Research Project on Renewable Energy Economics, Kyoto University

京都大学経済学研究科

再生可能エネルギー経済学講座

本講座(第2期)は、2024年3月31日をもって終了いたしました。

TOP > コラム一覧 > No.410 エビデンス・ベースド・アドボカシーをご存知ですか

No.410 エビデンス・ベースド・アドボカシーをご存知ですか

2024年2月15日
京都大学大学院経済学研究科・特任教授
安田 陽

 例え話から入ろう。ランナー三塁を蹴ってホームにスライディング、センターから綺麗な送球が返ってきた、キャッチャー捕球してクロスプレー、さてセーフか?アウトか?…というシーンで、「ワシは阪神ファンやから絶対にセーフや!」とか「私は巨人ファンだからアウトじゃないと納得しない!」という観客の主張で審判のジャッジが左右されたとしたら試合はどうなるだろうか? そのような慣行が蔓延するスポーツに未来はあるだろうか?

 セーフかアウトかは、観客の願望や多数決によって決まる訳ではなく、予め定められたルールに従って(審判という人間の判断が入るにしても)可能な限り客観的な方法論で決定される。我々は、つい、自身の贔屓に従ってセーフかアウトかの「結果論」だけを求めがちであるが、重要なのはセーフかアウトかを客観的に判断する「方法論」である。

 審判はルールに従って中立公正な立場で判断しなければならない。角度によっては塁審とも協議するし、昨今ではビデオ判定など科学的手法の導入も進みつつある。スポーツの世界では、このルールや方法論に対して異を唱えたり公然と違反しようとする人はほとんどいないだろう。

 しかし、残念ながら政策の分野では、往々にして「阪神ファン」か「巨人ファン」か数の多い方の恣意的な主張が通りがちである。「民主主義」を履き違えて、単なる多数決で(場合によっては数の力や声の大きさで)決めると思い込まされている人もいるかもしれない。特に「政策」ではなく「政治」という表現を使った場合、不正や不祥事といったルール違反があるたびに多くの人は眉を潜めるものの、それは「政治」に付きものと半ば諦め、その現状を如何に変えていくかについての議論は日本ではなかなか湧き上がらない。

 本来、正しい意味での「政治」は政(まつりごと)を治(おさ)めることであり、それは政策決定と政策履行、そして監視と改善のPDCAサイクル(Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)のプロセス循環)に他ならない。それらを科学的に行う方法論として、近年日本でも盛んに提唱されつつあるエビデンス・ベースド・ポリシーメイキング(EBPM, 根拠に基づく政策決定)や、本報告書のタイトルにもあるエビデンス・ベースド・アドボカシーがある。

 前者のEBPMはどちらかというとルールブックを決める人たちや審判の行動規範であり、セーフかアウトかをファン投票や有力者の圧力に左右されることなく、その意思決定の方法論にきちんと科学的根拠を導入しようという考え方である。

 一方、後者のエビデンス・ベースド・アドボカシーは、ファンや観客も当事者としてセーフかアウトかの意思決定に参画しようとする行動だと言える。アドボカシーとは、直訳すると擁護や代弁を意味するが、大きくは政策決定に影響を及ぼす市民の活動・運動を意味する。市民が政策決定に影響を及ぼそうとする場合、自身の贔屓でセーフかアウトか都合の良い「結果論」を要求するのではなく、客観的な根拠(エビデンス)を用いて「方法論」の構築に参加し、それが遵守されているかウォッチしようとする考え方が、エビデンス・ベースド・アドボカシーに内在されている。

 政策決定を野球の審判のような一部の特殊集団だけに丸投げしてあとは無関心を決め込むのではなく、ファンや観客も当事者として参加しながら、しかも単なる贔屓や人気投票や八百長ではない公平公正なルール作りや運用にどう関わるのか。このような科学的「方法論」の構築に参加することが、21世紀の市民に求められるだろう。

(キーワード:根拠に基づく政策決定、アドボカシー、市民活動)


本稿は、2024年2月4日に公表された吉田美樹著:『エビデンス・ベースド・アドボカシー実践法』, 探求インテリジェンスセンター (2024) に寄せた巻頭言をそのまま内容・表現を変えずに転載したものです。転載をご快諾頂いたオシンテック・吉田美樹氏に篤く御礼申し上げます。