ケンブリッジ便り

1月分



1月の研究活動のまとめ
@執筆:和文草稿三編、シラバス仕上げ。
A読書:『ニコマコス倫理学』(終了)、『政治学』、アリストテレス関連文献。
B翻訳:『オシアナ共和国』(131日)。



獣性の自己制御
最近読んでいる『ニコマコス倫理学』の中では、肉の欲望に由来する獣性をいかに制御するのか、それを手助けするような社会的共同体のあり方とはどのようなものなのか、が論じられています。獣性の消滅・抹消ではなく、その存在を見つめて、自分自身によって制御することが、神でも野獣でもない社会的存在としての人間の徳だと言われます。アリストテレスの時代から何千年たった今でも、わたしたちの課題として有効なのは、ある意味では、非常に悲しいことなのでしょう(130日)。



Conversation with the ‘Real’ Master
今日の昼食は、とあるカレッジのマスター(カレッジの長)との会食でした。学生交流協定などを話し合うためです。招待を受けたので、てっきりフォーマルな昼食の方だと思い、また、わたしはこのカレッジの卒業生でもあるので、きちんとガウンにスーツという出で立ちで訪問したのですが、まったく不必要でした。会談の内容は後日、ハッピー・エンドになったとき(しかしいろいろな困難がありますので、正直、どうなるか分かりません)に発表したいと思います。
 表題に「real」と書いたのは、昨夜のRichardsonが、ケンブリッジ大学がサッチャー時代に大変革を求められたときのどたばたを描いたパロディ(見方によっては大変皮肉の強いもの)で、あるカレッジのマスターを演じていたからです。もちろんどちらのマスターも非常にジェントルマンでした。
 さて今夜は、音楽家モーツアルトの誕生日会という催しに招待されているので、社交にもうひと頑張りです(127日)。

Ian Richardson来る!!!
今夜は、Ian Richardson主演のお芝居:The Creeperを見に行きました。あの有名なRichardsonが直に見られるということ、しかも、ロンドンではなく、ケンブリッジで行われることに感激しました。200人くらい入る劇場は連日(2327日)、完売だそうです。
 人間心理の複雑さを、シャークスピア張りの皮肉や逆説を交えてペシミスティックに描きつつも、人間が「良く変わり得る」存在であることも示すような、まさにイングランド的人間描写の世界が繰り広げられました。Richardsonの年齢も関係しているのでしょうが、5060歳代のイングランド人夫婦が多かったように思います。
 幕間には、ロビーでジン&トニックを片手に観客が演劇談義という典型的な光景も目にすることができて、この点でも面白かったです(126日)。

久しぶりのジョンの講義
12月に学会発表のため日本に行く直前に会ってから、約二ヶ月ぶりにジョンに会いました。正確に言うと、今回は、昼食を共にするなどの長めの個別面談ではなく、(短い立ち話をしたあとの)今学期Lent termから始まる彼の講義(A Historical Introduction to Political Theory)の聴衆の一人としてです。PhDの学生だった頃に初めて聞いたのと同じ内容でしたが、近年の学生に合わせてか、レジュメも格段に分かりやすくなっていました。但し、講義に熱が入りすぎて、最後に時間が足りなくなり端折るのは昔のままでした(笑)。
 今回非常に面白かったのは、私自身も講義を行う側になったことから、講義の内容だけでなく、間の取り方、声色の変え方、表情など、ジョンがどうやって聴衆をひきつけようとしているのか、重要な点をどのように強調しているのか、などをじっくりと観察できた点です。また、面白い皮肉や喩えが頭に浮かんでから言語化されるまでのジョンの表情の変化も、おそらく以前よりはっきりと看取することもできました。
 難しいことを分かりやすくというのは講義においてもちろん重要ですが、ジョンが行っているように、聞き手に思索の手がかりを与えつつ微妙な点はニュアンスをつけながら(≒難しいまま)話すこともまた同時に必要だと感じました。そうでないと、知識の注入にしかならず、学生自身が思考力を鍛えるきっかけにはなりにくいからです。
 授業が終わってからは、周りの学生たちと少し話をしました。どんな学生がジョンの講義を聴いているのかを知るためです。やはりアメリカ人と、現代政治論に興味がある人が多かったです。
 今日は30人くらい(以前に聞いたときの倍くらい)が聴講していましたが、理論的な内容が中心なので、二回目以降の出席者がどうなるのか、自分の講義のように、ちょっとドキドキします(125日)。

