1. HOME
  2.  > コラム連載 送電線問題の本質

コラム連載 送電線問題の本質

送電線問題の本質

2018年6月28日 内藤克彦 京都大学大学院経済学研究科特任教授

 我が国の電力需要は、省エネ徹底や人口減少、製造拠点の海外流出、3.11後の電気料金値上げ等により、毎年減少している。ということは、送電線を流れる電力も全体としては減少しているということである。

図1 全国の需要電力量の推移。出典:電力広域的運営推進機関
図1 全国の需要電力量の推移。出典:電力広域的運営推進機関

 例えば、東京電力の発電所は東北電力管内にも広く立地しているので、東北電力、東京電力の管内を合わせて考えて見ると、東北電力管内の需要と東京電力管内の需要を合わせた需要を概ね両電力管内の発電所で賄っているということができよう。(東京電力は、梓川水系の水力ダムのように中部電力管内にも若干の発電能力を持っている。)現に、過去の1割以上電力需要の大きかった時代から現在に至るまで両電力の管内で停電もなく需要が賄われている現状を考えれば、実は、両電力管内の幹線送電線は、少なくとも過去の一割以上電力需要の大きかった時代の送電需要を賄うのに十分なキャパシティを持っているという明らかな証明でもある。

 我が国の電力需要は、恐らく今後も減少傾向となると見るのが妥当と思われるので、実は、送電線のキャパシティは今後とも常に需要を満たすのに十分なキャパシティを持っているということが理解できる。ということは、現在、議論されている送電線の空キャパシティの問題とは何かというと、実は、送電線の問題ではなく発電選択の問題であるということであろう。

 原発、石炭火力、再エネ等の発電の種類を問わずに需要を賄うだけの送電キャパシティがあるのかという問いに対しては、答えは、需要に対しては十分な送電キャパシティがあるということになる。にも拘わらず送電キャパシティが無いという議論が生まれるのは、発電選択の優先順位が暗黙の裡に決まっていて、需要に拘わらず、優先順位の順番に「発電キャパシテイ」で送電キャパシテイを埋めるようなことをしているからであろう。所謂先着優先的な発想が根に残っていて、既存発電施設が送電線を使うという前提の下に後から立地する石炭火力や再エネに残りの送電キャパシテイが割り振られるということになると、後から立地する方が不利になる。

 需要の規模に応じて、発電指令を出すという考え方に立てば、原発、石炭火力、再エネ等の如何に拘わらず指定された発電の合計は、需要と同じであり、当然、送電キャパシテイの範囲に収まることになるはずである。ところが、収まらないという議論となるということは、発電側が過大であるということである。既存の発電施設に送電キャパシティを先行して割り振るということを行おうとするとどの程度の負荷で動かすかを人為的に想定する必要が生じる。この想定は、実際の給電指令に拘わらずに行われる固定的なキャパシテイとなるために、このような発電キャパシティの合計は実際の給電指令より過大となる。 そもそも、ピ-ク需要に合わせて年間わずかしか発電しない発電所があり、さらに需要が減っている状態なので、発電施設側は、既存の発電施設だけでも既にキャパシティが過大の状態である。この過大なキャパシテイを固定的に割り振れば、需要に拘わらず送電キャパシテイは直ぐに満杯となる。

 つまり、発電の種類を問わず、需要を満たすのに必要な発電施設のみ選択し、発電指令を出すという通常の状況下では、送電キャパシティには常に余裕があるはずである。

 ここに二つの問題点が垣間見える。
送電キャパシティの割り振りに当たって時間帯ごとの実需要に応じて必要となる「発電所の選択」をしていない。
送電キャパシティの割り振りに当たって、実際の発電指令で割り当てられる実電力量ではなく、発電キャパシティから引き出された固定値が用いられる。


 電力需要が減少する中で、既存の発電設備だけで発電キャパシティオ-バ-の状態に、更に再エネが加わり、発電キャパシティの合計は、需要を遥かに超える水準となっているはずである。これらの発電キャパシティ全てを送電キャパシティに収められない限り、接続をさせないという議論自体が、現実から乖離している。実際の給電指令に当たっては、当然のことながらこの過剰な発電設備の中から、原発、石炭火力、再エネ等を問わず、一部の発電設備が選択されて給電を行うことになるので、送電キャパシティが不足する事態は生じない。  このような意味で、送電線問題の本質は、送電キャパシティの問題ではなく、発電選択の問題であるということができよう。

このページの先頭に戻る