Research Project on Renewable Energy Economics, Kyoto University

京都大学経済学研究科

再生可能エネルギー経済学講座

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No.242 韓国排出量取引制度の導入・運営に関する企業の観点

2021年4月22日
長崎大学環境科学部 准教授 昔宣希

キーワード:韓国、排出量取引制度、産業の見方と対応、割当

 脱炭素社会を目指し世界の120カ国以上の国から「2050年カーボンニュートラル」が宣言され、これを実現する戦略の一つとして、CO2排出に課金する「カーボンプライシング」の導入に関する議論が進められている。日本でも環境省及び経済産業省による検討が再び始まっており、今後の進展の歸趨が注目される。このコラムは、2015年に国家単位の排出量取引制度を導入した韓国に着目し、カーボンプライシング導入に関する産業界の見方と意見、政府と対立した論点などを取りまとめたものである。同制度の対象になった企業向けに、2010年から2015年まで毎年実施したアンケート調査の結果と、韓国の政府、産業界、学界、関連機関などの専門家に行ったインタビューで得た知見をもとに整理した。

1. 韓国排出量取引制度の導入の経緯

 韓国政府は、温室効果ガス排出量の削減のための取り組みとして、2009年開かれた第15回気候変動枠組条約締約国会議(COP15)にて、2020年向けのBAU(Business as usual、成り行き)比30%温室効果削減目標を発表した。2014年には、関係部庁合同で削減目標達成のためのロードマップを確定した。2015年、パリ協定に基づく削減目標(Nationally Determined Contribution、NDC)に対応し、2030年向けのBAU比37%削減目標を定めた。同目標を達成するため、市場メカニズムに基づく国内取り組みに加え、海外での削減分(国内で25.7%、海外で11.3%)を認める施策が折り込まれた「2030年温室効果ガス削減ロードマップ」が2016年6月に策定された。

 このような温室効果ガス削減目標及び気候変動政策の進展を踏まえ、主要手段として排出量取引制度が取り上げられ、2010年11月に初めて排出量取引制度に関する法律案が発表された。しかし、同案は、産業界の強い抵抗を受け、議論を進むには困難が伴った。大統領直属のグリーン成長委員会は関係部庁と一緒に、産業界の意見を多く反映した修正案を提案した。その後、2011年2月に「温室効果ガス排出量取引制度に関する法律案」が確定され、2012年5月には国会で最終承認された。

 2015年1月、国内温室効果ガス排出量の約70%をカバーし、気候変動に対する核心的な政策として、「韓国温室効果ガス排出量取引制度(以下、K-ETS)」が導入された。産業と発電を含む5部門(発電、産業、公共・廃棄物、建物、輸送)の525事業者を対象に運営が開始された。第1期計画期間(2015~2017年)、第2期計画期間(2018~2020年)が終了し、現在、第3期計画期間(2021~2025年)が運営されているところである。1

2. 韓国排出量取引制度導入について産業の意見

 韓国環境部は、ETSについて、「市場メカニズムに基づき、産業界の温室効果ガス削減に伴う負担を緩和しながら、低炭素技術の導入を促進し、産業構造の低炭素化への転換に役に立つ政策」と評価した。しかし、2010-14年に行った韓国企業のETSについてのアンケート調査をみると、ETSの長所はあまり評価せず、強く抵抗し、政策の受け入れの可能性は低く、ETS導入による追加な費用を負担する余力は限定的であるとの結果を示した。また、導入時期を2020年に延期すること望んでいた。さらに、政府は温室効果ガス削減の負担を産業に転嫁した、との見方を示した。

 産業界は、K-ETS導入による生産コストの増加とその負の影響について懸念を示した。特に、他の主要競争国の炭素政策が遅れている状況を踏まえると、韓国の早期措置は国際市場での国内産業の競争力に深刻な悪影響を与えるだろう、と懸念した。さらに、韓国の温室効果ガス排出量の世界全体に占める割合は約1.8%で潜在的な寄与度は大きいものではないとして、早期措置の必要性について疑問を表明した。当時(2010-2012)、先進国の温室効果ガス削減義務を定めた京都規定書の体制は事実上瓦解した状況であり、2020年を目途に発展途上国を含むすべての締約国が参加する新気候体制について議論が進められていた。温室効果ガスの排出に対する国際的拘束力がなくなった状況で、自国産業の競争力弱化を懸念して排出量取引制を実施していない国がほとんどであった。ETS導入国は、欧州連合(EU)28カ国とニュージーランド、スイス、カザフスタンのなど38カ国で、ドイツを除けば、ほとんどの温室効果ガス排出量が少なく、サービス業中心国が多い。温室効果ガス排出量上位の国、例えば、中国(温室効果ガス排出量の世界全体に占める割合:28.6%)、米国(15.1%)、日本(3.8%)は地域レベルの排出量取引制度を導入または導入準備中であった。

 一方、韓国企業は既存の規制が十分に厳しく効果的であると主張し、これまで産業界の規制を遵守しているとアピールした。また、エネルギー効率の改善と温室効果ガス削減に良い成果を収めてきたので、追加取り組みは効果が限定的で費用調達も難しい、と訴えた。ETSを通じた温室効果ガスの管理に関する政策効果について、経験的かつ科学的な証拠はまだ足らない、政府の楽観的な解釈について懐疑的な立場である、と表明した。

