Research Project on Renewable Energy Economics, Kyoto University

京都大学経済学研究科

再生可能エネルギー経済学講座

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No.191 政府の失敗とリスクマネジメント

2020年6月25日
京都大学大学院経済学研究科 特任教授 安田 陽

 「政府の失敗」という言葉があります。なんでもかんでも政府を批判したがる人が飛びつきそうな(そしてなんでもかんでも政府に対する批判に目くじらをたてる人も別の意味で飛びつきそうな)言葉ですが、これはれっきとした経済学用語です。例えば『経済用語辞典』第4版(東洋経済新報社, 2007)によると、政府の失敗とは、以下のように説明されています(下線部筆者)。

・理論的には、各経済主体が価格というシグナルに基づいて自由に経済活動を行うことにより、最適な資源配分が達成される。しかし、独占状態になったり、情報の非対称性が存在したり、公共財の場合には、市場の取引が最適資源配分を達成することはならない。これが市場の失敗である。

・市場の失敗がある場合には、規制などによる政府の介入が必要となる。ところが政府による規制などがかえって効率的な資源配分を損なう場合がある。これが政府の失敗である

 市場はしばしば失敗します。「市場の失敗」も経済学用語であり、独占や寡占、情報の非対称性、外部性などが存在し市場の効率性が損なわれると市場の失敗が起こります。市場の失敗が発生した場合、それは市場への介入(規制)という形で政府が是正しますが、政府もしばしば失敗します。政府の失敗が起こった場合、市場がそれを是正してくれるわけではなく、政府自身が正すより他はありません。政府自身が正せない場合は、国民が投票行動などにより政府に改善を要求することになります。

 ここで「失敗」という言葉が出てくると、「成功/失敗」という二項対立で多くの人が独自の判断基準で価値判断をしてしまいがちですが、経済学的な「市場の失敗」や「政府の失敗」は資源の効率的な配分の最適化(パレート最適)の問題であるということが重要です。したがって、実際の多くの市場や規制・政策は何らかの形で最適でないことが多く、むしろ市場の失敗や政府の失敗は常に起こり得るものと考えた方が良さそうです。

 「失敗は常に起こり得るもの」と予め考える方法論はリスクマネジメントの基本であり、そこに「無謬主義」という発想はありません。市場も政府も無謬でなく、失敗をする可能性があります。それ故、予め失敗しないための方策や、失敗だと気がついた時にすぐさま対応できる組織体制が必要です。失敗は外的要因によっても起こりますが、しばしば内的要因からも発生します。リスクマネジメントに関する規格 JIS Q 31000:2019『リスクマネジメント – 指針』でも、

・組織要因がリスク源になることがある

とはっきり書かれています。特に政府の失敗に関して、前述の『経済用語辞典』では、

・政府の失敗が起きるケースとしては、政府が規制対象である産業・企業の実態を十分把握できない場合(政府と企業の情報の非対称性)、政府を動かす官僚が自己保身的な行動に走る場合、投票システムを通じた社会的選択にバイアスが生ずる場合、などが考えられる。

という具体例も挙げられています(下線部筆者)。

 昨今の新型コロナウィルス (COVID-19) に対する政府の対応については、多くの人が一家言持ち、賛否両論です。特にメディアやSNSでは、単に自分の考えと同じだから「成功」、違うから「失敗」という安易な価値判断が横行しがちです。しかし、人類共通の観点、例えば資源の効率的な配分という経済学的観点から冷静にエビデンスベースで分析し、「政府の失敗」が発生していないかどうか、もしそうであればどのように是正すべきかという議論が必要です(なお、厳密には資源の効率的な配分が達成されたとしても、富の再分配の問題も残り、その点についても議論しなければなりません)。例えば、PCR検査の制限やマスク2枚の配布は資源の効率的な配分という観点から適切だったかどうか、定量的な事後政策評価が行われるべきでしょう。

 筆者はこれまで、再生可能エネルギーや電力システムに関する研究の一環としてリスクマネジメントについても研究を行ってきていますが、リスクマネジメントは発電所の事故防止や停電対策といった短期的なトラブルに対する対応だけでなく、市場の失敗や政府の失敗といった経済学的な問題に対しても応用ができます。更には気候変動(最近では「気候危機」とも呼ばれるようになっています)に対する対策も長期的なリスクマネジメントの一種です。

 前述のJIS Q 31000は、産業規格としては珍しく適用範囲が限定されておらず、「これらの指針は、あらゆる組織及びその状況に合わせて適用することができる」「この規格は、あらゆる種類のリスクマネジメントを行うための共通の取り組み方を提供しており、特定の産業又は部門に限りものではない」とも規格中に明記されています。コロナウィルスと気候危機は別個のリスクとして認識されがちですが、リスクに対する対応の方法論としては多くの点で共通するものがあります。例えば、JIS Q 31000に登場するキーワードを拾い上げると「トップマネジメント」「リーダーシップ」「イノベーション」などの言葉が並びます。リスクマネジメントに関してはシノドスに掲載された拙著論考もご参照下さい。

 新型コロナウィルスという人類がこれまで経験したことのない新たなリスクに際して、多くの人が科学的方法論としてのリスクマネジメントに関心を持ち、議論を深めてもらえればと思います。【2,085字】

2020年10月1日:誤字を修正