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コラム連載 イノベ-ションと電力システム改革

イノベ-ションと電力システム改革

2018年10月25日 内藤克彦 京都大学大学院経済学研究科特任教授

 失われた20年と言われて既に久しく、今や失われた30年の可能性も指摘され始めている。今回のコラムでは、少し趣向を変えてイノベ-ションの話をしてみたい。米国では、次から次へと新しい技術やシステムを手に新しいビジネスが立ち上がり、世界を席巻している。米国では、株価時価総額10位の企業の半分ほどがグ-グル等の新興企業であるが、我が国ではソフトバンク一社だけで、しかも二番手の新興企業はYahooが60位台にやっと顔を出すという状態である。我が国も戦前世代が経済に舞台を移して奮闘していた頃には、世界初の多くの試みや製品を生み出していた。戦前世代の経営幹部が第一線を退き、団塊世代が幹部になり始める頃になると状況は徐々に変化して行く。Windowsのアイデアは、ある日本人が考えたものであるが、日本企業には相手にされず、仕方なく米国に渡って支援者を探し、マイクロソフトに拾われたと聞く。CPU(コンピュ-タ-ICチップ)のアイデアも日本人の技術者が考えたものであるが、日本企業には相手にされず米国企業に拾われて、今日の分散型情報文化の基礎となったと聞く。なぜ、日本人のアイデアが日本企業には理解されなかったのであろうか。

 ある機械産業系の大手企業の幹部に聞いた話では、ある革新的な技術を社内開発して世の中に売り出そうとしたところ、同じ分野の旧技術を持つ当時のトップシェア企業から当該製品に関するあらゆる誹謗・中傷の裏情報を流されたそうである。新技術は開発されたてであり、市場での熟度の高い旧技術に比べれば、まだ製品の完成度としては劣るところがあるということは良くあることであろう。しかし、トップ企業は技術のフェアな評価はせずに自分の市場シェアを守るためにサプライチェ-ン等を通じて、新技術の悪評を流し、新技術の潰しに回ったわけである。この場合には、新技術の開発者も大手企業であったので、風評合戦に負けずに新技術を市場に押し出すことに成功した。結果は、市場シェアの逆転となった。

 別の大手企業の幹部の話によると、この現象は、会社間だけではなく、企業の中で市場シェアを現に握る旧技術の担当部門と新たな開発技術の担当との間でも良く起こることであるそうである。要するに我が国では、新技術が世に出そうになると既存の勢力の側から悪い風評を流され、芽が出ないうちに潰されることが多いのではなかろうか。先の例のように新技術の担い手が大手企業の場合であれば、社内で潰されなければ新技術の芽が出る可能性はあるが、新技術の担い手がベンチャ-ビジネスであれば、ひとたまりもないであろう。私の知るあるバイオ関係の新技術を持つベンチャ-も旧バイオ技術を持つ大手企業から悪い風評を流され、日本でのビジネスを形成できずに苦しんでいたところを、中国に拾われ、中国にビジネスの中心を移している。

 米国と我が国の差は、この辺にありそうである。米国では、新技術を抱えるベンチャ-を買収することはあっても、裏表から悪評を流すようなアンフェアなことはしないのではないかと推察される。それでは、戦前世代の経営幹部の時代は、どうであったのであろうか。戦前世代の経営幹部は、松下さん、本田さん、井深さん、出光さんなど、みな自らが新規アイデアの開発者で新技術を世に出す苦労をしていたところ、古い世代の重しが軽くなった戦後の一時期に一挙に頭角を現したものと考えられる。彼らが健在である間は、企業内でのアイデアの潰し合いも少なかったのであろう。しかしながら、これらの世代の下の世代では、新技術を自ら世に出す苦労をせずに、社内の競争相手を批判することで、また、新技術の価値が評価できないので技術は世間で評判の確立された技術を外から購入することで企業幹部となってきたものが多くなっているのではなかろうか。おそらく、今の大企業に社員として入社したら、本田さんも、井深さんもとても社長には出世できずに、どこかで飛び出して、米国か中国あたりに拾われているのではないかと想像される。イノベ-ションを実現できる社会とは、社会の既存勢力が米国のように新技術を公平に評価し、一定程度フェアに振る舞う社会ではないかと思う。

 翻って、電力システム改革について考えてみると、同じような構造を見て取ることができそうである。EUのエネルギ-担当官は、「再生可能エネルギ-のような新たに開発された技術が、原子力や石炭火力などの基本的に古い技術を駆逐するのは当たり前。」と言っていた。新しい技術には「旧技術にはない良い所」があるから開発されてきたのである。確かに開発された時期の時間差があるために、技術の成熟度に差があるのは当然であるが、これは全ての技術に共通することで時間が解決する問題であろう。これらの新技術が、出てきたときの社会の受け止め方に社会のモラルが現れるような気がする。旧技術の側に立つ者も新技術をオ-プンな議論で公正に評価し、フェアにふるまうのが、成熟した社会のありようであろう。

 我が国には、今でもイノベ-ションの種を創造する個人は多いと思われるが、新技術に対する公正な評価とフェアな扱いが実現する社会とならない限り、我国産業にもはやイノベ-ションは、期待できないのではなかろうか。

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