 韓国企業がK-ETS導入を反対した他の理由として、同制度が複雑であること、準備期間が短く既存の政策からの転換が早かったことが考えられる。2015年2月、K-ETSが開始して約一カ月後に行ったヒアリングで、炭素市場への参加及び戦略について聞いたところ、計画が立てられていない、社内システムが整っていない、炭素市場での取引の計画はないと答えた企業がほとんどだった。

3. K-ETSのスキーム設計と運用におけるキーイシュー

 K-ETSの導入が定められ、本格的な稼働を迎えると、論点は、制度設計及び炭素市場の運営に移った。「表1」に主な論点と産業界の意見を示した。その内、ここでは、最初の割当計画を取り巻く政府-産業界のイシューについて述べる。

表1ETSの主要な問題と企業の視点
表1ETSの主要な問題と企業の視点

 ETS制度設計において、最も重要なイシューは、排出量の割当と言える。企業の排出許容量を決めることは、その企業の生産活動に関わる問題であるからだ。K-ETSの第1期間割当計画は、2014年5月に発表された。この割当計画をめぐり、政府(主に環境部)と産業界の対立は、K-ETSの導入に関して議論が盛り上がった2010-2012年頃のように、再点火した。

 同割当計画(2015-2017)では、対象全体が排出することができる温室効果ガスの総許容量は16億4千万トンとされた。この数値は、国の温室効果ガスの排出量の予測値(BAU)に、国家温室効果ガス削減目標を考慮した削減率を適用して算定された。

 しかし、産業界は、全国経済人連合会を中心に共同声明を出し、同割当計画案の見直しを促した。産業界の主張は三つに整理できる。まず、総排出許容量は過小算定されたという意見だ。つまり、算定に適用されたBAU見通しは2009年に算定された値である、実際に2010年実排出量を基準に推計分析してみた結果過小評価されている、と指摘した。この値が適用された排出許容総量は現実を反映してない縮小された量である、と主張した。そして、産業界への負担と影響を考慮して、実際の状況を反映した排出許容総量と割当量に修正すべきであると提案した。二点目の指摘は、割当対象に「間接的排出」を含む点である。「間接的排出」とは、エネルギーの使用は組織の境界内で起きるが、温室効果ガスの排出量は組織の境界外で起こることを意味する。企業が使用する電気がその代表的な例である。産業界は、間接排出も割当対象に含むことは二重規制に該当する不合理な措置である、と強調した。最後の論点は、手続き上の透明性と公正性についての問題意識である。産業界は、環境部が割当計画の信頼性を高める目的で運営した官民推進団から産業界が排除されたことを指摘し、割当計画策定の過程で産業界の意見が適切に収束また反映されていない問題を取り上げた。そして、業界と十分な議論をして、手続き的妥当性を備えることを要求した。

 このよう産業界の意見について、政府は、割当計画を修正する措置を講じた。しかし、2015年に制度が始まって以降、243社の企業(全体の規制企業の46.3%)が割当増額と基準の変更を要求する異議申し立てを行い、いくつかの企業は、割当計画について集団訴訟を提起した2。間接排出に関しては、最終的に産業界の意見は受け入れられず、割当対象に含まれている。一方、手続き上の透明性や政府間とのコミュニケーションの難しさを訴えた産業界の強い反発は、K-ETSガバナンス改訂の発端となった。本来、企画財政部が総括して環境部が運営していた「排出量取引制度」は、2016年、企画財政部の役割が拡大され、産業部、環境部、農林畜産食品部、国土交部などの4つの部庁が所管分野に責任を負うように改変された。例えば、産業分野の排出量は産業部が、畜産業界は農林畜産食品部が管理する式である。これにより、環境部の排出量を割当に関する役割と権限が縮小された。しかし、2018年1月に再改編により、2016年の改編の内容を維持しながら、大体の部分において環境部による運営に取り戻された。

4.まとめ

 本コラムは、K-ETSの導入初期の政府と産業界間の相違する理解と論争のイシューについてレビューした。他国の制度の経験と比較して共通的な部分もあれば、K-ETSに特徴的な論点も見られた。今年7年目を迎えたK-ETSは、その後も、さまざまの論点について議論が行われ、修正・改善されてきた。このような過程を通じて、国家温室効果ガス削減のためのK-ETSの役割と位置づけは再確認されてきた。また、著者は、本コラムで具体的言及してなかったが、K-ETS対象企業達とのインタビューを通じて、2015年以来企業の炭素経営に関する認識の向上や対応体制の進展について確認し、これもK-ETSの効果として、高く評価できるものと考えている。同制度は現在、5年期間の第3期に入り、より流動性のある安定した市場メカニズムの効果を狙って、炭素金融商品の多様化、市場調整者の拡大、海外市場との連携などの運営方針に取り組んでいる。この3期の産業側の対応と活躍について今後も見続けていきたいと考えている。
(終わり)


1 同制度の制度設計の詳細及び第1期計画期間の運営結果については、京都大学大学院 経済学研究科再生可能エネルギー経済学講座のディスカッションペーパー「韓国温室効果ガス排出量取引制度の第1期及び2期の運営動向」NO.20を参照。

2 訴訟の結果は、ほぼ敗訴し、勝訴した一社について、著者は、その裁判記録の閲覧を申請したが、非公開文書となっていて拒絶された。