工場見学 2009年

2009年11月 東海バネ工業株式会社・伊丹工場見学記 黒澤ゼミ4回生 井澤 龍

非常に面白い工場見学だった。東海バネ工業は、文字通りばねを製造、販売する会社である。しかし、そのバネは原子力発電所、大学の研究室の実験器具等に使われるオーダーメイドのバネであり、ニッチな市場向けのバネである。需要の約85%を占める自動車・家電業界などに目を向けているバネ業界の他社とは一線を画したポジションにいる東海バネは利益率10%以上と同業他社では考えられないような業績を長年出し続けている。そのような会社の実際とは一体どういうものなのか直接目で確かめるため我々は研究室を後にした。

JR伊丹駅からタクシーに乗ること15分。今は住宅街の中に立地しているものの、つい4,5年まで周りは田園ばかりが広がっていたという土地に東海バネ伊丹工場は立地していた。我々はまず東海バネについての説明を会社の一室で1時間ほど受けさせてもらうのだが、それにしても会社説明を渡辺良機社長自ら行うのには驚かされた。渡辺社長は1934年(昭和9年)創業された東海バネの2代目社長(1973年入社、1984年社長就任)である。今日の東海バネの雄姿を作り上げるのに大きく貢献した人物であり(渡辺社長は社員、関係者一人ひとりのおかげであると謙遜するだろうが)、その渡辺社長自らの言葉で東海バネの経営戦略、戦略を立てるに至った経営的背景、個人史を聞けることは真に貴重な体験であった。

我々見学チームの多くが中国出身者であったこともあり、渡辺社長の話は、なぜ渡辺社長が日本の製造業について憂えているのかという話から始まった。見える化に代表される製造業の工程を形式知化する行為、そして、それだけを追求する行動は、他国競合他社の模倣という終わりを迎えるだけとなるのではないか?そう渡辺社長は問いかけた。むしろ、形式知に取り残された部分、暗黙知を多く残す部門の注目こそ重要ではないかと渡辺社長は言った。

東海バネでは職人さん達の手作りによるバネ製造も行っている。さらに機械による加工においても製品の質を左右するような重要な局面での判断は職人たちに任されている。(最低でも3〜5年以上の基礎トレーニングが必要とされるとの説明を受けた)。そこには汗と熱が必要な世界があるのである。

さて、このようなバネ作りの発注元はバネ業界の85%の需要を占める自動車、家電などの業界ではなく、残りの15%。3年前に作ったバネを追加で3個頼む、こういう働きをするだろうバネがいつまでに欲しいから、そのバネを期日までに1個欲しい。そのような他社にとっては無茶ともいえる要求を含む15%である。しかし、それに目を向けたのが東海バネであった。東海バネの強みは多品種微量生産。どこかで聞いたことのあるフレーズであると思った自分を悔やんだ。その中身は約3万件の受注と平均受注ロット5個、平均受注金額5万円という我々の常識を遥かに超えるものだった。

将来の社長候補として迎えられたものの、ロットの小ささのため材料在庫は山積み、職人による手作りのためコストも抑えられない。そんな昔の(そして今もその性質はほぼ変わらない!)東海バネの経営状態に頭を悩ませていた当時の渡辺氏は東海バネにこれ以上居つく気もなくなっていたが、先代の南谷三男社長にヨーロッパ行きを命じられ、せっかくの機会とヨーロッパのバネ工場視察に向かう。ヨーロッパでの知見は渡辺氏にとって衝撃的であったと言う。ここで、渡辺氏は、言い値(コスト+適正利潤)で買ってもらえるような仕組みを作ることと、従業員に報いる報酬体系をつくることの決意を得、それを実現すべく帰国後奔走するのである。その結果は、1990年初頭の4000億円市場から一転、2001年には2500億円市場、その後4000億円を回復するかと見えたものの、2008年のリーマンショックで3000億円市場へと叩き落とされた日本バネ業界において、東海バネは66年間黒字を果たし、高い利益率を誇る会社となったことに見られる。営業成績と併置して、納期遵守率99.99%、クレーム率が1%を下回ることが言われたがこれも驚異的であった。

さて、渡辺社長に1時間ほどの会社説明をしていただいた後、我々は、○○担当○○氏の導きの下、工場見学を受けた。

最初に訪れたのは、在庫管理と原料円柱鉄の仕出し(←あの工程は何と言うのでしょうか?)を行う個所であり、そこでの担当○○氏からその管理の難しさと在庫管理に対する渡辺社長の厳しさを教えていただいた。在庫、製造状況は常にコンピュータで管理されており、それは営業担当者も即座に分かるという仕組みであった。