Town & Gown
英国を含むヨーロッパ(おそらく米国でも)では、大学は知的ギルドとして、そして、地方公共団体と同格の法人として、その領域内の自治権を有していますので、その領域内の課税権や警察権なども、当然ながら、大学に属しています。また、どこかの学問分野で儲けた分を、別の分野に配分・投資することはありますが、法人全体として、利潤の追求を至高の目標として目指すわけではありません。そこでは、知の探求と、大学という法人やそこへ属するものの福利厚生が第一基準になります。
 ですから、時には、大学と、その所在地の地方公共団体との間で、政治的・経済的・社会的・文化的な摩擦が生じます。その対立を、韻を踏んだフレーズで表すのが、Town Gownです。前者はもちろん、町、地方公共団体、あるいは大学外の論理などを示し、後者は、学位保持者が纏うガウンから、大学もしくは大学の論理を指します。そこから、異なる人々が仲良く交流する、あるいは、して欲しいという願望から、Town & Gownという名前のパブも英国の大きな大学町にはたいていの場合あります。
 しかし日本の国立大学法人がヨーロッパ的大学のあり方から見るとおかしい、という議論をするために、この話題を取り上げたのではありません(いろいろな問題があるとは個人的に思っていますが)。今日は、ケンブリッジ市の市議場会場、市長の式服、職位を示す首飾り(レガーリア)、法人としての勅許状(の写し)などの見学と市長さんとの歓談の機会があり、以上のような歴史的経緯を思い出したからです。住民数に比べて観光客数が異常に多いケンブリッジでは、公衆トイレの整備や街頭の清掃、そして観光客受け入れのための交通網などの整備などの費用負担をめぐって大学との間でいまでもいろいろありそうな、そんなニュアンスの感じられる市長のご挨拶でした。ちなみに、12月のケンブリッジ便りで触れた、市庁舎の正面に設置されるクリスマスのイルミネーションの費用は、市が負担していることも判明しました(119日)。

田園の香水
この季節になると、春からの実りに備えて、あちこちの花壇や庭園そして畑に、堆肥がまかれます。どこのカレッジの庭師さんたちも、とたんに忙しそうです。日本に比べて空気が乾燥しているにもかかわらず、すごい匂いを発している「危険地帯」があります。もちろん秋から冬にかけて、お礼肥もするので、そのころにもこの匂いが漂ってきます。
 ジェントルマンやレディのたしなみのせいか、鼻の構造が違うからか、定かではありませんが、ケンブリッジの学生と思しき人たちの多くは、「危険地帯」を避けるでもなく、結構平気な顔で歩いています。実に不思議です。
 こうして、花壇や庭園の手入れが本格的に始まると、季節は、「春らしい」から「春」に変わります(118日)。

春の準備の一週間
わたしにとってケンブリッジの気候の変化は非常に興味深いのですが、その中でも、わたしが「春の準備の一週間」と呼んでいる現象を紹介したいと思います。それは、春先に、最高気温と最低気温の差が35度くらいになり、しかも曇りがちで湿度もこちらにしては高い一週間のことです。絶対温度は低いのですが、特に最低気温が2度くらいで留まり、しかも湿度があるので、夜間の冷え込みが緩和されます。
 夜間の冷え込みがなく湿度が高いことから、植物の成長には最適の環境が出現します。そしてこの一週間に、スノー・ドロップ、クロッカス、水仙、寒桜、白梅などの春の花々が急速につぼみをつけるのです。まるで、長時間撮影した映像を早送りで見ているように、一日ごとに、急速に成長します。自然観察にとっては本当に楽しい一週間です。
 秋にも、同様な、植物の成長にとって最適な環境が整う、実りのための一週間があります。その間に、様々な草花は、子孫を残すために花粉や綿帽子のような種子を飛ばします。ケム川の藻でさえ、水面に浮かんできて受精する努力をしているような光景が見られます。
 そして今年は、どうやら今週が、「春の準備の一週間」に当っているようです。いつもよりも散歩の時間を長くして、春の訪れを確認したいと思います(116日)。



