坂出健(Takeshi Sakade)准教授

   

D・エジャトン著『戦争国家イギリス~反衰退・非福祉の現代史』(名古屋大学出版会、2017年)


著者David Edgerton教授の大学公式ページ(Kings College London
出版社・名古屋大学出版会のページ

雑誌書評


玉井克哉(東京大学・信州大学)「実は戦争国家の色が濃かった 通念を覆す20世紀英国の検証」『週刊ダイヤモンド』2017.8.5
『出版ニュース』2017.7月号

書評会

第2回国際政治経済学研究会(2017年9月20日、於、京都大学経済学部)
評者:藤木剛康(和歌山大学)

第13回関西イギリス史研究会(2017年9月24日、於、京都大学文学部)
評者:山口育人(奈良大学)

書評

犬飼裕一(日本大学教授)



 D・エジャトン『戦争国家イギリス 反衰退・非福祉の現代史』(坂出健監訳、名古屋大 学出版会、2017 年)を読みました。
 まさに歴史観を問い直す本であると同時に、歴史観というのは一体何なのだと問い直す本でもある。こんな多少キザな言い方が、少しイギリス風のような気もします。
 二十世紀の二度の世界大戦を通じて辛くも戦勝国として泳ぎ切ったイギリスは、もちろん無傷ではない。世界に誇る大英帝国も崩壊し、自慢の艦隊は日本に沈められ、本国の市街地もドイツの爆撃やミサイルでボロボロ。ただし、その種の誰の目にも明らかな現実とは別に、世界大戦を経るなかで大きく変わったものがもう一つあります。 それが歴史観。日の沈まない地球規模の大帝国と強大な軍事力──とくに海軍力──を遠慮なく誇っていたイギリス人たちが、二度の戦勝を経る中で、なぜか「福祉国家」を勝ち取りました。最強だったはずの軍事力もなぜか衰退し、代わりに住民の幸せを第一に考える福祉が優先されるようになる。
 それで二度の大戦ではひどく苦戦を強いられたという説明になる。二十世紀になってイギリスは軍隊を重視しなくなったのに対して、世界には「軍国主義」の連中が登場します。それがドイツ、そして日本、他。相手は、何もかも軍隊中心ですべてを犠牲にして、狂ったように武器を製造する連中。そんな連中を相手に国民の幸せを重視する「福祉国家」は苦戦する。
 相手が異常者なのですから、文化的で教養がある人々が苦戦するのも当然なのでしょう。そして、この種の理解が繰り返し語られるようになると、次第に常識になっていきます。それはイギリス史の神話。イギリスが軍事的に衰退したのは、この国の住人があまりに知的になってしまったからであり、福祉と引き替えに、無知で野蛮な国との競争から自発的に撤退したからだというわけです。
 このように書いてくるとずいぶん自分勝手な解釈のようにみえますが、そんな歴史観を世界中に普及させてきたのが、英語の名文で「歴史」を世界中に広める歴代の歴史家たちでした。イギリスでは「歴史」は、民間主体の国策事業みたいなところがあります。オックスフォードやケンブリッジの大学出版が「歴史」を量産し、それを各国の信奉者が自国語に訳します。現に日本でも信奉者や愛好者がたくさんいましたし、いまでもいる。
そんな神話を根底から否定するのがこの本です。
  イギリス政府が福祉を重視するようになったのは事実だが、もっと重視していたのは軍事で、二十世紀で、国家予算に占める軍事費の比率がドイツや日本より低かったことなどない。特に、第二次世界大戦でドイツと日本の軍隊が壊滅してからは、数字の上で本当の「戦争国家」だったのはイギリスでした。
 辛勝にせよ、戦争に勝ったことで「戦争国家」と手が切れなくなってしまったわけです。現に、民生用の自動車などの産業がどんどん外国に抜かれていき、産業空洞化も進む中、イギリス政府は、軍事関連の産業に異様に執着しました。ロールスロイスの航空機エンジンや、軍事技術の民生用化であった「コンコルド」(エンジンはもちろんロールスロイス製)です。そして、各国の有力歴史家はほぼ無視していますが、「コンコルド」の相棒であったフランスとイギリスは、第二次世界大戦後の核開発でも膨大な国費を費やしました。費やしすぎてしまったともいえる。この本の議論から離れますが、二十世紀後半に、「戦争」と手を切った日本やドイツとの経済格差を考えると意味深いですね。
 他方、イギリス政治や行政を支配したのも、歴史家の本に毎度登場する文系の教養人ではなくて、実は軍事技術系統から出てきた技術者あがりの人々。戦争が終わっても「戦争国家」を相変わらずやっていたのが彼らでした。 「パブリックスクールとオックスブリッジを出てギリシアラテンの古典に通じている」というのは、歴史を書く人々であって、実際に国を動かしている人々ではない。しかし、文系の教養人である歴史家たちは技術屋さんを尊敬しないし、よくわからない。
 その結果が、「文系の福祉国家イギリス」という神話でした。この神話によって、一般のイギリス人は、ドイツや日本に軍事的にいったん打ちのめされ、アメリカの力で辛勝したという史実を受け入れやすくなりました。相手は異常者で、自分たちは教養人だから負け(そうになっ)たのだというわけです。また、外国の支持者も「超大国アメリカとはひと味違う福祉と文化のイギリス」という好意的な理解をする。まさに国際的な協力による神話が生まれて、つづいてきたわけです。
 英米による第二次世界大戦中の対敵プロパガンダの起源は、第一次世界大戦中のイギリスによる対独宣伝でした。文明人のイギリスと野蛮人のドイツの戦い、「文明を守るための戦争」だという宣伝。イギリス人は自由な個人主義者で、ドイツ人は奴隷の集団志向という決めつけもこの時に広まりました。なぜかイギリスのインテリがゲーテやベートーヴェンの作品を愛好してきた事実は都合良く忘れられます。
 そんなプロパガンダが、第二次世界大戦ではアメリカを経由して「日本」にも降ってきました。こうして考えてみると、「戦争国家イギリス」というのはますます意味深いテーマだといえます。
 「歴史修正主義(リヴィジョニズム)」という言葉があります。しばしば罵倒語になっているのですが、「ヒトラー」や「A 級戦犯」の名誉回復といった些末な「修正」などではなくて、もっと深い歴史観の次元での再考がここからはじまるのかもしれません。
 これを書いているのが、他ならぬイギリス人であるという点が、もしかするとこの国の底力なのかもしれません。この本にも何度も登場するイギリスの歴史家 A・J・P・テイラーは、「ヒトラー再評価」で代表的な歴史修正主義者として「悪名」がとどろいていました。
自国製の古い神話を壊して、新しい神話を作ろうとしているのでしょうか。
2017 年 9 月 25 日
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