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コラム連載 国内の建設市場を失った原発産業は生き残れるか?

国内の建設市場を失った原発産業は生き残れるか?

2019年1月25日 竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

 日立製作所は1月17日、英国アングルシー島で計画している原発2基の建設計画の凍結を発表した。事実上の撤退だ。これで、日本の原子力メーカーにとって順調な原発輸出の案件はゼロになる。国内も含め、新規原発の建設計画を全く持たないことになり、日本もいよいよ「国内の建設市場を失った原発産業(メーカー)は生き残れるか?」という問いに正面から向き合うことになる。

◇「もう限界」から、ついに凍結。建設・発電コストの高騰
 17日、日立の東原敏昭社長は、「民間企業の経済合理性から凍結を決めた」と述べた。3000億円の損失を計上しても撤退するところに強い覚悟が見える。

 日立がもつ建設計画は2基。しかし、建設費の高騰が確実視される半面、完成後の電力の買い取り価格が安く設定されることが予想され、日立は英国政府と折衝するなど打開策を模索していた。しかし、協議はうまくいかず、昨年は、「もう限界」と苦しさを表明していたが、ついに断念となった。

 日本には日立、東芝、三菱重工という3つの巨大原子力メーカーがあるが、3社とも海外計画でつまずいたことになる。東芝は06年のWH(ウエスチングハウス社)買収で経営危機に陥り、三菱は、トルコでの4基の建設計画について、昨年、事実上の断念を決めた。

 輸出案件における問題は、ここ2、3年、立て続けに発生している。日本、ベトナムの友好関係から、「最も確実」といわれていたベトナムでの2基建設計画が、16年、ベトナム側の資金難によって中止となった。

 トルコのシノップ原発計画(4基)は、三菱重工と仏フラマトムとの共同という強固な態勢で進められていたが、2兆円の当初計画が4兆円になるという建設費用の高騰で中止の方向になった。過去10年間でトルコ・リラの対円為替レートが半分以下に下落するなど、トルコ側の資金負担は極めて大きくなっていたこともあり、中止となった。建国100周年の2023年に、初号機の運転を考えていたトルコ側の失望が伝えられている。

◇工事の不慣れが積み重なってコストを上げる
 このように、確実性が高いといわれてきた案件も頓挫している。理由は建設コストの高騰だ。福島事故以降に世界的に安全規制が厳しくなったことが、費用を押し上げている。

 二つ目は「パンケーキ効果」といわれる。最近は世界的に原発の建設基数が減り、どの国も、どの会社も工事に不慣れになっている。このため工期が伸びたり、機器の値段が上がったり、部品供給が滞ったたりする小さなトラブルがいくつも起きる。許認可にも時間がかかり、反対運動による工期延長もある。こうした多様なリスクへの準備、あるいは実際に発生する追加コストが集積し、全体のコストを大きく押し上げる「パンケーキ効果」が起きている。
表参照

「中止などに追い込まれた海外の原発受注」
「中止などに追い込まれた海外の原発受注」

 世界の原発事情を見渡せば、2000年以降に運転を開始した原発の過半数が中国とロシアのものだ。またこの両国は外国の原発建設も多く受注して建設経験を積み重ねている。現在の世界市場では、この両国の建設工事分野における競争力が上がっているといわれる。

◇福島事故後、ドイツ・シーメンスは原子力から撤退
 英国は政府が原発建設に積極的だ。その中での日立の案件の成否は「先進国で原発の新規建設が可能かどうか、原発メーカーが生き残れるかどうかの試金石」とも言われていた。

 ドイツのシーメンスは福島事故の後、フランスの原発メーカー・アレバ(当時の名称)との原子力分野での合弁を解消し、その後、「世界の原発の将来性が不確実になった」として原子力事業から完全に撤退した。ドイツが「2022年の脱原発」を決めたことが決定的だった。

 シーメンスの撤退は原子力産業界に衝撃を与え、「国内の建設市場を失った原発産業(メーカー)は生き残れるか?」が議論されるようになった。ドイツの次に話題になったのは日本だが、「日本には数件の海外の建設計画がある。一息つける」といわれていた。また日本の3大メーカーとも母体の会社が巨大で余裕もあるので、差し迫った業界再編話も生まれなかった。しかし、今回、海外の計画がほぼ消えたことで、改めて「生き残れるのか?」が問われることになる。

◇日本、海外は不得意。原子力ルネサンスは空振り、中国とロシアに勢い
 日本の原発開発は「国策民営」という官民一体の形で行われてきた。1990年代までほぼ毎年、新規原発の着工か運転開始があり、国内需要で業界が着実に潤う時代が続いた。しかし、2000年代から新規着工が激減し、業界も苦しむことになった。

 2006年ごろ、米国発の「原子力ルネッサンス」というブームが起き、世界の原子力産業界が期待した。東芝が米ウエスチングハウス社を高値で買収したのも06年だ。

 しかし、ルネサンスは「空騒ぎ」に終わった。新設原発を優遇する米国の新法で、米国内に約30基の建設構想が生まれたが、実はそのころ米国ではすでに、新設原発は陸上風力にコスト的に負けつつあり、結局、計画のほとんどが建設着工に至らなかった。

 日本が「国をあげて」海外案件の受注に向かったのは2010年のこと。東京電力など電力9社、原発メーカー3社(日立、東芝、三菱重工)などが共同出資する「国際原子力開発株式会社」を設立し、「オール日本」の体制を整えた。しかし、翌年に福島事故が起き、うまく機能しなかった。

◇「100年はやめられない」。
 東芝、三菱重工、日立というトップ企業の相次ぐ撤退によって、さすがに多くの日本人が「もう原子力に頼る時代でない」ことに気づくだろう。日本では戦後、原発を増やし、核燃料サイクルを実現する計画を進めてきた。それは数十年、あるいは100年という時間をかける大事業のはずだったが、その途中で原発が造れなくなった。

 中西宏明・経団連会長は、日立製作所会長だった昨年4月、経済産業省の審議会「エネルギー情勢懇談会」で、「原子力産業は、始めたら100年はやめられない。社会への責任を含めてそういうものだという認識がなくては、この産業には入れない」と発言している。

 その通りだろうし、そういう考えで英国の建設案件も進めてきたのだろうが、もう無理だと判断した結果が、今回の「凍結」だろう。日本の原子力政策を現実にあわせて変える時期にきているし、原発メーカーの業界再編などの話も避けては通れない。

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