ケンブリッジ便り

2月分

2月の研究活動のまとめ
@執筆:和文草稿三編、英文推薦状一通。
A読書:アリストテレス『政治学』(終了)、中世・近世英国史関連文献、オランダ史関連文献。
B翻訳:『オシアナ共和国』(228日)

Watermarks
今日は知り合いのドイツ人とカナダ人の夫妻に夕食へ招待されたので、彼らの自宅のあるセント・アイブスまで、一緒に招待されたチリ人の友人Rさんに連れて行ってもらいました。高速道路で30分くらいの道のりです。本当は妻も一緒のはずでしたが、あいにく風邪を引いてしまい自宅でお留守番です。
 Rさんは、あるカレッジのArchivistで、道中の話題は彼女が今調べている17世紀のマニュスクリプト用紙に関してで非常に興味深い話でした。論文化するそうなので詳細は書けませんが、当時は非常に貴重品の紙の品質と透かし模様Watermarksから、その書き手の社会的・宗教的バックグランドを、かなり正確に分析できると主張する議論です。つまり紙をめぐる国際ネットワークから、国家の枠組みに必ずしも収まらない社会的・宗教的ネットワークに迫る視点です。この主張は、Portland CollectionHarleian Collectionなどを彼女が網羅的に精査した結果に基づいているそうです。そして将来は、マニュスクリプト紙の物理的特徴を読み取れば、だれでも書き手や紙の使用者のバックグランドを容易に特定できるデータ・ベースを構築するという壮大なプロジェクトを背景にしたお話でした。
 聞いてみれば当たり前なのですが、刊本や電子資料からではわからないマニュスクリプト紙そのものの特徴分析から歴史的事象や人物に接近するのは非常に面白い視点で、大変刺激を受けると同時に勉強になりました。
 もちろん素晴らしい夕食(本格的な中華料理とそれによく合うフランケン!)とそこでの楽しい会話(独裁政治、ファシズムと文化大革命、新聞記事の国際比較、身の回りの研究者の研究に関するミス・コンダクトなど)も存分に楽しみました(2月25日)。

留学準備は大変
昨年知り合ったケンブリッジ大学の学部生Mくんとは、これまで数回、昼食を共にしながら四方山話をしています。彼はいま、日本で言う卒業論文の仕上げだけでなく、留学準備でも大忙しです。制度の異なる国への留学の場合、自国でのスケジュールと、相手国の各種の奨学金や入学審査の締め切りなどがまちまちで、よほどしっかりとしたスケジュール管理と周到な準備をしないとうまく進みません。ですから、別の話をしていてもいつのまにか話題は留学のことになってしまいます。かつて私自身がケンブリッジに留学するときの「綱渡り的スケジュール」を思い出しつつ、少しでも役に立てればと思っています。
 日本への留学の場合は、文部科学省が数種類の奨学金制度を持っていますので、それを利用するに越したことはないのですが、とにかく手続きとカテゴリーの選択が簡単ではありません。ですから交流経験が豊富なアドヴァイザー(交流実績の豊かな大学には必ずいます。日本では私立大学に国立大学は敵いません。)のサポートがないと、個々人の能力ではなく、手続き面で、なかなか正規留学のハードルを越えられないようです。
 また、英語が第一言語であり大学をそれなりの成績で卒業できていれば、JETや各種英語学校で比較的容易に働くことができる状況も、正規留学という困難なハードルをわざわざ越えようとする気持ちにさせません。
 そんな中で果敢に挑戦する
Mくんの相談にのりながら、日本から院生・学部生を送り出すものも含めて、どのような奨学制度があるのか、手続き上の留意点は何かなどを、少し集中的に調べています(223日)。

古代ローマ帝国の遺産
最近、EUの共通の遺産として、古代ローマ帝国を紹介・解説するTV番組(講義やセミナーでもしばしば話題となります)が相次いで放送されています。この「流行」が、EU憲法の各国での批准が上手くいっていないことに対する「てこ入れ」なのかどうか分かりませんが、非常に興味深い内容のものが多く、帰国後の授業のための補助教材に使えそうなものは積極的にDVDに録画しています。
 それらの番組が共通して強調するのは、社会の安定と経済的発展を可能としたローマ帝国という政治的経済的構造物の巧妙さです。この点では、内乱に陥って崩壊する比較的短命な共和政ローマには勝ち目がありません。しかしローマ帝国の政治には、皇帝を中心とする支配の確実性や効率性はあっても、いわゆる民主政的決定プロセスがほとんどありません。したがって現在のEUがそれをそのまま範とするわけにはいきません。つまり結局のところ、これらの番組からわたしたちが考えるべきことは、ローマ帝国の学ぶべき遺産と学ぶべきでない遺産をどのように区分けし、どのようにして前者を選択的に継承するかということになります。
 そして非常に面白いことに、その選択作業は、全ての始まりである作業、つまり、どのような共同体を作り上げるのかという理念を明確化する作業を抜きにしては進められません。一般的に、共通の遺産の上に現在のプロジェクトを基礎付けた方が、何もないところから全てを立ち上げるよりも、説得性や実効性がありますが、伝統や遺産は一義的なものではなく、多様な慣行の束に過ぎません。ですからローマの遺産との関係で現在のEUという共同体構想を語るためには、常に、どのような結合を目指すのかを意識しながら、この慣行の束の中から何を取り出すのかが問われることになります。
 同じように考えると、日本に密接な関係のある東アジア共同体構想は、はたして依拠可能な共通の基盤があるのか、そして、あるとすればどの部分を選択的に継承するのかなどの重要な問いに対する回答を求められているように思われます(218日)。

