京都大学大学院経済学研究科長 本山美彦
ご入学おめでとうございます。さぞかし、みなさんは希望に満ちあふれて おられるでしょうね。さあ、張り切っていまから直ちに勉強をはじめましょう。
古今東西の偉大な頭脳に接することは、魂のふるえがくるほど素敵なこと です。学問とはすばらしいものです。先人の業績の深さは、わたしたちに尽き せぬ感動を与えてくれます。今日から、みなさんは思いっきり研究することが できるのです。とにかく、 経済学という学問に夢中になっていただきたく、 経済学の楽しさを早くみなさんに知っていただきたく、この栞を贈ります。
この栞を一読されればお分かりのように、研究者ごとに受け取る経済学は 異なります。そもそも、経済学は科学なのか、そうでないのか、ということす ら共通認識があるわけではありません。人それぞれの人生観が異なるように、 人の生き方を考える経済学が多様な受け取られ方をするのは当然であると、私 などは思うのですが、抽象的な定理から理論を積み上げて行って、具体的な現 実世界に辿りつくはずであるという思考方法に慣れている人たちには、経済学 は大いに違和感のある代物に映るでしょう。私も、若い頃はそうでした。こん なものは科学でも、学問でもない単なるつぶやきでしかない、と経済学が嫌い になったこともありました。若い頃は、ともすれば抽象的で、簡潔な数学的処 理に美意識を燃やす傾向があり、私などもその一人でした。
しかし、歳を重ねて行くうちに、人間の多様な生き方のすべてを許容でき るようになるものです。若い頃は間違っていると思っていた生き方をも積極的 に肯定できるようになるのです。断固拒否するといった分野が年齢とともに、 限定されてしまうのです。それは、哀しみを知ることでもあり、他者への共感 の深まりとでも表現すべき世界の形成です。他者の許容ということは、若いう ちはかなり困難なことです。多かれ少なかれ、強い思い込みの下で過ごすのが 青春の荒々しい強さだからです。経済学の特徴は多様な生き方を模索する点に あります。その意味で、経済学が真に理解できるようになるには、かなり歳を とらなければならないのです。「悪魔は十分歳をとっている。だから、諸君た ちもはやく歳をとらねばならない」と若い聴衆に語ったのは、マックス・ウェー バー(Max Weber)でした。このような考え方は、しかし、私の独断にすぎず、 すべての人に共通に意識されているわけではありません。
教科書に書かれてある定理を完全にマスターすれば、現実の世の中の多く のことが分かるというものでは、経済学はありません。この点だけは私はみな さんに強く訴えたいのです。たとえば、経済学は需要と供給曲線を書き、その 交点が市場価格であると説明します。しかし、現実の価格はそんな単純な形成 過程を辿るものではありません。つまり、現実に存在しない世界を経済学は描 くのです。だからといって、経済学が誤っているわけではありません。誰も操 作することができない価格が、外から与えられている、つまり、所与(given) であるというところに、先人たちは民主主義の制度的原型を求めようとしたの です。価格が所与であるようにする制度が抑圧のない社会であるとの思いを込 めて、経済学の最初の一歩が踏み出されたのです。考えてもみて下さい。真・ 善・美をとくとくと説くのではなく、私的利益を得るという個人の欲望を積極 的に認知する学問が、経済学の他にあるでしょうか。人間社会は個人の欲望を 忌まわしきものとして抑圧してきた歴史を辿ってきました。欲望の認知はほん の近年、つまり、19世紀の西ヨーロッパで起こったことでしかありません。そ れを理論化したアダム・スミス(AdamSmith)の『諸国民の富』(1776年)は、米 国の独立戦争を支援する意図で刊行されました。しかし、あまりにも露骨に私 的利益をキーワードに置いたその著は、50年以上も社会で認知されませんでし た。
今日の米国は、もっとも個人の欲望が認知され、沸騰している社会です。 あらゆる欲望が渦巻いています。でも、もっとも、欲望が解き放たれた米国が もっとも民主主義の懐が深く、もっとも徳目を説く国や社会が、現実にはもっ とも抑圧と差別の強い社会であるというのは、否定できない現実です。
こうしたことを念頭に置いて下さって、この学舎で世紀の理論をみんなで 創りましょう。
2000年4月