1. HOME
  2.  > コラム連載 エネルギ-安全保障

コラム連載 エネルギ-安全保障

エネルギ-安全保障

2017年12月28日 内藤克彦 京都大学大学院経済学研究科特任教授

 欧州における再エネ導入の主たる理由としてエネルギ-セキュリティが挙げられている。欧州は、北海の化石燃料資源が次第に枯渇しつつある状況下で、中東やロシアへのエネルギ-依存度が上がることを嫌って、域内資源である再生可能エネルギ-の利用をエネルギ-対策の柱としている。域内の化石エネルギ-資源としては、低品位炭もあるが、こちらは気候変動問題から政策的にフェイズアウトさせる方向となっている。

 原子力については、最終処分に困っているのは世界共通の問題である上に、福島の事故以来、安全性への要求水準も高まり、ライフサイクルコストでみれば、純民間事業としてはリスクも高くコスト的に競争力も無いというのが欧州の一般的な見方であろう。EUの若い担当者は、「原発のようなオ-ルドテクノロジ-が再生可能エネルギ-のようなニュ-テクノロジ-に駆逐されるのは当たり前」と当然のように言ってのけた。

 このような中で、中東のオイルに頼ることは、成長著しい中国等との間での将来の激しいエネルギ-争奪戦を想定させることになるので、このリスクを回避するための長期戦略として再生可能エネルギ-を中心に据えたエネルギ-システムへの大転換を行っているわけである。米国においても、分散型エネルギ-の導入と安全保障の密接な関係が垣間見える。米軍が中央集権型のコンピュ-タ-システムの脆弱性を改善するためにインタ-ネットによる分散型のコンピュ-タ-システムを開発したのは有名な話であるが、エネルギ-についても分散型のシステムの方が安全保障上有利であろう。

 このコンテクストの中では、ほぼ100%液体オイルに頼っている自動車等の燃料が最大のネックになっていたわけであるが、近年のEV技術の実用化に自信を得て、早々に自動車燃料の脱化石燃料宣言を各国がし始めている。このEV転換の契機を作ったのは、我が国の自動車メ-カ-であるが、恐らく、戦略眼に乏しい我が国の産官政はここにおいても貴重な金の卵を欧米・中国の自動車メ-カ-に奪われる事態を看過することになるのではないかと危惧される。

 気候変動問題で禁じ手となりつつあるリグナイト以外に化石エネルギ-資源を持たないドイツにとっては特に深刻な問題である。エネルギ-メジャ-も持たないドイツが再エネに熱心になるのは戦略的には当然という事になる。振り返って、我が国についてみると我が国もドイツと同様な状況にある。第二次大戦前の日本は、米国から石油の大半を輸入していた。にもかかわらず、当時、自国の勢力圏からのエネルギ-確保に日常的に熱心に取り組んでいたようには見受けられない。

 例えば、中国の大慶油田はかつての満州国の真ん中に位置しているが、当時の満鉄は通り一遍の探査をしただけで予算切れとなり、油田を発見することができなかった。中共となってから同じ地点でさらに少し深く探査をして大慶油田が発見されている。想像するに、探査に関わった中国人が、中途半端な探査を惜しんで、中共になってから本格探査をさせたのではないかと。もし満鉄が大慶油田を発見していれば、大慶からの採掘量は戦前の日本の石油需要より遥かに大きいので、日本は第二次大戦に巻き込まれなかったかもしれない。

 振り返って、今日を見ると相変わらず我が国は輸入エネルギ-からの脱却を欧州のように真剣に考えているようには思えない。再エネ政策は、あいかわらず新技術の導入政策ではあってもエネルギ-安全保障政策として欧州のように真剣に議論されているようには見受けられない。ドイツと同様に我が国もオイルメジャ-を持たないが、商社はあたかもオイルメジャ-の如く、輸入燃料の安定確保のみがエネルギ-安全保障のようにふるまう。戦前の例に類似な事象としては、メタンハイドレ-ドの話もある。莫大な賦存量がありながら、採掘技術開発投資を惜しんで数十年にわたって未だに利用できる状況となっていない。戦前の満鉄より資源の存在が分かっている分だけさらに罪が重いとも言えよう。

 話を再エネに戻すと、再エネに関しては、欧米においても我が国におけるメタンハイドレ-ドと同様に最初はコストが高かったが、本格的に導入しようという強い戦略意識の下に知恵を絞った結果、現在では、大幅なコストダウンを実現している。我が国の再エネの普及は、この努力のおこぼれに預かっているわけである。太陽光発電などは、当初は我が国産業界が世界をリ-ドしていたが、後ろ向きの国内体制に足を引っ張られている内に、完全に後塵を拝するようになってしまった。我が国に戦略的思考が欠如していたからではないであろうか。

 我が国も、長期的なエネルギ-安全保障の観点から、再エネの位置づけを見直し、欧州のように国家戦略として真剣に取り組む必要があるのではないかと強く感ずるところである。

このページの先頭に戻る