Parliament at Westminster
今日は、ケンブリッジ選出の庶民院議員の紹介(日本の国会と同様です)で、ロンドンの議会(現在はエディンバラなどにも「議会」は存在します)の内部の見学ツアーに妻ともども参加しました。確か10年位前にも議会を訪れ、一般見学コースで内部を見ましたが、今回は、昨年5月に行われた、総選挙後の議会開会式の中継番組を見ていたので、より細部まで楽しむことができました。
 上記の番組では、カメラのアングルの関係で見えなかった、貴族院と中央ロビーをつなぐ廊下と、中央ロビーから庶民院をつなぐ廊下に掛けられた絵画も興味深く見ることができました。もちろん、テーマは、19世紀的な「憲政の発展史」です。ノルマン支配から内乱、そして名誉革命などにおいて、議会が中心的な位置を占めるようになる過程が、十数枚の絵画によって概観できるようになっています。
 また見学には、議会職員による、非常にエンタテイメント性の高い説明がつき、その基本的内容は、上記の絵画と同様に、やはり「憲政の発展史」でした。恐らくTrevelyanなどの通史をテキストに研修(あるいは自学自習?)を受けたのだと思います。彼の話すような、大権を振りかざしての議会の特権と自由を抑圧する国王という説明は、非常にわかりやすいのですが、現在の歴史学の知見から言えば、ちょっと単純化しすぎかなとも感じました。しかし短時間に見学者を楽しませながら解説するには、このくらいでちょうどよいのかもしれません。その他は、庶民院前のギャラリーにバロネス・サッチャーの像が立つ予定であることや、現在審議中のIDカードについての「私見」など、ちょっと脱線も入りましたが、予定を大幅に超過して2時間余りのツアーでした。
 一般的に、話のわかりやすさと(現時点での学問上の知見での)正確さを両立させることは、非常に難しいですが、より後者を重視すべき大学の授業での、実際のさじ加減などについても思いをめぐらせました(213日)。



春の日差し
毎年、日本の建国記念日の前後のある日を境に、日差しが急に力強くなります。銀塩カメラで言えば、絞り二つ分くらい明るくなり、そして、春らしいやわらかい暖かさを感じることができます。風も、冬のような厳しい感じではなく、程よい湿度と温度になり、マフラーや手袋は必要なくなるくらいです。どうやら、今日がその日のようです。とはいえ、太陽が翳るとまだまだ寒いのでコートなどは手放せませんが、この日差しの強さならば、日本の基準でも、十分、春と呼べるのではないでしょうか。
 この週末には、スノードロップだけでなく、クリーム色のクロッカス(面白いことに、同じ種類でも色によって咲く時期が違います)などの小さな花たちが、一斉に開きそうです。そして春が来ると、わたしたちもついに帰国です。残りの毎日をより大切にしたいと思います(28日)。

シラバス提出
今日はシラバスの提出締切日なので、日本時間に合わせて昨夜のうちに送付しました。既に提出してある演習2種類を除いて、学部生用が3種類(リレー講義を含む)、大学院用が3種類(ワークショップを含む)です。それにしても電子メールに添付ファイルでこういった原稿を送ることができるのは、やはり大変便利です。もちろん、教務掛の方からもいろいろとご配慮頂いているからできることでもあるので、本当にありがたく思っています。
 さて、これで来年度の書類上の準備は全て終わったはずなので、あと少しの在外研究を有意義に過ごしたいと思います(23日)。



ジョンとの会食

「春の準備の一週間」は今年も予定通り終わったようなので、また最低気温が氷点下で推移する毎日に戻ってしまいました。それでも小さな草花は、ゆっくりですが確実に春に向けての準備を進めています。スノードロップに続いて、日当たりの良い処では、クロッカスのつぼみも開きつつあります。
 そんな寒い中、今日は、第二回目のジョンの講義と、その後の会食のために出かけました。実は、昨夜は、あのスティグリッツの講演があったのですが、残念ながら参加を取りやめました。数日来の風邪気味の体調が悪化して、ジョンとの会食を万全の体調で迎えられなくなることを危惧したからです。
 授業は、予想通り、学生の数が減りましたが、熱心な学生が残っているようで適度な緊張感の中で進められました。その後、キングス・カレッジの上級構成員サロン(The Senior Combination Room)で、お食事です。
 今夜は夕食を作る当番だそうで、そのメニューとバッティングしないように、ジョンはいつもの「スモークド・サーモン・サンドウィッチ」ではなく、ビーフ・サンドウィッチです。子どもの送り迎えをしているのは知っていましたが、世界のジョン・ダンも食事の準備を分担(あるいは専業?)する事実が判明しました。
 千葉でのシンポジウム、思想史の位置、英国と日本の学問分野のズレ、ケンブリッジにおける経済思想史の可能性、ジョナサンの新著や共和主義研究の動向、いわゆる(思想史の)ケンブリッジ学派、そしてより哲学的な、政治とは何かまで、盛りだくさんの大変興味深い議論ができ、あっという間に1時間半も過ぎてしました。もちろんわたしの研究についての報告と相談もしっかりとできました。信じられないくらい多忙な中で貴重な時間を割いてくれたジョンに心から感謝です。
 いつ話しても、相手が誰であろうと誠実に接する努力を怠らず、そして、厳しいコメントをしつつも常にユーモアを絶やさないジョンは、研究者・教育者としてだけでなく、一人の人間としてもぜひ見習いたい目標だと再認識しました(21日)。