次に、訪れたのは熱間バネの製造過程であり、炉から出された7,8メートルはあろう高熱の円柱鉄が職人の手によって制御、監視されながらバネ製造専用の工作機械YUKIによって巻き上げられていく様は美しかった。東海バネの長年の経験をフルに投入してオークマとの共同開発で、1990年初頭に導入されたというこの大型バネ成形機械は職人たちによる5,6人がかりの大型バネ作りの労を減らした。とはいうものの、まだその機械に対応していないようなバネの注文を受けた場合、従来のバネ作りも行っているらしい。まだ真っ赤なバネは800度近くあるらしく、我々も遠くはない位置でそれが出来る様を観察したからそのバネの息遣いが伝わってきた。

さて、そのバネはその後、端面切断、ピッチ調節などをするらしいが、我々が次に見たのは焼入れであった。真っ赤なコイルを油槽で一気に冷却する様は圧巻であり、入れた瞬間に炎が上がるのであった。それにしても、コイルは吊るしあげられおり、それを油層に漬け込むのだがこの吊るしあげられている真っ赤なコイルの状態は危なっかしく映り、確認したところ担当は2人のように見えたから(一人は漬け込み、一人は監視?)、やはり、製造業の場とは一つ間違えれば凄惨な現場となり得るのだと作業員の方への尊敬を一層深いものにした。

その後、ショットピーニングに使われる鋼球の現物、完成検査などの実際を見させていただいた。完成検査の場には様々な種類のバネがあり、多品種微量生産の実際を感じた。また、検査の際、バネには何十tもの負荷がかけられており、人間の手による一押しではびくともしないバネはこのような巨大なバネを必要とするほどの産業への関心を湧かせざる得ない。

皿バネの製造は現在、豊岡神美台工場に多くを移しているのだが、伊丹工場でも若干製造されており、その製造の様子を特別に見させていただいた。皿バネとは我々のバネとはかくあるものという常識とは離れたものである。コイル状に巻かれているのではなく、食器皿のような形状であり、その僅かなたわみによって大きな荷重をまかなうことが出来る。そして、その重ね合わせによってバネとしての性質を更に強く出来る。この皿バネの製造はコイルの巻き取り機械と違って、東海バネの経験が生かされているようには見えなかった。話しぶりからしてもおそらく一般のNC工作機械なのだろう。これには競争優位がないのではないか?というぶしつけな質問をしたところ、見事な返答が返ってきた。しかし、3,4個作ってください、製品の保証を下さいという要望をかなえてくれるのは東海バネだけだと。まったくもって、東海バネの競争戦略はここでも機能しているのだ。

さて、1時間ほどの工場見学を終え、我々には数少ない質問の時間が20分ほど残されていた。そのすべてを書くことはしないが、どうやって社員にインセンティブを与えているのかという質問に、渡辺社長は先の給料の例を上げた上で、給料が上がってもそれは一時的な嬉しさでありいつしかそれが当たり前になってしまう。東海バネは社員満足度を第一に考えており、家庭などとのワークバランスもその考慮のうちに入っているとおっしゃった。仕事へのモチベーションとは、給料、社員満足度、理念である。経営とは理念であり、それをフルに発揮する社員の力によるものだと熱弁をふるってくださったのは貴重な体験であった。工場見学中、感じたのはラインもスタッフも含めて社員の方の動きに無駄がないという印象であった。社員の方々の背中越しにそのようなものを感じることが出来たのである。

この工場見学は大満足に終わった。ニッチな市場を取り込むことに成功したある一社の経営の実際という一般化を超えて、バネという商品の面白さ、経営戦略の裏にあった個人史、哲学を肌身通して知ることが出来たのは貴重であった。

最後に、ポーター賞を知っている人は挙手してくださいという場面で、学生は不勉強のため手を上げることが出来なかった。これは、渡辺社長以下を幾分失望させたようである。しかし、学生全員はかの碩学マイケル・ポーターの名前を知っており(著作も読んでおり)、それに関する素晴らしい賞であるとの予測は全員が持っていた。この事実を持って、あの場での非礼をいささかではあるが償いたい。ポーター賞とは、独自性のある戦略によって競争に成功し、維持した日本企業や事業部に贈られる賞である。

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