農業と食糧生産の動向 
Situation of Agriculture and Food Production

 世界の農業と食糧生産の将来展望をめぐって、ここ数年来、熾烈な議論が展開されてきた。ワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウンが「飢餓の世紀」の到来を予測し、「だれが中国を養うのか」というセンセーショナルな提起を行なったことが契機となった。その主張の根拠は、増大する人口と食糧需要圧力に対する、土地劣化や水不足などの農業資源上の制約に求められる 1)
 例えば、人口1人当たりでみた世界の耕地面積は、1961年の0.44haから94年の0.26haへと明らかに減少している(図1参照)。とくに人口超大国を抱える東アジア地域は、同時期に0.18haから0.10haへと、従来から狭隘だった面積がさらに縮小している 2)
 もちろん、FAOが指摘するように、土地/人口比率は1人当たり食糧供給量を決定する多くの要因のうちの一つにすぎない 3)。東アジア地域は、土地/人口比率を低下させたこの30年間に食糧供給の改善に著しい進展をみせた。主要7カ国とも1人1日当たりエネルギー供給量を上昇させ、1994年時点ですべてが2,300カロリー水準を超えるに至った。
 ところが、1人当たり穀物生産量が中国、インドネシア、フィリピンで拡大する一方で、日本、韓国、マレーシア、タイでは逆に減少している。また、東アジア全体の穀物輸入が、1961年の1,130万トンから95年の7,580万トンへと急増しており、主要7カ国のうち穀物純輸出国はタイのみである(図2参照)。このような国内農業生産の後退が即、食糧問題に結びつかなかったのは、各国の経済成長にともなう食糧輸入能力の強化があったからといえる。
 「食糧がもしも平等に分配されるならば、現在の1人当たり食糧入手可能量は地球上のすべての人々が適量の栄養をとるのに十分なものである」というFAOの認識は、現状に関するかぎり妥当するかもしれない 4)。だが、将来にわたっても「問題は食糧不足ではなく貧困(食糧取得権の欠如)にある」と言い切れるのかは検討を要する点である。
 第1に、農業生産に適した土地資源や水資源の非農業利用との競合に加えて、土壌劣化や水質汚染、農薬汚染といった農業を起因とする資源破壊が問題視されており、農業の一層の拡大と集約化に対する制約が強まっている。東アジア諸国が食糧輸入をさらに拡大する経済的余力を有するとしても、世界的な食糧生産が安定かつ持続的に拡大成長を遂げるかどうかは別の問題である。
 第2に、経済成長はまた「食物連鎖の階段」を駆け上がらせる。つまり、畜産物需要の増大によって、穀物生産のかなりの部分が家畜飼料のために割かれることになる(図3参照)。東アジア地域の食肉生産量は、1961年の530万トンから94年の5,960万トンへと急増しており、とくに中国の伸びが著しい。それにともなって、穀物需要に占める飼料用途の割合も8%から20%へと高まっている。なお、中国の2030年の穀物輸入が2700万〜36,900万トンに達するとしたワールドウォッチ研究所の予測や、この過大評価を批判しつつも2005年の穀物純輸入量を3,200万トンとした米国農務省の予測で注目されているのも、この飼料用穀物需要の増大である 5)
 レスター・ブラウンはこうした事実をもって「食糧破局」を指摘するが、破局回避のためのシナリオは「人口の安定化」に収斂する 6)。また「食糧安全保障を確実にするための」各国・国際機関の政治的指導者の新たな決断を迫るものの、なぜこのような事態に陥っているかという歴史的・構造的な分析―南北間格差を固定化する世界貿易の仕組み 7)、食糧自給力を高める各国・各地域での自立的な取り組みの足かせとなっている米国政府や多国籍アグリビジネスの世界食糧戦略などに対する批判的分析 8)―は欠落している。
 農業・食糧問題もまた、環境・資源問題と同様、技術論的にではなく政治経済学的な枠組みのなかで議論することが必要である。

