日中間の戦争および支配に対する中国人の受け止め方、見方、感じ方が表れていると思われる発言を以下に紹介する。

(1).日中戦争乃至日本人に対する受け止め方

@.理性的な受け止め方                                            

日中戦争乃至は当時の日本人を理性的に見ようとする、下記のような表現がある。

@.解釈型

日中戦争時の日本人と指導者を区分し、日中戦争は日本の指導者の間違いにより起こされたものであり、日本の一般国民は中国人と同様被害者である。中国人はいつまでも過去の戦争に拘泥しない。大事なのは、事実を認めて未来を切り開くことだ、との受け止め方である。H氏が下記の表現で語り、BCIL M氏もほぼ同様の内容であった。

〈例「日中関係は、この前の日中戦争を除けば、常に友好的であった。

戦争を起こしたのは、当時の日本の指導者が間違ったためであり、老百姓(一般の日本の民衆)は戦争を望んだのではなく、中国人と同様被害者である。しかし日中戦争は過去のことであり、現在の中国人は過去のことに拘泥して、日本人を憎んではいない。

日中関係を好転させるためには、先ず現在の指導者が過去の誤りを認め、明確に詫びを表明すべきである。あとは、お互い平等の立場で協力して、未来を切り開いていけばよいのだ。中国人は平和を望んでおり、戦争はしたくないのだ。」

A.割り切り型

上掲@(解釈型)とほぼ同内容であるが、戦争一般を殺戮がつきものの酷いものとして割り切った表現で、P氏が下記のように語った。

〈例「日中戦争は過去の歴史である。

戦争には殺戮がつきものであり、ジンギスカンがアジアおよびヨーロッパの各地で、殺戮したのも事実であるし、ジンギスカン以外にも、中国はベトナムを侵略した歴史がある。

日本人が中国人を殺戮したことばかりを今さらとやかく非難し、憎んではいない。

大事なのは、人民は戦争を望んではいないのだから、友好的な関係を永続させることである。」

A.感情的な受け止め方

次は、日中戦争乃至は当時の日本人の行為を感情的に受け止めていることが窺える表現である。

A−@.戦争被害の体験に基づく表現

筆者がある一人の日本人と共に大同の田舎道を散策した際出会ったE氏(72)から、「あなた達は日本人か?」と尋ねられた。そうだと答えると、老人が厳しい表情で次のように語った。押し殺した表現の底に、戦争体験に基づく日本人に対する憎しみが隠れていることが感じられた。

〈例「9歳の時にこの村に日本軍がやって来た。日本軍は中国が招きもしないのに来たのだから良いことをするはずはない。幸い当地では虐殺がなかったが、少し離れた村では虐殺など酷いことがあったのだ。」

A−A.抑圧し切れない感情の表現

a.〈例4〉筆者が、大慶から黒河へ向かう車中で同席したF氏は、始めは四方山話をしていた。しかし酒を飲み酔いが回るにつれ、彼の口から“小日本シアオ・リーベン”という語が幾度も漏れた。“小日本”とは、日本に対する蔑称であり、理性的には抑制してはいても、心の底に日本に対する複雑な感情が潜んでいることを窺い知らされた。

b.筆者が撫順の平頂山事件(日本軍による住民虐殺事件)記念館を見学した際、タクシー運転手J氏は下記のように語った。この言葉から、日中戦争に対する悪感情を理性的に抑圧しているが、時に感情が表面化する心理状態が感じられた。

〈例「撫順は日本に統治され、平頂山の事件のあった地であるが、現在は国際貿易などでお互い協力し合っており、日本人を憎んではいない。しかし、平頂山遺跡や戦犯記念館を見ると、特別な感じを覚える。」

A−B.直截的表現

G氏は下記のように直截的に戦前、戦中の日本人を評し、嫌悪感を表した。

〈例「日本人は、戦前、戦中は戦争が好きだった!」

(2).その他の日中間の歴史に対する見方

以上のほか、日中間の過去の歴史に対する見方の事例を以下に紹介する。

(2)−@.日本の満州国支配についての一つの見方

M氏夫妻から、日本の満州国支配につき一定の評価のある下記の表現があった。

〈例「日本の満州国支配は上手であった。また、日本が統治中に建造した施設類が、戦後中国で活用され、東北地方が中国の重要な工業基地になることが出来たのであり、この点は日本統治の良かった点である。」

