1. HOME
  2.  > コラム連載 送電線の費用便益分析とその意義

コラム連載 送電線の費用便益分析とその意義

送電線の費用便益分析とその意義

2017年4月13日 安田 陽 京都大学大学院経済学研究科特任教授

 費用便益分析(cost-benefit analysis以下、CBA)は事業の効果を定量的に推定するために使われる手法であり、主に道路や公共建築物など公共事業の分野で用いられます。便益 (benefit) は特定の企業の利益 (profit) とは異なり、地域住民や国民全体が恩恵に与るものです。

 特に公共事業では事業の正当性 (justice)、すなわちかけた費用よりも住民・国民への便益が上回ることを評価するために、便益をできるだけ正確に定量化(貨幣価値へ換算)することが必要になります。例えば道路建設に関しては、国土交通省からその名も「費用便益分析マニュアル」という文書が発行されており、そこでは「走行時間短縮」「走行経費減少」「交通事故減少」が便益として挙げられ、その定量的算定方法が示されています。

 道路でなく送電線の場合ではどうでしょうか? 一足先に電力自由化や発送電分離が進んだ欧州や北米では、送電線は公共財に近いものとして認識されており、CBAが当然のように求められます。以前のコラムで紹介した欧州送電事業者ネットワーク (ENTSO-E) の「系統開発10ヶ年計画 (TYNDP) 2016年版」でも、 欧州全体で約200もの送電線の新設・増強計画に対してCBAの結果が掲載されています。ここで送電線の便益とは「安定供給の改善」「市場統合」「再生可能エネルギーの接続」「CO2排出量削減」「柔軟性向上」などが挙げられ、それぞれ(必ずしも完璧ではないものの)定量計算が試みられています。ENTSO-EのCBA手法に関して日本語で読めるものとしては、電力中央研究所報告「欧州における発送電分離後の送電系統増強の仕組みとその課題」(Y14019) があります。

 一方、日本では、電力自由化や発送電分離が未だ道半ばであるためか、このCBAの発想は十分浸透しているとは言えません。専門的な論文が若干ある以外は、審議会資料でも稀にしか登場せず、新聞やテレビ・インターネットではほとんど話題に上りません。日本では送電線は一民間企業の私財であり、これまで電気利用者全体(≒国民全体)にその便益を明示的に示す必要性やその要求が低かったからかも知れません。

 そのような中で、電力広域的運営推進機関(以下、広域機関)においてCBAに関する議論が進んでいることは注目に値します(例えば、広域系統整備委員会第19〜22回参照)。今年3月に最終的に公開された「広域系統長期方針」では、「電源偏在」と「電源偏在緩和」の2つのシナリオが設定され、連系線潮流シミュレーションなどが実施されています(p.29〜42)。このような既存の電力会社の枠組みを超えた系統解析が行われ公開されたのは画期的なことであり、この分野への関心が高まり議論が活発になることが期待されます。

 ただし、今回の広域機関の CBAの結果では便益が費用を上回らず、「現在計画されている以上に連系線を増強することによる経済効果は見受けられないものとなった」(p.41)と結論づけています。この理由としては、今回の広域機関の想定した便益が「燃料費抑制効果のみ」(p.30)となっており、前述のENTSO-Eの手法に比べ便益が過小評価されている可能性があるからではないかと筆者は推測しています。また、今回の想定シナリオでは再生可能エネルギーの「大量導入」とは言えず、再エネによる卸市場価格の低減や化石燃料削減効果、CO2排出量削減効果が十分現れているかどうかも不明です。再エネや送電線の便益の定量化は簡単ではなく、国際的にも議論が進行中ですが、欧州や北米を中心とする国際議論の流れではそれらの便益は大きいことが明らかになりつつあります。

 繰り返しますが、今回の広域機関の試算は「最初の一歩」として記念すべき試みです。しかし、我が国全体での送電線CBAの議論は緒に就いたばかりであり、今回の暫定的な結果が一人歩きして「連系線の増強は不要」と結論を急いだり、投資を渋るデフレマインドの言い訳に使われたりしないように注意が必要です。広域機関自身「この結果に基づいて、流通設備の増強要否を判断するものではない」(同資料p.41)とも記している通り、今後CBAの精緻化のために活発な議論が望まれます。

このページの先頭に戻る