電化製品について

ケンブリッジで在外研究に従事している人や任期付きポストの人の入れ替わりの時期を迎えています。去る人は、「帰国売り」と呼ばれる日用品を中古品として販売します。大体、一年くらいの使用期間であれば、購入価格の半額程度で売ります。郷に入らば郷に従えという生活スタイルの我が家でも、いくつか購入したものがあり、現在、リストの作成などをしているところです。
 そんな入れ替わりの時期に、特に日本人からよく質問されたり話題となるのが、電化製品の互換性についてです。そこで、現在、英国に向けて在外研究へ出発する準備をされている方々のために、いくつか思いつくことを書きたいと思います。
 まず、パソコン関係ですが、電圧とプラグの形状の違いについては、ほとんどの方がご存知だと思いますので簡潔に書きます。240ボルトで三つの出っ張りがあるのが、この国でのプラグです。IBMDellなどであれば、240ボルト対応なので(注意:ご自分でご確認ください)、変換プラグだけ用意すれば、こちらですぐに使えます。240ボルト対応でない場合は、変圧器と変換プラグの双方が必要になります。内装ネットワーク・カードも、極端に古いものを除けば(我が家はXPですが、友人によればWindows2000以降であればOKだそうです)、そのまま使用できます。
 次によく質問されるのは、パソコン用プリンターです。在外研究経験者に質問されないのか、あるいは、代々不正確な情報が伝わっているのかわかりませんが、こちらで購入したプリンターは、日本語もきちんと印字できます(日常使用には全く問題ありませんが、全ての日本語フォントを試したわけではありません)ので、特にお気に入りのプリンター以外は使いたくないという方を除けば、わざわざ日本から持参し、加えて、変圧器も用意して日本向けプリンターを使う必然性はありません。
 最後に、炊飯器ですが、これもこちらで購入できます。但し、圧力をかけたおいしいご飯でなければダメな人、あるいは、鍛造圧釜の炊飯器しか嫌だという人は、どうぞ日本からご持参ください(笑)。パソコン関係と同じく、変圧器ももれなく必要になります。
 その他の電化製品についても、若干使いにくかったり、慣れが必要なものもありますが、特段のこだわりのあるものを除けば、移動時の煩雑さなどを考えると、あるいは、電化製品は日本よりも若干価格が高いことを考慮しても、こちらで調達される方が良いと思います(114日)。



問題の共有

最近、大学院時代の友人と偶然に街で会いました。彼は、最近、非英語圏のシンポジウムに参加したそうですが、どうもかなり不満を持っているようです。彼の最大の不満は、(一部の例外はあるものの)多くの発表が、英語圏の研究動向に言及するが網羅性を欠き(少なくとも研究史の文脈の要点を把握しないもの)、肝心の問題意識のすり合わせがほとんどないように見えた点だそうです。つまり、ひとつの問題へ多様な論評を各研究者が与える前に、その問題自体に対する共有理解が必要なのにもかかわらず、それができていない、あるいは、その努力の片鱗さえないように思われる発表が多すぎたこと、そして、虫食い的に先行研究の中から目に付いたものだけを取り上げているように思われること、以上が彼の不満の種だったそうです。
 もちろん分野によっては、このようなコミュニケーション・ギャップそのものが発生しにくいでしょう。また私は、彼の不満が彼自身の異文化理解度に起因していないのかどうか、つまり、私自身がそのシンポジウムへ参加していないので彼の感想自体の妥当性を検証する術を持ちません。しかし彼が問題にしていること自体は、異国の思想家を研究対象とするわたしの分野にとって、非常に深刻な問題を突きつけています。この点については、個人的には、留学以降、重要な問題と認識して自分なりの考察を続けていましたが、彼の今回の厳しい指摘によって、議論をかみ合わせるためには、語学能力の向上だけでは充分でないという当たり前のことを、改めて認識させられました(111日)。



春の匂い
おそらくボーイスカウトなどをしていたお陰で、自然の季節ごとの変化には普通に注意を向けるように習慣付けられたと思うのですが、久しぶりに行ったプールの帰り道には、春の匂いがしました。それは、たっぷり水分を含んだ土と木々から出ているイオンの匂いです。春先の山などでする香りです。木々が芽吹いたり、スノードロップや水仙、クロッカスなどの春の花々がきれいに咲くのにはもう少し先ですが、確実に春に向かっていることを実感した夕暮れでした(19日)。