(2)−A.日清戦争まで遡った場合の日本に対する見方

筆者が日清戦争時の中国北洋艦隊司令部の所在地である威海劉公島を見学した際、日清戦争まで遡った場合の中国人の日本に対する見方を、K氏は下記の表現で歴史上の出来事として捕らえ、問題視してはいなかった。

〈例「日清戦争で日中が戦ったのは、歴史上のことであり、現在は問題ない(那是历史上的事,现在没有问题)」。

2.最近の日中関係に対する見方、感じ方

最近「政冷経熱」という言葉で日中関係の感情的ねじれ、緊張関係が表現されているが、これらの状況に直接的または間接的に関連する中国民衆の発言を、以下に紹介する。

(1).日中間の緊張に関連する見方

@.最近の政治指導者の言動、政策に対する焦燥感

最近の日本の政治指導者等の言動、特に小泉首相の靖国神社参拝を、日中間の緊張の原因と受け取る発言があった。これには直截的な表現と、理性的に整理した表現との二つのパターンが見られた。

@−@.直截的表現

筆者が、牡丹江〜図們間で乗車した列車の女性車掌G氏(女性)と雑談中、話題が日中関係に触れると、次のように直截的な言葉が返ってきた。

〈例.「小泉首相は靖国神社に参拝すべきではない!」

@−A.理性的に整理した表現

広州市内中心部から黄埔軍官学校へ渡る魚珠埠頭まで筆者を乗せたタクシーの運転手Oは、下記のように日中関係の緊張を危惧し、緊張の原因は小泉首相の靖国神社参拝と、中国政府の情報非公開の双方にあると分析した。

〈例10.「最近中日間で緊張が高まっていることに危惧している。緊張の主な原因は2つある。

第1は、小泉首相の靖国神社参拝である。

 小泉首相が靖国神社を参拝して戦争で亡くなった人々に対して祈ると言う気持ちは理解できる。しかし、中国人は日本が中国に対して戦争を仕掛けたことを認めないことに納得がいかないのである。

2は中国政府の情報非公開である。

すなわち、中国政府が日本の良い点を国民に知らせないことが問題である。

これら2つの要因が影響し合って、日中間の緊張を高め、双方の隔たりを大きくしているのであり、これは危険なことである。」

A.日本人の歴史認識に関する焦燥感

A−@.過去の歴史認識自体の欠如する日本人に対する焦燥感

中国人は過去の歴史を知らない日本人とは会話すら出来ないことを、言葉および態度で示された事例を、次に紹介する。

a.言葉での表現

東北地方の吉林〜撫順間の列車内でめぐり合った乗客H氏は下記のように表現した。

〈例11「過去の歴史を知らない日本人とは話をする気にもならない。例えば、以前列車で、日本の青年と同席したことがあった。その際この若者に、かつて日本人が中国の東北地方にやって来て、この地を支配したことを知っているか訊ねたところ、彼はほとんど何も知らなかった。このため、自分はそれ以上話を続ける気にもならず、寝台車のベッドにもぐり込んで本を読み始めてしまった。」

b.態度での表現

言葉による直接の表現は無かったが、一連の応対から歴史認識の欠如した日本人とは会話が成り立たないこと、逆に歴史認識(認識の程度は問わず認識しようとする姿勢)の存在が交流の端緒となることを知らされた出会いを、以下に紹介する。

〈例12筆者が鄭州からバスで黄河観光に出向いた折である。車中で河南省東南部の農村からゴールデン・ウィークを利用して親達に連れられて省都観光に来たB氏(2名、中学1年、男女)と同席した。

筆者が日本人であることを知ると一瞬、彼らの表情に心なしか固いものが浮かんだように感じられた。しばらく沈黙が続いた後、男の子が私に、次のように問いかけてきた。

「戦争の時日本人が南京で中国人を虐殺したのを知っているか?」、「東北地方で日本人が中国人に人体実験をしたのを知っているか?」と。

筆者はいずれも知っていると答えたうえ、逆に彼に、過去の行為のために、現在の日本人を憎んでいるか尋ね返したところ、おおむね次の答えが返ってきた。

「戦争時の日本人の行為は過去のことである。」

「日本の一般民衆は好き好んで戦争をしたのではなく、平和を望んでいるにもかかわらず、一部の指導者によってやむを得ず、戦争に駆り出されたのである。中国人は日本人を憎んではいない。」(前出(1).日中戦争乃至日本人に対する受け止め方@.理性的な受け止め方〈例

