1. HOME
  2.  > コラム連載 エビデンスベースなエネルギー論争のために

コラム連載 エビデンスベースなエネルギー論争のために

エビデンスベースなエネルギー論争のために

2017年8月10日 安田 陽 京都大学大学院経済学研究科特任教授

 エネルギーに関しては、専門研究者や政策決定者だけでなく、誰しもこの問題に関心のある方であれば、どのようなエネルギー源(電源)を選択すべきか、それぞれ「一家言」を持っているようです。多くの方がこの問題に関心を持ち議論に参加することはそれ自体健全なことだと思います。

 例えばあなたが特定の発電方式に賛同したい場合、スポーツに例えれば特定の球団やチームを応援するような状況と似ています。自分の応援する球団が勝てば嬉しいですが、その球団がルール違反やラフプレーなど、どんなに汚い手段を使ってでも勝ちさえすればそれでよいと思うでしょうか? スポーツの場合、ルール遵守やフェアプレーの精神が選手にもファンにも広く浸透しているので少し安心できそうですが、エネルギー論争の場合はなかなか難しそうです。エネルギー論争で本来ルールやフェアプレーに相当するのは、エビデンスと論理的整合性です。これなしに特定の「推し電源」が勝った負けたを議論しても、議論は荒れるだけです。

 昨今のエネルギー問題に関する議論、如何でしょうか。インターネットで飛び交っている出所不明の言説もさることながら、最近では既存メディアでも、十分な調査や検証を行わないまま個人的見解とファクトを混同する実名入りの記事や読み物も散見します。特に再エネに関しては、例えば「便益」の概念が欠落したままコスト負担ばかりを強調したり、「柔軟性」という新しい概念を無視ししてバックアップ電源が必要と主張したりと、基本的理論や最新技術を無視した意見も相変わらず見受けられます。インターネットやスマホに比肩するくらい技術革新が著しい再エネに対して、十分な調査や検証を行わないまま前世紀的な古い考え方や情報が公の言論空間で再生産され、拡散してしまうケースも少なくありません。

エビデンスに到達できるか?
 筆者が以前、大学の授業でエネルギー論を教えていた時、最初の授業で必ず無記名のアンケートを行なっていました。例えば「あなたは再生可能エネルギー/原子力発電/地球温暖化についてどう思いますか?」という簡単な質問ですが、実はこれ自体が主眼ではなく、重要なのは次に続く質問です。すなわち「あなたは何故そのような考えに至りましたか? もっとも大きく影響を受けた本/論文/記事/番組/講演などをできるだけ具体的に書いて下さい」です。この質問こそがアンケートの最大の目的です。

 このアンケート、数年に亘り続けてきましたが、具体的に本や記事の名前を挙げられた学生は平均して100人中10人もいません。「その場でスマホやケータイを使っていいから、ネット検索してできるだけ特定して下さい」と指示しても、おぼろげな記憶の中から具体的文献名や著者の固有名詞まで辿り着くことができる人は、非常に少ない結果となりました。中には「ネットでみんな言ってるので」などという正直すぎる(!)回答もありました。意思決定や判断にあたってエビデンスを求める、という発想は(少なくともこれから専門知識を身につけようとする学生さんにとっては)どうやらマイナーなようです。

論理的整合性はあるか?
 もちろん、エビデンスがあったとしても、ただそれを並べればよいものではなく、それぞれ論理的に整合性が取られていることが重要です。最近はエビデンスやファクトに全く基づかない「フェイクニュース」が世界中で話題になっていますが、だんだん巧妙になってきており、参考文献が並べられているものの相互の論理的整合性がなかったり、引用者が都合よく解釈して論理的飛躍があったりと、いわゆる「チェリーピッキング型」も散見します。

 例えば、専門学術雑誌には査読(レビュー)というシステムがあり、その雑誌に論文を投稿しても複数人の厳しい査読に通らないと掲載が許可されない、というのはよく知られています。では、査読者はどのように査読を行うのでしょうか? 査読者が論文を査読する場合、その論文が自分の考えに合致しているか(つまりどの球団が好きか)ではなく、論文自体で論理的整合性が取れているか(つまりルールを遵守しているか)が審査されます。もちろん、学術論文ではそれに加え、新規性や有用性が厳しくチェックされます。

 筆者もこれまで数多くの査読を引き受けていますが、実際にあった興味深い例を紹介しましょう。ある査読論文で、「参考文献Xではaと述べられている」という引用がありました。実際、文献Xをチェックしたところ、そこには「aという主張もあるがbという考えもあり、本論文の分析の結果、cと結論づけられる」とありました。なるほど、確かにこの「参考文献Xではaと述べられている」という言説はファクトとしては決して誤りではありません。しかし、これは論理的整合性があると言えるでしょうか? エビデンスは、おもちゃの積み木のようにただ乱雑に積み重ねればよいというものではなく、あたかも建築物のように、基礎や土台からしっかり堅牢に積み上げていく作業が求められます。その方法論が論理的整合性です。

 このような我々専門研究者が日常的に行なっている査読のチェックシステムの方法論を、テレビやインターネットなどすべての言論空間に厳しく求めようとは筆者も思いません。しかし、「誰が言ったかではなく、何が語られているかが大事」「その結論が好きか嫌いかかではなく、エビデンスや論理的整合性を重視」という考え方も世の中には存在する、ということを多くの人に知ってもらいたいと思います。エビデンスや論理的整合性を重視し、フェアプレーを遵守する人が増えれば、エネルギー論争も健全となり、よりよい将来を皆で作ることができるでしょう。また当講座が、このエビデンスと論理的整合性の「情報ハブ」の役割を担うことができれば、と筆者は考えています。

このページの先頭に戻る