Research Project on Renewable Energy Economics, Kyoto University

京都大学経済学研究科

再生可能エネルギー経済学講座

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No.200 変える人がいない核燃政策/六ケ所再処理工場、25回、25年の運転延期

2020年9月3日
エネルギー戦略研究所株式会社シニアフェロー 竹内敬二

キーワード:核燃サイクル、六ケ所再処理工場、プルトニウム、原子力規制委員会

 核燃サイクルの主要施設である六ケ所再処理工場(青森県)について、原子力規制委員会(更田豊志委員長)は7月、「安全対策の基本方針が、福島事故後にできた新規制基準に適合する」と認めた。安全性での一応の「合格証」だ。

 日本原燃はこの合格を機に、「来年9月末までに」と言っていた運転開始をさらに1年延ばして「22年度9月末までに」に変更した。当初計画の「1997年運転開始」からみれば実に25回目、25年の延期になり、建設費も7600億円から2.9兆円になった。

 核燃サイクルについては「破たん状態にある、あきらめるべき」との意見も強いが、本格的な政策見直しの議論が起きないまま、巨大な再処理工場の運転が近づいている。今の日本には、原子力政策を合理的に変えるリーダーシップがなく、核燃サイクル政策が漂流している。(表、日本の核燃サイクルの歴史、筆者作成)



異例の質問、「六ケ所は本当に要るの?」

 六ケ所再処理工場への風当たりは強い。原子力規制委は今回、「合格証」を出す前、梶山経済産業大臣に異例の質問書を出した。それは「六ケ所再処理工場は国のエネルギー基本計画に沿ったものなのか」という質問だ。

 六ケ所工場はさまざまな事故リスクがある。もし得られる便益よりリスクによる害の方が大きい施設ならば運転しない方がいいが、「国にとっては本当に必要なものなんですね?」をただした。経産相は当然ながら「エネルギー基本計画と整合している」と回答した。

 形式的なやり取りに見えるが、こんなことをせざるを得ないほど、一般社会には「六ケ所は必要?」という疑問が広がっているともいえる。

 これとは別に、日本の原子力政策を考える原子力委員会(岡芳明委員長)は2018年7月、核不拡散の観点から、「日本の保有プルトニウムが増えない範囲でしか再処理をしない」というプルトニウム利用の基本方針を出した。日本は国内外に約47トンのプルトニウムを保有している。これを増やさないように再処理を制限することになる。(図、我が国の分離プルトニウムの推移、原子力委員会による)

 これも一見当たり前のように見えるが、六ケ所工場の稼働を制約するものだ。プルトニウムを消費するプルサーマルが小規模なので、六ケ所工場が動いたとしても稼働率は低く抑えられる。(図、我が国の分離プルトニウムの推移。原子力委の資料から)



 これまで「再処理工場は完成後計画の通り100%の稼働率で年間800トン、40年間で計3.2万トンの使用済み燃料を再処理する」として、コスト計算をしてきたが、低稼働率で動き出せば本当の高いコストが明らかになる。

本来の高速増殖炉のサイクルは破綻している

 そもそも今は六ケ所工場の存在意義も不確かなものだ。日本が数十年前から夢に描いてきた本来の核燃サイクルは「再処理工場で抽出したプルトニウムを高速増殖炉(FBR)で使う」というもの。原発で出る使用済み燃料の全量を再処理する「全量再処理」を基本とした「完全なFBRによるサイクル路線」だ。

 しかし、2016年にもんじゅ廃炉が決まったことで、FBRの実用炉開発が頓挫し、この形のサイクルは破綻している。

 今日本がめざしているのは、作り出したプルトニウムをMOX燃料にして普通の原発で燃やす「プルサーマル・サイクル」でしかない。これはプルトニウムを減らす(消費する)のが主目的なので、フル稼働すると年間8トンのプルトニウムを生み出す六ケ所再処理工場の位置づけがあいまいになっている。

