アグリビジネスに囲い込まれる遺伝子
アジア太平洋資料センター「月刊オルタ」1998年3月号

久野秀二(北海道大学)

種子を制する者が世界を制する
 種苗をめぐる問題が注目を浴びるようになったのは1980年代前半、すなわち数々の多国籍企業が種苗産業への参入合戦を繰り広げた「種子戦争」を契機としている。それはバイオテクノロジーの産業利用が日程に上ってきた時期と符合する。「種子を制するものは世界を制する」というフレーズは「遺伝子を制するものは世界を制する」と同義のものとして語られていたわけである。もちろん、バイオテクノロジー以前にも、例えば「緑の革命」が種苗を足がかりとした多国籍企業による農業支配の序幕の意味を持っていたことは周知のとおりである。農業関連産業で影響力を強める多国籍企業−アグリビジネス−が、農業生産の入り口である種苗の支配をどのように進めてきたのか、それは世界の農業と食糧にとってどのような意味を持つのかを考察することが、この小論の課題である。
 現在、世界の種苗市場は約150億ドル、最大の米国でも40〜50億ドル程度である。これは農薬市場の約半分である。もちろん、種苗の需要は市場によってのみ満たされるわけではない。途上国を中心にかなりの部分が自家採種もしくは公的機関を通じた配布によって賄われており、米国においてさえ市場を通じて調達される種苗の割合は8割にとどまっている。これら非購入種苗のすべてが商品化すると世界全体で500億ドルもの巨大市場が生まれるとされている。世界を股に掛けて活動する多国籍企業にとっては確かに魅力的かもしれない。さらに種苗は一般的に利益率の高い商品とされている。販売額の大きさ以上に、利潤獲得を第一義的課題とする企業にとって魅力的な商品といえる。
 だが、もっとも重要なのは、種苗が農業生産をおこなう上で不可欠の前提たる投入資材であり、農業経営の必要最低限の存立基盤だという点である。さらに、育種の成果である種苗は作物の収量や形質、環境適応性を規定することによって他の農業生産資材や流通加工のあり様に決定的な影響を及ぼす。その意味で、種苗を支配することが農業生産と農業関連産業全体の統合的支配につながり、結果、世界の農業と食糧に対する支配力を強めることになるとして、各方面から警鐘が鳴らされてきたのである。

農家の手から切り離された種苗
 品種を改良し、種苗を生産し、それを流通・販売する一連の種苗事業は、もともと公的機関によって担われてきた。もちろん、野菜や花卉などの園芸作物では篤農家や園芸愛好家などによる育種が昔から行われてきたが、トウモロコシやコムギ、バレイショ、日本であればコメなどの基幹作物については公的機関による育種が大勢を占めてきた。日本では86年の主要農作物種子法改正(および91年の運用改訂)を機に民間企業のコメ育種分野への参入が認められることになり、今後の動向から目が離せなくなった。だが、ここでは世界の農業・食糧に大きな影響を及ぼすことになる米国の事例を中心に、多国籍企業が種苗支配を強めてきた過程を歴史的に振り返えることにしたい。
 米国では19世紀末に、農務省(USDA)および州立の大学や農業研究試験場が主導する公的育種体制が確立した。民間事業者は公的育成品種(パブリックシード)の増殖と販売に携わってはいたが、農家は数年ごとに新規購入するだけで基本的には自家採種によって種苗を賄っていたために、多くの場合局地的な市場圏での事業活動にとどまっていた。
 こうした体制が転換するきっかけとなったのが、1930年頃にトウモロコシで実用化されたハイブリッド技術の普及である。この育種法は近縁ではない固定系統を掛け合わせることによって両系統の優性を引き出す技術だが、その効果は一代雑種(F1)に限られるため農家は毎年種苗を更新しなければならなくなった。つまり、それまで半自給的な生産資材として機能していた種苗を農家の手から切り離し、民間事業者によって供給される購入生産資材へと転換させることになったのである。
 ハイブリッド・コーンは瞬く間に普及し、15年後には作付面積シェアが50%を越え、60年代に95%に達して今日に至っている。公的育種体制が後退し、パイオニア社やデカルブ社、ファンクシード社(後にチバガイギー社、現ノヴァルティス社に被買収)などの大手種苗企業が成長してきた過程はまさにハイブリッド品種の普及過程と軌を一にしていたのである。

