私 の 研 究
今年度、新入生を対象とした少人数ゼミを担当し、そこで愕然としたことがありました。輪読していたテキストに、「失われた20年」という何気ない小見出しがあったのですが、1990年以降に生まれた新入生たちは、この失われた20年しか知らない世代であることに気付いたからです。
テキストの内容は、1970年代後半以降、マクロ経済学は、それまでの「ケインズ経済学」から、<インフレは悪だ>というスタンスから物価の安定を第一義的に考える「新しい古典派」に様変わりし、例えば中央銀行の独立性を高めたり、インフレ・ターゲッティング政策を採用したりすることによって、80年代以降、多くの先進国では物価は安定してきた、というものでした。これを読んでいる新入生は、インフレは悪だと言われても、デフレしか知らない世代なのです。長年若い学生を教えていると、自分にとっては現代に属する出来事も、彼らにとっては歴史に関する事柄が多々あることに気を付けながら教えてきたつもりなのですが、彼らがインフレを知らない世代であったことに気付かなかったことは迂闊でした。
自分の研究について書くように与えられた紙面を、教育に関する話題から始めたのは、それが私の研究歴に少なからず関係しているからです。私が大学に入学したのは1970年代の後半、大学院の修士課程から博士課程に進学したのは80年代の前半のことでした。さきほど書いたように、この時期、伝統的な「ケインズ経済学」は一掃され、同じ時期にアメリカで学んでいた私と同世代の研究者たちは、「新しい古典派」マクロ経済学を摂取してきました。同じ時期に、私は京大の大学院で、「古い新古典派経済学」と「伝統的なケインズ経済学」を学ぶという教育を受けていました。最先端の理論を摂取しそれを進化させることが研究者の社会的使命であるとするならば、私はそれを疎かにしてきたという忸怩たる思いと、恩師から『一般理論』を原書でレクチュアを受け、そのことによって、私のケインズ経済学に対するスタンスが確立されたという僅かな自負が入り交じっております。
ところで、私が専門的に研究を開始した1980年代からすでに30年近くが経過しましたが、その間、ちょうど10年に一度、三回の大きな経済危機が発生しました。第一は、1985年のプラザ合意後の87年に発生したブラック・マンデー、第二は、1997年のアジア危機と年末の山一倒産をきっかけに危うくなった日本の金融危機、第三は、2007年のベアースターンズの破綻から08年のリーマン・ショックに至る世界金融危機。この三回の経済危機を、私は研究の糧(飯の種)にしてきました。
第一の危機をきっかけに、「国際金融」を自分の研究対象にしようと思いました。まだ大学院生の頃で、プラザ合意後に起こった現象のいくつかは、それまで勉強してきた経済理論では全く理解不可能でしたので、それらに関する論文をいくつか書きました。国際金融の理論や政策は、各国の制度や時代のレジームによって大きく変化するので、ある程度歴史を遡って勉強しました。そして、これらの時代の制度設計に大きく関わっていたのがケインズであることを知り、戦間期のエポックメーキングな出来事を、ケインズの残した処方箋を軸に検討するという論文をいくつか書き始めました。
第二の危機をきっかけに、それまでの反ケインズ的潮流から、明らかにケインズ見直しの風潮が現れました。そして、それまで書き貯めてきた論文を早く仕上げなければならないという思いに駆られ、それらを『ケインズと世界経済』(岩波書店、1999年)という本にまとめました。処女作『インドの通貨と金融』から遺作『アメリカの国際収支』に至るまで、ケインズの主要な関心事は国際金融であり、その意味で、拙著のように、ケインズの生涯全ての時期に渡って、彼が関わった国際金融の制度設計の全てを扱った類書は他になく、これによって博士学位を取得することができました。
これと相前後して、ケインズ的なスタンスから新しい国際金融の制度設計を提言した『IMF資本自由化論争』(岩波書店、1999年)と『金融グローバル化の危機国際金融規制の経済学』(岩波書店、2001年)という翻訳本を出版しました。「ケインズ的なスタンス」と書きましたが、その一つに「金融は実体経済に対してアンチシクリカル(景気循環相殺的)でなければならない」という考え方があります。しかし、「バブルとその崩壊」を繰り返している現代は、「金融が実体経済に対してプロシクリカル(景気循環増幅的)に作用している」という指摘(例えばBIS規制に対してよく言われる事柄)があります。こうした問題意識から、「国際資本移動のプロシクリカリティに関する研究」というテーマで科学研究費を得て、資本移動や為替相場制度に関する論文をいくつか書きました。
さて第三の危機が勃発する直前に、「アメリカ経常収支赤字の持続可能性」という学会報告を行いました。フローで見ればアメリカは記録的な経常収支赤字を継続させているが、ストックで見ればアメリカの対外投資ポジションは改善しています。これが意味することは、アメリカは一国全体で巨額の評価益を稼ぎ出していることですが、その後の金融危機で、この評価益は吹っ飛びました。こうした問題意識から、現在「評価効果による対外調整メカニズムに関する理論的・実証的研究」というテーマで科研費を得て、その成果の一部は、昨年の同窓会総会での講演会で報告させていただきました。
今は、来年4月に『国際金融論』というテキストを単著で出版すべく準備を進めています。これまで自分の拙い講義の受講生や、150名を超えるゼミの卒業生たちがいたからこそ、こういう仕事もできているのだと感謝しております。
