Research Project on Renewable Energy Economics, Kyoto University

京都大学経済学研究科

再生可能エネルギー経済学講座

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No.400 欧州電力市場最前線
〜COVID-19・電力価格高騰・ウクライナ後の欧州電力市場の動向

2023年10月19日
京都大学大学院経済学研究科 特任教授 安田 陽

 2023年9月、COVID-19による世界的なロックダウンや行動制限の後、筆者としては実に4年ぶりに欧州に出張し、約1ヶ月間、欧州各国の電力市場関係者に、聞き取り調査(インタビュー)を行なってきました。本稿ではその速報をお伝えします。

 一般に我々学術研究者は、統計データや実証試験結果、報告書や論文など「書かれたもの」を重視し、仮説を立て論理的に推論し結論を導きます。しかし、「書かれたもの」はそれが書かれるまでに時間がかかります。一方、最新技術、環境変化、技術革新、制度改革などは早いスピードで変化することも多いため、これらをキャッチするために聞き取り調査を行うこともあります (本来、こういった方法論はジャーナリズムの方々の方が得意かもしれません)。とりわけ、その分野の実務の最先端にいる方々からお聞きする話は重要です。今回は、主にデンマークとドイツの電力市場プレーヤー(パワートレーダー、アグリゲーター)の方々にお話を伺ってきました。

長期柔軟性について

 今回、お会いした方々ほぼ全てに、以下のような同じ質問を設定しました。「ロシアによるウクライナ侵略を受けて、欧州では長期柔軟性 (long-term flexibility) の議論がますます重要になっていると聞いています。あなたにとって最も重要だと思われる長期柔軟性供給源はなんですか?」と。訪問先でインタビューした方々や、国際会議に参加して深くディスカッションした方々を含め、総勢30人以上の実務者(市場プレーヤー、規制機関)から以下のような回答が得られました。

・水素
・メタノール
・P2X
・連系線
・熱貯蔵
・電力取引
・デマンドレスポンス
・電気自動車 (によるピークシフト)

 回答は特定の技術や方法論に偏ることなく分散しており、さまざまなソリューションが挙げられたという点が興味深いです。日本で同様の質問をしたらおそらく多くの人が回答するであろう「水素」や「P2X」と回答した人ももちろんいましたが、むしろそれは少数派です。また、今回は再エネ関係者には殆どインタビューしていないにも関わらず、「火力」と答えた方はゼロでした。

 また、複数の方が「連系線」や「熱貯蔵」を即座に挙げたのも印象的です。日本では「再エネは不安定で調整力が必要」という文脈で語られることが多く、「柔軟性」や「セクターカップリング」の概念が乏しいため、この答えは日本では殆ど出てきません。「日本は海外との連系線がない」と考える日本の方も多いですが、日本国内にはむしろ欧州よりも豊富な連系線があり、柔軟性を提供できるポテンシャルが豊富にあることは日本では殆ど知られていません(詳細は国際比較分析を参照)。

 さらに、「電力取引」や「デマンドレスポンス」を長期柔軟性のソリューションの一つに挙げるという考え方も、日本ではなかなか出てこないかもしれません。このことは、今回の欧州出張中に執筆した日経新聞「経済教室」の筆者論考にも反映されています。電気自動車の車載電池による柔軟性提供は、筆者個人としては短期柔軟性に分類されるものと考えていましたが、これもアグリゲーターを介した市場取引によりピークシフトができ、結果的に長期柔軟性を生み出すという意見を聞いて、なるほど…と思いました。電力市場は不確実性がありむしろ電力の安定供給を妨げるかのような見解が日本では多く聞かれますが、市場取引が長期柔軟性の確保や供給信頼度(アデカシー)の維持に貢献するという考え方は、日本にとっても重要です。

人工知能(AI)による市場取引について

 筆者が最後に欧州で聞き取り調査をしたのが2019年でもう4年前のことだったので、今回自分もすっかり浦島太郎で時代についていけていなかったな…と感じたのは、AIによる市場取引についてでした。4年前の時点では、AIによる市場取引も多くの会社で試みられていましたが、まだ人間による取引(マニュアルトレーディング)の方が重要視されていた印象でした。