このような応答の後は、彼らの表情は和らぎ、筆者に彼らの故郷のことなどを思いつくままに、打ち解けて語りだしたのであった。そのうち、バスが黄河近くの終点に着くと、彼はまず筆者の手を引き、目的地まで案内したうえ、親達の後を追ったのである。

A−A.日本人が侵略の事実を認めないことに対する焦燥感

基本的には上記A−@と同内容であるが、今一歩立ち入って、日本が侵略の事実を認めないことが中国人の対日本人感悪化の原因となっていることを、タクラマカン砂漠の4WD車の運転手N氏(解放軍経験)は、次のようにかなり端的できつい口調で語った。

〈例13「日本人は過去の侵略の事実を認めないので、中国人の日本人に対する感情が悪いのである。」

A−B.日中戦争の質的認識のずれに対する焦燥感

筆者が広州で黄埔軍官学校を見学した際の事である。タクシー運転手O氏との会話の中から、日中戦争の質に関する認識の相違いにつき、下記の考え方を感じ取れた。

〈例14〉「日本人は列強国同士の領土分割戦争である日露戦争や日米戦争などと、植民地的侵略とこれに対する解放戦争である日中戦争との質的相違を理解していない。ここに、日本人が日本の中国への侵略および、解放後ならびに現在の中国に対する認識が不十分となる原因の一つがある。」

B.その他時事に関する認識の相違に対する焦燥感

上記以外に、時事に関する発言の中から、日中間に認識の相違があることが窺い知れる事例を以下に紹介する。

B−@.日本人のイラク人質問題

2003年の日本人イラク人質事件に対する日本の対応につき、O氏はかなりきつい口調で下記のように語り、不満の意を表した。

〈例15「イラクで人質になって帰国した3人の日本人が、政府と国民からひどく非難されたことに対して、強い怒りを感じる。

彼ら3人はイラク国民のために危険を冒してまでも力を尽くしたものであり、本来日本はこのような行為を誇るべきものである。また自国民が他国で被害に遭った場合、彼らを保護するのが政府の当然の責務である。しかし自らに批判的な意見の持ち主に対しては好意的に保護するよりは、むしろ非難の対象とした日本政府の姿勢には納得がいかない。」

B−A.サッカーアジアカップのブーイングについての感想

2004年サッカーアジアカップの際発生した中国人観客のブーイングを、20歳代のP氏は次のように批判し、中国人全般が彼らの行動を支持しているのではないことを表した

〈例16サッカーアジアカップで中国人の観客が日本人の選手と応援団に対してブーイングを浴びせた。これは日本に対してだけの行為ではなく、中国の応援団(拉拉隊)はいつも試合での応援のマナーが悪い。自国のチームが不利な時には決まって相手のチームを罵ったりするが、決して好ましいことではない。」

B−B.歓迎しない日本人

2003年に珠海市内で発覚した日本人の買収ツアーを例に引いて、同市に近い中山市のタクシー運転手P氏は、歓迎しない日本人につき次のように表現した。

〈例17「たくさんの日本人に中国へ来て欲しいが、昨年問題になった買春目的のような人は来て欲しくはない。」

C.中国の愛国主義教育に関する認識

日本国内には中国の愛国主義教育が反日感情を煽っているとの見方があるが、筆者が旅行時に現地で見聞きした実情を以下に紹介する。

C−@.愛国主義教育は日本にだけ照準を当てているのか

〈例18〉まず、愛国主義教育が日本に焦点を当てて実施されているか否かであるが、瀋陽の柳条湖、盧溝橋、南京大屠殺記念館等の大規模な記念館をはじめ各地に、愛国主義教育基地が設けられている。これらの中には日本の残虐行為が取り上げられているものが多く見られる。しかし、この種の歴史博物館等は日本を対象としたものに限られず、列強各国からの侵略を受けた歴史を持つ地にはそれぞれ記念施設が設けられ、ここで諸外国の侵略とそれに対する中国人の抵抗の歴史を耳目で知ることが出来るようになっている。

例えば、アヘン戦争発端の地である広州近傍の虎門に鴉片戦争博物館があるほか、威遠にも巨大な海戦博物館が建てられ、英仏の侵略と中国人の抵抗の様子がパネルや模型で展示されている。