加熱する「種子戦争」
 種苗事業は60〜70年代にさらなる転機を迎えることになる。一つは、61年に締結された「植物新品種保護に関する国際条約(UPOV)」や70年にアメリカで施行された「植物品種保護法(PVPA)」などの新品種保護制度の整備拡充である。基幹作物でもコムギやダイズ、ワタなどのハイブリッド化が困難な作物がまだ残されていたため、育種者の権利を保護するこうした諸制度の確立は民間企業による品種開発投資を誘発することになった。いま一つは、「緑の革命」をはじめとする種苗事業の国際的展開である。農薬・肥料・農業機械等の生産資材を効率的に導入する手段として、言い換えれば農業関連技術の「パッケージ商品」として種苗が積極的に活用されることになった。こうした国内外における技術的・制度的な環境整備は種苗産業への投資を呼び、多国籍企業の参入を急速に促すことになったのである。
 だが、この時期の種苗産業への参入はなお散発的であり、多国籍企業による種苗支配の前段でしかなかった。多国籍企業の参入が「種子戦争」と呼ばれるまでに過熱化することになったのは80年代に入ってからである。バイオテクノロジーが実用化段階を迎え、農業分野への応用に巨大な市場可能性を見いだしたからである。だが、医薬品分野と異なり、商品開発に長期かつ莫大な投資を必要としたために、異業種を中心に多くの企業が競争から脱落した。90年代半ばに至って商品化の目途が立ったとき、激しい競争に勝ち残ったのはもともと農業関連の技術と資源、経営ノウハウに長けていた農薬企業であった。

種苗は農薬とセットで
 種苗はバイオテクノロジーの研究開発とその商品化においてきわめて重要な戦略資源である。いまや種苗は「タネ」ではなく「遺伝情報」として市場で評価されていると言っても過言ではない。種苗事業の担い手が遺伝子組み換え作物の開発で名の通った巨大多国籍企業であるのは偶然の一致ではないのである。
 表1は世界種子販売額の上位企業を示したものである。このなかで本業を種苗以外におく企業は2位のノヴァルティス社(医化学)と10位のカーギル社(穀物商社)だけであるが、その内実をみると様相はまったく異なって見えてくる。これまで圧倒的競争力を背景に数少ない独立系種苗企業として君臨してきたパイオニア社もデュポン社(化学)の資本参加を許すに至った。リマグラン社もローヌプーラン社(化学)との関係を深めている。アドヴァンタ社はICI社(化学)からバイオ事業を分社したゼネカ社の種苗合弁子会社である。ELM社はメキシコ系アグリビジネスであるが、最近モンサント社(化学)との関係を強めている。デカルブ社もまたモンサント社の事実上の傘下に入った。KWS社にもヘキスト社(化学)の農薬合弁子会社アグレボ社が資本参加している。
 さらに表2をみると、これらの化学企業はいずれも世界的な農薬企業であることがわかる。そして、これら多国籍企業がたんにタネ商品の取り扱いを目的として市場に参入したのではないことは、次の表3表4から明らかである。この二つの表はUSDAが環境放出実験を認可した遺伝子組み換え作物の件数を開発企業別に整理したものである。トウモロコシとダイズのいずれにおいても、先程から登場している多国籍企業が圧倒的シェアを占めていることがわかる。例えばモンサント社は、自社の主力除草剤であるラウンドアップに耐性を持たせた作物の開発に注力している。ラウンドアップ除草剤は非選択性であり作物自身も枯らせてしまうため、耐性品種の栽培メリットはきわめて高いとされている。食品医薬品局(FDA)の安全性評価も含め、最終的な認可を受けた除草剤耐性ダイズの作付シェアは全米の14〜18%(97年)に達し、このうちモンサント社の開発品種が大半を占めている。他の作物でも同様である。モンサント社はこのために、デカルブ社の株式取得をはじめ、全米第一のダイズ種苗企業アスグロウ社や全米のトウモロコシ種子の3割以上の原種を所有するホールデンズ社、日持ち性トマトの開発で有名なカルジーン社、遺伝子導入技術の特許をもつアグラシータス社など大手種苗企業やバイオベンチャー企業の買収に巨額の資金をつぎ込んできた。パイオニア社がデュポン社と資本提携をした背景に、同社がモンサント社のこれ以上の独占状態を警戒して、モンサント社からのオファーを断ってデュポン社と手を結んだという経緯があったと伝えられている。
 除草剤耐性品種はまさに、農薬と種苗をパッケージ化して販売することを可能にする。一部で懸念されているように農薬使用量が増えることにつながるかどうかは未知数だが、少なくとも代替農薬・代替品種を駆逐して単一農薬・単一品種の市場シェアが高まることによる問題は指摘できよう。農家はもはや自主的判断に基づいて生産資材を選択することもできなくなるかもしれない。
 だが問題はそこにとどまらない。とりわけ遺伝子組み換え作物の開発とその支配が強まっているトウモロコシ、ダイズ、ナタネなどの作物については北米が圧倒的供給力を誇っており、それに次ぐ生産国であるブラジルやアルゼンチンでも多国籍企業が進出して遺伝子組み換え品種の作付を拡大することが予想される。これら作物は食品原料や飼料として直接間接に世界中の消費者が口にするものである。今後は消費者メリットの名の下に、用途に応じて作物組成を変えた高付加価値品種の開発が増えてくるものと思われるが、種苗の支配はいまや農業生産のみならず、消費者選択にまで影響を及ぼす段階に来ているのである。