1) レスター・ブラウンの著書に、『飢餓の世紀』(小島慶三訳, 1995年)、『だれが中国を養うのか?』(今村奈良臣訳, 1995年)、『食糧破局』(今村奈良臣訳, 1996年)がある。いずれもダイヤモンド社刊。
2) 東アジア地域には、主要7カ国(台湾はFAO統計で扱われていないため省略)の他に、ミャンマー、カンボジア、ラオス、ベトナム、シンガポール、モンゴル、北朝鮮、香港、計15カ国・地域を含めている。
3) FAO, World Agriculture: Towards 20101995, 国際食糧農業協会訳・発行, 1996, 85頁を参照。
4) FAO, 同上書, 50頁を参照。
5) F.W.Crook and W.H.Colby, The Future of Chinas Grain Market, USDA Agricultural Information Bulletin, No.730, October 1996.
6)
レスター・ブラウン, 前掲書を参照。
7) 例えば、スーザン・ジョージの名著『なぜ世界の半分が飢えるのか』(小南・谷口訳, 朝日新聞社, 1984年)を参照されたい。また最近のものでは、ティム・ラング/コリン・ハインズ『自由貿易神話への挑戦』(三輪昌男訳, 家の光協会, 1995年)やベリンダ・クーテ『貿易の罠』(三輪昌男訳, 家の光協会, 1996年)などがある。輸出用一次産品への偏向→伝統的自給用作物生産の後退→先進輸出国からの穀物輸入という構図は政治的指導者の決断によって解決できる問題ではない。
8) 村田武『世界貿易と農業政策』(ミネルヴァ書房, 1996, 64頁)を参照。


農薬・化学肥料と環境保全型農業
Pesticide and Fertilizer Use and Sustainable-Ecological Agriculture

 戦後とりわけ1960年代以降におけるアジアの食糧需給の一定の改善に果たした「緑の革命」の役割を否定することはできない。だが、その成果が喧伝される一方で、さまざまな弊害が指摘されてきたのも事実である。例えば、潅漑に伴う塩害現象、高収量品種(HYV)の普及に伴う種の多様性の喪失、化学肥料や農薬の多投入に伴う土壌・水質汚染などの環境問題に加え、生産コスト上昇による経営圧迫や所得分配の地域間・階層間不均等などの社会的問題も指摘されている 1)
 化学肥料の使用状況は国ごとに差があるものの、耕地1ha当たり使用量の推移をみると、1961年の14kgから94年の618kgへと急増した中国をはじめ、インドネシアが同じく5kgから85kgへ、マレーシアが19kgから159kgへ、タイが2kgから62kgへと、日本を除く各国で大幅な増加を示している(参照)。
 資源依存型の化学肥料は農薬と比べて製造に高度な技術力を要しないため途上国でも国内生産が可能だが、輸出超過に転じた韓国とインドネシアを除いて輸入量が増えている。また、1994年の輸入額が中国で20億ドル、タイでも5億ドルに達するなど、化学肥料調達のための費用負担が膨らんでいる。
 農薬の使用も196070年代に急増し、農薬規制圧力が世界的に強まっている今日でもなお、アジア地域の農薬市場は拡大し続けている。1974年の東アジア市場は世界全体の9.3%にすぎなかったが、80年代半ばには20%を超え、94年時点で26.6%に達している(2参照)。その過半を日本が占めているものの、欧米の農薬企業は将来的にも需要拡大が見込まれる地域として東アジアを戦略的に位置づけている 2)
 他方で、農薬の使用や輸出入に対する国際的規制の枠組みづくりも行なわれてきた。1985年に「農薬の流通及び使用に関する国際行動基準」がFAOで採択された。1989年には同行動基準に「事前告知承認(PIC)制度」が導入され、国内法の規定がない場合でも農薬輸入を禁止できるようになった 3)。だが、この制度が発効した1991年以降、禁止対象になった有害化学物質はわずかに18種(農薬は12種)である 4)。このように、世界で使用されている農薬のごく一部しか禁止対象となっていないこと、しかも法的拘束力をもたないため国内法の対象外の農薬を十分に規制できないことなどが問題点として指摘されている 5)
 欧米諸国では農薬の開発から最終消費までのすべての段階にわたって厳しい規制が敷かれており、製造や流通に携わる企業の社会的責務が重視されている 6)。これに対して、途上国の農業生産者による農薬取扱い上の事故が多発する状況は一向に改善されていない 7)1992年の地球サミットで採択された「アジェンダ21」の第19章「有害化学物質の環境上健全な管理」の実効化、UNEPILOWHOなどの関係機関による協議の進展を監視していく必要がある 8)
 農薬や化学肥料に依存しない環境保全型農業の実践も試みられている。その一つがIPMプログラムである(1参照)。これは施肥や耕耘の工夫、輪作、複合栽培、圃場予察の徹底、抵抗性品種や生物農薬など多様な方法を包括した総合的防除法で、環境的にも―資材コストの節減を通じて経営的にも―持続可能な農法として注目されている。1986年から国家的事業としてIPMに取り組み、農薬使用の大幅削減と農薬助成金の節減を達成したインドネシアの成功例が有名である 9)
 もう一つは草の根からの有機農業の実践である。1993年に国際有機農業運動連盟(IFOAM)アジア会議が日本で開催されている。これは化学依存をもたらした「緑の革命」に対して地域伝来の農法を対置し、それらを環境保全型農業として再評価しようとする試みである 10)
 いずれも生産資材という既成商品化された技術ではなく、教育を通じた生産者や消費者の主体形成を重視している点で共通している。生産資材の輸入額や助成金に比べて見劣りする公的農業研究予算を拡充するとともに、それをこうした環境保全型農業の研究と実践に振り向けていくことが切実に求められている。

