近代スイスの産業遺産

●撮影: 黒澤隆文 無断転載を禁じます

●ページ等は黒澤隆文著『近代スイス経済の形成――地域主権と高ライン地域の産業革命』京都大学学術出版会,2002年より

 

写真1 Usterの元絹屑紡績工場とタービン (裏表紙および13頁の写真)

01チューリヒ近郊,オーバーラントのNiederuster,Greifenseeの近くに位置する。

 

裏表紙の説明書きでは,省略して「Turicum紡績工場とタービン」とのみ記したが,正確には,Turicumは,絹紡績工場としては閉鎖されたのち,自動車製造工場となった時代の社名であり,写真に写っているのは労働者住宅として建設された建物である。ただし,今日もこの一角は「Turicum工場」と通称されている。「スイス製自動車」のメーカーとしてかつて知られたTuricum社の自動車製造事業は,約10年間でゆきづまり,写真の建物は,現在は,繊維関連機械メーカー,Zellweger社の社屋となっている。展示のタービン設備は,オーバーラントの工業活動を記念して,産業遺産保存事業の一環で設けられたものであり,二重式フランシスタービンと発電器でからなる。

 

写真2 Oberusterのハインリッヒ・クンツの紡績工場(1832年)

これも,オーバーラント,Usterの近郊の,アーア川沿いに位置する代表的な産業遺産。スイスを代表する「紡績王」,ハインリッヒ・クンツ(207-209頁参照)が,1832年に建設した綿紡績工場である。クンツの紡績工場は,規模の相違はあれいずれもよく似た建築様式にしたがって建設されていた。今日では,HESTA AG社の社屋として使用されている。

 

 

 

 

 

写真3 チューリヒ・オーバーラント,Floss綿紡績工場●

同様に,アーア川沿いに位置するFloss綿紡績工場。現在は,スイスになお現存する綿紡績企業,Spinnerei Streiff AGの所有の下にあり,なお綿紡績業の拠点として存続しつづけている。写真の建物は,19世紀前半期に建てられた建物が1904年に放火で消失したのち,改めて建設されたもの。写真にみえる川が,「百万長者の川」と呼ばれたアーア川である。

 

 

 

 

写真4 「百万長者の川」アーア川にかかる水門と導水施設

アーア川にかかる水門と導水施設。毎秒1立方メートルの水流は,高性能のタービンを使用した場合,1メートルの落差で13.6馬力の出力を生み出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真5 「鉄道王」を生んだノイタールの元綿紡績工場

チューリヒ・オーバーラントの山間部,ノイタールにある紡績工場跡。現在は,紡績博物館となっている(冬季は閉鎖)。

2台目の工場主であるAdolf Guyer Zellerは,紡績業と繊維輸出業で築いた財をもとでに,個人銀行Bank Guyer Zellerを設立し,また後には鉄道事業で名を馳せて,「鉄道王」と称された。ヨーロッパの最高地点まで旅客を運ぶ山岳鉄道,ユングフラウ線の建設は彼の功績である。スイスの経済発展が,綿工業を起点する歴史的産業連関にあったことが,ここからも窺われる。写真右手の橋梁と線路は,Adolf Guyer Zellerの尽力で建設されたWetzikon-Bauma線である。このローカル線は,しかし,モータリゼーションの中で不採算路線となってその後廃線となった。ただし今日では,観光シーズンに限って,スイスではきわめて早期に廃止された蒸気機関車が運行されている。

 

写真6 ノイタール工場で使用されていた伝動用プーリー

いうまでもなく,動力源としての水力エネルギーは,立地が制約され,また供給が天候等の自然条件に著しくに左右される等の制約を持っていた。後者に対しては,貯水ダムの建設などで対応がなされた。一方,立地の制約に対する対応としては,鋼鉄製シャフトによる長距離伝動などがこころみられ,次いでワイヤーによる伝動が一般化した。写真は,数少ない現存例の一つである。

機械方式による長距離伝動は,エネルギーロスなどの問題を伴っていた。この問題は,19世紀末に至り,水力発電-送電網-電動機の組み合わせが登場することで解決される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真7 同上 後景の建物はノイタールの元綿紡績工場

伝動用プーリーは,タービン塔と工場の中間地点に位置する。伝動距離の長さと,苦心して水流の落差を確保しようとした様子が確認できる写真。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真8 「紡績王」ハインリッヒ・クンツのWindish 綿紡績工場(1836年建設)

ライン河の支流,アーレ川の水流を利用して建設された工場。「紡績王」ハインリッヒ・クンツが持つ多数の工場の中でも最大の3万3000錘という規模を誇る。出身地のチューリヒ・オーバーラントで築いた蓄積を基盤に,豊富な水量をもとめて,隣接カントンに土地を求めて設立した工場である。

