『近代日本の社会経済学』
著者 八木紀一郎
筑摩書房 A5版、ix+245+vii ページ
発行日:1999年5月25日
定価 4,800円+税
 
「まえがき」より: 
本書は、明治維新の前後から1945年の敗戦にいたるまでの約80年のインテレクチュアル?ヒストリーを、経済学者たちを素材にして描いてみたものである。福澤諭吉、柳田国男、河上肇、石橋湛山というラインアップはいかにも安直だし、それぞれに重厚な研究が積み重ねられている学者やトピックを性急に短い章でかたづけようとすることも、専門的な研究者のなすべきこととも思われない。しかし、私はともかくも、自分の知性?心性の背後にある日本近代を像にしたいと思った。素人の著作という批評は、甘んじて受けよう。 本書を構想して以来、私の脳裏にあったのは、外国の研究者たちから受けた日本の知的伝統についての問いであった。おそらく経済学史?経済思想史を研究しているからであろうが、私は、日本人の経済学の研究には、西洋人がおこなう研究には見られない独自性があるのかどうかをしばしば問いかけられた。話のついでといった軽い質問の場合もあったが、日本人との交際の長いある人の場合は、私が気分を害さないようにことばを選びながら、日本に経済学の独自の貢献と伝統があるとすればそれを教えてくれと言った。進展しつつある理論研究のフロンティアに国境の隔てなく参入できる20代?30代の経済学者であれば、こうした問いを無視することができるし、またそうすべきでもあろう。だが、私のように、もはや若いといえない研究者であれば、このような一見後ろ向きな関心に研究時間の幾ばくかをあてることも許されるだろう。 今や歴史的な転換の年となった1989年の秋から90年の春にかけて、私はドイツに滞在していた。ふとしたきっかけで日本の近代化と経済学の関連について講演をすることになった私は、あわてて滞在中の大学の図書館に足を運んだが、利用できた資料は戦前期の文部省が外国向けに出していた英文の年次報告と慶応大学が寄贈した『福沢諭吉全集』だけであった。前者からは教育統計などの便宜を得たが、後者からは講演の準備に役立てること以上のものが得られたと感じた。欧州を東西にわけへだてていた境界が次々と崩れ、西洋文明の理念の復興を人々が語る声をききながら、私は文明は一国独立のための手段に過ぎないと言い放った福沢の著作を読んでいた。そのなかで、私の念頭に萌したのは、外国人たちの問いを自己に引き受けることによって、自分自身を考えるような書を生み出すことが可能かもしれないということであった。本書で取り上げる経済学者たちが生きた日本の近代は、明治維新からアジア?太平洋戦争にまでつながった時代であった。そこでは、西洋スタイルの近代化がつねに反発的なナショナリズムと絡み合っていた。経済学のような学問を含む知的生活においても、事情は同じである。しかし、西洋先進国との懸隔が深刻に意識され、それを埋めるかのように国家が前面に押しだされた前半の時期と、第一次大戦期以降の時期を区分することは可能であろう。本書では、福沢、柳田、河上の3人によって、この前半期の知的世界を構成している。その構図は、福沢は日本の近代化に時間軸を与えたが、福沢に欠けていた近代化の空間軸(あるいは協同軸)を与えたのが柳田であった、そして利己心?利他心問題に悩む河上はこの時間軸?空間軸からなる近代日本のセンチメントを代弁しているというものである。柳田、河上の活動は後半期にまで及んでいるが、私は前半期に形成された日本の近代化の知的構造の構成要素としてこの3人をとりあげているのである。第1章は、明治維新前後から昭和初期までの時期における西洋経済学の日本への移入と大学等への制度化を概観している。これが本書でプロローグとされているのは、問題提起というより歴史的な予備知識が提供されているからである。経済学アカデミズムの形成についての知識は、経済学者の思想や理論を理解する上でかえって邪魔になると考える人は、このプロローグを無視してかまわない。そのあと、福沢をとりあげた第2章、柳田をとりあげた第3章、河上をとりあげた第4章が、本書の前半を構成している。第一次大戦は日本を世界の強国に押し上げたが、極東?太平洋の国際関係はそれによってかえって不安定化していた。これを認識し小日本主義を提唱したのは第5章でとりあげる石橋湛山であったが、領土?利権の維持拡大に固執した日本は、中国大陸への歯止めのない勢力進出に駆り立てられる。それを前提とした「東亜の統一」は、高田保馬(第6章)や笠信太郎?柴田敬(第8章)らの戦時期において、状況への追随と批判をないまぜにしながら思考していた枠組みでもあった。第一次大戦後の日本の知的世界は、世界の知的先端との同時代人的意識が生まれた時期でもあった。河上にとってマルクスは「盲従」の対象となったとしても論争のできる同時代人ではなかったが、石橋、高田、柴田といった本書後半でとりあげた経済学者にとってのケインズ、あるいはシュンペーターは、一方では共通の課題に挑む同志であり、他方では論争をいどむべきライバルであった。山田盛太郎(第7章)や宇野弘蔵にとっての、マルクス、あるいは欧州やロシアのマルクス経済学者たちの位置も、河上の場合とは異なっている。強国となり、また知的世界についても国際的同時性を達成しながら、経済学者たちはそこにとどまることができなかった。それは、日本の経済社会が、非資本主義的な農業という基底をもっていたからである。寄生地主制の支配する農業と、財閥?軍機構の支配する資本主義的産業の二元構成は、山田に「ケネー『経済表』とマルクス再生産表式んの併存」という構図を与えた。相手の威信に服属しがちな心情と、経済的交換においても自分の威信を守ろうとする労働者の「勢力」の高まりは、高田に「勢力経済学」を構想させた。農業および労働者生活における劣位は、日本資本主義の生産劣位と不安定性の源泉であるが、それは山田の書かれざる戦略や、笠の経済再編成プランにおいてもとりあげられるべき課題であった。本書後半では、こうしたいったん世界的同時性の水準に到達した学者たちの探求が、時代の危機のなかで袋小路におちいっていくことを示す。課題はアジア?太平洋戦争の敗戦後にもちこされたのである。最後に、戦後直後の経済学者の対応と、変転する時局のなかでの入れ替わりを記述した章(第9章)が、エピローグとして配されている。補論として、日本の近代化過程についての私の総括的見方を示す既発表の文章を付してある。これは、本書の全体のテーマを、村上泰亮の「開発主義」概念でとらえ、近代日本における「市民社会」問題を論じたものである。

 
構成
第1章日本における経済学の導入と制度化:プロローグ

第2章 文明論の時間軸:福沢諭吉と経済学

第3章近代日本の空間構造:柳田国男のルーラルエコノミー

第4章近代日本の心情と経済学:河上肇の未決監

第5章極東における新自由主義:石橋湛山とケインズ

第6章社会的なるものの経済学への導入:高田保馬における経済と社会

第7章日本資本主義とマルクス経済学:山田盛太郎の『日本資本主義分析』

第8章戦時経済と経済改革:笠信太郎と柴田敬

第9章 経済学者たちの回転ドア:エピローグ

補論 開発主義と動員現象:近代日本における市民社会問題