 ところが、今やAIに任せる電力市場取引が8割を占めるところが多く、人間はそれを監視・監督するという役割に変わりつつあります。「それでは、人間の仕事はなくなるのでしょうか?」「人間のパワートレーダーがAIにすっかり取って代わられてしまうのでしょうか?」という質問をしたところ、あるトレーダーの方が非常に示唆に富む回答をしてくれました。

 曰く「AIの電力市場取引は、飛行機のオートパイロットに似ている。飛行機は、その飛行時間のほぼ8割が自動運転で、パイロットはコーヒーを飲んだり食事を取ることができる。しかし、離陸や着陸の際、また乱気流などの緊急時の場合は、パイロットが責任を持って操縦桿を握る。これからのパワートレーダーに要求される仕事は、より専門的で責任の重い仕事となる」とのことです。実際、今回聞き取り調査した多くのアグリゲーター会社では、AIトレーディングによって浮いた時間・人材をAIの学習や分析、アルゴリズム開発、リスク分析、リスクマネジメントといったさらに専門的な業務に充てているようです。

 また、「パワートレーダーになるための条件や資質はありますか?」と質問したところ、ある会社のトレーダーの方が以下のような回答をしてくれました。「特に基礎技術や基礎知識はあまり重要ではない。会社に入って先輩につきながら1年間も実務を経験すれば誰でも一人前になれる。ただし、不確実性に対応できる能力を持つことが必要だ」と。この「不確実性に対応できる」という能力と人材は、もしかしたら我々日本社会で一番不足しているものかもしれません。AIの技術開発も重要ですが、このような人材を日本社会全体で育てていくということもより重要です。

アグリゲーターのビジネスモデルについて

 筆者が今回訪問したアグリゲーター会社の多くは、アセット(電力設備)を全くもたないアセットレスもしくはノンアセットのパワートレーディング会社です。聞き取り調査の結果から(あるいは公開報告書から得られるデータからも)、多くのパワートレーディング会社が、COVID-19や電力市場価格高騰、ロシアによるウクライナ侵略などの度重なるネガティブ事象の発生にも関わらず、堅調に業績を伸ばし、規模を拡大していることが分かりました(もちろん、事業に失敗して経営破綻した大手小売事業者もいます)。

 彼らの話を聞くと、市場にボラティリティがあるから収益性が望めない…のではなく、ボラティリティがあるからこそ、そこに収益性のチャンスを見出し、技術と合理的選択によって危機を乗り越え、かつ電力の安定供給に市場取引(とりわけ時間前市場と需給調整市場での取引)を通じて貢献しているという自負が見られます。

 日本では、このようなアセットを持たないプレーヤーが市場に参入してくることに、多くの伝統的なプレーヤーが不信感を持つことが多いですが(「投機やマネーゲームになる」「電力の安定供給を脅かす」…など)、それは市場設計が不十分で市場監視が行き届いていない不完全市場でこそ起こりがちです。無根拠に市場を信用する必要はありませんが、無根拠に市場に不信感や偏見を持つのも極端な二元論という意味では同根です。適切な市場設計と市場運用・市場監視があってこそ、合理的リスクマネジメントの帰結として市場取引が選択され、市場取引によってリスクが低減され、電力の安定供給が実現されるのが理想的です。

 日本では電力全面自由化が2016年にようやく行われてからまだ7年、電力市場は人間で言えばようやく小学校に入学したばかりです。多くのことがまだ設計途上で、理想的な市場とは言い難いというのはやむを得ません。しかし、理想的な市場ではないから理想的な考えを諦め、理想的な考えに立脚しないから場当たり的な対処療法ばかり…だとしたら、ますます市場が歪み、まさに本末転倒です。

 欧州では1996年に電力自由化がなされ日本より20年先を進んでいます。欧州もさまざまな問題を抱えているものの、そこでビジネスをする市場プレーヤーがどのような理念や哲学、概念、発想でどのようなビジネスを行なっているかを観察することは重要です。これから市場を育む日本のプレーヤーにとって(特に新規参入者である再エネ発電事業者や地域新電力などの小売事業者にとっても)、重要な示唆を得ることができるでしょう。


キーワード:電力市場、アグリゲーター、柔軟性