ケンブリッジ便り

11月分

11月の研究活動のまとめ
非常に多忙なので、月末のまとめだけ。

@執筆:学会誌書評二編(完成)、和文草稿三編。
A読書:共和主義思想、ルネッサンス寓意論、17世紀オランダ史。
Bその他:教育・研究交流協定に関する話し合い(1130日)。



卒論提出
わたしの在外研究に伴い他のゼミへ移籍してもらった4名の四回生のうち、3名が卒論を執筆中ですが、本日がその締め切りです。3人ともゼミ論で書いた論文(ジョン・ロック、エドモンド・バーク、J.S.ミル)を拡充する方向で議論を進めています。特に11月に入ってからは、一週間に一度、添付ファイルで草稿のコメントを求めるもの(電子メールのお陰で便利になりました)もあれば、結局ぎりぎりまで執筆していてコメントの余裕が全くなかったものまで様々でした。しかし最終的には、三人ともきちんと締め切りまでに余裕を持って提出したようです。
 論文を仕上げる過程では、狭い意味での学術的な勉強だけでなく、社会人や大学院生になってから更に重要になるスケジュール管理を含めて、いろいろな勉強をしたのではないでしょうか。さっそく送ってもらった最終原稿を見ると、三人の個性を反映し、また、それぞれの学部生としての四年間の総決算に相応しい、非常に素晴らしい論文に仕上がったと思います。もちろん準備や時間の不足から満足に議論が展開できなかったところがないわけではありませんが、それは今後の課題としてしっかり受け止めれば、学部の仕上げとしては十分だと思います。さあ、しばらくの間、ゆっくりと休憩して、口頭試問に備えてください(1130日)。


火薬陰謀事件Gunpowder Plot & Treason
今年の115日は、1605年に起こった火薬陰謀事件の400周年記念行事が数多く行われました(資料)。この事件は、ガイ・フォークスを首謀者とするカトリック教徒の一団が、ロンドンのウェストミンスターの議会の地下室に、大量の火薬を仕掛け、国王の爆殺と議会の破壊を目論んだとされる出来事です。
 この事件は未然に防がれたのですが、その結果、イングランドの自由が守られたということで、フォークスをかたどったわら人形を燃やしたり花火を打ち上げたりしてお祝いをする日です。今では秋のお祭りのひとつになっています。
 この背景には、大きくは、二つの要因があります。第一には、ヘンリ八世のもとでカトリックから離脱して独自の領域教会=国教会を持つようになったイングランドでは、国王自身の信仰などによって、親カトリック(Cと略)、逆に親プロテスタント側(P)に舵を切ったりする、宗教政策と体制の動揺と振幅が常態化したことです。ヘンリ八世(P)→エドワード六世(P)→メアリ一世(C)→エリザベス一世P→ジェームス一世?
 そして第二の要因は、1603年には、連合王国を共に形成するイングランドとスコットランドという別々の伝統と歴史を持つ両王国が、同一の君主ジェームス一世(スコットランド王としては六世)を頂くことによって、グレート・ブリテンという複合王国となったことです。ジェームスは、有名な悲劇の女王と呼ばれるメアリー・スチュアートの息子ですが、彼女がカトリックだったことから、ジェームスがイングランド王位を継承した暁には、(前国王エリザベスのプロテスタント寄り政策から一転して)カトリック寄り政策へ回帰(カトリック信仰の公認・黙認)するのではないかという強い期待がその信者の間で高まりました。しかしそれが実現されないことが次第に明らかになり、期待を裏切られた彼らが陰謀に至ったといわれています。
 この事件に関しては未解明のことがまだまだあるのですが、国境を簡単に越えてしまう宗教とそれを固守しようとする世俗国家との対決、信仰や内面の自由とその実践、外国への敵意と脅威、民衆の熱狂など、依然として、現代を考える上でも重要な素材を提供しているのではないでしょうか。面白い映像資料も手に入ったので、帰国後の授業では、さらにイメージを喚起しながらこの事件を取り上げたいと思います。(115日)。