 六ケ所工場の運転が近づくいま、やるべきは「サイクル政策の変更」だ。急に大変化を決めるのは無理だが、まずは使用済み燃料の「全量再処理」という非現実的な政策は早急におろす必要がある。

だれが政策を変えるのか。

 日本の原子力政策は「国策民営」という言葉で言われるように、役所と大手電力による二人三脚で進められてきた。原子力が計画に沿って順調に拡大しているときはいいが、計画の後退、政策変更という局面になれば機能しなくなる。先輩たちが作り、多額の予算と年月を投じてきた政策を諦め、否定する決断は簡単ではない。

 それでも日本の原子力政策が一夜にして変わったことがある。1995年7月、電気事業連合会が「新型転換炉(ATR)の実証炉は建設費が高騰するなど経済性がないので、採用しない」と突然声を上げたときだ。あまり知られていないが、当時日本は高速増殖炉(FBR)のほかにも、プルトニウムの増殖比率が少し小さいもう一つのプルトニウム原発を自主開発しようとしていた。「新型転換炉」(ATR)とよばれ、原型炉として「ふげん」をつくった。次には実証炉を青森県大間につくる計画だった。

 しかし、電事連の拒否で実証炉の建設は止まり、8月に原子力委員会も認めた。これは英断だった。当時、FBRだけでも開発が滞っていたのに、さらに新たな新型原発シリーズを開発する必要も余裕もなかった。このように、民間(電力会社)が経済性を真剣に考え、一致して明確な意思表示をした場合には政策変更も可能といえる。

 今はどうか。かつては電力業界の絶対的なリーダーだった東京電力は福島第一原発で大事故を起こし、実質的に国有化されている。関西電力は幹部集団が多額の賄賂を受け取っている会社であることが分かり、リーダーシップどころではない。今は九州電力社長が電事連会長をしており、電事連にはかつての強さがない。

 そもそも電事連は、核燃サイクルにどんな意見をもっているのだろう。具体的な主張をもっているのかどうか。

 一方、経産省を中心とした官僚集団も、原発の再稼働を進めるのに必死で、サイクル政策を大きくかえる力をもっていない。自民党の電力業界に詳しいグループでも政策議論は活発ではない。

「青森との約束で、サイクルはやめられない」は本当か

 核燃サイクルの政策議論では「核燃サイクルはやめられない」という話がしばしば出る。「青森県との約束」がその理由としてあげられることが多い。

 1998年7月29日、青森県知事、六ケ所村村長、日本原燃社長が覚書を結んでいる。「再処理事業の確実な実施が著しく困難となった場合には、青森県、六ケ所村および日本原燃株式会社が協議のうえ、日本原燃株式会社は使用済み燃料の施設外への搬出を含め、速やかに必要かつ適切な阻止を講ずるものとする」という内容だ

 これは再処理工場が動かない場合、工場に搬入している使用済み燃料を、電力会社に返すということだ。電力会社の使用済み燃料プールはすでに満杯近くになっているところが多く、そんなことをされれば原発は止まってしまう。だから再処理工場を動かさざるを得ない……。これが「再処理、あるいは核燃料サイクルはやめられない」という論だ。

 しかし、もし「核燃サイクルを見直す」という日本の政策の大転換があれば、使用済み燃料の保管場所や、青森県にふりかかるさまざまな問題についても、国を挙げた取り組みがなされるだろう。大きな予算措置もなされるはずだ。使用済み燃料についても、本当に困れば、いくらかは各電力会社の原発敷地内に置くことができる。つまり、政策の大転換が行われる際には、それに相応する措置がとられる。覚書が見直されることもあるだろうということだ。

 近くエネルギー基本計画の改定に向けた議論が政府内で始まる。この中で六ケ所再処理工場の運転開始をどう位置づけ、核燃サイクルをどうするのかの議論も必要だ。