Research Project on Renewable Energy Economics, Kyoto University

京都大学経済学研究科

再生可能エネルギー経済学講座

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No.132 再エネの便益を語らない日本

2019年6月20日
京都大学大学院経済学研究科 特任教授 安田 陽

「便益」という言葉をご存知でしょうか?

 「便益」という言葉をご存知でしょうか? 経済学の分野でしばしば登場する「便益 (benefit)」という用語は、なかなかカタい言葉のようで、日常会話に気軽に登場することはなさそうです。試しに辞書を引くと、

べん-えき【便益】都合がよく利益のあること。便利。「––を与える」

広辞苑第7版, 岩波書店 (2018)

などと説明する辞書が殆どで、経済学で使われる意味とだいぶ乖離があるようです。

 便益は、利益 (profit) と異なり、特定の個人や企業、産業界だけが得るものではありません。関係者全員、特に市民や国民全体が恩恵を浴するものです。経済学では私的便益 (private benefit) に対する言葉として社会的便益 (social benefit) と呼ぶこともあります。また、便益は「恩恵」や「メリット」のような抽象的でふんわりしたものではなく、定量的に評価され、多くの場合貨幣価値に換算されます。

再エネの便益

 さて、再生可能エネルギーには便益があります。化石燃料に比べ気候変動の要因となるCO2を殆ど排出しないこと、大気汚染の元となるNOx, SOxを排出しないことなどが大きな便益です。世界各国で再エネに対する投資が進み、多くの国や国際機関で高い再エネ導入率の目標やシナリオが掲げられていますが、それはなんとなくのエモーショナルなブームではなく、定量評価に基づく合理的な選択の元に世界各国の政策決定者や投資家が判断しているからなのです(例えば、2017年12月4日付拙著コラム「再生可能エネルギーはなぜ世界中で推進されているのか」参照)。

 海外の再エネに関する記事や論文、政府・国際機関の報告書、法令を丹念に読むと、この便益 (benefit) という言葉が多く登場することに気がつきます。例えば、欧州連合 (EU) の法律文書である指令 (directive) の中で、2009年に改正・施行された『再生可能エネルギー(RES)指令』(2009/28/EC)がありますが、その中で、

第14条 情報および研修
第6項 加盟国は、地方及び地域の規制機関の参加とともに、再生可能資源からのエネルギーを開発・利用することの便益と実用性を市民に伝えるために、適切な情報、意識向上、指導、研究プログラムを発展させなければならない

という条項を見ることができます(筆者仮訳。下線部は筆者)。すなわち、「再生可能エネルギーの便益」を市民へ伝えることが加盟国の義務であることを意味しています。では翻って、日本ではどうでしょうか?

日本では再エネの便益について議論されているか?

 日本でどれくらい再エネの便益が議論されているかを客観的に調査するため、さまざまなデータベースを用いて各種メディア文書における「便益」および関連用語の出現頻度調査を行なってみました。図1はその調査結果の一例であり、内外の新聞における「再生可能エネルギー」と「便益」(および関連用語)の出現頻度を比較したものです。



図1 再エネに関する記事の中で各種用語が出現する比率の比較(新聞記事)
コストおよび便益に関する調査結果のみグラフ内に数値を付記。



図2 再エネに関する記事の中で「コスト」および「便益」が出現する割合の比較(新聞記事)

 出現頻度調査の対象語として、まず「再生可能エネルギー (renewable)」(「再エネ」「再生エネ」含む)を含む記事を検索し、その中から「負担(burden)」「コスト (cost)」「便益 (benefit)」「恩恵」「メリット (merit)」といった用語の出現頻度を「再生可能エネルギー」の出現頻度に対する比率として比較しました(図1)。また、再エネに言及する記事の中で「コスト」を含む記事と「便益」を含む記事の割合も各紙で比較しています(図2)。

 図1〜2を一瞥してわかる通り、日本の主要紙では再エネ関連記事の中で「コスト」を含む比率は10〜40%台ですが、「便益」を含む比率はいずれも1%未満でした。なおここで、「便益」というカタい言葉でなく「恩恵」や「メリット」と置き換えられているのではないかとも予想しましたが、図1に示したように最も多いものでも10%程度となり、やはり出現頻度は低いと言えます。一方、海外の主要紙では、“benefit” を含む記事が10〜20%台の比率で見ることができ、 “cost” に対して “benefit” が出現する割合も30〜40%台の新聞が多いことがわかりました。

 なお、テレビ(インターネットに転載されている番組情報)についても同様の調査を行いましたが、日本の主要キー局はいずれも0%で(つまり再エネの便益について述べる番組やニュースはゼロ)、海外テレビは新聞とほぼ同様の傾向でした。SNSにおける調査でも同様の傾向が見られています。

 同様に、図3〜4は政府文書(審議会資料、報告書、広報など)における調査結果です。これらの図からやはり、再エネの便益について言及する政府文書は海外に比べ少ないことがわかります。しかしながら、図1〜2と比較すると、日本の中では新聞記事より政府文書の方が再エネの便益についてより多く言及していることも明らかになりました。つまり、日本において再エネの便益に関して最も言及しているのは(海外よりも少ないものの)政府文書であり、マスメディアがそのことを殆ど全く国民に伝えていない、という状況が浮かび上がりました。



図3 再エネに関する記事の中で各種用語が出現する比率の比較(政府文書)
コストおよび便益に関する調査結果のみグラフ内に数値を付記。DOEは米国エネルギー省。



図4 再エネに関する記事の中で「コスト」および「便益」が出現する割合の比較(政府文書)

 再エネには便益があります。それは次世代にツケを回さず、子孫へ残すプラスの贈り物と考えることもできます。しかしながら、我々が日本の新聞やテレビやSNSで得られる情報では、再エネは「コスト、コスト、コスト…」「負担、負担…」ばかりで、その便益については殆ど情報が提供されていないことになります(恩恵やメリットに置き換えたとしてもやはり依然として少ない傾向です)。これでは、多くの人にとって、再エネはあたかも「国民負担」ばかりの罰ゲームのように誤解されても仕方ありません。

 日本では、再エネに限らず「便益」という用語や概念そのものが多くの国民に知らされておらず、政策を議論するにあたってその効果を数字やエビデンスで議論する習慣が乏しいからかもしれません。我々は(政府やメディアだけでなく、国民一人一人が)、未来の子孫のために何ができるか?という観点から、この日本であまり語られない「再エネの便益」について、今後より多く語っていく必要があるのではないでしょうか。

追記:本コラムは近日公開予定のディスカッションペーパー「再生可能エネルギーの便益が語られない日本」の要約版です。調査方法や分析結果の詳細については、ディスカッションペーパーをご覧下さい。