遺伝資源をめぐる南北対立の構図
 多国籍企業は種苗支配を確実なものにするために、知的所有権の強化を求めている。これまでの新品種保護制度は通常の特許法とは明確に区別されてきた。農作物自体を特許の対象にして農業生産者の自家採種に制限を加えることが、技術的にも道義的にも困難であったからである。ところが近年、新品種保護制度の特許制度化の動きが強まっている。例えば「産業競争力の回復・強化」という名目で知的所有権強化策を推進してきたアメリカでは製法特許ではなく製品特許、すなわち改良品種等の生物そのものを特許対象とする傾向にある。驚くべきは遺伝子までもが、その機能も十分に明らかにされていないにもかかわらず、単離され配列解析を完了したというだけで特許の対象にされていることである。世界知的所有権機関(WIPO)やガット知的財産権交渉(TRIP)、植物新品種保護条約(UPOV)といった多国間協議の場でも、こうした知的所有権制度の強化と国際的整合化が押し進められてきた。これを種苗にあてはめて考えれば、問題は現在流通しているタネ商品の独占にとどまらないということである。今後、各国各機関で取り組むべき品種開発において必要となる遺伝資源や基礎技術の利用に制約が加わることを意味するからである。
 遺伝資源をめぐっては、80年代初頭からFAOを舞台に議論がくり返されてきた。途上国に集中する作物原生地(生物多様性の中心地)の保全と遺伝資源の管理(ジーン・バンク事業)の主導権および資金負担をめぐる南北間の対立は、92年に締結された「生物多様性条約」にまでもつれ込んだ。途上国側の要求を反映した同条約に対してアメリカ政府が署名を拒否し、条件つきで受け入れたクリントン政権下でも議会の批准が得られていないのも理由のあることである。
 現在、FAOをはじめとする国連機関、かつては「緑の革命」の推進役であった国際農業研究協議グループ(CGIAR)、環境と開発の問題に取り組むNGOなどが共同歩調をとって遺伝資源の公平・公正な国際管理を実現するための努力を続けており、バイオテクノロジー利用にあたっても自主的な研究開発を進めている。先に原案が発表された生物多様性条約の議定書では主に生態系への影響という観点から遺伝子組み換え作物の貿易規制を謳っているが、一部先進国と多国籍企業による遺伝資源と基礎技術の囲い込みに対する国際的な規制もあわせて議論していく必要があるだろう。

(久野)