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京大上海センターニュースレター
93号 2006125
京都大学経済学研究科上海センター

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目次

○上海センター「中国東北振興講演会」のご案内

○上海センター「比較経済改革セミナー」のご案内

   中国・上海ニュース 1.16-1.22

戦前戦後の東アジア−−貿易面からみた−−

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上海センターセミナー「中国東北部振興における日本の役割」のご案内

以下のようなセミナーを企画しました。講演者はお二人とも日本語がお上手ですので、日本語でのご報告をお願いしております。

日時 2006228()2:00-

講演者

楊棟梁 南開大学日本研究院院長

 「中国東北部振興における日本の役割」

玄東日 中国延辺大学人文社会科学院副院長

    「図們江-羅津ルート開発の新しい可能性について」

会場 経済学研究科3F 311教室

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上海センター・セミナー「共産党政権下の経済改革を比較する」のご案内

開催日時 200634()13:00-17:30

会場 経済学研究科第311教室

開会挨拶    山本裕美(京都大学経済学研究科上海センター長)

会議の趣旨説明 大西 広(京都大学経済学研究科教授)

報告と討論

第T部 ラオスとベトナム(通訳あり)

「ラオスにおける経済改革の特徴について」(13:20-14:20)

    スサバンディット・インシシェンメイ(ラオス計画投資委員会国家経済調査研究所)

「ベトナムの経済改革と比べたラオス改革の特徴について」(14:20-14:40)

    ヌゲン・ノグトアン(ベトナム国立政治アカデミー専任講師)

 討論(14:40-15:15)

  休憩

第U部 キューバと中国

「キューバにおける経済改革の特徴について」(15:30-16:30)

    新藤通弘(アジア・アフリカ研究所・研究員)

「中国の経済改革と比べたキューバ改革の特徴について」(16:30-16:50)

    大西 広(京都大学経済学研究科教授)

討論(16:50-17:25)

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中国・上海ニュース 1.161.22

ヘッドライン

           中国:2005年都市部登録失業率4.2%

           中国:対米貿易1142億ドル黒字、対日韓台は赤字

     中国:対外直接投資、2005年末現在500億ドル

     中国:2005年機械電気製品輸出が3割増加

     中国:2005年外国人入国者数トップは韓国人、2位は日本人

     自動車:2005年、第一汽車完成車輸出40%増

     北京:大雪で列車遅れ、帰省客ら10万人足止め

     上海:宇宙科学技術産業基地の建設事業スタート

     上海:万博控え、外高橋発電所200万KW拡張工事

     山東:青島、煙台、威海結ぶ電車網計画、FS

 

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戦前戦後の東アジア−−貿易面からみた−−

                       京都大学経済学研究科教授 堀 和生

 日本のアジア認識は、1970年代後半から1980年代初頭にかけて大きく転換した。その要因は、日本の先進資本主義化、東アジアNICsNIEsの登場、中国の改革開放政策の展開、等が継起的におこってきたからである。アジアは、停滞の象徴から発展の代表に代わり、日本特殊論は日本トップランナ−論へ転換した。そして、従来は非常に困難であると理解されていた社会の資本主義化ということが、より普遍的で一般的な現象として認識されるようになった。この様ななかで、さまざまな新しいアジア研究潮流が簇生してきた。たとえば、小農社会論、アジア間交易圏論、華僑ネットワ−ク論、植民地工業化論等である。本報告は、このような研究動向の一環として、貿易分析を通じて、戦前戦後の東アジアの位置づけを検討したものである。                      

 第1に、両大戦間期の世界貿易の推移をみると、1929年世界恐慌で大収縮が起こったが、そのなかで当時の資本主義の新しい生産力を代表する米国の輸入市場が、劇的に収縮したことが特徴である。また、アジア諸国・地域の貿易の趨勢はばらばらで、決してひとつの共通な傾向を示していたわけではない。中国関内の大収縮と日本帝国の大膨張は、対照的な様相をみせている。   

 第2に、両大戦間期の日本資本主義の対外関係には2つの側面があった。一つは、日本製品が世界市場にもっとも果敢に進出し、あらゆる地域で輸出を伸張させた。これは、基本的に生産力の優位性に基づくものであり、国際競争力を高めることによって、日本の貿易収支を顕著に改善していった。いま一つは、自己の帝国経済圏を劇的に膨張させていったことで、非常に閉鎖的な経済ブロックを創出していった。日本帝国主義は英仏帝国主義よりも巨大な植民地経済を保有しており、最後の帝国依存型資本主義であったともいいうる。日本経済はこのような異質な二面性を保持していた。

 第3に、日本は植民地社会を帝国内分業に組み込むことによって、台湾や朝鮮の社会経済を根本的に再編成していった。つまり、それらを日本資本主義の一部としたのであり、日本資本主義の高度化により、各植民地においては工業化が持続的に進展していった。

 第4に、東アジアの第二次大戦後への展望は二つの側面があった。まず、1950年代後半より米国市場が拡大を始めた時に、東アジア各国は一斉に対米国市場向け工業製品の輸出をはじめた。そして、それと対応して、日本と台湾や韓国、香港間の地域内分業が早期に形成されたのであった。

 本報告の結論は、以下の3点である。第1は、日本資本主義の性格の捉え方である。日本の輸出品は一次産品・粗加工軽工業品から加工度の高い軽工業品へと移行しながら、急速に世界市場に輸出された。この時期の日本資本主義は全世界的規模で展開しており、アジア交易圏論者のいうようなアジア論には収まりきれない。

 第2に、日本資本主義は東北アジアの一部地域(台湾・朝鮮・満州・華北)を植民地として自己の内部に組み込むことによりその基盤を拡大した。同時に、各植民地社会は日本帝国内分業によって大きく再編成されたので、資本主義に適合的社会へ転換した。

 第3に、これらの地域は第二次大戦後米国を中心として世界市場が急拡大しはじめた段階で、最も積極的に反応して工業製品輸出国になった。その条件として、戦前の日本資本主義の高度化、日本と周辺地域の工業的分業関係の形成、台湾・韓国の資本主義発展等の相互に連動した展開があった。これらの過程を、東アジア資本主義の形成と規定することを提起した。 

(本稿は2005119日に開催された上海センターBBLでの報告を本人にまとめていただいたものです。)