京都大学 大学院経済学研究科・経済学部

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准教授

安達 貴教(あだち たかのり)

基本情報
  • 学位:
    ペンシルヴェニア大学大学院・Ph.D.
  • 担当講義科目:

    【学部】
    入門演習
    【大学院】
  • 専門分野:
    産業組織論、競争政策論、応用ミクロ経済学、実証ミクロ経済学
  • キーワード:
    不完全競争
主要著作・論文
  • (邦語著書)『実践・ミクロ経済学 データとモデルで現代社会の課題に挑む(仮題)』(2021年、慶應義塾大学出版会より出版予定)
  • (邦語論説から一般向けの一篇)「高等学校公民科「現代社会」「政治・経済」文部科学省検定済教科書における不完全競争の取扱いについて」『経済科学』第68巻第1号、19-38頁。【論文リンク】
  • (英語公刊論文から最新の一篇)Business-to-Business Bargaining in Two-Sided Markets (coauthored with Mark J. Tremblay), European Economic Review, Vol.130 (November 2020), Article 103591 【論文リンク】
学生に一言

「一言」ということであれば、海外など普段とは異なる土地を訪れる時、あるいは新しい土地に住み始める時、そして、そういった場で新しい人たちと出会う時。こういった時に、殊更に彼我の差異を強調しようとするのではなく、基層部を意識し、共通点を見出そうとする態度。在学中か否かにかかわらず、折に触れて、意識したいものです、ということになるでしょう。自戒も込めて。
 なお、折角の機会(スペース)でもあるので、経済学に限り、しかも、(難しいことではあるのだが)三冊に限って「学生に薦める本」を紹介してみたい。まずは、

 ・河上肇『貧乏物語』(1917年初版、現在、岩波文庫に収録)

である。「世の中の貧乏をなくすためには、贅沢を止めるようにすること」との精神論的結論は、荒唐無稽の感なしとはしないが、そこに至るまでの著者の論点提示やパッションにこそ学ぶべき所がある。
 さて、この『貧乏物語』は(少なくとも)二人の学究を生み出した。伊東光晴(注1)と宇沢弘文(注2)である(敬称略)。

 ・伊東光晴『君たちの生きる社会』(1978年初版、その後、ちくま文庫に収録)

は、いわば、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(1937年初版)の20世紀後半ヴァージョン。元々、主に高校生が念頭に置かれているので記述は難しくないが、社会の多岐に関わる経済学的論点が散りばめられていることが、経済学を学習すると分かってくる。対して、

 ・宇沢弘文『自動車の社会的費用』(1974年、岩波新書)

に登場する用語や概念はやや難しく、ミクロ経済学の知識を得ることが読書の助けとなろう。「自動車の社会的費用」を算出するに当たり、どのような側面に着目するのか、そして、どのようなデータを用いるかによって、その算定値は大きく異なってくる。「データ時代」に生きる我々としては、著者のパッションを感じるのみならず、「「客観的」数値の結論部分のみを鵜呑みにするのではなく、それがどのようにして導かれているのかこそが重要なのである」との教訓も引き出したい。

注1:根井雅弘『経済学者の勉強術 いかに読み、いかに書くか』2019年、人文書院、p.198に「伊東先生は、若い頃、河上肇の『貧乏物語』を読んで感銘を受け、理科系から文科系へと志望を変えた人である」との記述がある。
注2:「その頃(引用者注:1951年頃)宇沢は、たまたま河上肇の『貧乏物語』を読んだ。深く感動した。国民の多くが困窮にあえいでいるときに、浮き世離れした数学などはやっていられないと思い込んだ宇沢は、経済学を学ぼうと決心したのでだった。」(大塚信一『宇沢弘文のメッセージ』2015年、集英社新書、p.24)

自己紹介

評論家の加藤周一(1919-2008)は、「人は「私とは誰か」という問いに、みずから答えることはできない。・・・私とは誰か、を決定するのは、私ではなくて、他者である」(『私にとっての20世紀-付 最後のメッセ―ジ』(2009年、岩波現代文庫)「あとがき」より)と喝破しました。「自己紹介」という欄に、このような引用を持ってくること自体が、何よりの「自己紹介」となっている・・・かどうかについての判断は他ならぬ他者である皆さんに委ねます。

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