写真の水流は,アーレ川の水流を分流したもので,そのまま工場の二つの建物の間にある水力動力機(当初水車・のちタービン)に導かれる。こんにちなおこの一角は,Kunz AG社の所有である。

 残念ながら,撮影時は住宅としての使用のために改装工事中がなされているさなかであった。足場があっては絵にならず,表紙への使用はやむなく断念。

 

写真9 Tuergiの旧綿紡績工場の平面図 (産業遺産案内板の拡大写真)

写真8の工場にもほど近い,リマト河畔に立つTurgi工場付近の現在の工場分布図(地元の産業遺産保存協会が作成した案内板)を撮影したもの)

下の写真10の建物が,図中の②である。リマト川の本流は,図の右下から右上へ流れ,そしてそこから湾曲して,左手に流れて行く。リマト川の水流を水路に導き,①に設けた水車・水タービンで動力を生みだした。この①の動力施設はその後,水力発電所に転換され,今日では,チューリヒ発電公社の所有下におかれ,電力供給の役割を今なお担い続けている。

現在,この綿紡績工場であった主棟を含め,この一角は,エンジニアリング大手のABB-アルストム社の所有下にあり,なお工場・社屋として使用されている。綿から機械製造へ,また水力利用技術から電機機械技術への歴史的産業連関がここにも表れている。

 

写真10 アールガウのリマト河畔に建設されたTuergi紡績工場

Tuergiの紡績工場は,3万4000錘の規模を誇り,1828年の建設以降ほぼ半世紀近くにわたり,写真の8のWindisch工場とともに,スイス最大級の紡績工場であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真11 リマト川の対岸より見下ろしたTuergi紡績工場 (右手河岸の建物)

リマト川の水流との関係を一目で示す写真を撮影しようと,対岸の丘に登り,民家の庭先を借りて撮影。右手奥の建物が,上の写真11と同じ,Tuergiの綿紡績工場であった建物である。表紙の写真は,これを幾分望遠側でとったものの一部である。表紙の写真のみでは,工場下を流れる水流がどこから来ているのか不明であるが,28mm(35mmフィルム換算)の広角端で撮影したこの写真では,左手から流れる本流から,水流が工場前に導かれる様子が確認できる。

 

 

 

 

 

写真12 グラールスの元捺染工場とグラールナー・アルペン

カントン・グラールスの中心部,ゲマインデ・グラールスに隣接するエネンダで,1979年に至るまで操業をつづけていた綿布捺染場。オーバーハングの大きな独特の形状の屋根は,捺染した綿布を懸架して乾燥させるためのものである。

山間部の峡谷地帯に位置するグラールスは,19世紀にスイスでも最も高い工場労働者比率と綿工業依存度を有した「綿のくに」である。綿工業の衰退とともに,かつての繁栄は失われたが,それでも今日なお,各種の製造業企業が無視しえぬ数の工場を維持している。

写真は,吹雪の合間の一瞬の晴れ間をついて撮影したもの。コントラストが強い逆光下で,グラールナーアルペンの山肌を飛ばさぬようしたため建物は極端なアンダーになってしまったが,一般的なスイス・イメージにふさわしいしい写真といえよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真13 グラールスの元捺染工場

グラールスでは,ローラー捺染機によらない,労働集約的な手捺染による高級捺染品の製造が主体であった。したがって動力需要は大きくはなかったが,それにもかかわらず,ここでも水力は動力源として使用されていた。わかりにくいが,写真右の建物は発電用の建物であり,写真右下の柵の中には,発電機へ導かれる水流が流れている。

なお,染料の使用を前提とする捺染業では,化学反応を促進するための熱源が不可欠である。写真の煙突はこれを象徴するもの。この点では,これは『煙突の見えない産業革命』の例外をなす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真14 背表紙写真 エッシャー・ウィス社のリマト河畔造船所 (1920年代,当時の絵はがきより)

内陸国スイスにありながら,ライン河・リマト河水運で外洋に接続とするいう地の利を活かし,内水航行用船舶の造船で有数の企業となったのがチューリヒのエッシャー・ウィス社。

19世紀に世界を圧倒した造船国イギリス向けにも,テムズ河向けに多数の河川航行用船舶を販売している。小型化が必要な船舶エンジンの技術特性が,エッシャー・ウィス社の原動機製造部門の技術水準を引き上げた。第二次世界大戦後の世界の造船国日本でも,三菱重工業などの造船大手が,エッシャー・ウィス社の技術を引き継いだスルザー・エッシャー・ウィス社から技術ライセンスを導入している。

写真は,進水前の船台での製造過程を示すもの。

 

 

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