アヘン戦争時に中国人が抵抗した広州市内の三元里では、街自体が“抗英大街”と名付けられているほか、抵抗した人民を讃える大きな記念塔も建てられている。

深圳の地王観光ビル上層の1区画は歴史館になっていて、アヘン戦争関係の展示や映画が上映されている。

ロシアに領土を割譲したアイグン条約締結地である黒龍江省黒河近傍の璦琿の地には、璦琿歴史陳列館が建てられ、ロシアの侵略と中国人の抵抗の事跡が展示されている。館内ではロシア人が中国人を虐殺した生々しい映画も上映されている。

丹東には大きな抗米救国記念館が建てられ、朝鮮戦争での米国との戦いの有様がパネルや模型で詳しく示されている。また、中国と北朝鮮の国境の鴨緑江に架かる鉄橋は朝鮮側半分が朝鮮戦争時の米軍の爆撃で破壊されたままの状態で残っているが、この橋を中国側では“鴨緑江断橋”と名付けて歴史的な遺物としている。

このような事例から、中国の愛国主義教育が日本にのみ照準を当てたものでないことが窺える。

C−A.愛国主義教育と国民感情との関係

次に、現地での愛国主義教育と国民感情との関係を紹介する。

〈例19〉20027月、筆者が承徳の避暑山荘を中国人観光客に混じって見学した際、山門を入って間もなくの所で、ガイドが台座だけ残る場所を指して、1933年に日本軍が破壊したのだと説明した。これを聞いた、2人の子供が鋭い口調で“日本!(リーベン)”という言葉を発したように筆者には受け取れた。

また、普陀宗乗之廟での事である。この廟は2層の寺院で、各層とも金箔の瓦で葺き詰められているが、1層目の殆どすべての瓦が灰色掛っている。ガイドの説明では、金箔は日本軍が掻き取って奪い去ったのだが、2層目は彼らが急いだためと高くて危険なために残ったのだとのこと。これを聞いた、中国人の間から一瞬笑いが漏れた。

これらの事例から、外国による侵略の事実が学校の場だけではなく、現地で日常的に伝承されている実態も窺い知ることが出来ると思う。

C−B.日本の動向と中国の愛国主義教育との相関関係

次に、中国の愛国主義教育と日本内の動向との相関関係について紹介する。

〈例20〉筆者は、2002年7月に大同の万人坑を見学した。ここは日本がその支配時代に使用した炭鉱跡で、過酷な労働で死亡または働けなくなった中国人を生きたままに坑道に遺棄した現場という。その後発掘された人骨が現在ここに展示されていて、白骨が坑道に累々と横たわっている有様が、ガラス越しに生々しく見ることが出来るように設えられている。

話によると、以前はこのように整備されてはいなかったが、小泉首相の靖国神社参拝後、追いかけるようにして修築されたのだということである。このことから、日中間の感情の相互的エスカレート作用を知ることが出来ると思う。

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北京・天津視察ツアーのご案内

日中友好経済懇話会ツアー世話人 大西広

 幾人かの上海センター協力会会員・理事が参加している「日中友好経済懇話会」という経済団体があり、これまでも経済調査の協力を得ていますが、このたび北京・天津の2都市の調査旅行を計画しています。日程などは以下のとおりで、特にハイテク企業が集積する北京の中関村に行って当地の企業と清華大学を訪問、またトヨタの進出でブームを作り出している天津の開発区への訪問、それに現在の日中関係との関わりで再度の注目を浴びている溝橋記念館への訪問などを盛り込んでいます。その他、国家発展改革委員会で新しい五ヵ年計画の概要のレクチャーを受けるなども計画していますので、ご希望の方は、大西(ohnishi@econ.kyoto-u.ac.jpないしfax:075-753-3492)まで今月中を目途にご連絡ください。

 

日程 2005324-29日 56

参加費 189,000円前後

訪問先

3/24(Fri)  関西空港からNH159便にて北京へ その日のうちに天津へ 日系企業訪問

3/25(Sat) 南開大学日本学部、日系企業、天津開発区=天津港を見学

3/26(Sun) 朝、周恩来記念館を見学後、北京に移動。着後、濾溝橋記念館を見学

3/27(Mon) 日本大使館、国家発展改革委員会対外経済研究所を訪問

3/28(Tue) 中関村訪問; 清華大学、ITセンター、レノボなどの訪問予定(

3/29(Thr)  午前にジェトロ上海を訪問 北京首都空港からNH160便にて関西空港へ