Research Project on Renewable Energy Economics, Kyoto University

京都大学経済学研究科

再生可能エネルギー経済学講座

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No.153 『再生可能エネルギーと固定価格買取制度(FIT)』日本語版の翻訳出版によせて

2019年11月7日
京都大学大学院経済学研究科 特任教授 安田 陽

注:本文書は2019年11月中旬に刊行予定の翻訳書『再生可能エネルギーと固定価格買取制度(FIT) ~グリーン経済への架け橋』(京都大学学術出版会)に掲載された「翻訳者序文」の全文を転載したものです。転載を快諾頂いた京都大学学術出版会に篤く御礼申し上げます。

 本書は、2009年に発刊された “Powering the Green Economy: The Feed-in Tariff Handbook” の日本語版です。この度、原著の発刊からちょうど10年後という節目の年に日本語版が刊行でき、日本の多くの方に固定価格買取 (FIT) 制度とは何か?という本質論を改めて提供できる機会を作ることができたということは、翻訳者の一人として大きな喜びです。
 と同時に、なぜこのようなFIT制度に関する基本的でわかりやすい「バイブル」が、これまで10年の長きに亘って日本語に翻訳されなかったのか…、という反省の念も少々混じっており、喜びも中くらいなり…、というのが正直な感想です。
 日本でも2012年からFIT制度が施行され、今年で7年目を迎えますが、その間、FIT制度の基礎理論や理念に関するわかりやすい日本語の書籍や資料はほとんど見当たらず、専門論文かいくつかの専門書の一部に散見されるのみという状態が続いていました。これでは、なぜFIT制度が必要かという本質的な議論が日本国民全体で十分共有されないまま、誰かがどこかで決めた制度をなんとなく進めてきたと言われても仕方ないかもしれません。再生可能エネルギーやFIT制度の意義や基礎理論を一般の人々にも理解してもらうために努力をしなければならないのは、本来、再生可能エネルギーに関わる学術界・産業界の責任であり、我々はその積年の怠慢を大いに反省しなければならないとも言えます。

 経済産業省の集計によると、2017年度はFIT制度による買取金額が約2兆7千億円を超えました。この額は2030年度までには4兆円になるとも予想されています。また、2018年度の家庭用電力料金に占めるFIT賦課金単価は2.90円/kWh、標準家庭の負担金は月額754円であると公表されています。この金額だけを切り取って見ると、「国民負担が増大する」という声が上がりそうですし、「FIT制度により市場が歪められている」という意見も聞こえてきそうです。実際、そのように喧伝するメディアやネットの論調も少なからず見受けられます。
 これらの論調は単純明快で一見わかりやすく、多くの人が共感しそうですが、それに対して本書は明確な反論を提示しています。そこでは、「社会的便益」や「外部コスト」というやや硬い響きのする経済学用語を用いながらも、一般の人々にもわかりやすい語り口で説得力を持つ形で、FIT制度の理念や基礎理論が語られています。
 FITは決して国民負担ではなく、市場を歪めているわけではありません。むしろ、既に市場が歪んでおり、その歪みを是正するための有効な手段としてFITが選択されたのです。そしてFIT制度は確かに電気を利用する人々から電気代の一部として広く薄く原資が集められますが、それは決して無駄なコストを消費者に転嫁する「国民負担」ではなく、次世代に負の遺産を残さないための「投資」であり「次世代への富の移転」なのです。
 このようなFIT制度に関する本質的な理解なしに、買取総額や標準家庭負担金額のみ切り取って喧伝するとすれば、行き着く先は「自分たちだけハッピーであれば、後の世代はどうなっても知らん!」という極論に容易に陥りがちです。日本で流布するFIT批判を見ると、本書で語られる「便益」や「外部コスト」という概念が全くと言っていいほど登場せず、重要な視点が欠落したまま、視野の狭い表面的な損得勘定のみに拘泥しているように見えます。
 もちろん、FIT制度も万能ではありませんし、本書で(まさに10年前に!)指摘されている通り「不適切なFIT」に陥ってしまうケースも考えられます。日本のFIT制度も、結果的に高コストな太陽光発電ばかりが偏重され、森林伐採や土砂流出など各地でトラブルも発生し、「不適切なFIT」に抵触する事例も多く報告されています(まさに10年前に指摘されていたのに…)。
 しかし、ここでも冷静な議論が必要です。FIT制度は、万能ではないながらも有用です。もし現行の制度が「不適切なFIT」になりつつあるのであれば、不適切な部分を速やかに是正することが先決です。ここでも、そもそもFIT制度は何のためにあるのか?という基礎理論を押さえておかないと、何でもかんでも十把一絡げに「FITのせいだ!」とFIT制度そのものを否定してしまいがちです(その結果、市場の歪みが放置されてしまう可能性があります)。よくわからないけど誰かのせいにして文句を言って溜飲を下げるだけでは問題は解決しません。何が問題かを冷静に切り分け、より良い方向に向けた具体的な解決方法を考えることが重要です。その点も幸い、日本がFIT後発国であるという立場を謙虚に利用すれば、本書の中で多くの先行者の知見が見つかります。

 日本では、FIT制度施行後7年が経つにも関わらず、残念ながらFIT制度の根本的な理解が浸透せず、むしろ誤解や歪曲された解釈の方が多く流布しているようです。そのような状況に陥ってしまっている理由は、ひとえにFIT制度の基礎理論に関するわかりやすい日本語の本がほとんど存在しなかったからだ、と言えるのではないでしょうか。
 そのような状況の中、英語圏で「FITのバイブル」とも評価される本書が、原書の発刊後実に10年遅れではあるものの、ようやく日本語版として出版することができました。本書の内容は、おそらく多くの日本の読者にとって、極めて新鮮に感じられることでしょう。そして、このような議論が「既に10年以上前から行われていた」という事実に愕然とするかもしれません。
 再生可能エネルギーはインターネットやスマホと比較されるくらい急激に進展している分野であり、技術や法制度もこの10年で劇的な進化を遂げています。その点で、10年前に出版された本書は既に「古典」の部類に近く、本書で紹介された一部の情報は既に陳腐化されたり、すっかり状況が変わっているものもあります。しかし、今回の日本語版ではそのようなやや古い情報も、「当時から既にこのような議論が行われていた」という日本の読者への情報提供の意味も込め、そのままの形で翻訳してあります。最新情報に関しては、翻訳者一同が入手できる限り訳注にて追加情報を提供しています。原著者を代表して、デイビット・ヤコブス (David Jacobs) 氏からも日本語版への序文を寄せて頂き、原著から10年経った時点での最新動向も交え回顧的に解説頂きました。
 経済産業省によると、日本でも2020年度にFIT制度の抜本的見直しが示唆されています。「FIT制度の抜本的見直し」が何を意味するのかはまさにこれから議論が進むと思われますが、これを機会に多くの国民が再生可能エネルギーやFIT制度の意義をもう一度改めて共有し、次世代に何が残せるのかを真剣に議論する必要があるでしょう。本書がその「良き議論」のきっかけとなることを望みます。

安田 陽、2019年7月、翻訳者を代表して

キーワード:固定価格買取制度(FIT)、社会的便益、外部コスト