1)「緑の革命」を扱った文献は多数存在する。例えば、批判的研究として、A.Pearse, Seeds of Plenty, Seeds of Want: Social and Economic Implications of the Green Revolution, Clarendon Press, 1980. 当時政策担当者だったレスター・ブラウンの著書、L.R.Brown, Seeds of Change, Praeger, 1970. アジアを中心に最近の動向も対象とした、嘉田良平ほか『開発援助の光と影―援助する側・される側―』(農文協、1995年)などがある。
2) B.Dinham, ed., The Pesticide Trail: The Impact of Trade Controls on Reducing Pesticide Hazards in Developing Countries, The Pesticide Trust, 1995.
3) Ibid.
4)
このうち東アジア各国で禁止、厳格な規制、もしくは国内未登録にしている数は、中国8、インドネシア15、日本14、韓国18、マレーシア4、フィリピン17、タイ13、台湾14となっている。Pesticide Action Network North America, 1995 Demise of the Dirty Dozen: Asia/Pacific, PANNA Homepage, 1996.
5)
ワールドウォッチ研究所編(邦訳)『バイタル・サイン1996-97』(ダイヤモンド社、1996年)、130-133頁を参照。
6)
久野秀二「米国農薬産業と環境規制」(未定稿)。
7)
世界資源研究所編(邦訳)『世界の資源と環境1994-95』(中央法規、1994年)、119頁を参照。
8)
「緑の革命」を推進し、各種助成金によって農薬依存型農業を導いたのが国際援助機関であり途上国政府であるにせよ、農薬はけっして所与のものではない。農薬を開発し、製造し、途上国市場で販売するのは多国籍企業である。国際的規制を政治的スローガンにとどめるのではなく、「多国籍企業行動規準」の策定と、それに基づく公的規制の強化が追求されねばならない。欧米の国内市場で可能なことが世界市場でできないはずはない。なお、農薬企業は後出のIPMプログラムを企業戦略のなかに包摂しようとする動きも見せている。それが環境保全型農業の普及に結実するかどうか、併せて監視していく必要がある。
9)
世界資源研究所、前掲書、120頁を参照。
10) IFOAM
アジア会議については、日本有機農業研究会編集協力「アジア型有機農業のすすめ」(『現代農業』臨時増刊、農文協、1994年)を参照。