小豆ご飯の日
松の内が明けたからとか、お正月に暴飲暴食したからというわけではないのですが、今日は小豆ご飯を作って食しました。日本でも小豆粥の振る舞いが寺院で行われている頃でしょう。
 知らない人もいるかもしれませんが、小豆は、ビタミンB1やB2、サポニン、ポリフェノールなど、冬の健康維持には欠かせない栄養素をいっぱい含んだスーパー食品なのです。年末に韓国食材店で発見した(一キロポンドくらいなのでお値打ち)ので、それを使っての料理です。韓国料理でも小豆(パッチュという料理があるそうです)はよく使われるようです。厳しい冬も、ちょっとした工夫で楽しく健康に過ごせます。こうした先人の知恵(食文化)は、自覚的に継承したいと思います(17日)。

西洋版 松の内? クリスマス・リースを取る日
日本のお正月でも門松やしめ縄を取って神社の焚き火に持っていく行事がありますが、こちらではクリスマス・リースを取る日があり、それが今日です。
 クリスマス・リースとは、柊や木のつるなどを利用して作られる円形の飾りです。しめ縄と同じように、年末になると花屋さんや園芸店などで525ポンド(約10005000円)くらいのものが販売されます。作り手によってデザインや素材が異なりますので、いろいろなお店をのぞいて、お気に入りを探すのが、12月の週末の楽しみのようです。わたしたちは、マーケットの八百屋さんから購入しました。
 もちろんリースはクリスマス用なのですが、それが終わっても今日までは飾っておきます。しめ縄などのお正月飾りと大きく異なるのは、供養や厄除けの焚き火などにくべる習慣はないようなので、普通に家庭ごみと共に捨てるだけです。わたしたちのフラットは、共有の庭を管理する三人の庭師さんが堆肥を作っているのですが、そこへ一部を捨ててから、針金などは家庭ごみとして出しました。ちょっと味気ない気がします(15日)。

冬の健康維持
暖流のお陰や近年の温暖化の影響で温かくなっているとはいえ、ケンブリッジの冬は寒く感じられます。もちろん午後三時くらいには日没なので気分が落ち込む時もありますが、だんだん空気が澄んでいくのがはっきりと分かることや、早い日没の直前の赤から青への鮮やかなグラデュエーションの夕焼け空を見ることは、やはり冬の楽しみです。
 厳しい季節を有意義に、そして楽しく過ごすためには、何よりまず健康が必要です。人それぞれだと思いますが、わたしたちが行っている非常に簡単な健康維持法のひとつを紹介しましょう。それはシャワーではなく、浴槽にゆっくりとつかることです。もちろん浴槽のないフラットも多いですから、冬に強くない人は、居住場所の選定から慎重に行う必要があります。
 お風呂に長くつかるための、目下の妻のお気に入りは、お風呂でSudokuをすることです。わたしは文庫などの本を読みます。その際に、湿度が低いのでお湯が比較的早く冷めますから、適当な差し湯と、バス・ソルト(入浴用の塩)を入れます。塩入りのお湯は、浸透圧の関係で体が非常に温まりますし湯冷めしにくいです。ちょうど単純温泉の原理と同じですね。それに、この塩はこちらで調達することができますので、簡単です。元気になったところで、お正月なのに行っている無粋な研究をちょっと中断して、今日も元気に夕日を見ながらの散歩に出かけたいと思います。(14日)。

2006年 元旦
ケンブリッジの元旦は、特別な行事もありません。最近でこそ、イングランドでもカウント・ダウンの催しを盛大に行うようになりましたが、昔から正月を大々的に祝っていたのはスコットランドでした。特に、エディンバラの年末から年始にかけてのストリート・フェスティバルであるHogmanyhttp://www.edinburghshogmanay.org/)では、街中でカウント・ダウンをしながら、午前零時になると「A Happy New Year」と言いながら、みんなでキスをしあうという(自発的)イベントがあります。きれいな女性は、男子中学生らしき一団に集中的にキスされたりという、微笑ましい(?)光景も見られます。
 そしてスコットランドでは祝日の2日までは、友人宅を訪問したりして楽しく過ごします。エディンバラで一年を過ごしたわたしも一回だけエディンバラでのお正月を経験しました。お正月は、親切で人懐っこいスコットランド人たちの魅力を再認識する瞬間でもあります。
 ケンブリッジでは、カウント・ダウンの花火は十年位前から始まりましたが、それを除けば、非常に静かな元日です。わたしたちのフラットの住人も、暖かいところに旅行へ行っている人が多いので、時々小鳥たちのさえずりが聞こえるだけでした。
 そんな静かな、しかも最高気温が2度くらいの例年に比べて暖かいケンブリッジで、我が家では、韓国食材店で仕入れた限定された食材を使って、お正月料理(もどき)を楽しみました(11日)。